赤提灯に火が燈り、聞こえてくるは祭囃子。
 辺りは優しげに宵の帳が落ちかけて、東の空に一番星がまたたく頃。
 夜と言うにはまだ早く、昼と言うにはもう遅い、優しい黄昏が町を包む。
 太鼓がとんぱらたったと、音、響かせば、笛がぴいひゃらら、とこう応える。
 昼日中の暑さが拭われて、ようやく一息ついてみたならば、祭囃子よりも近く聞こえる虫の音に、「あれ、早いもんですね。もう鈴虫が鳴いていますよ」と、瓜を切ったのを盆で運んできたリクオが、目を細めて言った。

「 ――― もう、そんな季節かぁ」
「リクオ、瓜ー」
「あ、はい、失礼しました、鯉伴さま」

 濡れ縁にあぐらをかいて、しきりと団扇で己を扇いでいた和子さま ――― 鯉伴さまが小さな手を伸ばしてこられるので、甘えた所作に苦笑しながら、リクオは手にした盆を幼子の側に置いた。鯉伴さまがこれを手に取り、次にリクオが取ると、残りを小物たちが囲んでわっと喰い散らかし始め、シャクシャクと涼しげな音が響く。

 晩夏、祭りの夜だった。
 この日ばかりは人どもも、夜も眠らず歌い明かす。

「まだまだ、日中は暑い。気の早い奴だぜ」

 怒ったように言ったのは、鯉伴さまが幼い心ばえなりにも、冬が訪れるとまたリクオが切ない顔で天を仰ぐと思われるのが、どうにもあわれに、無体なことに感じられるためだった。昨年の冬にはリクオがどうしてそうなるのか、判じかねて首をかしげておられたが、今は身にしみてご存知であるからこそ、声にも熱がこもる。
 今年の初夏に、リクオが人の念に染まった沼に捕まって以来、鯉伴さまは、和子さまと呼ばれるのを嫌うようになった。
 守られ甘やかされ敬われるのが当然であったのを、己なりにけじめをつけたいおつもりらしく、こういった家に生まれなければ、和子さまなどと呼ばれることも守役などがつくこともなかったのだから、皆にもちゃんと名で呼んでほしい、と仰せになったのである。

 少し年上の二郎のような、町人の子はただ名前を呼び捨てにされているので、まずはこれに倣ってほしいとも仰せであったが、さすがに皆、承服いたしかねたので、鯉伴さま、と、名前でお呼びすることになった。たしかに、自分の足で立って歩くことができるのだから、一つの個として認めるべきお年頃であろうとリクオも納得を見せたが、まさか鯉伴さまが、さっさと己の身の丈などを大きくして、いつまでも童子姿のリクオを抜いてやって、文字通り守ってやろうとお思いであるなど、露ほどにも思わない。

 その鯉伴さま、ぺろりと瓜をたいらげて喉を潤すと、濡れた指を舐めながら、

「で、カナと二郎はまだか?」

 季節の移ろいに心を溶かしてしまいそうであったリクオに、目下のところをうまく思い出させる。
 幼いとは言え、いや幼いからこそ、ちゃんと感づいておいでだ。
 カナがリクオを好いているのも、リクオが憎からず思っているのも、男女の営みなどまだよくわからなかったとしても、心が通う通わないくらいはわかる。鯉伴さまの思惑通り、リクオは今もカナの名前に、はたと我に返った様子である
 もっとも、この二人の互いを思う心が、決して同じ趣ではないことは、微妙にご存知無い。だから、リクオはあね姫さまと、カナと、するとしたら一体どちらを妻にしたいのだろう、などともお考えになるが、まだこれは尋ねたことは無く、またこれから尋ねる機会を得るのもなんとなく、難しいようである。

