深入りしちゃいかんとはな、わかっちゃいるんだ。

 わかっちゃいるんだが、見回りのついでにふとな、足が向いてる。

 で、一人で店番してるのを見ちまうと、けしからん輩が来やしないかって不安になるんだよ。

 ほら最近、こんびに強盗とかいう奴等だっているだろ。
 万引き犯だの、ガラの悪い不良どもだのだって、いるだろ。

 子供相手だと思ってお代をちょろまかそうとするやつや、にこにこしながら親切面でいらんもん売りつけようとする輩だって、買った後の商品使っちまった後で難癖つけようとする奴だっている。
 昼間とは言え、子供一人ってのは物騒だ。
 とは言え、セツ子おばさんだって一日中、店の中にいるわけにもいかねぇからなあ、まあだから、夕暮れ時の散歩ついでさ。

 ああ、あいつはしっかりしてるよ、まったく。  この奴良鯉伴さまを見つけちまう眼の前で、万引きしようなんざ無理ってもんだ、どんな常習犯相手でもレジの前を素通りして外へ出ようってところで、「お客さん、消しゴム一個80円だよ」と、こうだ。
 万引きしようと思ってたに違いないってのによ、相手が子供だと思いやがって、そいつは金はこれから払うつもりだったとかぶつぶつ言いながら、投げつけるように金を払っていくんだよ。全くひでぇ奴だった。むかついたから後ろから小突いてやったら、そいつ、誰もいないはずなのに小突かれたってびくびくしてやがったな、はははっ。
 ………後で若菜に怒られたんだけどさ。

 ガラの悪い不良どもはよ、店番が若菜のときを狙ってタバコや酒を買いに来るんだよな。
 男女だの、ブスだの、雌豚だの、最近のガキときたら躾がなってねぇよ。
 昔は不良って呼ばれたって、弱い者虐めなんざそうはしなかったってぇのに、日ノ本の国はここ五十年ばかしで、どうやら弱い者を虐める自由が認められる国になっちまったらしいや。
 おう、若菜はただ泣くような奴じゃねぇよ、セツ子おばさんからの言いつけ通り、不良どもにゃタバコも酒も売らない、不良どもの素行が悪いようなら、これも言いつけ通り、すぐに警察に通報だってする。まぁ、だいたいはその前に、隣近所の、八百屋の爺さんだの肉屋のおっさんだのが駆けつけてくれて、不良どもを叱りつけて追っ払ってくれるんだ。いつだって明るくてはきはきしてっからな、ああいう子供は貴重だって、商店街の人間ども、若菜を好いてんだよ。

 お代をちょろまかそうとしようとしたって無駄さ、手品みたいに百円玉と五百円玉を差し替えようとしたって、若菜の目をごまかせるわけがねぇし、押し売りやいちゃもんつける奴を相手にしたって、毅然と警察を呼びますねの一言だ、まったく頼りになる奴さ。

 こんな風に小気味いい奴だから、なんか目が離せない。
 ぶらり散歩のつもりが、今じゃすっかり見回りルートだよ。
 ま、おれも、あいつが十三の年になるまでは、少し過保護でもかまわねぇかなって自分に言い訳してるってわけ。
 深入りする相手じゃねぇのは、わかってるよ。
 若菜は人間だ。
 おれにとっちゃ、瞬きほどにしか寿命を持たねェ生き物だ。
 その摂理だけは、触れちゃなんねぇ、変えちゃならねぇもんだ、こっちの言い分で、勝手に絡めとっちゃならねぇもんだ。
 だがまぁ……あいつ、まだ子供だしさ。
 この妖怪屋敷のことだって、ちょいと面白い遊び場くらいに考えてるが、その内、ここがどういう場所で、おれがどういう奴かってのがわかるようになってくるだろ、そうしたら、きっと自分から距離を作るようになるさ。
 今は男の格好ばっかりしてるけど、そのうちお洒落にだって気を使うようになるだろうし、好きな相手だってできる、それまでほんの少し、見守ってやるくらいはいいかなぁって最近、思うわけよ。あいつにゃ父親も母親もいねぇし、小さい頃だけは婆さんと暮らしてたらしいが、これももう亡くなっちまったって話だし、おれも父親代わりだなんぞとおこがましいことを言う気はねぇが、ともかくだな、あいつに分別がついて、自分から離れていくまでは、このままでもいいかなって。

