雨戸を開けると、そこはまさに銀世界。

「わー!雪女、雪だよ、雪がふってるよ!」
「まあ、道理で過ごしやすいと思いました。今年もようやく降ってくれましたか」
「すげー、たくさんつもってるー!」
「あ、若、寝巻きでなんていけません!風邪をひいてしま、わぷっ」
「へへー、クリティカル!リクオは雪女に100のダメージ!」
「んもう、悪い子なんだからー!」
「うわぁ、怒るなよ!雪女が雪ん中で本気出すなんて、卑怯だぞ!」
「ホホホホホ、なんとでもお言いなさい、総大将リクオよ。それそれ、逃れられるものなら逃れてごらんなさーい。雪女のターン、乱れ雪の舞!」
「おとなのくせに、それっておとなげないぞ!ひっ、つめてぇっ、背中に入れるな!」
「そーれそーれ、ずっと雪女のターン、ですよー」
「くそー、雪に強いからって、その気になりやがって!」
「だって雪の中では皆、私の味方ですもん」
「そんなの、かないっこねーだろ。ずるいぞ!」
「ホホホ、聞く耳持ちませんわー。それ、雪のしもべども、妖怪の総大将をやっつけろー」
「負けるか!」

 夜のうち庭に降り積もった真白な雪を、朝から互いが頭から真白になるまでかけ合って、戯れたのはつい数年前。あれから経った年数は、両の指で足りるほど。
 ほんの僅かな時しか経っていないというのに、はしゃぐ若君の姿はいまやなく、降りしきる雪はじゃれ合う相手を失って、庭にはただしんしんと雪がふりつもり、先ほど小物妖怪が手を擦り合わせながらこさえていった、小さな足跡が残るばかり。やがてはこれも、すぐに消えてしまうと思うと、諸行無常を思わずにはいられません。

 訪れた、冬枯れの季節。
 桜の霊木も今は、葉を落とした枝に白い衣を纏わせて、静かに眠りについています。
 朝から雪の中で大はしゃぎしたにもかかわらず、夜にも遊びにいきたいなどと言って雪女を困らせた、幼い頃の若君の思い出が、こうして、夜の庭を見つめていると思い出されるのでした。

「昔は雪が降ると、真っ先に雪玉をぶつけられましたのに……」
「 ――― いつの話だよ。恥かしいなぁ、もう」
「あら、若、いつの間に」
「ちゃんと呼んだよ。つららが、ぼうっとしてたんじゃないか。はい、甘酒。ちゃんと冷やしておいたから。おいしいよ」
「わぁー、ありがとうございます!雪を見ながらの甘酒は最高ですよねー、ふうふうしながら啜ると、雰囲気出るんですよー」
「……うん、見た目は湯気が出てるしね。そっちのは冷たい湯気だけどね。いったいどれだけ冷やして飲むのさ」
「だって、湯気が出るのに憧れるんですもん。本当は熱いの、飲んでみたいんですよ?」
「だーめ、手を伸ばさない、こっちのはホントに熱くて、火傷しちゃうよ、危ないって!こんなの飲んで、溶けちゃったらどうするの」
「でも、憧れるじゃないですか。寒いときにあったかいものを飲んだり、寒いときに寄り添ったり」
「へーえ、つららもそんな事、思うんだ」
「そりゃあ、思いますとも」
「自分でいつも、年増だなんだって言ってるから、そういう欲望無いのかと思ってた」
「まさか、尼でもあるまいし。雪女として人並みに、誰かと肩を寄せ合いたいぐらいは思いますとも」
「そういうことなら、ちょいとそこ行く雪女さん、ボクが肩でもお貸ししましょうか」
「あら、よろしいのですか、そこ行く素敵な若君さま」
「こんな小さな肩でよろしいのなら」
「いえいえ滅相もない、とてもあたたかそうな肩でございますよ」

 濡れ縁の二つの影が、そっと寄り添うのでございました。
 若君の肩に、ことんと頭を預けて、雪女は嬉しくなり、ふふりと笑います。
 庭に降り積もる雪は戯言相手を失ってしまいましたが、まだまだ雪女には、こうして戯れ合う若君が傍にあるのです。
 いずれ自分からも、若君は遠くなってしまうのかもしれませんが、まだ少し未来の肌寒さより、これまでの記憶の方が尚、あたたかいのです。己の体など、着物ごしに触れているだけで凍えそうなほど冷たかろうに、寒い濡れ縁で、風もなく静かに降り積もる雪を見つめながら肩を貸してくださる、今の若君のあたたかさに、嬉しくなるというものではありませんか。