「暮六つまでには来るって言ってましたから、そろそろと思いますよ」
「あね姫さまは?」
「苔姫さまも、同じ頃に入道さまと朧車でおいでになるかと」
「お前、夜の姿にはならないのかよ」
「どうしてです」
「だって、カナやあね姫さまが何だか焦る様子なのか、おかしくってさ。あね姫さまなんて、それまでキンキン声で怒鳴ってたって、お前の夜の姿を前にしたら、途端にしおらしくなる。それまできゃっきゃとやってたって、急に言葉も覚束なくなるじゃねえか。その方が静かでいいだろう」
「よく見ておいでですねぇ。でも、女性をそんな風に言うのは感心しませんよ」
「なんでだよ」
「お喋りしている女性に辟易するなんて、鯉伴さまもまだまだお子様だということです。鯉伴様のように飛んだり跳ねたりして鬱憤を晴らすわけにいかないんですから、お喋りくらい、付き合っておあげなさい。女性の客と見れば撫でてもらうのばかりを、目的にするんじゃありません ――― と、実は私もね、昔誰かによく叱られた気がするんです」
「なんだい、受け売りか」
「手習いなどと同じですよ。どういう風に言われていたかな、どういう風に習っていたかなと思いだしながら、鯉伴さまにお教えしているのですから。ともかく私は、そういう風に言われて育った気がします」
「ふうん、お前にも守役がいたのかね」
「居たような気もしますが、これはそう、多分……父親、かな。顔や名前は思い出せませんが、大きくてあたたかい背中を憶えていますよ」
「お前の?親父?いるのか、そんなんが」
「居たような気がします。居たんだと思います。よく思い出せませんけど」
「……へえ、そうか。おれの親父は強くてかっこいいが、お前の親父はどんな奴だったのかな」

 これには少しリクオは考え、

「やっぱり、強くてかっこよくて、優しかったように思いますよ」

 と、どこか誇らしげに答えた。
 おれの親父とどっちがカッコイイか、と、すぐに白黒つけたがる常の鯉伴さまなら重ねて問うてリクオを困らせたろうが、なんだかこの答えには、「ふうん、そうか」としか答える気がせず、他人事であるはずなのに、こんな風にリクオに言われる野郎はきっと照れるのだろうなと考ると、何故か妙に己の方が照れてしまうのだった。

 そんなとりとめも無い話をしているうち、門の方が騒がしくなったと思ったら、やがて衣擦れの音をたてて姿を現したのは、苔姫であった。
 小柄な身の丈はそれほど変わらないが、ただ無垢であどけなかった昔と違い、今は花も盛りとばかりの輝かしさ。愛嬌のある顔立ちが、濡れ縁で瓜を食む小物たちや鯉伴さま、リクオを認めると、いつものように笑みで綻んだ。
 もっとも、鯉伴さまが仰せになるには、苔姫の視界には、常にリクオしか居ないのだ、ということである。

「リクオ、来たぞ」
「いらっしゃいませ、苔姫さま。お待ちしておりました」
「うむ」

 己の席を空け、苔姫を鯉伴の隣で円座に座らせると、彼女はまたとりとめもない話を始め、リクオはいちいち相槌を打って、上手いところで合いの手を入れてやっているので、鯉伴さまとしては気に入りの者を取られて面白くない。
 先ほど、リクオは「お喋りくらい、付き合っておあげなさい」と言っていたが、楽しそうに物語る二人の様子は、片方が付き合ってあげているようには決して見えないので、もう少し鍛錬を積んだら、天気の話や屋敷に棲みついた猫が仔猫を生んだ話などが、楽しくなるのだろうかと、もう一つ瓜を手にしてシャクシャクとやりながら考えておられた。

 そのうち、今度はカナと二郎が庭を回ってやってきた。

「いらっしゃい、カナちゃん、二郎くん。待ってたよ」
「おじゃまします。鯉伴くん、リクオくん、妖怪さんたち、こんばんわ」
「ほい、お団子。父ちゃんが皆に持ってけってさ」

 ようやく遊び相手が現れたので、また、二人がこの宵の趣向をちゃんと理解して、常とは違う被り物をしているので楽しくなって、鯉伴さまはこれを立ち上がって迎えた。

「二郎、お前すっかり立派な毛並みになったなぁ」
「へへへ、古くなった蓑を失敬したんだ。それを蝋や糊であっちこっち固めて、角にしたんだよ。どうだい、立派な鬼だろう」

 と、手にした強面の面布をつけ、おどけて、にょっきり二本の角が生えた蓑をゆさゆさと揺らすと、鯉伴さまはケタケタと笑われる。カナもまたころころと笑うが、こちらは顔に赤い隈取をして、着物もいつもの燕脂色の単に、霞のような薄物を羽衣のように纏っているので、人型をしてはいるが宵闇であればこれは妖だろうか、と思われよう。

