己の初恋のひとが、なんと雪女だった!
 これで、血沸き肉踊らぬ思春期男子があるだろうか。
 ましてや、島二郎は中学生ながら、サッカー界において既にプロチームからオファーが来ているほどの実力者。頭は悪いが度胸と根性には自信があり、英語の点数は悪いが、こっそりと将来イタリアに留学するための準備として、イタリア語会話を勉強しているぐらいは努力家である、つまりは今時珍しい肉食男子。

 あの、及川つららが。
 己の目を奪った、絹の黒髪、大きな瞳、きめ細かな白い肌の、美少女が。
 ラフカディオ・ハーンの怪談でもおなじみ、あの雪女だった、なんて!

 怪談の雪女は、男と結ばれず、哀れにもどこかへ消え去ってしまったけれど、きっと自分なら、と、島くんは考えたわけだ。
 妄想力たけだけしく、それはまさに雨の後の孟宗竹のごとくにょきにょきと。

 中学卒業までに告白し、OKをもらった後は(最初がNOだったとしても、その後何度もアタックを繰り返してこの返事をもらう予定)、高校進学と同時に婚約、イタリアへの留学の際にはついてきてもらって、プロ入りと同時に現地で挙式。ワールドカップには二度は出たい。子供は何人でも。将来的には日本に帰ってきて、プロチームのコーチや監督をこなしながら、やがてはワールドカップの選手を率いる監督にまでのぼりつめる予定で、怒濤の人生を過ごした後の余生は、二人でゆっくりとどこか田舎に島御殿を立てて過ごす。視線の先には島の人生を追ったドキュメンタリー番組が流れるテレビ。瞳を輝かせて見つめる妻の前で、テレビのナレーターが、「ここで島さんから奥様への、感謝の言葉がございます」と言う。驚く妻、そして涙ぐむ。年老いても変わらぬ愛情が二人の中にはある。

 と、ここまでを一晩で妄想した彼は、布団の中でぐふふぐほほと不気味な笑みをこぼし、狭い部屋を共有する兄弟たちから「うるせぇ!」と足蹴にされたわけだ。

 しかし翌日。
 島くんは、はたと障害に気づく。

 そう、及川つららが雪女であるとわかったと同時に、判明した事実。
 良い奴、奴良リクオが、ただの人間ではなく、雪女含めた様々な妖怪たちを率いる、魑魅魍魎の主であり、及川つららこと、雪女の氷麗は、このリクオを様付けで呼び慕っているのだ。

 おまけに、つい最近思い出したことだが、一つ屋根の下で昔から一緒に暮らしているらしく、小学生の頃のリクオは、こんなことまで言っていた。

「雪女のメシは、冷えてるけど美味いんだ」

 あのときは、わからなかった。
 妖怪が本当に居るなんて、ちょっとは本当にいるかもしれないな、なんて思う程度には幼かったからこそ、いてほしくない、という気持ちがあって、こいつは変なことを言う奴だな、くらいにしか考えなかった。

 あのときは、わからなかった。
 自分にメシを作ってくれるひとなんて、母親ぐらいしか思い当たらなかったがために。

 しかし、今ならわかる。

 なんというノロケか。
 はげろ。もげろ。はぜろ。

 しかもこの、奴良リクオ、昼は島くんと同じくらいの背丈で、めがねっ子で、少しサッカーが上手いけれども、てかパシリだし、そう言えばテストの点数はいつも上位だけど、てか優等生で先生からもパシらされてるし、まあ、なんというか、島くんにとってはあんまり眼中に無い奴だった。だのに、夜になって魑魅魍魎たちを率いるときの姿と来たらまるで別人。

 稲穂色の髪はしろがねに輝き、するりと伸びて風も無いのにふわりと泳ぐ。
 瞳は琥珀から紅に変じ。
 背丈だって島くんの頭一つ分は高い。
 声までも、低く耳朶に心地よい男のものに変わってしまうのだ。
 はっきり言おう。
 美形だ。
 島くんだって、自分の可能性を信じているが、現実を忘れてはいない。
 はっきり言おう。
 顔で勝ち目はないと、島くんは自覚した。

 けれども島くんは、いつだって前向きだ。
 前向きじゃないと、サッカー一本で身をたてて食っていこうなんて考えやしない。景気不景気ダウ平均なんのその、彼はボールを友達にしてここまで生きてきた。愛と勇気だけが友達のあいつよりも、さらに友達が少ないことには、触れてやらないでくれ。
 なので島くんは、「雪女はリクオが幼い頃から、若君として養育してきた」という話を、リクオこそが魑魅魍魎の主だと知った清継から聞き、そうかあの様付けや、過保護ぶりは、恋人に対するものではなくて、息子や弟に対するようなものだったのかと、合点した。
 早合点という言葉は、彼の辞書にはなかった。てか知らなかった。友達も少なけりゃ語彙も少ない、とかは言わないでやってくれ。

