鬼童丸。
 酒呑童子の息子として生を受けた彼はかつて、鵺と呼ばれる前の安倍晴明の、一鬼であった。
 鬼より生まれた者を鬼と呼ぶならば、なるほど酒呑童子を父に持つ彼は、生粋の鬼であるだろう。

 しかし、彼が生れ落ちて千年以上後の世で、これこそ己の最後の主と定めた花霞童子は、口数少ない彼が語った身の上話を聞き終えると、こう言った。
 そうか、お父さんのお母さんも、人間だったんだね。
 じゃあボクたち、同じだね。
 なるほど、人間の母を持つ者を、人と妖の境界に立つ者と呼ぶならば、酒呑童子に浚われた女から生まれた彼もまた、主と同じく、半妖に類する者であったろう。

 彼は生まれ落ちてから、己が鬼であり、妖怪と呼ばれる存在であるのを、疑ったことはなかった。
 それ以外で呼ばわれたことなど、なかったのだから。
 なのにここに来て、彼が生まれたその時に、末法の世とさえ言われた乱世をも潜り抜けたその先の今この時代で、彼ははて、と首を傾げることが多くなった。
 曰く、己は人であるか、鬼であるか、いずれであるか、と。

 彼の主は彼の息子であり、彼の剣の弟子であるが、逆に彼に道を説く師でもあるので、これにはこう答えた。
 人も鬼となることがある。鬼も涙を浮かべることがある。
 獣にすら、番をいたわり、親を子を想う心がある。
 己の生まれや、今の己が何であるかではない、何を為し、何になろうとするのかが、道であるのだろう、と。
 何故なら、己がこれを為そう、こうなろうと志すそのときに、己はこれこれという生き物だからこうしよう、などとは思わぬだろうから、と。
 もっとも、彼の主は安部晴明とは違い、声が小さく遠慮がちにすぎたので、この後に、多分、と付け加えた。
 これこそが答えであるという答えを、己自身も持っていないのだと言いながら、しかし笑った顔はいとけなく、鬼童丸の口元をゆるめさせるに充分であり、また、言葉にならぬあたたかい心持を、内側に呼び起こすに充分であった。



 一切有情はことごとく、普賢の心を含せり。



 難しい言葉を借りれば、リクオが語った内容は、先人の言葉でこう言い換えられたのかもしれない。
 もう少し徳の高い、先んじて学んでいる者だったなら、もっと有難い言葉で鬼童丸に説くこともできたのかもしれないが、鬼童丸はそれを望んでいなかった。
 いわば、リクオが彼を導くのは、薄氷の上、己がまず足場を確かめながら、ここは大丈夫だからおいでよと、鬼童丸に手を伸ばして導くようなものでもあった。もし踏み誤れば、二人ともに底に沈むような、危うい均衡であったろう。
 けれども、だからこそ。
 鬼童丸はこのいとけない者を底に沈めてはならぬと自らも道を求めたのだし、結果、この父子二人連れにとって、良い方向へ転んだと言えよう。

 人というのも、面白い。
 父親というのも、悪くない。

 鬼童丸は、そう思うようになったのだから。
 リクオが母を失った後も、父として師として、己にできる限りの情でもって応じようと、誓うに至らせたのだから。

 さて、そうなってからの彼は、それ以前よりもかなり身軽になった。
 別に、あちこち遠出をするようになっただとか、そういうものではない。
 どっしりと落ち着いた物腰も、剣の冴えも、以前と同じだ。
 いや、むしろ以前よりも泰然と構え、剣は以前よりも冴え渡った。
 馬鹿馬鹿しいだの、無駄だのと、それまでさっぱり判じて省みもしなかった此の世の事柄に、俄然、興味がわいてきた、とでも言うのか、それまでやってみようとも思わなかったことに、手をつけるようになったのだ。

 例えば、屋敷の近所に、車通りが多いのに信号が無い交差点があった。
 狭い道で、車二台がすれ違うのがようやっとなのだが、これがリクオ含めて近所の子供たちの通学路。
 信号の無い例の交差点は、信号が無いのを良いことに、子供たちの列を横切るようにして、猛スピードの車がよく通る。

 あの交差点、通るときちょっとだけ緊張するんだ、と、夕飯時にリクオが困ったように言った次の日から、鬼童丸はリクオが学校へ行く朝方と、学校から帰ってくる午後に、その交差点に立つようになった。

 黒い着流し姿の、眼光鋭いロマンスグレーのおじ様が、通学路の交差点に立っているとあっては、とにかく目立つ。

 考えた末、リクオは学校からとある物を借りてきて、それを鬼童丸に握らせた。
 着流し姿でも、眼光が鋭くても、それを持ってさえいれば、どうにか格好はつくのだと。
 どんな時代にもそれ相応の規則というのはあるものだと知っていたので、鬼童丸は特に何も言い返さず、それを手にした。
 リクオが行ってしまった後も、通学の列がおさまるまでこれを行うことにしたのだが、不思議なことに、ただ立っているだけのときにはひそひそと女たちが声をおさえて己のことを噂していたらしいのが、それを持つようになっただけで、にこにこしながら挨拶をしてくるようになった。
 おはようございます、いいお天気ですね、今日もありがとうございます、などなど。
 それだけではない、学校へ行くらしき子供たちも、元気な挨拶を鬼童丸にして行くようになった。
 加えて、これは交差点の信号の役割と同じらしく、車に向かって掲げて見せると、おもしろいように止まり、子供たちが道路を渡りきるまで、止まる。

