五百年近くむかし、将軍のお膝元、花のお江戸が賑々しくなった頃、関東総元締奴良家の初代ぬらりひょん、百鬼を従え京の羽衣狐を、疾風迅雷のごとき立ち回りの果て、ついに見事打ち倒した。これをもって西から及ばんとしていた黒雲は去り、以来、妖怪と言えども陽気な輩が街に溢れ、江戸は帝都、そして東京と名を変えながら、あばれ者の妖怪たちをしっかり奴良家が取りまとめるおかげで、今も安寧を保っている。

 江戸の街において、総大将から二代目へ、奴良家が受け継がれ、人と妖の血を引いたこの二代目には、最初は少しばかり危なっかしいところもあったのだが、しっかと初代の心を引き継いでいたので、人の世にもそして妖の世にもたよられることとなり、結果、初代の頃よりもこの畏れは幅広くまで及んだ。
 そして年号は平成と改まり、妖怪任侠一家の奴良家には、この二代目の血を引く若君が、お二人。
 奇しくも、同じ母の胎から、同じ日同じ刻限にお生まれになったのは。

 片やお優しき昼の君。稲穂色の髪に琥珀の瞳、人の血を濃くしておわす。
 陽光降り注ぐところにありて、柔らかに微笑み、力弱くとも心正しい妖怪や人を虜とするところから、昼の君と称す。

 片や勇ましき夜の君。しろがねの髪に瑪瑙の瞳、妖の血を濃くしておわす。
 月光降り注ぐところ、あるいは深い闇の中にありて、狼藉する妖怪や人どもを等しく打ち滅ぼすところから、夜の君と称す。

 お二人ともにすくすくとお育ちになり、守役たる雪女は、たぐいまれなほど美しくお育ちの若君たちに、これ以上ないほどの愛情を注いで、身命をとしてお守りしようと健気に仕えると、二人とも守役女の愛情に応えて心を尽くしてくださるのが、本当にめでたく喜ばしいことだった。
 ところがこのところ、お二人の仲がお悪い。
 はっきり言えば、お二人が秋には元服されるというこの年の、元旦が明けた頃からだ。

 今までも、兄弟(どちらが兄でどちらが弟かという話になると、お二人とも自らを指して「オレが」「ボクが」兄だと言うのだが)で喧嘩するのはよくあったことだが、朝にお互いの機嫌が悪くとも、しばらくするうちにまたお互い揃って悪戯の相談をしていたり、ともに風呂に入っていたり、夕餉を取る頃にはまたすっかり仲直りしていたので、雪女も最初のうちは、またこの兄弟が栓ないことで諍いをしているのだろうと触れずにいたのだが、今度のはどこか深刻だった。

 お二人はお小さい頃こそ、一つの座敷をともに使っていたのだが、今はそれぞれの座敷をあてがわれ、お互い会おうとしなければいくらでも顔を合わせずにいられる。
 いつしか朝餉夕餉を取るときも、昼の君は母君とともに賄いどころで、夜の君は御隠居とともに座敷でとなり、桜が咲く頃には、ともに揃ってお顔を見せるのは、貸元の組長どもが集まる総会のみであるのが当たり前となってしまった。
 ほんの時折、思わぬところで互いの姿を認めると、言葉も無く、じっと油断なく互いの顔をにらみ合い、やがてふいと視線を逸らして行ってしまう。

 心配して、このままで良いものでしょうかと、雪女が台所で暗い顔をしていると、毛倡妓がその背をぽんと慰めるように叩いた。

「こればっかりはねえ、どうしようもないわよ。お二人とも、嫁取りなどされたら、いくらか落ち着くのではない?」
「はあ、嫁取りですか。そうですねえ、お二人ともそういうお年頃ですよねえ。苦楽をともにする奥方がいるのといないのとでは、かかる若頭としての重圧も違いますでしょうし。どこかに良縁が無いものか、総大将にご相談申し上げることにしてみます」
「あー……んー……アンタから言うのはどうかと思うわよ」
「そ、うですね。そんな事を申し上げられる分際ではありませんよね。きっと総大将も若菜さまも、お二人が元服される頃にはと、お考えでしょうし」
「……鈍い。若君たち、お可哀想」
「はい?」
「ねえ、あんた本当に雪女?」
「失礼ですねえ、私がどれだけ神経を使ってこうして火の傍にいるか、知らないわけではないでしょうに」

