「わ、わし等は、奴良組のためにやったんじゃ!私利私欲のためじゃねえぞ!奴良組のため、ひいては、この明るくなった平成の世で窮屈な暮らしを強いられ、退魔師どもに脅かされる妖怪全体のためにやったんじゃ!
 リクオ様は人間と妖怪の血を引いておるが、夜に化生したしろがねの姿は、まさしく百鬼夜行の主に相応しい。あれこそが、わし等の次の主じゃ。わし等の主は、人間ではない、妖怪でなければならんのじゃ。人間に今一度、わし等のおそろしさを思い出させるため、わし等の住処を守るため、闇を背負うに相応しい御方でなくてはならんのじゃ!
 いわば、リクオ様の昼と夜の姿は、木と石じゃ。相反するもの同士じゃ。片や名も無き若木、片やその洞にしっかと抱かれた金剛石。ならば、金剛石を取り出すためならば、若木と言えども犠牲はやむをえない。そうは思わんのか、ぬらりひょん!」
「 ――― お主も、その木と石の姿に惑わされた口かい。やれやれ、厄介なことじゃのう。その金剛石は、若木から取り出せばただちに輝きを失い崩れて塵となる。若木もまた同じく、黒く枯れ果てるじゃろう。木と石、相容れぬもの同士にしてそれこそが一つの姿。金剛石を抱えたしなやかな若木こそが、リクオという生き物なのよ。その若木は、いずれ金剛石の輝きを放つ花を咲かせるかもしれぬというのに、これをそのまま見ていられんとは、おめぇ、せっかちが過ぎるぜ」
「見てなどいられるか!こうしている間にも、わし等は、闇は、追いやられて、追いやられて、滅される運命にあるのじゃ!黙って見てなど、いられるか!」
「なら、もう黙れや」

 件の妖怪が、総大将の一撃を浴びてひっくり返った後、例の、《夢見鏡》はいつの間にか失われていた。

 手に入れたとしても、若君を癒す手立てにはならないが、若君を床につかせてしまった元凶には違いない、粉々にしてやらねば気が済まぬと、青田坊も黒田坊も、他にも奴良組の妖怪たちが息巻いて探したが、黒漆が塗られた見目ばかりは高貴な鏡は、ついに見つからなかった。

 久方振りに己が先頭に立った出入りを終え、屋敷に戻って件の妖怪を、沙汰を決めるまでと蔵に放り込んで一息をついてみれば、つい今まで先陣を切る勢いでありとあらゆるものを凍らせていた雪女の姿がもう無い。
 しばし考え、総大将は若君の部屋へと足を向けられた。

 子守には、最適であろうと思われた。だがそれだけだ、それ以上を求めてはいなかった。

 守役をそのまま側女にするなど跡目として聞こえも悪いし、例え一時は母への恋情に似たものを守役に向けることがあったとしても、やがて判別がつくようになれば、己でそれに気づいてこの女を遠ざけ、また女の方でも分をわきまえて袖をつかまえるような真似はすまいと。
 総大将は、己が珱姫を見出したときのように、若君もまた、人であるを選ぼうと妖であるを選ぼうと、いずれにしても己の人生の中で、これと思う伴侶をゆっくり見つければ良いとお思いであったので、若君が物心つくかつかないかという頃から、気に入りの守役の袖を捕まえて「雪女はボクのお嫁さんになるんだよ。ね?」と舌ったらずに仰せの様子も、「そうかいそうかい、そりゃあめでてぇなあ」などと、幼子の他愛も無い戯れであろうとばかりに判じておられた。

 守役に任じた雪女の方も、総大将の意をきちんと汲んで、守役である己と若君との間の線引きを、侵すようなことは決してしない。
 浅からぬ縁のある女の娘ということもあり、その女も信の置ける者であったが、こちらはその女とは性を異にして、たおやか、なよやかであるものの、仁義のほどは輪をかけている。少しばかり過保護なのが難点だ ――― と、このときまでは思われていた総大将、たった今出入りを終えてきたばかりのはずなのに、昨日と変わらず若君の枕元に侍る女の姿を見て、流石に感服し、ついでに昔の己が判じたところを、曲げる必要があるかもしれぬと深く感じ入られた。

「 ――― 雪女よぅ、少し、休んじゃどうだい」
「いいえ、私は、お昼間に若菜さまと交代で、たっぷりとお休みをいただいておりますから、どうかお気遣いなく。私も妖怪です、若菜さまがお眠りになる夜の番くらいは、努めませんと」
「たっぷり休んだにしちゃ、眼の下、ひどい隈じゃのう。顔もひでえやつれようだ。出入りではずいぶんな活躍だったが……おめえ、いつから寝てないんだい」

