浮世絵中学サッカー部エースにして、日本サッカー界の未来を担う男。

 その名は、島二郎。

 最近、進研○ミのアレと同じ名前だということに、級友に突っ込まれるまで気づかなかった脳天気な彼は、別に年中頭が春だからそんな簡単なことにも気づかなかったとか、そういう事ではない。
 だがとにかく彼には、春が来ていた。

 季節が夏の盛りだとしても!春が来ていた。

 春の名前は及川つらら。
 どこのクラスに所属しているか知らない者でも、奴良リクオに引っ付いて回っているので、校内では便利屋・良い奴・奴良リクオを知らない者はないものだから、自然と彼女の知名度もあがる。ついでにこれが超のつく美少女で、愛嬌を振りまきながら自覚なしに中学生男子を魅了しまくっている。
 島くんが、彼女が雪女という妖怪であることは、つい最近知った事実だ。

 人間がなんだ、妖怪がなんだ、人間と妖怪の垣根なんてなんだ。
 最近、荒川橋下では、どこぞの御曹司が金星人とラブストーリーを紡いでいるそうではないか。

 問題ない。全く問題ない。
 そこのところ、島二郎はグローバルな男だった。

 訂正。問題がなくはない。
 問題はそこではない、だけで。

 立ちはだかる問題は、ただ一つ。
 ライバルの存在だった。
 相手は、彼女が始終付き纏っている相手 ――― 奴良リクオ、だ。
 
 こいつがただの便利屋・良い奴・パシリ、さえしていれば良いものを、あろうことか家は数百年前からの大地主ばりに、都内の大きなお屋敷で、遊びに行ってみれば、やあみんないらっしゃいなどと、着物姿で迎える始末。
 着物。今時。浴衣とかそういうのではなく、時代劇で見るようなしっかりした布地のそれだ。
 玄関は立派な書院造、長い廊下を歩いて、ぎしぎし言う古い階段をあがってようやっと部屋につく。
 それだけじゃない、お手伝いさんたちが彼を、若、と呼ぶわけだ。
 そう、お坊っちゃん。
 ただの便利屋・良い奴・パシリ・虐められっ子さえしていれば良いのに、てか完全にポジションのび太だろうおまえ、と思われていたのに、島くんがこっそり、この人にくっついていれば美味い汁が吸えるかな、と思って後をついて回っている金持ち御曹司にして優等生、さらには二年目生徒会長の清継氏に並ぶようなお坊っちゃん。
 清継氏はまるで気後れしていなかったが、はっきり言って、同行していたクラスメイトたちは皆、奴良リクオの幼なじみも含めて、ビビっていた。

 その奴良リクオ、これまた実は、四分の一、妖怪の血を引いている。
 それも、とびきり上級の妖怪らしい。

 その血の香を嗅ぐだけで獣がまどろみ、花が狂い咲き、乙女が切なさに濡れる、と、奴良リクオが住まう屋敷の、すんごいボンキュボーンなおねいさんが、その妖怪についてころころ笑いながら語っていた。
 普段の姿だけならば、まるでそんな様子はないだろうが、夜になるとこれが、銀髪超美形に変化する。

 先述の通り、島くんに勝ち目はない。
 だから島くんは前回、昼の奴良リクオに、及川つららこと、彼の世話役だと言う雪女の氷麗さんとの仲を、とりもってもらおうとした。
 結果。

 昼のリクオも極道なのだと、知るに至った。
 だが。島くんの戦いは終わってはいなかった。



 諦めたら、そこで試合終了だよ、と。



 脳内で某バスケ漫画の顧問先生が、島くんを励ましたのだ。



 ………安○先生、及川さんと、デートがしたいです。



 夏休みの今この時、自分は及川つららに会うことさえままならないのに、あの悪の総大将は毎日毎日、おはようつららおやすみつららをやってるかと思うと、もう布団を噛み千切らんばかりの狂おしさ。

 というわけで、島くん、考えた。
 何か一つ、何か一つでいい、彼と張り合えるものは、ないか。
 あった。
 サッカーだ。僕にはサッカーがあるじゃないか!
 《浮世絵中学の大空翼》と呼んでもらっても結構なほど、そこんところには自信がある。
 あくまで自称だ。自分に何が足りないか、島くんにはわかっていない。
 鏡を見ても自分の顔があるばかりで、それは美形ではないにしろ、普通なんじゃないかと思っている。
 サッカーテクなら大空翼に並べるはずなのに。