 なんだか煙に巻かれたような気がした雪女だが、毛倡妓に言われて、そうだ総大将に申し上げるのではなく、それとなく若君たちに訪ねてみよう、そうしたらお互いが抱える若頭の重圧や、同じ若頭であるからこそ違う心遣いを見せるあいつのこれが気に入らん、せめてこれを分かち合ってくれる好い女が居ればなどと、胸の内を明かしていただけるかもしれない、と、思いついた。
 この思いつきは、彼女が、自身は若君たちの諍いには何の関わりも無いと思い込んでいたために思いついたもので、もしも他の誰かが彼女から「これこれしようと考えているのだが」などと相談を受けていれば、「火に油だ」と断じたであろうに、妙なところで思い切りの良い女なので、その夜早速、賄いどころで昼の君の給仕をしているところに、話を持ちかけた。

「若ももうすぐ元服ですね。今の人の世では、二十になるまでは子供などと、悠長なことを世の中の定めごととしているようですから、表立ってとはなりませんが、そろそろ将来の奥方などを、定められる時期かもしれません。そのうち、お爺さまや若菜さまからもお話があるでしょうけれど、若は、どんな方を好まれるのか、戯れでかまいませんので、この雪女めに話してはみませんか」

 食後の茶を啜っていた若君は、にこにこと笑って傍に侍る雪女を、しばしぼうっと見つめていたが、やがて何事もなかったかのように茶を飲み干して膳に置き、行儀よくごちそうさまと手を合わせてから、雪女の手を引く。

「ここじゃあなんだから、庭にでも出よう。しだれ桜が見事だよ」

 何だろう、通う学び舎に既に意中の娘があるのだろうか、それはやはりあれか、家長カナだろうか、それとも陰陽師の娘だろうか、いずれにしても雪女から見れば、まだまだ乳臭い娘どもで、趣深いとは言えない当世風だし、大切な若君を任せるには少し心もとないと思いながら、若君が語ることならば受け入れようと心を決めて後ろについていく。
 庭に出れば、ゆらゆらと枝を揺らすしだれ桜と、その上に上弦の月が僅かに雲の切れ端をつかまえて、まことに風情がある。

 ここで、若君は立ち止まり、雪女をまっすぐに視線で射止めた。

「つらら、ボクは、つららが好きだ」
「 ――― はい、私も、若君が大好きですよ」
「一人の男として、つららが好きだ」
「 ――― はい?」
「そりゃ、お前にとってはボクは単なる、世話のかかる幼子なのかもしれない。現にお前に育てられてきたようなものだから、お前がボクにこんなこと言われて、戸惑うだろうなとも思う。そういう風に、急に一人の男としてボクを見てくれと言っても、その通りにはできないだろう。
 だから、ボクは待とうと思う。お前がボクを、もう手のかからない一人の男なんだと認められるまで、ボクはせいぜい精進する。そりゃあ、夜のように腕がたつわけではないけれど、幸い、あいつより器用に立ち回れるし、あいつが苦手なところが大の得意だから、将来はこの平成の世で奴良組が上手く立ち回れるよう、法律とやらの勉学を修めるつもりだ。
 お前が言うように、これには少し時間がかかる。大学に行くのが手っ取り早いし、それでも司法試験を現役で通るのは、厄介だって言う話だし、早くてもこれから十年はかかると思う。この間、ボクは精進して待っていると約束するから、だから、つらら、ここまでボクを見守ってくれた十二年があっと言う間だったと言うのなら、あと十年これからは、今日、この桜の下で初めて出会ったことにして、ともに待ってはくれないだろうか」