 これはそういう法具であるのか、と、鬼童丸が彼流の納得をしたそれは。
 そうそれは、三角の通学路マークを黒く印字した、黄色い旗。

 黒い着流しの、眼光鋭いロマンスグレーのおじ様が。

 千年を生きた、安倍晴明の使いまでしていた、酒呑童子の息子が。

 生き胆を一晩に数千と狩りとったこともある、まさに泣く子も黙る鬼が。

 平日は毎日毎夕、交差点に立って交通整理をする。

 その手に黄色い、旗を持って。

 京都とは不思議な街である。

 言葉を交わすとは不思議なもので、最初は彼を不審がっていた女たち、学校へ行く子供を見送る母親たちも、毎朝毎夕、雨が降ろうが風が吹こうがそこに立つ鬼童丸に、朝夕の挨拶だけではなく、立ち止まって世間話などもするようになり、そこへもう一人加わって輪になって亭主や子供の話が始まり、途中までただ聞いていた鬼童丸も、子供の話になるとリクオという息子ができた分だけ、一言、二言、いやもう一言と口をだしたくもなるので、これを繰り返しているうち、泣き黒子のある女は《ゴウくんのお母さん》、赤毛の女は《ミエちゃんのお母さん》、恰幅の良いダンゴ頭の女は《シホちゃんのお母さん》、といった具合に、呼び名がわかるぐらい親しくもなった。
 リクオくんのお父さん、と呼ばれるのも、最初はくすぐったい心持ではあったが他に名乗りようもなかったのでそのままにしておいたところ、やがて慣れた。
 女たちというのは年上の男に安堵するものらしく、ただうむと頷いているだけの鬼童丸相手でも、話を聞いてやっているだけであるのに、先日はどうも、などと、朝夕にあれこれと手作りの惣菜や漬物を手にしてやってきたりもするようになった。

 そんな日々がいくらか続いた頃、とある事件が起こった。

 黄色い旗の畏れは、車を止める効果があったはずなのだが、その車は妙に右左へ蛇行しており、鬼童丸が持っていた旗にも気づかぬ様子。
 どういうことかと訝っているうちに、車は猛スピードでこちらへ近づいて来る。
 危ないと女たちが叫び、いままさに交差点を渡ろうとしていた子供たちも足を竦めて何歩か下がるのだが、そのうちの一人が、急ぐあまりに転んだ。

 ここで、鬼童丸が出た。
 ざ、と左足を一歩下げ、右足で踏み込む。
 同時に右手を正眼に掲げ、ぎらり、威圧するように迫る銀色のメルセデスを睨んだ。
 メルセデス、迫る。鬼童丸、(旗を)腰だめに構える。
 女たちは顔を覆い、子供たちは目も口も開いて、それを見守った。

 ――― 刹那!

 人の目に映ったのは、鬼童丸がフン、ひと一声気合を放ち、続いて腰だめの黄色い旗を両手で横一文字に振りぬいた、その所作だけであったが、なんとなんと。
 メルセデスはその一撃でべこりと、フロントバンパーを大破させ、ぴたり、と、止まったのだ。
 とてつもなく巨大な壁に衝突したかのように、前をべっこりとひしゃげさせ、中はエアバックで満たしながら、そこで運転手はようやく目を覚ましたらしく、慌ててドアを開けて、転がり落ちてきた。

 何と、居眠り運転であった。

 これを警察に届けるなどしたは良いが、呼ばれた警官も、その場に居た子供たちも母親も、戸惑ったりはしゃいだり我が目を疑ったりと十人十色の反応をさせながら、つまり鬼童丸の業を目にして、一体どういう理由かと、一様に問うのだった。
 人間相手に畏れの何たるかを説いても、わかるまい。
 それにまずは、己が妖と呼ばれる者であることも、平成の世の人々は、理解すまい。
 だいたいにして、ここに来て鬼童丸は先述の通り、己は妖であるかどうかと首を傾げてもいるのだ。
 ううむ、と唸ったきり顎をなで、さてどうしたものかと旗を握ったまま腕を組んでいた鬼童丸のところへ、リクオが駆けつけたのは、その時だ。

 伏目の小さな鎮護さんと、その頃からリクオは近所でも評判であったし、花開院の流れを汲んでいるとあって、公的機関にもいくらか顔が利く。
 父さん、どうしたの、と彼が声をかけただけで、警官の警戒が少し、緩んだ。
 実はかくかくしかじかでと話す、警官や母親たちの事情を聞いて、リクオは何でもないことのように、ああ、なんだそういうことか、父さんは居合いの達人なんです、と、真顔で言った。
 自分のことを話すのが苦手な人だから、言いたくなかったんでしょう、かんにんして下さいと、ランドセルを背負った小さな陰陽師に言われて、警官も、残暑厳しい中で参っていたこともあり、その場をおさめることにしたし、その場の誰もが不思議にそれで納得した。
 認識をずらす、ぬらりひょんの《畏れ》は、何も、人間の目に対してのみ行われるものではないのだ。

