「えええぇぇえ、なんでだよぉ、リクオ!おれの絵の方が上手いだろう?!」
「いいえ、ボクには二郎くんが描いた方の絵が、よほど蛇のように見えます。何故なら蛇には足やヒゲなんて、はえてやしませんからね」
「二郎が描くの遅いから、おれは龍を描いたんだよ」
「おや、おかしいですね。鯉伴さまはボクの言うこともわからないような、やや子に戻ってしまわれましたか?ボクは、『蛇を描いてみましょう』と言いましたよね。いくら絵が上手くったって、言われたものを描けないのでは話になりませんよ。いいですか、鯉伴さまがされたことを、世の人は、まさに『蛇足』と言うのです」

 鯉伴がやや子のときにどこからともなく現れて、元服の時まで育てた後に姿を消した守役は、ぐうの音も出ないくらいの口達者だった。
 名を、リクオと言う。
 いつしかすっかり顔も声も忘れてしまっていたが、若菜と出会ってから、ふと思いだすことが多くなった。すると不思議なことに、靄の向こうに消えてしまった面影が、ふいに浮かび上がって来るように、自然と思い描けるようになったのである。
 紅瑪瑙の如くに輝く瞳と、秋の稲穂色の髪。幼さを残しながらきりと引き締まった、高貴な面立ち。
 思い出せば思い出すほど、若菜は彼に似ているような気がしてならない。

 半妖半人として黎明期の江戸に生まれた鯉伴は、まだ人と妖の境界線がしっかりと引かれていなかった浮世絵町で、人の幼馴染や屋敷の小物たちを遊び相手に育ち、その戯れの中では、お題に出されたものを泥の上に棒切れで書いて遊ぶというものがあった。

 この時、年の近い遊び相手だった二郎は、リクオに言われた通り、蛇を描いた。
 蛇と言うより、四分の一欠けた月におたまじゃくしの尻尾がついたような粗末な絵だったので、鯉伴はこれを馬鹿にして囃し立て、二郎が顔を真っ赤にして何度も描き直している横で、大きく龍を描いたのだった。
 今も昔も天衣無縫、天真爛漫な鯉伴は、幼い頃は同じ年頃の子供たちより秀でて絵が上手かった。
 得意になって描いた龍も、なかなかの力作だったが、あの守役はそれをぴしゃりと退けて、蛇を描けと言ったのに龍など描いた鯉伴を、叱ったのである。

 あの守役は厳しかったが、それは鯉伴を増長させないためのもので、躾に他ならなかった。
 厳しいが意地悪ではなかったので、ちゃんと鯉伴には理由を説明したし、鯉伴に馬鹿にされて泣きべそをかきそうだった二郎の頭を優しく撫でてやって、「二郎くんの絵はちゃんと特徴を掴んでいますね。流石は職人さんの息子、こつこつと物事を修める術を、よく知っている」と慰めてもいた。
 真っ赤になった鼻の頭を擦って得意になった二郎の隣で、鯉伴もはたと己の傲慢に思い当たり、反省したものだ。
 鯉伴が絵を描くのは道楽だったが、父親が簪職人の二郎の絵が下手だとなれば、手先が鈍いのではないか、職人の息子として後を継げるのかと、真剣な悩みにもなってくるだろう。
 そういった思いやりのなさをこそ、あの時、守役は鯉伴に叱ったのだ。