「若は、大きく立派におなりですねえ」
「なに、いきなり。本当に年寄りのお婆さんみたいだよ、やめなよ、似合わない」
「こう見えても私、結構な年なんですよー」
「はいはい、知ってます。だから少しは敬いなさい、でしょ?ボクを叱るときはいっつもそれだ」
「それでも昔、若と庭で遊んだときは、年甲斐もなくはしゃいじゃいました。もう、楽しくって、楽しくって。ふふっ、今思い出しても笑ってしまいます」
「そんなだから、雪ん子なんて言われるんじゃないの」
「もう!言わないでくださいな、恥ずかしい。この年になってもまだそんな呼ばれ方をしてるなんて、恥ずかしくって。まったく、牛頭丸ときたら、どうしてあんなふうに、人をからかって喜んでいるんでしょう。私だけを軽んずるならまだしも、若に生意気な口をたたくのが困ります」
「そりゃあ、あれだよ、牛頭丸のは、小さい頃のボクと同じ」
「お小さい頃の若?そんな滅相も無い、あんな憎たらしい小僧と、玉のように愛らしい若と、比べることすらおこがましゅうございますよ」
「いや、そうじゃなくてね。ボクは、春になって蛙を見つければ、お前の背中に入れずにはいられなかったし、夏に小物たちと遊んでは、罠をかけて探しに来るお前を捕まえずにはいられなかったし、秋は毬栗を投げつけもしたし、冬には雪玉をお前に投げつけずにはいられなかったもの」
「あー……若は腕白でいらっしゃいました。最近は腕白も一日の四分の一だけになったので、私も少し息がつけるように……。たしかにあの頃の『この糞餓鬼』という気持ちは、今の牛頭丸へも少ぅしだけ、ほんの少ぅしだけですが、通ずるものがあるような……」
「それはだいたい、つららがボクのことを構っていないって思ったときだったんだよ。ボクの守役のくせに、ボクを放ってどこへ行ったんだ、って。つららはつららで、その時も洗濯したり掃除したり、忙しく働いてくれていただけなのにね、わからなかったんだよ、子供だったから」
「『子供だった』ですって。まーぁ、偉そうに仰るようになりましたねぇ」
「む」
「若は今でも充分、まだまだ子供の部類です。背伸びして、急いで大人になる必要なんて、どこにもありませんよ」
「ありませんか、つららさん」
「ありませんとも。そんなに早く大人になられては、守役女は寂しゅうございます」
「ふうん、そう。じゃ、いいんだね」
「へ?何を、って、若ぁッ?!」

 なんと。
 何を思われたのか若君は、ぐいと甘酒を呷って一息に干すと、雪女の手元の湯のみと己のこれを、柱の傍に置き、細身の御体のどこにそんな力があるのか、ひょいと雪女の体を足元から抱え上げ、恥ずかしがって慌てるのを、ぐっと抑えつけてすたすたと己の部屋へ歩き始めたではありませんか。

「子供だから。こんな寒い夜に一人寝は寂しいな。久しぶりに、寝物語でもしてよ」
「ななななななにをおっしゃられていらっしゃられてございますのでしょうわかああああああ」
「しーっ、静かにしなよ。皆に見つかったら雪女がついに手篭めにされたとか思われるよ」
「つつつつつついにってどういういみであらせられますのでございましょうかわかかあああ」
「明日休みなんだから、ゆっくり部屋でくつろいでさ、カードゲームしたり本読んだり、ごろごろぬくぬくしようよ」
「ぬぬぬぬぬぬくぬくってあたりがとってもいやらしいでございますですわかああああああ」
「ああもう、ぎゃあぎゃあうるさいなあ」
「 ―――― ッッッ????!!!!」

 ちゅ、と濡れた音の向こうに、雪女の絶叫は響かぬ木霊と吸い込まれたのでございました。

「 ――― 甘酒の味、ごちそうさま。お、これには流石に静かになりましたかね、雪女さん」
「若、雪女への口吸ひは、もう少し躊躇しながらするものでございますよ」

 もはや抵抗は虚しいと悟ったか、しくしくと嘘泣きを漏らしながら、雪女は小声で恨めしや。当然です。口吸ひをせまって嫌がられるのが雪女の《畏》の一つなのに、こうも簡単にうちゅうとされては、ああ、自分はそれほどまでにおそろしくもなんともない雪ん子であるのだなあと、隅っこで蹲って「の」の字を書いていたい気分にもなります。
 対して若君は、お気に入りの遊び道具を腕の中に閉じ込めて、満面の笑み。