 ………男の格好してるのはな、ほら、あっちこっちの家を転々としてきたってのは、お前も一緒に聞いただろ。
 その都度、施設ってとこに……ちょっと前は孤児院とか言われてたけどよ、最近の言葉ってのは難しいねぇ、差別だの何だのと、そういうのがすぐ問題にされちまって消えちまう。言葉を消したって、問題が消えてなくなるわけでもねーのによ。……まあ、とにかくそこに行かされるらしいんだが、そこは学校に行くための鞄もろくに足りてねぇんだと、さ。
 若菜はああいう奴だから、ほら、ほわわんとしてるだろ。他人が欲しがるモンを先にやっちまうもんだから、気づいたら、赤い鞄も新しい鞄もとっくになくなってて、残ってたのは使い古されたあの黒ランドセル。
 今の家もなー、特別裕福ってわけじゃあなさそうだから、新しい服だの綺麗な女らしい服だの、ねだる気もおこらねぇんだろうな。

 にしたってよ、いつまでたってもジャージ上下はねぇよな。
 たまに違う服着てると思えば、変なガラのだぼだぼTシャツにやっぱりジャージの下とかさ。
 あれじゃあ着たきり雀だよ。
 いやそれが悪いとはいわねぇが、せっかくかわいい顔してんのにもったいねぇ。

 せっかくの夏だってのによぉ、浴衣の一着も持ってねぇとか、あんまりだろ。
 余計な世話だって言われて新調はできなかったからな、なぁ紀乃っぺ、お前のお古とかの丈つめて、なんとかならんかな。
 おお、今度、船遊びやるだろ。
 クラヤミ街が怖いだけの場所じゃねぇってこと、教えてやるのもいいかなと思ってよ。
 おおそうだ、せっかくだから、紅でもつけてやれ。
 髪は簪つけるにゃ短いが、花飾りのついた櫛でまとめてやったら、可愛いと思うんだ。

 だから、深入りする気はねぇよ、おれぁ、もう馴染みに先立たれるのはこりごりなんだよ。

 ついこの前までガキの顔してた奴が、すぐでかくなって、親父のように年経た顔して現れるってのがよ、ちょいと、堪えるんだ。
 お前にはわからねえか、わからねぇよな、紀乃の目ン玉はいつだって、あの、ふよふよ浮いてる顔しか見てねぇんだもん、わかるはずもねぇだろうな。いやいいのさ、お前だけじゃねぇ、こういう気分は、妖怪どもにゃわからねぇらしいのよ。
 おれは妖怪だが、人間でもある。
 元人間、じゃねえ。今だって生粋の人間のつもりなんだ。同時に、妖怪でもあるんだ。
 そういう気持ちって、妖怪になった後はわからなくなるんだろ?昔、牛鬼がそう言ってた。人間を捨て去ったときに、人間のしなやかな心は忘れて、妖の性とも言うべき何かへの固執、恨みであれ愛であれ、そういうものに満たされてしまうんだって。
 その点、もしかしたら、おれは妖怪としちゃあ、からっぽなのかもな。