 心がけて好々爺の声色を出すのだが、この雪娘ときたら母に似ず気弱なところがあって、嘘を見抜かれた子供のようにびくりと体を震わせ、返答に窮して視線を彷徨わせるのだった。
 けれども母に似て気丈で、情が強い者だから、顔を伏せて畳に手をついている場所は、若君の顔を覗けるような枕元。いつもなら気づかない娘ではなかろうに、今は下座へ移る気配もなく、頑としてそこから動こうとしない。

 病人の前で上座も下座も無いものだと総大将自身はお思いであるから、これをそのままにして、襖を後ろ手に閉めると、愛孫が力なく布団の上に投げ出した、手元に座した。

「今日で、七日か ――― 」

 雪女の答えを待たず、愛孫が昏睡してからの日数を口にする。
 等しく、この女が眠っていない日数であるはずだった。

「はい」
「明日がいよいよ八日目。こいつに《夢見鏡》の悪さをしかけた奴はとっちめたものの、だからと言って、こいつの目が覚めるかどうか、こればかりはこいつに頼るしかねえ。できることがねえってのは、やきもきするモンだな」
「 ――― 申し訳ありません、総大将」
「何を謝ることがある」
「リクオ様の身辺に近づく者には、もっと気を配るべきでした。私の失態です」
「そりゃあ見当違いだぜ、雪女。ワシはこいつが幼い頃から、妖怪の中にどんなモンがおるのか、神を名乗る輩にどんなモンがおるのかを教えてきた。こいつは面白い昔語りぐらいにしか思っておらんかったかもしれんがのう、一通り、教わることは教わってきたんじゃ。どんな妖怪がどんな風に相手を化かすか、その手口はあらかた知っておるはずじゃし、そうでなくばいかん。また、この奴良組の若頭を名乗る以上、己の命を狙ってくる者に一番の用心をすべきは、こやつじゃ。もしこれで命を落とすようなら、それは所詮、こやつの命数よ。お前の責任ではない。例えこれでこやつが命を落としたとしても、お前を咎めはせんよ」
「いいえ ――― いいえ ――― 」
「それとも何かい、お前は咎めが欲しいかい」
「 ――― 咎められるのは当然です。私は、私はリクオ様を、お守りすると、誓いましたのに」
「いい加減、顔をあげよ、雪女」

 総大将がお思いになった通り、顔を上げた雪女は、またも頬を涙で濡らしているのだった。
 嗚咽すれば、すぐ側の若君が眠りながらも、吐息を寒いとお感じになるかもしれないからとこれを殺し、はらはらと、音もなく、泣いているのだった。

 やれやれ。総大将はかぶりを振り、苦く笑われる。

「そう、泣くんじゃねえよ。この状況でもしリクオが今、ぱちりと目を覚ましてみよ。完全にワシが悪者じゃぞ。このバカ孫は、他の事には耳を傾ける素振りもするが、お前が泣いたとなったらカーッと頭に血が上りおる。問答無用でワシとこやつで刃傷沙汰じゃ。のう、だから、そう泣かんでおくれ。
 それから、《その鏡》は、人間にしか効かんということらしい。お主がいくら覗いたところで、どうにもならん。だから、《それ》はワシが預かる」

 袖に隠しているものを指差して、総大将は優しく雪女へ語りかける。
 雪女は観念して、この出入りで手に入れ袂へ隠していた《夢見鏡》を取り出すと、手に入れたときそうなっていたように、ふくさに包みなおして、総大将の方へと両手で畳の上を滑らせるのであった。

 ぴくり、総大将は眉尻を上げ。

「 ――― もしや、覗いたのか」
「はい。総大将の仰せの通り、私には確かに、ただの鏡でございました」
「馬鹿なことを。何事もなかったから良かったようなものの、もし、お前まで」
「覗けば、浄土のようなところへ往ける鏡だと聞きました。ならば、若の元へ往けるのだと思いました」
「それが、お前の浄土だとでも言うのかい」