 で、だ。

 島くんはこれまで、及川つららが奴良リクオに、ことあるごと世話を焼いているのを、歯がゆい気持ちで見つめていた。
 なんだいなんだい、あんなパシリのどこがいいんだ、という気持ちで。

 しかしこれで謎が解けた、そう思うようになった。
 なぁんだ、自分にだってまだまだチャンスがあるじゃないか!と。

 思い立ったが吉日、島くんはさっそく、及川つららこと、雪女の氷麗に突撃しようと思い立った。
 どういう関係なのかが不透明だったからこれまで遠慮していたけれど、ここまで明らかになったからには、そう、一番簡単で確実な方法で。

 雪女の氷麗は、人間にあまり興味が無い様子である。
 これまで島くんがどれだけすり寄っても、歯牙にもかけられなかったのが良い証拠だ。
 え、人間に、ではなくて、島くんに興味が無かったんだろう、って?
 島くんには、そういう考えは無いんだ。
 なにせ前向きと猪突猛進と無謀とちょっとばかりのスネ夫根性が、服着て歩いているような奴だ。

 てなわけで、スネ夫な島くんは、奴良リクオが魑魅魍魎の主だと知った後でも、昼の間はいつも通り温厚でのほほんとしたあの奴良リクオだったもんだから、いつもと同じような扱いで、自分と雪女の氷麗の仲を取り持ってもらおうと考えて、まずこう言ったんだ。
 スネ夫がのび太を使うときのように狡賢く。

「なあ奴良ってさあ、昔、言ってたよな。雪女のメシは冷えてるけど美味いんだ、って」
「え?ああ、清継くんの研究発表の日のことかい?よく覚えてるねぇ」
「そりゃそうさ、あの日、清継くんだって俺だって、みんなで妖怪に出くわしちゃったんだからさ」

 今考えると、あの、小柄ながらに雄々しく勇ましき魑魅魍魎の主こそ、この奴良リクオであったのだが、そんな感慨深さよりも、島くんは己の初恋のあれこれの方が重要であった。
 夜姿と昼姿ではまるで別人、今、目の前にいる奴良リクオは、人から頼まれれば嫌とは言わない温厚な奴なので、頼みやすいというのもあったから。

「でさあ、ものは相談なんだけど、その………雪女さん、及川さんにさあ、ええと、あの………話したいことがあって。取り持ってくれちゃったりしないかなー………なんて。あ、あはははは、お前にしちゃあ姉ちゃんみたいなもんかもだけどさあ、俺には初恋なんだよ、ほんと!」
「ええ?!そうなの?!まいったなあ、でもボク、そんなことしないよ」

 困ったようなこの返事も、ある程度、予想されていたものだったので、島くんはへこたれない。
 良い奴、奴良くんなら、たとえ自分の配下の妖怪相手だとて、命令で言いなりにさせるなんて、そんなことはしたくないと考えるだろうとは、わかっていた。だが、島くんがこうやって、両手を合わせて拝むふりをすれば、なんとかなってきた。

「そこを頼むって!一生のお願い!!」

 一生のお願いがいったい何個あるのかというぐらい、これまで島くんは奴良リクオ相手に、宿題の答えを見せてもらったり、パンとフルーツ牛乳を買いに走らせたり、部室の掃除当番をかわってもらったり、帰り道、わざわざ遠回りになるような店まで買い物に行ってもらったりしてきたのだ。
 今回もそのうちの一つになるだろう、と、考えていた。

「ん……でも、ごめん、島くん、あいつと島くんの間を取り持つなんて、ボク、そんなことしないよ」

 しかしいつになく、リクオは頑固だ。
 なんでだよ、と、島くんはいつになく強く迫った。

「なんでだよ。いいじゃねーか。俺だって及川さんの手作り弁当食ったり二人で登下校したりアイスクリーム屋さんデートしたり一つのアイス二人で食ったりしたい!お前ばっかりズルい!」
「ズルいことなんて、別にしてないと思うんだけどなぁ………」
「いいや、ズルい!生まれたときからずうっと一緒で家族みたいなもんだなんて思ってるから、お前、自分が特権階級にいるってこと、全然わかってないッ!弟ブルジョワジーも甚だしいぞ!!」
「いや、別に弟じゃないし。そりゃ、昔はそういう扱いだったけど。とにかく、この話はおしまいにしよう、ね?氷麗に伝えたいことがあるんなら、直接言ったらいいじゃない」
「及川さんあるところには、絶対お前がいるじゃねーーーかッ!」
「あはは、そりゃまあ、うん、そういうものだと思って、あきらめてよ。ボクは気にしないから、言いたいことがあるなら、言ってみるだけ言えばいいんじゃないかな」
「適当なこと言ってんじゃねー!」
「じゃ、そろそろボク、行かなくちゃ。氷麗を待たせちゃってるんだ」
「ちょ、ま、待てって奴良!話はまだ………」