 こんなことをどうして四百年も経ってから思い出したのかと言うと、つい先日、鯉伴は同じ過ちをしたからである。



 名付けて、《保健体育の怪》。



 関東妖怪総元締奴良組二代目総大将が、側近の首無と毛倡妓に「キュッ」とされた事件である。

 あの時、実を言うと、鯉伴は若菜が持っていた他の教科書、中学校から初めて教科に加わるという古典、日本史、そして若菜が自信が無いという書道にも、目を通したのだ。
 古典や日本史は鯉伴にとって馴染み深いものだし、近代史だけではなく、自分が生まれるより前の事も、妖怪どもを率いるのならばおのずと耳に入る。
 守役が厳しかったせいもあって、生まれるより前に出回ったという古典だって、諳んじられる。
 友達の中には、中学校の勉強に備えて塾に通っている子もいると若菜が不安がっているので、それじゃあ教えられるところはおれが見てやるよと、鯉伴が言ったところまでは、よかった。
 若菜は鯉伴の教養に驚いた様子だったし、鯉伴は少女の尊敬の眼差しで鼻を高くした。
 そこでやめておけばよかったのに、なんだこれ、と、保健体育の教科書を手に取り、あとは先述の通り。

 自分の成長の無さに、どっぷりと自己嫌悪に陥り、鯉伴は罪の告白相手に首無を選んで、あとは知っての通り。
 首無が自ら応じた通り、彼は罪を許す妖ではなく、罪を犯す妖を滅する妖だったのである。

 首無(洗濯紐装備)と毛倡妓、装備品以外は本気の二人を相手にして、二人に対して本気になれない鯉伴ではあまりに分が悪い。
 鯉伴はどこまでも半妖なのだ。手加減をしながら二人に勝てるはずもない。
 あわれ、彼は簀巻きにされた後、枝垂れ桜の枝にぶら下げられた。
 嗚呼、この木もでかくなったなァ……と、遠ざかる意識の中で、


 ――― 蛇足って、本当に良くねェな。リクオ、お前は正しかった。


 そんな事を考えたのは、ついこの前だと言うのに、鯉伴は同じ過ちを犯そうとしていた。



+++



 大広間で繰り広げられる本家のどんちゃん騒ぎは、興が乗ればいつまでも続く。
 朝が来ようが昼が来ようが、興が冷めるまで続く。
 なにせ彼等は妖怪なのだ、人間様の都合に合わせて騒ぎをやめてやる必要もなければ、それで困る者も屋敷には居ない。宴が何日続いているかを数えているような者は、奇特中の奇特であった。数えている時間を無駄にするぐらいなら、やんやと騒いで浮世を楽しんだ方がよほど良い。

 こういう理屈で興に乗り切った宴は、盆暮れ正月をいっしょくたにしたような有様で、妖怪たちは酒に酔いながら何かしら戯れに興じたりもする。
 この日もそうだった。

 ただ飲むだけでは面白くない、妖火酒を二合、一気に飲み干した後、一尺ほどの棒切れを土と額につけて三遍まわり、屋敷から浮世絵町を一周して帰ってくるのはどうだ、と誰かが言えば、やるやる俺も僕もワシもと手があがり、人間たちにはご迷惑ながら、酒に酔った妖怪たちが浮世絵町を練り歩くことになったのだ。
 この戯れには下戸の首無は審判として参加し、カラス天狗が実況し、初代までもが縁側で手を叩いて眺めていた。

 一位は毛倡妓。
 髪を前に靡かせた彼女とは違い、どうしても後ろにしか靡くことのない鯉伴は二位だった。
 これに三位河童、四位青田坊と続き ――― 待てど暮らせど、黒田坊が帰ってこない。

 えっちらおっちらと、小さな3の口までが帰ってきても、黒田坊の姿は見えない。
 カラスを使わせてようやく居所を掴んでみれば、なんと公園の側溝のあたりで蹲って、げえげえ吐いているという。
 通りがかったサラリーマンに、大丈夫ですか、と声をかけられ、警察官にも同じように声をかけられミネラルウォーターを差し入れされ、ようやく帰ってきたという次第だ。