「嬉しいなあ。昔は冬ばかりは、つららには全然敵わなかったから」
「悔しゅうございます。昔は冬ばかりは、唯一勝てる季節でありましたのに」
「あはは、やっぱり、つららイジメは楽しいや」
「キーッッ、悔しい、悔しいッッ!この糞若!ちっとも大人になってなーい!」
「お、出たな『糞若』。それも久しぶりに聞いた。可愛いなあ、つらら」
「ああもう、どうして私の周りには、こうして私を無碍にからかう殿方しかおられないのでしょう。母様ごめんなさい孫の顔はまだまだ見せてあげられなさそうです雪女のくせにただの一人も虜にできない年増娘です生まれてきてごめんなさいこれから荷馬車にごとごと揺られて売られていきます。早々」
「こらこら、何を結んでいるの、何を」
「もうだめです。私は雪女失格です。そのうち北のカムイ属あたりと縁談してもらわれていく売れ残り街道がお似合いです。雪女が!誰一人虜にできず!縁談ですって!うわあん、そうして哀れな六花は人知れず凍りついたまましおれることすらできないのでしたとっぴんぱらりのぷう」
「終わるな終わるな、大丈夫、妖怪人生長いんだから、まだまだこれから、おーよしよし。つららが誰一人殿方を虜にできていないのはね、単なる研究不足だと思うなあ、ボク」
「研究ですか。羽をひろげてピンでさすあれですねわかります」
「誰が標本にしろと言ったの」
「では学校の理科とやらの授業でえ見かける、皆が筒のようなものをしきりに覗いているあれでしょうか」
「どうして顕微鏡で見るゾウリムシと同じ次元にするの。まったく、仕方が無い雪ん子だなあ」

 足音をたてず、滑るように階段をあがって、若君はお行儀悪く足で己の部屋の襖を開け放ちながら、研究の足りない雪女に、本当のところを教えてやるのはもう少し先にすることにしようと決められたのです。
 なにせこの、鈍く純情な雪女は、研究不足のあまり牛頭丸が何故、雪女や若君にことあるごとにつっかかってくるのかを、全く気づいていないらしいのですから。ならばそれを教えてやるよりも、虐めたところをちょいと撫でてやって甘い顔を見せてやり懐かせておきつつ、牛頭丸は酷いね意地悪だね、まあでも本家預かりなどになってむしゃくしゃしているだけだろうから、相手にするなよ雪女、と吹き込んでおいた方が、有利にはたらこうものではありませんか。

 案の定、スイッチを切ったままのコタツの傍に立たせてやって、ほら、と、コタツの上の蜜柑を一つ渡してやると、ぱあっと子供のように顔を輝かせ、リクオと向かい合わせに座ってご機嫌になる雪女です。
 まったく、どちらが子供でありましょう。

「冷凍蜜柑にしてよ」
「おまかせあれ」
「普通の蜜柑は、ボクがむいてあげる。はい、あーん」
「あーん」

 何の警戒心もなく開いた口から、ちろりと覗いた赤い舌。
 蜜柑を一房放り込まれて、もぐもぐやってから自分でもはしたないと気づいたのか、眉を寄せて、形の好い唇を尖らせました。

「……あ、こんなことしてるから、雪ん子なんて言われるんですね」
「そうかもねー」
「もう!否定してくださいよ!どうして今日はそんなに意地悪なんですか?」
「そりゃあ、ボク、子供だから。はい、もう一つ、あーん」
「あーん」

 《だから》、の後に続く真理など、研究不足の雪女には、きっとまだまだわかりますまい。
 にっこりと笑む若君にも、己等の心理を明け渡してやる気はまるでないのです。あの牛頭丸めの気持ちなど、路傍に打ち捨てられて馬に蹴られて溝にはまってどこぞへ流されてしまえばいいとお考えなのですから。雪女に気づかれることなど、未来永劫無ければいいと思っております。この二人の若頭の目に見えぬ攻防はなかなか熾烈でございまして、若君はいつものようにただにっこりとしているだけでは余裕が持てないらしいのです。げにおそろしきは、そんな様子をおくびにも感じさせぬ若君の懐の深さでございますが。

 ええ、ええ、若君にはよーっくわかっておりましたとも、牛頭丸めの、雪女へのあわやかな想いなど、とうの昔に経験済みでございましたから。
 可愛い奴と思えてならぬ娘を、ちょいとつついてみたいなど。

 さて、今宵はそろそろ失礼を。なにせこの二人ときたら、長いこと寄り添いあった夫婦のように笑い合うばかりで、色事など望めそうにございませんから、語る方は阿呆のようで空しいというものではありませんか。

 あ、そうそう、濡れ縁に忘れ去られた湯呑み二つは、そっと寄り添うようにして、この寒い夜を過ごし明かしたそうでございますよ。








...ゆ き や こ ん こ...
ボクをいつまでも幼子いとし子と言うのなら、君はいつまでもボクだけの雪ん子でいて。たまにはちょっと意地悪もさせてね。……はい、あーん。