 いつになく必死な島くん、ここで大きな間違いを犯してしまいました。
 必死になるあまり、話を強制終了させて去ってしまいそうな奴良くんの肩をぐいと掴み、さらにあろうことか、少しばかり凄みをきかせて、胸ぐらをぐいと掴んだのであります。
 このとき、すっかり、相手があの魑魅魍魎の主であるということは、頭からすっとんでおったわけですよ。
 昔からパシリに使っていたのも、相手が自分より弱いとばかり思いこんでいたからなわけだし。

 が。
 胸ぐらを掴んだ手は、即座にパシリと払われて、逆にぐいとつかまれたと思うと足が浮いたところで、はたと島くん、我に返った。
 目の前には、あの、温厚な眼鏡っ子。
 けれど。

「わかんなかったか?話はしめぇだ」

 温厚だろうがバシリやってようが昼姿でにこにこ笑っていようが、妖怪任侠三代目には、違いなかった。
 胸ぐらをつかみ、相手を宙に浮かせる手際は慣れたもの。
 凄んだ声なんて、これで本当に中学生かと小一時間(ry。

 島くんが、ハッとして、相手が誰かを思いだしたとしても、もう後の祭り。
 温厚な琥珀の瞳が、セピア色に染まる教室の中、ちらりと赤く瞬いたのを見て、ごくりと島くんは喉を鳴らした。

「あいつとお前との仲をとりもてだぁ?できないって言ったか?しねぇって言ったんだよ。んなこともわからねーか?シマジローのくせに進○ゼミもやってねーのか?」

 そうか。

 これが、ヤのつく自由業というヤツか。

 正直に言おう。
 島くん、ちょっとチビった。
 相手はのび太ではなかった。むしろ静かなるドン。ああ、そういえばあれも三代目だっけ(遠い目)。

 島くんが言葉を失っていると、クラスメイトはいつもの彼に戻り、底冷えするような薄ら笑いから、困ったような笑顔に戻って、

「それからね、もう一つゴメン。あれ、ボクのなんだ。あげられないし、絶対かなわないと思うから、諦めなよ。大丈夫、女なんて星の数ほどいるさ!」

 ぽん、と、星の数ほどいるらしい女の中から、わざわざ島くんの初恋相手を選んだ憎らしい男が、島くんの肩を叩いた。
 そうして、肩を掴んだ手に、ぐぐっと力が入り。

「最後に忠告。そんなことは無いと思うけど、無理矢理どうにかしようなんて、考えないこと。実行しなくても、考えただけで引きちぎるから。浮世絵町はボクのシマだ。隠れてこそこそしやがってても、カラスの目はごまかせないから、そのつもりで。いいね」
「……………そういや、及川さんにしつこくつきまとってた三年の怖い先輩たちが、自主転校したって聞いたけど……………」
「知らない方がいいことって、あるよね?」
「……………ハイ」
「それじゃ、島くん、折角話してくれたのに、力になれなくてゴメンね。それじゃ、またね!」
「う、うん。また………」
「つららー、お待たせー。終わったから帰るよー」

 二人だけだったはずの教室なのに、話が終わるや、リクオは鞄を手に大声をあげて、件の女の名を呼んだ。
 島くんがびっくりしたのなんの。
 ひょっこりと、廊下からドアを開けてのぞき込んだのは、例の雪女が人に化けた姿であったから。

 居たのかよ?!
 てか聞いてた?!バレた?!うわぁ、恥ずかしい!!
 と、思っていたのも束の間。

「遅いですよリクオさま!もう台所の準備が始まっちゃいます!」
「ああ、ごめんごめん。急いで帰ろう」

 スルー。
 歯牙にもかけられていないというか。まあ、そういうことで。

 島くんは一人、二人が仲良く去っていくのを見送りながら、姿が見えなくなっても仲むつまじい会話を聞きながら、しばらく、動かなかった。

「今日の夕飯はなにかなー」
「何か食べたいものはありますか?」
「んー、手羽元の煮込み。こんにゃくと人参が入ったやつ。あれツマミにして、ちょっと飲みたいなぁ」
「週末ですしね。ふふっ、張り切っちゃいます」
「そりゃあ楽しみだなぁ〜♪ 存分に張り切ってよね」
「ひゃっ!どこ触ってるんですかリクオさまッッ!は、はりきるって………や、そ、別にそういうわけじゃ!!!」
「ええー?どーゆー意味があるのー?ボクわかんないなー」
「んもう、こういうときだけ子供のふりしてぇ!」

 動けなかった。



<了>











...島くん告白を目論む...
やがて日本サッカー史に名を残す男、島二郎。後に「初恋のひとはどんなひとでしたか?」というインタビューに、「人妻でした」と答えて物議をかもしたという。