「ふうん、カナ、お主も練り歩きに行くのか」
「はい。他にも、いつも一緒に遊んでる子が、何人か。苔姫さまは?」
「妾は、父上が許してくれなんだ。まったく、頭が固いのじゃ。……まあ、練り歩くと言っても、たしかにそう長く歩けば疲れてしまうだろうし、そうなれば足手まといじゃからのう。今日は素直に、珱姫さまと屋敷で待っておる。土産を頼むぞ」
「じゃあ、苔姫さま、明日のお昼間に、境内へお参りにあがりましょうよ。お店もいつもよりたくさん出ていて、きっと楽しいはずですから。京の細工物もあったりして、面白いはずだって、うちのお父も言ってました」
「カナも一緒してくれるのか?」
「ええ、あの、苔姫さまさえよければ、ですけど」
「うん、行こう!是非行きたい。よく誘ってくれたな、カナ。嬉しいぞ」
「いいですね。ボクもご一緒しても良いですか?」
「おやリクオ、妾たちの仲を引き裂こうなど、無粋な真似をするのう」
「え。ついて行っちゃいけないんですか?どうして?」
「どうしますか、苔姫さま」
「さあて、どうしようかのう」

 顔を見合わせてくすくすと笑うと、いつも大人びた受け答えをするリクオが、きょとん、と取り残された顔をして首を傾げるので、これが見たくてからかっているのだ。
 二人とも、互いに同じ男を好いているのを知っているはずなのに、不思議と仲違いをしたことがないのは、件の男が、二人とは全く違う女を、狂わんばかりに想っていると知っているからである。不思議なもので、その、名もわからぬ女が憎いとも思わず、ただ二人は一心に、いつかこの女が彼の元に現れて、二人が幸せに微笑み合うことを願っている。稀有な魂の持ち主二人、不思議と気があって、生まれた身分は違えど、だからこそこの出会いを尊いものと感じ入り、二人で語り合うことも多かった。

 だから、陽が落ちて浅い闇が辺りを包んだ頃、一人取り残される苔姫は、全くいじけた様子も無く、「妾は鼈甲飴が好きじゃ。買うてきておくれ」と手を振って皆を送り出した。

 晩夏の夜、祭りの夜、人とそうでない者の、境界線がぼやける夜である。
 街の子供たちが集まって、人でない者どもの姿を模して、近所の神社のお祭りの練り歩きをするのである。天より降りた天津神ではなく、その土地で力をつけて神と祭られた、あるいは封じられたものの境内を、きゃっきゃと騒いで練り歩くことで、そこで過ごす土地神の心を慰めるのだ。

 この浮世絵町では、そこには本当に人でない小物妖怪が混じっているのだが、住む人は慣れたもので、店を並べる女も、常日頃から一ツ目小僧がじいと飴玉を見つめていると、「あれかわいらしい子」と、微笑んでおまけしてくれたりなどする。一ツ目も御礼と思って、女の手伝いなどをしてありがたがられたりしている。
 たまに旅の者などが、屋台の軒先で目を擦っていたりするが、周囲の者たちも慣れたもの、「酔いなすったね、旦那」などと真面目に取り合わない。

 そして本日この夜は、そんな小物衆の百鬼夜行。
 化かし、驚かし、「ああびっくりした」と言われては、きゃっきゃと笑う、この夜に。

 水干袴に烏帽子姿、京扇子に黒手甲、一本歯の下駄など履いて、この小物衆を率いるのが、奴良屋敷小大将、リクオ殿。
 これは鯉伴さまが物心つく前より恒例のことで、この日ばかりは表立って、リクオは総大将より小物衆を預かり率いるのを許される。昼の姿と同じ童形ながらも、ほんのり瞳を紅く光らせ、こうも着飾ったリクオを見るのは、鯉伴さまも毎年楽しみで、これに小物の一として後ろをついて練り歩くのも、胸が躍って面白いものだった。

 ところが今日はどうしたことか、奴良屋敷の門を出たところで、先頭を行くリクオが不意に立ち止まり、くるりと後ろを振り返って、「鯉伴さま、こちらへ」と、膝をついた。

「どうした、リクオ」
「鯉伴さまは、もうすぐ六つにおなりです。和子さまとお呼びするのも、自らもう嫌だと仰せになって、父上さまの御力にも目覚められました」
「お、おう」
「この屋敷に住まわせてもらって以来、鯉伴さまの父上さまには、小大将を名乗れとお許しいただきましたけれど、妖怪の血に目覚められたのなら、いずれこの奴良屋敷は、鯉伴さまがお継ぎになるもの。ですから本来は、鯉伴さまにもお許しいただく必要があるかと」
「そんなのいいよ、今日の大将はおめえだ」