 かあと己の頬の熱が上がるのを、雪女は止められなかった。

 昼の君は、人や妖の心をよく知っておられる。傷つけられた者を慰めるのも、弱気を奮起させるのも、真摯に言葉を尽くされるので、物腰柔らかに語られれば、若君の言葉は乾いた土に染みこむ水のように、聞く者の心に染みこんでくる。
 言霊でもって、直接魂に触れてこられる、若君の不思議な御力。

 このお力を、今は雪女一人のみに向けられたのだ。
 若君の術に縛られて、まさに雪女は今このとき、大切に育んできた幼子としてではなく、揺れるしだれ桜の下で出会った、一人の男子として彼を見た。
 彼はまだ少女のようないとけなさを、顔の輪郭に残していたが、少し前までは未分化だったであろうところに、僅か男子のたくましさを匂わせてきて、すっくと背筋を伸ばしこちらを見上げてくる様には、この男子の先はどれほど優しげで素敵な男君になることであろうと、ずっと見つめていたくなる。
 見つめていると、彼は、雪女が思ったとおり優しい笑みを浮かべた。

「こんばんわ、風情ある宵ですね」
「え、ええ、本当に」
「もう少し、背が高かったら、あの枝に手が届いたのになぁ。そうしたら、あの枝の先の一番にきれいな桜の花を、ちょっと失敬して、貴女へ贈ったのに。そうしたら、この夜の出会いを、きっと貴女はお忘れにならなかったろうに」
「 ――― それなら、貴方様の手が、あの枝に届く頃、もう一度こうして、お会いしてはいかがでしょう」
「それは、良い提案ですね。どうか、それまで待っていてくださいますか。私は奴良組若頭、奴良リクオと申します。貴女は?」
「わ、私は ――― 」

 蚊の鳴くような声で、お育てしている若君ではなく、一人の殿方へ己が真名を告げようとしたまさにそのとき、目の前の若君のお顔が、雪女の視界から消えて無くなった。
 はっと術から醒めたような顔で我に返った雪女が見たのは、上から降ってきた夜の君が、昼の君の頭を踏みつけ蹴り飛ばした瞬間だった。

 雪女がぽかんと見ている前で、昼の君は濡れ縁にまで吹っ飛ばされ、すんでのところで受身を取って、己の後ろ頭をさすりながら、迷惑な闖入者を睨みつけた。

「 ――― ってえッッ!何をするのさ、夜!」
「てめえこそ何をしてやがる、つららに妙な術かけやがって。一人抜け駆けしようってか、ああ?!」
「抜け駆け?何を言っているの?ボクは自分の気持ちを、正直に彼女に告げようとしただけだ。それに対して彼女がどんな風に答えようとしても、抜け駆けとはならないじゃない。だいたい術なんて、ただの人間のボクに、そんなことできるわけがないでしょう。それを覗き見までしてこんな風に横槍を入れるとは、夜の君はいい趣味をしておいでだ」
「てめえがわざわざ、オレが登ってる木を選んで見せつけてきたんだろうが。おい昼の、お前の手の内は、こちとら昔っからよーっく知ってるんだ。ただの人間?だから術が使えない?馬鹿を言え、てめーの術が、てめーにとって都合の良い答えを相手から引き出す、悪趣味で回りくどいが厄介なそれだと、知らないオレじゃねえ。だいたい、ただの人間が、わざわざ『立派な《人間になろう》』などと言うか。てめーも立派に妖怪の自覚アリだろうが」
「やめてよ、変な言いがかりつけるの。ボクが力尽くで、つららを自分のものにしようとしていたみたいだ。ひどいなあ」
「お前の場合、その言霊を使うのが、力尽くでなくて、何なんだ」
「このままお互い元服したら、君がその夜にでも、つららを押し倒してまさに力尽くで自分のものにしようとするんじゃないかと心配したんだ。ただでさえ、最近は化猫横丁に出入りして、お盛んらしいじゃないか。あーやだやだ、体だけ大人になって、精神がついていかない子供って感じで。とてもじゃないけど、そんな奴の傍につららは置いておけないよ。君の力尽くに抵抗するには、つららがボクと先に何かしら《約束》をしてればいいんだ、そうしたら、雪女の契りの《畏》が君を阻む。
 こういう牽制は必要だろう、お互い。牽制ついでに自分のところに招こうとするのは、そりゃ、勝負ごとだもの、情けは無用だよね」
「この野郎、人を情け容赦のない悪鬼のように言いやがって」
「おや、違うおつもりで。ひどいよねー、言い寄ってくる女をとりあえず抱いてみて、終わったらポイだもん。中には君に本気の子だっていたろうにさ」
「てめえ、その口を閉じろ。次に何か言ったら燃やす。
 つらら、そいつの言うこと本気にするなよ。そりゃあ、中にはホントのことも混じってるが、それがそいつの手管だってお前も知ってるだろ!頼むから、本気にしてオレを嫌ってくれるな、オレは、オレだって本気でお前を好いてる。夫婦になりたいと思ってる。でもそれがかなわなくったって、お前だけには嫌われたくない。
 力尽くとか、そんなことは ――― そりゃあ、前後不覚に酔えば別かもしれねーが、考えてネタにしたことはあっても実際にやるはずがねえ!頼むから、本気にして、オレから遠ざかるな。オレはお前を守りたいと思っているし、オレは嘘偽りは言わねーよ」