 江戸の頃、暗殺者《黒田坊の怪》として奴良鯉伴を苦しめたとは思えぬ有様である。

「罰ゲームをしよう」

 これを面白がり、黒田坊が人心地ついたところで、にやりと笑って言い出したのは、もちろん我等が奴良組二代目総大将、奴良鯉伴。

 むすっとしつつも、負けは負け。
 いさぎよく、黒田坊はこれを受けることにした。

「して、その罰ゲームとは、なんですかな」
「うん。三丁目に新しいレンタルビデオ屋ができたろう。お前、これからひとっ走り、行って来い」
「はあ………。そんな事でいいのなら」
「で、お前の好みで、三本チョイスしてこい。もちろん、アダルトなやつ」
「ぬあッ?!」
「なるほど!黒田坊の恥ずかしい好みをご開帳というわけですな!」
「わはははははッ、上手いこと言うじゃねーか青田坊!」
「はいはいはーい!私、それ賛成ー!適当なの借りてきたら、それこそツッコミしちゃうからね。ちゃんと選んできなさいよね、黒!」
「ほれほれ、何をぷるぷるしてるんだよ、黒。とっとと行って来い」
「私はどうして貴様と盃を交わしたのだったか。 ――― おのれ奴良鯉伴!あの時の酒を吐け!戻せ!」
「おや、潔くないですなぁ、黒田坊殿。罰げぇむとはえてして、己のプライドをへし折られるようなものですぞ」
「ぐぬぅ」

 黒いヒヨコ……ならぬ、カラス天狗のジト目にまで急かされては仕方が無い。
 黒田坊は奴良組本家の妖怪たちの期待の眼差しを背に、とぼとぼと坂を下って、そのレンタルビデオ屋に赴いた。

 深夜のことである。
 思いっきり僧形である。
 店員が、「こいつ、必死だな……」と思って当然の状況である。

 プロ意識の高い店員が、次々にレジを通してくれたので、そそくさと黒田坊は帰ってこられたのだが、罰ゲームはここからが本番だった。
 なんとそのタイトルやあらすじを、毛倡妓が抑揚たっぷり、節をつけて読み上げるのだ。

 全員が泥酔状態である。正しい判断なんてできやしない。

「○○った□□っ子を〜〜、問答〜〜無用で〜〜ぇ〜え〜♪」
「やめろおおおぉぉおぉ!!読み上げるな!そうも大声で読み上げるなああぁぁぁ!!」
「まあまあ、いいじゃねーか減るモンじゃなし」
「減るわ!!拙僧への《畏》が間違いなく!!」
「なになに、お次は〜っとぉ。あらあら、黒田坊ってなに、人妻フェチなの?三本の内二本が未亡人モノって、そういう趣味?」
「違うッ!それは棚の上で隣り合ってたから、適当に ――― 」
「適当に借りてきたら虐めるってあれほど言ったじゃなーい。あらあら、それじゃあなに、この一本だけってのは本命?○○った□□っ子が本命なの?やーらしーぃ」
「ぐ、ぬ、ぬ、ぬぅぅうぅ〜〜〜〜〜ッ!もう拙僧は知らんッ!知らんぞ!」
「拗ねるなよ、黒ォ。これから鑑賞会でもしよーぜー」
「貴様は馬鹿か!このような大人数で見るものなのかコレは!」
「一人でこっそり見る方が変態くさくないか?うわ、マジモンだなコイツ」
「ぬうぅうぅぅ、暗器黒演舞うううぅううぅぅッッ」
「うわああッ、黒田坊がキレたッッ」

 いつもぐだぐだに終わりを告げる宴が、この日はこれをもって終了となった。





 さて、ぐだぐだに宴会が終わった後、黒田坊が自分の部屋で少し体を横たえようかと布団を敷いていると、珍客があった。

「おい黒、黒よ、もう寝ちまうのかい」
「妖火酒に少し当たったらしい。少し身を横たえようかと思っていたが、何ですかな、二代目」
「なんだよそのジト目は。睨むなよ。罰ゲームに恨みっこ無しだって。さっきのビデオ、まだあるかい」
「そこに積んであるが、それがどうした」
「見てみねぇ?」
「 ―――― 」