 だからさっさと行くぜと、軽く許してしまう鯉伴さまを、リクオはひょいと抱き上げて、肩の上へ。
 これまではなかったことだ。小柄なリクオだが、それでも幼子の背丈よりはぐんと高く、見える景色は高く、それだけでも胸躍る。加えて後ろを振り返れば、小大将へ続く小物たちが、今か今かとうずうずしながら控えている。

「では、ありがたくお預かりします、鯉伴さま。これからは特等席で、百鬼を率いる心もち、ご覧ください。 ――― おい、小さき物ども、出入りだぜ!剣客も食客も酔客も、一枚剥いてやりゃ皆同じ、涼しい顔した旦那を見つけたら、目ン玉ひんむくぐらい驚かしてやんな。さァ、行くか、百鬼夜行だ」
「わぁい、出入りだ出入りだ」
「鯉伴さまいいなー、肩車ー」
「ほら、遅れるな、置いてくぞ!」
「うわぁんリクオ様ー、誰かがボクの足踏んだぁ」



+++



 ぞろぞろと始まった幽玄の行列は、街外れの奴良屋敷から始まって、鬼火人魂を伴いながら街の中を歩む。
 立派な身なりの旦那さまが、酒に酔った良い気分で、両手に妙齢の娘を抱きかかえながら角を曲がってきたところへ、破れ提灯が「んばあ」と顔を出すと、その娘等よりも高く絹を裂くような悲鳴を上げてひっくり返り、夜はいくらか落ち着いたとは言え、まだまだ暑い中、長屋の戸を開け放して男がうとうとしていたところを、納豆小僧や豆腐小僧が上がりこみ、そうっとそうっと身包みを下帯まではがして道端へ転がす悪戯をしてやると、通りがかった老婆が「ぎゃあ変態」と叫んで、そこ等に転がっていた木桶か何かでしきりにこの男を打ったりする。
 勝手知ったる街の人々はそんな悪戯をされる前に、先頭の水干姿を認めると、「これはこれは小大将、今年も出入り、お疲れ様でござんす」と頭を垂れて、小さな子供等に与えるような、飴一つ、煎餅一枚、金平糖を幾粒か、落雁を一つ、ちょっと裕福な者だと、孫にやる小遣い程度の金子、と言った具合に奉じて、後ろに続く小物たちの誰かに持たせてやるのだった。
 まだ菓子を貰っていない小物がそれを受け取って、わあいと喜ぶと、小物百鬼はこの人々の前は素通りして、悪戯をせずに行くのである。

 百鬼と言うが、中にはカナや二郎のように人間の子供も混じっていて、小物たちに混じって菓子を用意していない大人の家に上がりこみ、ぐったりとするまでくすぐりたおしたり、祭りの夜だと言うのに土地神を奉じもせず、ぴしゃりと戸を閉め切って顔を出そうとしないお屋敷には、塀をよじ登って中へ入り込み、わざと泥をつけた足で縁側を歩いてやったりと、他愛も無いが迷惑極まりない悪戯を、これを機会とばかり、楽しく働いているのだった。
 土地神を祭らず、ないがしろにする者を懲らしめるという、免罪符を掲げているのだから、子供等もこの日ばかりは気兼ねなく、大手を振って悪戯ができるのである。

 街を練り歩いた後、行く先はもちろん、土地神の境内である。
 小さな境内であるが、宵ともなれば野合を行う男女もあり、祭りの夜にも遠慮や恥を知らずに行っている者もあるので、これも二三組脅かしてやり、裸の男女がきゃあと叫んで互いの着物を間違えて引っつかむのを笑ったりなどして、あとは周囲で提灯を掲げる店などを冷やかす。

 ここまでを、リクオの肩の上で眺めていた鯉伴さまは、初めて己の後ろに百鬼を率いる高揚感に、まばたきすら忘れて見つめ、それほど長い時間ではなかったろうが、ようやく、小物たちや子供たちが、小遣いで何か買い求めたいらしいからと、屋台が集まるあたりで一度足を止めたときには、握る掌に、びっしり汗が浮かんでおられた。
 不安定な下駄を履きながら、リクオの歩き方はまるで風がそのまま動いているようで、上下を全く感じさせず、それでいて早い。