 お互い顔を突き合わせながら、唾を飛ばしあっていた兄弟だが、思えば、口喧嘩で夜の君が昼の君に勝ったためしが無い。
 昔から、夜の君がべそをかくのは、昼の君の真綿に包んだ針のような言葉いじめに合ったときで、逆に昼の君がべそをかくのは、無口な夜の君がこれに癇癪を起こして昼の君をぽかりとやったときと相場が決まっていた。

 今このときも、夜の君は旗色が悪いと悟るや、慌てたような表情で雪女に向き直り、あれこれと言葉を尽くす。
 昼の君ほど洗練されていはいないのだが、真正直で、素直な言葉をあれこれと雪女に手向ける夜の君は、姿だけで月光に映える立派な男君であるので、大きな掌でそっと肩を掴まれて、頼む信じてくれと言い寄られれば、雪女でなくとも頬を染めたろう。

 ここでようやく雪女、この最近の兄弟の不仲の原因に思い当たった。

「もしや、お二人が年明けからぎこちなくいらしたのは ――― 」

 この問いに、お二人は息ぴったり。

「「そりゃあ、こいつがお前を娶るなんて言い出すから、馬鹿言え、それはこっちの台詞だと ――― おい真似するなよ」」

 またもやぎゃあぎゃあと、今度は取っ組み合いまで始められたお二人を前に、雪女は張り詰めていた気が抜けていくのを、どうにもできなかった。
 ところが、いったん気が緩んだところへ、ふつふつと、沸いてくるものがある。
 照れか怒りか、脳天から湯気を上げながら、ついに雪女は吼えた。

「二人とも、いい加減になさーーーーーいッッッッ!!!!!
 まったく、仲違いしているからと心配していたら、そんなくだらないことで!どんなときも兄弟仲良く、ほしいものも分け合ってとお教えしてきたはずでしょう!お二人の諍いは家中の雰囲気だって悪くするのですから、そこは譲り合って ――― !!!!」

 怒りのあまりか、論点が妙だったが、これを庭先で正座して聞いた若頭たちは、なるほどと手を打った。

「分け合えだとよ、昼の」
「じゃあ、ボクは火木土がいい」
「オレは月水金か」
「日曜日はつららのお休みだね」

 これにて一件落着か?

 守役女の気苦労は、もう少し続きそうなのであった。









...二 人 い る !...
「ねえ、祝言どうする?」「つららが真ん中だろー、で、お互い三々九度やりあって、あとは騒げりゃいいんじゃねえの」「ボク、つららの洋装も捨てがたいんだけど」