 馬鹿を言え、と言うほど、黒田坊は浮世を捨てていない。
 いやむしろ、奴良組に加わってからこちら、総大将の影響か、浮世を嫌というほど楽しんでいる。

「やぶさかではない」

 こう応じたので、漢二人で鑑賞会やってますのお時間が始まったのである。

 二人とも、女に困らぬ身の上である。
 花街に行けば馴染みもあるし、女を置いた店では我も我もと傍に侍りたがる色男ぶり。
 特に鯉伴は、エロビデオなど今まで見たことがない。必要が無いからだ。しかし、手の届くところにあるとなれば、ふむそれはいかなるものかと、好奇心が働く。

 ビデオデッキを運び込み、黒田坊の部屋にあるテレビに設置して、わざわざ布団を二組同じ部屋に敷いたあたりで、まるで合宿気分である。

 さて、エロ合宿を始めた二人、人妻ビデオを観賞しながら、かきピーをぽりぽりやり、缶ビールを一本二本もう一本と空けつつ、ストーリー仕立てになっているそれの、筋書きの荒さに文句をつけたり、女優のここがどうだのそこがあれだのおれはこの女優は誰それに似ていると思うだの拙僧は胸の形はもうすこしそれな方がいいだの、まるで下半身に響かない会話を繰り返していた。

 もう一度言うが、女に困らぬ色男どもである。
 稚拙な遊戯が目の前にあったからとて、それが性欲に繋がらないのだった。
 女優やカメラワークや筋書きへの批評に飽いたら、今度は早送り・巻戻しによる動きの滑稽さに突っ伏して笑い、スローモーションの動きに息も絶え絶えになって笑い、この夜のこの二人、まるで男子高校生のお泊り会だった。

 さて、この調子で人妻ビデオを二本片付けた後、最後の一本は○○った□□っ子ビデオとなった。

 またもストーリー仕立てで、この女優は先の二本と違って幼さを残していた。
 こういうビデオに、お小遣いいくら貰って出てるんだろうねぇ、世も末だねぇなどと鯉伴がぼやけば、黒田坊が、何を言うか江戸の頃は十にも満たぬ頃から女衒に売られていたではないかと当たり前のように返しつつビールを呷る。
 先だっての二本のノリでこれも見始めた二人だが、劇中の女優が巫女服を着てどこぞの社風に立てられた小屋の中に閉じ込められ、得体の知れぬ生き物に捧げられる前にあれこれしてやれと、悪心を抱いた男どもがにじり寄って来る ――― というストーリーになって来たあたりで、二人、黙った。

「………なァ、黒よぉ」

 いたたまれなさに鯉伴が呟くと、

「………うむ。やめよう。これはいかん。何かを彷彿とする」

 黒田坊もこれに応じた。

「あれェ、リモコンどこやった?」
「さっきまでそこに。……うん?どこだ」

 おや、おかしいな、あれ、どこだ、とそこらを探していた二人。
 笑いながら布団の上で仰向けになって騒ぎもしたので、もしや後ろに転がったかと、振り返ったところで ――― 目が合った。

 ぱちくり。
 大きな榛色の目が、襖の向こうから画面に釘付けになっていた。

 次に、かあと少女は頬を染め、

「あ、あ、あの、覗く気は無かったの。ただ、その、最近鯉伴さん、ほら、ずっと宴会してたでしょ?終わったって聞いたから、その、ええと、今日は一緒に寝てもらえるかなって ―――― その、ご、ご、ごめんなさい、お楽しみを邪魔する気はなかったの!」