「いかがでしたか、鯉伴さま」

 そして息切れもせず問うてくるので、鯉伴さまは高揚で紅くなった顔をこれへ向け、

「すげえ!おれもいずれ必ず率いるぞ、おれの百鬼夜行!」

 幼いながらも、しっかりと、リクオが伝えたいものを受け取られたのであった。

 ――― と、不意に辺りにたちこめた冷気に、敏感な者ならばわかったであろう。
 飴細工屋の見事な手さばきを見つめていたカナも、不意にふるりと身を震わせて、不安を覚え、人ごみから離れているリクオの方を見やった。ぶしゅん、と、誰かがどこかでくしゃみをした。「なんでえ、夜風で風邪かあ、なさけねえなあ」「うっせえな、一杯熱燗ひっかけりゃ、治るってもんさ」と、酔客の声がどこからか聞こえ、人々はまるで気づかぬ様子。
 しかし、カナの視線の先で、やはりリクオは、気づいて今来た道のあたりを、じっと見つめているのだった。

「リクオくん、一体何?」
「ああ、カナちゃん、いや何、ちょっと屋敷の方が騒がしいみたいだ。あちらも出入りかな。祭りの夜は、気色ばむ奴等が多いから」
「逃げた方がいいの?」
「ううん、こちらには来ないよ、大丈夫。この辺りじゃ、祭りの神社は不可侵だから、ここに居れば安全だ。それに、行く先は反対方向のようだし」
「見えるの?」
「目はいいんだ。おや、でもあれは、雪女の姐さんかな」

 どんどん足元の冷気が強くなるとカナが不安に思っていると、不意に、二人の目の前に、たった今ふわりと降り立ったかのような、真っ白い着物を纏った女が降り立ったのである。
 夏だと言うのに薄ら寒くなるような、冷気を纏った女だった。

「小大将、出入りよ。この祭りの気配にあてられて、酒に酔った馬鹿な百足どもが暴れてるの。弱いんだけど数が多くて。あんた、手伝いなさい。数には数よ」
「でもボクは、ただの食客の身ですよ」
「いつもはね。『じゃが今は小大将、奴良組の一鬼じゃ。使えるモンは使わねばのぅ、わっはっは』ですって」
「 ――― 承知つかまつりました。カナちゃん」
「え ――― はい」

 苦笑し、その後で烏帽子を脱いだリクオは、途端、しろがねの妖怪へ化生した。
 妖艶な男子に姿を変えたリクオは、それまでカナを見上げるばかりだったが、今度は逆に見下ろして、しかしやはり同じひとを思わせる優しい微笑みを、口元に浮かべている。

「ちょいと行ってくる。人間の子等と、鯉伴さまを頼むぜ」
「う、うん、わかった。気をつけてね」
「ああ ――― おい、奴良屋敷の小物ども!今度は正真正銘、出入りだぜ!向かうは人形町の百足一派。単なる喧嘩だが、奴等の数の多さに大物どもが辟易だとよ。おめーら、連中の足の裏をくすぐり倒してやりにいくぞ」
「出入りだ出入りだ!」
「ムカデ?何匹もいるのかな?ね、二匹を一本に結んじゃったらどうなるのかなあ」
「わあ面白そう、それやろう、やろう」
「うわぁんリクオ様ぁー、納豆小僧がボクの飴に納豆つけたー」

 大将の号令に、散っていた小物衆、妖気溢れる男姿を見間違えることなく素早く集まって、これを違えず認めると、化生するや長く伸びたしろがねの髪を風になびかせ、リクオはふうわりと風に乗った。これに小物たちも続いて、最後に呼びに来た雪女が続く。
 まさしく妖の業以外の何物でもないのだが、夜空をすいと横切った水干袴姿の美丈夫に、神社へ集まって飲めや歌えの大騒ぎをしていた連中は、これは粋だいなせだと手を叩いて喜ぶ。

「夜姿のリクオ様だ。凛々しいねえ」
「小物百鬼を連れて、出入りかい。何、百足衆?結んで束にしちまいな、そんな紐みてぇな奴等」
「ぃよッ、小大将!」

 少し遅れて彼等とともにここまでやって来た子供たちも、そして鯉伴さまも、何事かと集まってきたが、このときには既に、遠く離れた場所へ妖怪たちは去った後だった。

「何だよ、おれも行きたかったのに」

 鯉伴さまは膨れて、手にした焼きイカをやけっぱちに頬張り、舌先を火傷してカナを心配させたが、

「だって鯉伴くんは、昼も夜も半妖なんでしょう?ほら、すぐに傷をこさえるのも、人間と同じだもの。リクオくんは、きっともう少し大きくなってからって思ってるのよ。今日だって、ちゃんと鯉伴くんを先頭にしていたじゃない」