 訊くだけ野暮、であった。
 泣き続け、疲れ果て、今にも倒れてしまいそうな女が、それはそれは嬉しそうに笑うのだ。狂ったように、泣きながら、笑うのだ。

「総大将、この《鏡》を若に見せた者は、こう申しておりましたよね。真に奴良組のためを思うなら、若を真の妖怪として、目覚めさせるべきであると。この《鏡》の力で、若の中の人間の魂は己が浄土のように想い描くところへ導かれ、夢のような時を過ごし、八日を過ぎたところで黄泉送りとなるだろうと。しかし妖怪の魂は残って、以後は妖怪であり続けるであろうと。
 彼奴が本当に奴良組を思ってこんな事をしでかしたのかはわかりません。私はいずれにしても許せなかったのです。そんな、果実を選別するような乱暴なやり方、いくら道理があろうと許せなかったのです。だって、あんまりじゃありませんか、あちらは必要だがこちらは要らぬ、など、あんまりじゃありませんか。どちらも若です。どちらも揃っていて、リクオ様なのです。人であり、妖であるから、リクオ様なのです。
 彼奴めは、妖怪の浄土を作り上げるためには、夜のリクオ様の御力だけが必要だなどと申しておりましたが、私は、私にとっては、違います。それにどちらも同じ御方の姿であるのなら、どちらか一方が消えてどちらかが残ることが、ありうるはずがない。人の御姿の若が黄泉へ逝かれるとき、そのときはきっと、妖怪の御姿の若もまた……。今の此の世がどれだけ住みやすくても、若が居ないのなら、そんな此の世など私には、必要ありません。私は、若がおいでになるところなら、どこだって。それこそ、灼熱の煉獄へだって、参りますのに。でも、《鏡》は導いてはくれませんでした。私を、往かせてはくれなかったのです」
「リクオが聞いたら、怒るぜぇ。雪女が灼熱地獄なんぞに行って、何をするつもりだ、あっと言う間に溶けて消えるのがオチだろうが、とな。なあ、雪女よ、そんなに自分を責めるのはよすんじゃ。全ては既に起こってしまったこと。あの時ああしていればと嘆くのは、ワシは好かんのよ。
 《鏡》を使った彼奴等、ワシ等が乗り込んでいったときに、やはり『奴良組のため』とほざいておったのは聞いた。薄々、そんな事であろうとも思った。あの阿呆どもが、リクオを夜姿のみにさせようとし、夜になればリクオは目覚めると考えたのかもしらんし、あるいは、昼も夜もどちらにしても、奴良組ごと潰してしまおうと考えたのかもしらん。どちらにしても浅知恵よ、破門するに値する。
 じゃがな、《鏡》を使われた人間は八日目が過ぎれば死ぬが、それまでに自分から目覚めれば、その命は永らえるんじゃ。いずれにしても、これはリクオが乗り越えねばならぬものよ。少なくとも、今はまだ、リクオの命はここにある。リクオが目覚めれば、奴の沙汰はリクオに任せよう。これはあの馬鹿孫の責任なんじゃからな。お前のせいではないし、お前がこやつと同様に魂を飛ばしたとしても、何も解決せん。それにお前を手打ちにして、それで何が解決する。
 あと一日ともなれば、焦る気持ちもよくわかる。だからこそ、呼んでやってくれ、雪女。こやつの魂を、呼んでやってくれ」
「私 ――― 私、本当に、苦手なんです。若とかくれんぼ、するの、若は、本当に隠れるのが、お上手なん、ですもの。私が呼んでも呼んでも、私、全然、見つけ、られ、なくて ――― 」

 話している間にも、もう言葉を上手く紡げないほどにぽろぽろと泣き続ける雪女の膝に、総大将は宥めるように手を伸ばして、ぽんぽん、と叩いておやりになった。

「いんやぁ、お前ほど上手にこいつを見つける奴は、他にいねえと、ワシは思うぜ。だからな、呼んでやってくれよ。知らんのか?お前の声を聞いたらよ、こいつはどんなに上手に隠れてても、出て行きたそうにしてたのよ、昔っから。お前の声が切なくなればなるほど、隠れるよりもどう上手く見つかるか、そればっかり、気にするようになってよ」

 いとけない若君が、茂みや木の上、屋根の上、甕の中、隠れ場所からそうっと顔を出し、大丈夫かな、ボクの雪女はボクを見つけられるかなと心配そうな顔で、女の様子を伺っていた様が、総大将には懐かしく思い出された。