 と思うともう、どうせ寝苦しい夏の空気に布団の中で苦しんでいた次第であるし、いてもたってもいられず、島くんはすぐに奴良リクオにメールをした。

 「明日の夜8時、浮世絵中学グラウンドで待つ。
  及川さんをかけて、サッカーでPK勝負だ!
  島 二郎」

 メールはすぐに、返ってきた。

 「了解」

 奴良リクオにしては、「突然どうしたの?」もなく、簡潔な文面であったが、そこは不思議に思わなかった。どうやら雪女に惚れているらしい彼は、雪女のことになると、昼間でも夜のように人格が変わるのだ。
 否。
 あれがきっと本性だ。

 もっとも、次の日、目の前に現れたその姿を目にして、島くんは頭を抱えてしまった。
 夜の闇に隠れ風に乗って現れたのは。

「てか勝負ってそっちの姿かよ?!反則だろ?!」
「午後八時に学校のグラウンドって指定したのはそっちだろ、反則もクソも、この時間はいつもオレはこっちの姿なんだよ。おら、さっさとやるぞ。オレは夏休みの宿題は最初の七日間で終わらせる主義なんだ」
「え、まさかいつも宿題やるのは、夜……?!そっちの姿で?!」
「気が向いたときに気が向いた姿でやるんだよ。こっちのが思い切りがよくなって、理数系には向いてんだ」
「だから字ぃなんとなく汚かった?!」
「うるせーよ。その汚ぇ字のノートを写してるのはどこのどいつだ」

 そう、月光に照り返る長い銀髪。
 妖しく光る、紅瑪瑙の瞳。
 いつも甘露を含んだような笑みが口元にあるが、今は敵を目にして引き締まっている。

 奴良リクオには、違いない。違いないのだが。

「しかも何そのTシャツ、ハーフパンツ姿?!」
「は?サッカー勝負だろ?着物じゃあ動き難いだろうが。てめー、オレに向かってサッカー勝負とは良い度胸だ。オレも一度、お前とガチで勝負してはっきり勝つ必要があるとは思ってたところだ、ちょうどいい。
 だーれが《浮世絵中学の大空翼》だ。今日はその自称二つ名、二度と名乗れぬようにしてやるぜ。お前なんぞ《浮世絵中のリベロの武田》すらおこがましい」
「それ昼も思ってた?!てかリベロの武田をバカにするな!」
「オレは優しいからな、普段は思っても言わないんだよ。弱いモン、虐めちゃかわいそうだろ?」
「弱いモンて何、俺?!まさかぼくのことですか、奴良リクオくん?!」
「他に誰がいる。だが ――― このオレに勝負を挑んで来たんだ、その意気やよし、特別に受けてやろうじゃないか。弱ェ弱ェと思ってた野郎が、男になろうってんだ、今日だけ特別に、《弱ェモン扱い》はやめてやるよ、島」

 夜の姿の奴良リクオは、サッカーユニフォームに身を包み、スパイクまではいて、既にサッカーボールを踏みつけている。
 その姿、まるで悪鬼の首を踏みつけた仁王像のごとし。

「おら。PK戦だろ。さっさとゴール前に立て」
「つかその姿でジャージとか似合ってねーし!気ィ抜けるし!リーチ長いの卑怯だし!」
「うるせぇ!ごちゃごちゃ言ってねぇで、やるのかやらねェのか!」





 妖の戦いとは、空を飛び宙を舞い、人間どもには扱えぬ業と業のぶつかり合いである、と言う。
 この日はまさしくその、(一方的な)妖の戦いであった。

 サッカーボールをしかと目で追っているはずが、目の前で消えたと思うとゴールに決まっている。
 たしかに手にとらえたはずのボールが、ゆらりと歪んで消えて、やはりゴールに決まっている。
 そのうちボールが二つに、三つに、四つに分かれて、そのどれが本物かと思っているとどれも本物で、反応が遅れた島くんは避け損ねて全て被弾。

 全治十日前後の、名誉の負傷とあいなったのであった。





「みんな良く聞けー。シマジローが怪我をした。今度の陽炎中学との練習試合には出られなさそうだ」
「うえぇ〜、マジかよ?!」
「終わった………」
「まあ待て。そこで助っ人だ。コイツ、知ってるだろ、奴良リクオ」
「え、ウソ?!玉拾い要員じゃなくて?!」
「出てくれんのか、奴良ァッ?!」
「あ、あはははは、うん、その、島くんの怪我はボクにも少し責任があるし……」
「え?」
「ああいや、こ、こっちの話!!とにかく、ボク、島くんの分もがんばるよ。先輩たち、よろしくお願いします!」



 その後、《浮世絵中の大空翼》の二つ名が誰のものとなったか、推して知るべし。



<了>











...島くん魑魅魍魎の主に挑む...
朝になって目が覚めたとき、夜の己の所業に血の気が引いたのは、久方ぶりの奴良リクオであった。