 胸に抱いた枕をぎゅうと強く抱き締め、一歩、二歩、下がる。
 きゅっと瞑った目尻には、一粒、光る涙。

「あ、わ、うあ、わ、若菜、ちがッ、こ、これは黒田坊がどうしてもおれと見たいって言うから!!!」
「貴様!!若菜さまには絶対《視え》ておるぞ、貴様の額の《嘘》の文字!!どこぞの星の王子の《肉》と同じぐらいくっきりはっきり《視え》ておるぞッッッ」
「も、もうやめるから!あー、ほら、ほら画面消えた!もー大丈夫!怖くない!若菜ちゃんどしたの、こんな夜更けにおれのこと捜しに来てくれたの?!いやー、びっくりしたぁ、若菜ちゃんが来てるとは思わなかったァ〜。だって最近勉強忙しいって来てくれてなかったじゃない?もーおれ暇で暇で、三日ぶっ続けで飲み続けちまうぐらい暇でさーぁ!ええと、なんだっけ、そうだ、一緒に寝るんだったっけ。明日は……あれ、今日って何曜日?あ、土曜日か。そんじゃあ今日は、何のお話しよっかーぁ?」
「い、いらない!!わ、わ、私、あの ――― 3の口と一緒に寝る!!オヤスミナサイ!!」
「3の口いいいぃいぃぃイイ?!?!?!」

 生まれてからこの方、絶対に負けることはなかろうと思っていた相手に負けて、鯉伴はその場に突っ伏した。





 鯉伴がまだ幼かった頃、奴良屋敷に、二郎が泊まりに来たことがあった。
 男と女の仲というものがまだよくわかっていなかった鯉伴に、いいモン見せてやるよと言って、二郎はなんと、どこからくすねてきたのか、枕絵を取り出したのだ。

 鯉伴の寝室で、手燭の明かりを頼りに、初めて見る枕絵に目を見開き、へえ、ほお、とやっていたところへ、ガラリと戸を開ける音も高らかに、やってきたのは例の守役である。

「 ――― はあ。こそこそ気配がすると思ったら、まだ寝てないんですか、二人とも。夜更かししたからって、明日の朝の手習いは加減いたしませんよ、鯉伴さま」
「お、お、おう。もう寝るよ」
「二郎くんも」
「うん、わかった」
「よろしい。ならば、今隠したものは、預かっておきましょうか」

 にっこりと微笑まれているのに、何故だか二人はぞくっと背筋に寒気を感じ、しかし折角の枕絵、つまり男女の営みを描いた春画を手放すのは惜しい。
 二人は視線で会話をして、「隠したって、何をだい?」などと、惚けたふりをした。
 これに守役ははあと一つ嘆息し、失礼いたしますと断りを入れてから、部屋にずかずか入って来たかと思うと、二人の枕の下から、枕絵を取り上げてしまったのである。

 二郎が咄嗟に寝巻きの懐に隠したものまで、ご丁寧に取り上げられてしまった。
 二人は作戦を変え、「もう眠るから返すだけ返してくれ」だの、「お父に黙って持ち出したのがばれたら怒られちまう」だのと泣きついたが、

「はいはい、往生際が悪いですよ。諦めてさっさと休まれますように。だいたい二郎くんのお父だって、子供に見つかるような場所に置いておく方が悪い。そんなに見つかりやすいもの、今なくなろうが後でなくなろうが同じです。無くなれば、また新しい隠し場所に、新しいものを入れるようになりますよ。こら、二人とも、暴れるんじゃありませんって。もう夜も遅いんです、聞き分けなさい。聞き分けなさいってば。聞き分けないと ――― いい加減、尻ひっぱたかれたいか、クソガキどもがァッ!!!」

 それで揺らぐ相手ではなかった。

 それまで、少女のように柔らかな面立ちであったのが一変。
 髪をしろがねに変じてざわりと伸ばし、それまでとは打って変わって立派な妖姿へ。
 そのまま、ぎろりと睨まれたのだから、たまったものではない。

「好奇心を満足させるにしても分相応てぇモンがある。お前等みたいなガキんちょにゃ、これはまだ早い。だいたい、そんなモン覚えるにしても、相手がいなきゃ話にならねーだろうが。それに、こんな下品な事ばっかり覚えた男に、寄って来る相手なんざいやしねぇよ!珱姫さまや苔姫さまのようになれとは言わねぇが、ちったァ慎みってぇもんを覚えやがれ鯉伴!」