 おれの心はどっか、人間のままなんだ。
 今でもな、数えちまうんだよ。
 なにをって……例えばついこの前の大戦さ、あの中で死んでいった人間、知り合った人間もたくさん居たが、生きてたら、今頃いくつだな、とかよ。
 最近のガキども見てても、もしかしたらあいつのガキのそのまたガキあたりが、これくらいの年かねぇ、とかよ。
 うつろうものを数えてるとな、不意に、今まで生きてきた四百年って月日が、こう、後ろに途方もなく積みあがっていることに気づいて、冗談じゃなく目眩がしそうにもなるんだよ。
 ガキの頃に遊んでた奴が、大人になって、またガキをこさえて、そのガキがまたガキをこさえた頃、そいつは爺になって死んで行ったが、そん時、堪えてなァ。頭ではわかってたつもりなんだ、おれは魑魅魍魎の主の二代目で、ふつうの人間ではない、半妖なんだってことをさ。けど、そいつが死んで初めて、そいつとおれが違う生き物だったってことを、思い知らされた。おれは、そんときの悲しさを一生忘れねぇって思った。そいつが死んだときの悲しさを、絶対絶対忘れねぇって思った。
 けどよ、不思議なもんだ、長く生きると、悲しみってのは癒えちまうんだ。
 ああ、いいことだな、いいことなんだろうよ。
 ところが、これが何度も繰り返されるとな。毎度、今度こそ、今度こそって悲しいことが起こるたびに思うのに、毎度、時間が経てば癒えちまうってのを、繰り返してるとな。どうしてこんなに悲しいのに癒えちまうんだろう、どうしてずうっと忘れずにはいられねぇんだろう、癒えちまうから悲しさが堪えるってのに、なのにどうして毎度毎度、癒えちまうんだろうって、思うわけだよ。癒えた後に忘れられりゃいいんだが、それもまた違ってな、癒えた後に残るのは、そいつ等と交わした何気ない言葉とか、笑い合ったこととか、そいつが好きだった花とか、風景とか、歌とか、食い物とか………そういうのがな、残るんだ。生きてきた分、ずうっとずうっと、おれの心の中に残ってるんだ。

 情けねぇだろう、奴良組二代目はとんだ腑抜けさ、いつまでも、想い出とやらを飴玉みてぇにしゃぶってるんだ。
 それじゃあなんで、完全な妖になっちまわねぇかって?
 人間から妖に、死を経ずに生きたままなれるんなら、そうだなァ、おれにもそれはできるのかもしれねぇなぁ。
 もし完全な妖怪になれりゃ、こんな風に苦しい想いもしねぇのかもしれんが、けど、それって本当に、おれなのかなぁ。

 おれはさ、また、皆に会いたいなって思うんだ。
 おう、死んでいった奴等のことさ。
 死んだかどうかもわからねぇ、行方不明って奴だって、たくさん居たさ。
 もちろん、会えるわけがねぇや。
 馬鹿だなって、おれの妖の心は、そう言ってるよ。

 けどな、会いたいなって思うんだ。
 ……わからねえか、わからねえだろうな。
 これはな、おれの人の心が、そう言ってるだけだからさ。

 で、人の心はな、そいつと良く似た面影を、別の誰かの中に見つけちまうと、つい騒ぐんだ。
 ああ、会えたと、思っちまうんだ。
 うれしくなるんだ。

 おれをこんな風なひねくれモンにした張本人と、若菜はなんだか似てる気がしてなァ。
 そいつも、人であり、妖である、両方の存在だった。
 そいつとは、いつかどこかで会えるんじゃないかって、ずうっとずうっと思ってた。
 いつ会ったかって?
 ずうっと前だよ。ははは、紀乃っぺはまだおっぱいのカケラもできてねー頃だ。
 本当に本当に、ずうっとずうっと昔のことだよ。

 若菜を一目見たときにな、そいつに似てるなって、久しぶりに思い出してうれしくなった。
 もしかしたら、捜してた女と再会して、どっかでガキでもこさえて、それが人間の血と交わっておれの目の前に現れたのかもしれない、とも思ってる。
 そういう縁がある奴だし、二度も助けてもらったんだ、もう少し見守るくらい、いいかなと思うわけよ。