 同時に、カナにこう言われて渋々、頷かれた。
 さっさとリクオを追い抜かして、守ってやりたいと思う気ばかりが急くが、カナの言う通り、まだまだ半人前、半分の半分なので、四分の一前程度な己に、自覚の無い鯉伴さまではない。
 ちぇ、と思う。
 仕方ない、と思う。
 唇を尖らせている鯉伴さまのお気持ちを、カナはしっかり汲み取る。

「……大丈夫よ、鯉伴くんもきっと、お父さんみたいに強くてかっこいい、妖怪の主になるんでしょう?そうしたら、リクオくんを守ってあげられるものね」
「うん。この前みたいなのは御免だ。おれ、早く大人になりたいな」
「でも、大人になっちゃったら、今日みたいに肩車なんてもうしてもらえないわよ」
「もうちょっとだけ子供のまんまでもいいけど」
「ふふ、そうよ、もうちょっとだけ子供でいましょう、私たち」

 私たち。
 こう呟いたカナは、鯉伴さまから見ればすっかり綺麗な一人の女であった。隈取で顔を隠しても、どこか幽玄な印象があり、周囲で酒を飲んでいる男どもなどは、あれはどこの嬢ちゃんだろうかと、ちらちら気にしているほどだ。
 女は大人になったら、好いた男と一緒になりたいと思うものではないのか。カナはリクオが好きなんだから、リクオと一緒になりたいと思わないのだろうかと、幼い鯉伴さまは思ったのである。

 カナが子供たちを集めて屋敷へ帰り着いた頃には、既に出入りを終えた屋敷の妖怪たちは戻っており、怪我をした者の手当てや、喧嘩の後で怒気を払うための酒盛りなどがされていた。
 この中にあってリクオもまた、いくらか手傷を負って庭石にもたれかかってはいたが、しっかり意識も在るし、元気そうだし、どこかへ擦ったのか、ついと頭から頬へ流れる血など、リクオならすぐに治ってしまうだろうからと、鯉伴さまはほっと息をついたのだが、カナは違った。

「リクオくん、大変、怪我してる」
「たいした傷じゃねーよ、大丈夫。カナちゃん、そんなことしたら、着物が汚れるって」
「私、手当てするよ。珱姫さまも、皆を見て回るまでに時間がかかるでしょ?ほら、あっち行って、着物脱いで、ちゃんと手当てを」
「おいおい、男を部屋に誘っちゃいけねえぜ、もう、そんなガキじゃねえんだから」
「子供だもん」
「…………」
「私、まだ子供だよ、リクオくん」

 リクオの着物の袖を、きゅっと握って視線を落とす、カナはとてもじゃないが子供とは思えぬ切なさに胸を焦がしている。

「まだ、子供だよ」

 もう子供ではない。まだ子供でいたい。子供である間は、リクオの側に居られると、そう、カナは知っている ――― ようやく、鯉伴さまは悟られて、先ほど、「カナはもう大人の女じゃねえか」などと言わずにいてよかったと思った。

「ああ ――― それじゃ、頼むかな。乱戦になって、百足の野郎に背中を噛まれてさ」
「で、百足はどうなったの?」
「結んで束ねて玉にして転がしてきた」
「転がった?」
「足が邪魔でな……思ったより、あんまり」
「怖くなかった?」

 カナに促され、肩を借りて立ち上がったリクオは、この問いに答える前、鯉伴さまと二郎も手招いて、にいと笑った。

「どうやったら上手く転がるかと遊んでたら、雪女の姐さんに『真面目にやれ』と怒られたのが、一番怖かった。ありゃあ、雪女っつーより、鬼女だね、鬼女」

 こそりと呟いたリクオの頭に、赤子の頭ほどの氷塊が飛んできたので、子供等はげらげらと笑った。
 リクオも含めて、己等がまだもう少しの間だけ子供であることに、鯉伴さまは異を唱えるつもりはなかった。

 蕾が綻びかけたような、美しい女と少女との境界線へ足を踏み入れたカナのためにも、もう少しだけ、子供であろうと思われた。

 百鬼を率いるのも、今はまだ、リクオの肩の上でいい。


<夢、十夜/第四夜・了...五夜へ続く>











...夢、四夜...
季節は移ろい巡っていく。変わらないでいてほしいものも、変わっていく。