 昼は童形、夜は大和男子、姿も声も変わるが心は一つ。
 鯉伴の守役の夜姿は、若き日のぬらりひょんを少し幼くしたような容姿であるのに、生真面目なところは昼でも夜でも変わらなかった。

 二人をたっぷり睨みつけ、鯉伴と二郎がお互い抱きあって震え上がりながらこくこくと頷いたのを認めてから、ようやく、

「 ――― わかったら、寝ろ」

 ぐしゃりと枕絵を握りつぶし、その手の中でぼっと青い炎にくべて灰としてから、ぴしゃり、戸を閉めたのだった。





 彼が言いたかったことを、四百年後の今、鯉伴は唐突に理解した。





「 ――― 慎みって大事だな。そうか。今、わかったよリクオ ――― 」





 ぱたぱたぱた、走り去る少女を追いかけられるはずもなく、言葉を失った鯉伴の肩を、ぽむ、と、黒田坊が慰めるように叩いた。

 後悔先に立たず。

 鯉伴は、この後しばらく、養女に迎えようかとまで考えた愛しい娘に、添寝を許されなくなった。
 年頃になってどんどんと男女を意識し始めた若菜の方こそが、以前のように鯉伴の寝床にもぐりこむのを、良くないことだと判断したのだ。
 養女にならないかという申し出を断っておきながら、若菜の中ではこれまで、どこか鯉伴に対して、父か兄へ向ける親愛のようなものの方が大きかったのが、この時に、彼もまた男性であるのだということを、強く意識したのである。

 この点、若菜は慎み深い娘であった。
 かつての守役がいたなら、間違いなく満点をつけていたであろうほどに。

 そうして、これは鯉伴が預かり知らぬことだが、彼女が育てる息子も、彼女の血脈をしっかり受け継ぎ慎み深く生真面目な者となるのである。





 とにかく、黒田坊がエロ田坊と呼ばれるようになったのは、この頃からと言うことだ。
 噂の出所はもちろん、これから奴良家に生まれ来る悪戯っ子の若様に、悪戯好きの血をも譲った、今は無垢な娘である。

 鯉伴に別段被害が及ばなかったのは ――――

「あら、子供でも、女は女よ」

 と、毛倡妓が言うので、そういうことなのである。









...名付けて《エロ田坊の怪》...
「なあリクオ、お前さ、たまに親父と行ってるんだろ?」
「行ってるって、どこへです」
「岡場所だよ。おれ知ってんだぞ、親父が出入りだとか行って、たまにお前も連れて行くとき、そこに行ってるって。なあ、どんなとこだ?」
「妙なとこだけ敏くなる。焦って知ろうとしなくったって、そのうち飽きるほど行けるようになりますよ。それよりほら、雲雀が鳴いてますよ」
「雲雀なんてどうでもいいよ。なあ、どんなとこだった?」
「ったく、風情の無いことで ――― 岡場所なんていつだって行けますけどね。あの雲雀は、今ここでしか、鳴いていないんですよ」

 あの時のおれは、お前がずうっと一緒にいてくれるもんだって、疑ってなかったんだ。
 あーあ、もっと色々、聞いておけばよかった。あの時の雲雀の声、お前の顔、ちゃんと覚えておけばよかった。
 お前が言った通り、岡場所になんてもう飽いた。なあ、お前とも、《また会える》のかな。
 ―――― 叱られそうなことが二つ三つ増えてるんだけど、そん時は、勘弁してくれな。











アトガキ
サイテーなネタですみません第二弾。意味がわからなかった方、そのままでいてくださいって二代目が(ry
守役のリクオさんを久しぶりに出してみたら楽しかったです。
あんまりサイテーなネタなんで最後しんみりさせてみましたけどサイテーなネタには変わりなかった。

何気ない日常の中でも鯉さん、時折ぽっかりと虚ろに寂しくなってればいいのにと思ったりしてえへへへへ。