 と、同時に、その愛孫と、今は失った息子の幼い頃が重なって、愛孫の名前の由来になった、息子の守役のことを不思議に思いだされる。ふらりと奴良屋敷を訪れたあの不思議な食客は、「夢に降るんですよ、うちの六花は」と、常に一人の女を想っていた。化猫横丁で女が寄り添っても、二度と同じ女を酌には呼ばなかった。ここを、人と妖が互いを認め合いながら暮らす、浄土のような場所だと大袈裟に感動しながら、しかし、決して盃を交わそうとはしなかった。
 その食客は、夢のように消えてしまい、その後どこへ向かったのか、総大将はご存じない。
 あれが今の若君の魂であったとするならばと、今ようやく、総大将は奇縁に目を遠くする。《夢見鏡》が導くのは、何も夢の中だけでないのだとしたら。流れ落ちるばかりの時を、魂のみであれば遡れもしよう。そうだとして、あのリクオがそうだとしたなら、消えた先は果たして、今の此の世に舞い戻ったか、それとも黄泉へか ――― 。

 ――― 子守には、最適であろうと思われた。
 だがそれだけだ、それ以上を求めてはいなかった。
 ただの守役なのだから、若君もいずれ己の女を見つけて、守役は、奥方ともども、若君を守ってくれるだろうとばかり考えていた。
 若君の、雪女への思慕は、幼いゆえの母への恋情に似たようなものであって、それ以上ではないと。
 これ等は、思い込みであったのかもしれぬ、と、思い改められるのだった。

 あるいは、あるのかもしれぬ、と。
 生まれたその日に己の前に、「雪女の、氷麗でございます。若様、これから若様を、お守りいたします」と挨拶に来た娘を、よしこの美しい娘を己の生涯の女にしようと、赤子のうちに決めてしまうことも、幼い頃から聡かった愛孫であれば、ありうるのかもしれぬ、と。

 子守役なのだぞ、言外に言い聞かせることもしてきた。
 一を言えば十を知る孫だから、己が決してこの女との仲を認めるつもりも、許すつもりも無いのだと、既に知っていただろうとお思いの総大将の胸中に、ふと、長い時の向こう側から、愛しぬいた女がふうわりと笑うのだ。

 そのときはリクオを、許してやってくださいませね。あんなに焦がれているんですもの。こんなに長いこと、求めているんですもの。

 あれはあのとき、全てを知っていて、あらかじめ己を諌めておいたのか。
 時の向こう側からでも尚、桜は可憐に微笑んで、たとえ一時でもあれが側にあったことを、いとなつかしくあわれに思い出されると、なるほどああいう女を見つけてしまうと、もう周りが何を言おうと何をしようと例え神仏が許すまいとも、いいや遮るものが多ければ多いほど、手を伸ばして腕の中に包み込むまで気がすまなくなるものだと、合点されるのであった。

 時の向こう側で微笑む妻へ、総大将は今ようやく、心の内で言葉を返される。

(許すも何も、お前の孫でもあるんじゃぞ、婆さんや。一度こうと決めたらふうわり笑いながら、しかし決して己を曲げることが無いに決まっておるではないか ――― ああ、わかった。許すよ。許しゃいいんじゃろう。この爺の負けじゃ)
(のう、リクオ。お前の六花がほれ、呼んでおるぞ。お前が何年も探していた六花だが、こちらはただの七日しか経っておらん。しかし、男の方は雨が降ろうが槍が降ろうが待つもんじゃが、女を待たせるのはよくないのう。早く、帰ってこんかい)

 総大将と雪女が見つめる先、眠る若君の横顔は、月に青ざめている。

 この頬を、優しく雪女が撫でて呼ぶのが、総大将の胸に迫る。
 子守には、最適であろうと思っていた。しかし、今の雪女の切ない声ときたら、それだけでは済まされない、鬼気迫るものがあった。

「 ――― 若。 ――― リクオ様、おねぼうさん。もういい加減、起きてくださいな。お布団、干してしまいたいんです。こう何日も眠っては、お布団にだって飽きてしまうでしょうに。
 お願いですから、起きてください、起きて、リクオ様 ――― 」

 《鏡》を覗いた人の魂は、浄土へ惹かれる。
 目覚めれば良いが、苦界を生きる人間が浄土を拒むのは、難しい、ということである。

 しかし、今、この雪娘が言ったこと、総大将は信じてみたくなるのだ。
 灼熱の煉獄でも、と、本来何より炎を厭う、雪女が言うのだ。そこへ赴いた瞬間に、露となって消えるかもしれないのに、会えるのならば行くと言うのだ。

 ならば、その逆とて、あるかもしれないではないか。

「お願い、リクオ様、起きて。お願い ――― 」


<夢、十夜/第七夜・了...八夜へ続く>











...夢、七夜...
おい馬鹿孫、リクオやい、 ――― 小大将よ、さっさと起きやがれ。お前の六花が、泣いてるぜ。