 深入りするつもりは無い。
 ただ、もう少し。
 もう少し、な。










 もう、呆れちゃったわよ。
 鯉伴さまったら、まるで自覚ないんだもん。
 ちょっと首無、肩のところずらさないで、丈がずれちゃう。

 何の自覚って、そりゃあ、若菜さまへのホの字の自覚よ。

「………ホの字って。若菜さまはしっかりしてるとは言え、まだ子供……でもないか。お前は九つでしっかり女だったもんなァ」

 あたしのことはいーのよ!
 というわけで、つまりあれよ、鯉伴さまが最近気落ちしてるのは、本人は、これからしばらくしたらまた若菜さまを見送る側になるってことへの不安だと思ってるみたいだけど、つまりアレよ。アレなのよ。

「アレって」

 察しなさいよ、鈍いわね!
 ……………恋わずらいよ。

「こッ………!もがッ!」

 あんた、声が大きいの。そういうことを叫ぼうとするんじゃないわよ。

「もがッ……ふぐッ……む、ねがっ……くるしっ……ぷはーッ!……にしても、江戸の頃とは違うんだから、そういうわけにもいかないんじゃないのか?」

 恋がすぐに下半身と直結するわけじゃないでしょうが。
 今ね、二代目はまさに、小学生レベルの恋わずらいをなさってるの。
 言ってることは難しいけど、つまり、若菜ちゃんと一緒にいると楽しい、けどいつか若菜ちゃんとさよならしなくちゃならないとなると寂しい、だからあんまり仲良くしすぎないようにしようと思ってるけど、もうちょっと一緒にいてもいいかな、いいよね。
 せっかくだから、若菜ちゃんと一緒にお船の上から花火を見たいな、若菜ちゃん喜んでくれるかなぁ。
 そうだ、浴衣も用意しておこうと思うから、毛倡妓、頼むわ。
 ………そういうことよ。

「………どこのガキんちょだ、そいつは。てんで甘ったれのボンボンじゃねぇか。………いや、昔はそういうガキだったのかなぁ………いやでも流石にロリコンじゃねーのか?」

 二代目の年と比べちゃ、相手が白寿のおばあちゃんだってロリコンでしょうが。
 それにね、男なんてどんなに年上でも、ガキんちょよ。
 若菜さまの方が、精神年齢はやや上なんじゃないかしら。

 男なんて外見だけいくら年をとっても、虚勢を張る術だけが巧くなるだけ。
 てんで心映えなんて変わりゃしないんだから。
 えい。

「もがッ」

(あんたもね、あたしの可愛いひと)









...人のこころに 妖のいのち...
だってさ、仕方がねぇだろ、その寂しさを飼い慣らす術なんざ、おれぁ誰からも教わってねぇんだ










アトガキ
木公が「二代目は甘ったれに違いない」と、間違った二代目像を唱えているのはそういうわけなんですよ。
小説版で初代が、妖にとっては五百年後や千年後の自分を思い描くのはたやすいこと、とか言っていたけども、二代目はどうだろうかと。
半妖って口では言ってたとしても、その意味がわかったのは、幼馴染たちが年老いて死んでいくのを見送ったときなんじゃなかろうか。
嗚呼、自分は後を容易には追えないのだ、百年と区切られた寿命の外に、己は居るのだと、思い知らされたんじゃなかろうか。
それでもお前は人だよと、認めてくれるひとはその後、果たしてどれだけ現れたんだろう。

現れたのが男だった場合 → 無二の親友フラグ。だいたいが時代の変わり目に現れる偉人だったりする。
現れたのが女だった場合 → 運命の恋人フラグ。だいたいが影を背負った、儚い、守ってやりたい系の女。

そんなこれまでを過ごしてきたんだったら歴史浪漫な感じがすごくいいなと思うわけですよ。
……とかなんとかしんみりした話で誤魔化そうといたしましたが、若菜さんはまだ小学生ですよ二代目、我に返れ。