 かくして、鬼童丸は、《リクオくんのお父さんは居合いの達人》と認識されるようになり、ご近所のヒーローとなった。



+++



 さて、件の交差点に、信号がつけられて鬼童丸がひとまず役目を終えると、今度は逆に、手持ち無沙汰になった。
 身軽になった彼には、ただじっと屋敷で己の剣を磨くのみという時間が、少しばかり窮屈だったのだ。

 だから、屑篭から拾い上げた、くしゃくしゃのプリントを拾い上げ、綺麗にのばしてこれを熟読した彼は、息子を少し驚かせてやろう、という悪戯心が、らしくもなく騒いだ。プリントに記載されていたその日時にむけて、茶釜狸に余所行きの着物を用意させ、当日にはこれを纏って、紳士の身だしなみとして山高帽までかぶり、昼日中に杖をもって赴いたのだ。
 どこへ?
 決まっている。プリントにあった、4年3組、リクオの学級の、父兄参観へ、だ。

 この時に、小さな文字を読もうとすると滲む文字に年を感じたため、後に老眼鏡を求めたとかいう話は後にして、ともかく、これにリクオは大変驚いた様子だったので、まず鬼童丸は一つ、そこで満足した。
 母は既に亡く、鬼童丸のことは父と慕いこそすれど、人混みの中を嫌うとも知っていたので、誰に言うこともなくこの日を迎えた様子だったから、「なあなあ、あのオジサン、リクオの父さんじゃね?イアイのタツジンなんだろ?」と、クラスメイトから小声で話しかけられ、後ろを振り返ったリクオときたら、そのまま目がぽろりと落ちてしまいそうなぐらい、真ん丸に目を見開いていた。
 授業の最中は、子供たちが手を挙げて質問に答えようとする中、遠慮がちなリクオは一度も手を挙げず、しかし誰も手を挙げないような難しい質問を当てられると、するりと答えたりもするので、そこには何だか理由もわからないまま憮然としたものの、授業が終わった後は、息子が年相応にはしゃいでいた様子で、珍しく自分から手を繋ぎたがるなど甘えも見せてきたので、ここでも鬼童丸は一つ、満足した。

 この満足はどういうものなのか、これは上手く言葉にできなかったのだが、多分己がしばらく目を背けてきた、人の側の満足なのだろうと納得し、深く考えることはやめた。

 俗に言う、親馬鹿という心持に違いなかったが、幸いと言うべきか、鬼童丸があまり深く考えなかったおかげで、リクオはその後、父兄参観に誰も来ないという寂しさから解放された。
 花開院本家の兄や祖父には決して言わなかったろうし、捨ててしまったプリントになど、寝起きをともにしていなければ気づくはずはない。感謝半分やっかみ半分で、花開院の人間たちが鬼童丸をリクオの父と認めるようになったのは、この頃からだ。それまでは、羽衣狐の陣営からひるがえった過去が手伝って、リクオが信じる分、その倍の疑いの眼差しの目を向けていたのが、危険な交差点で交通整理をしていた噂だの、父兄参観に来てくれたという話をリクオづてに聞いたりだのして、少しずつ、鬼童丸に対する態度は軟化した。

 軟化したついでに、明けて翌年、初夏のとある日。秋房が真面目な顔をして彼に問うた。運動会なる催しを知っているか、と。知らぬと答えた鬼童丸に、彼は懇切丁寧に、小学校の学童にとって年に一度の晴れの日であること、父兄参観と同じく、父親や母親がこれを見に行く、時には参加するのが恒例であることを説明してくれた。
 次に雅次も真面目な顔で、デジタルカメラとムービーカメラの利用方法をレクチャーした。彼の、この時代の法具あれこれを扱う才能は類稀であり、鬼童丸は彼のおかげで、携帯電話なるものの利用方法や、メールの送受信方法などまで知った。
 最後に竜二が、青いビニールシートを本家から担いで持ってきて、これこれこういう日に、運動会なる催しがあるのだが、此の日は学校に通う父母親戚一同が揃うため、子供の父親がいかに良い場所を勝ち取り親戚をもてなすかが、人間の世では男たちの戦として恒例化しているのだと、語った。曰く、今までリクオの分は毎年本家の人間たちが当主の命令で渋々動いていた。だが渋々なものだから、端っこの方にぽつんと敷いてある程度だし、当主も御用時でこれないときもあるし、そういう時、リクオは一人教室に戻って、自分で作った弁当を食していたに違いない。兄である自分たちも、時間が許す限り赴いていたし、今年もそうするつもりではあるのだが、皆が陰陽師として立つ身、実際その日に赴けるかは不確定なところがある。ついては、お前がリクオの父を名乗り、この催しに参加するつもりならば、この戦列に加わる栄誉を、特別にお前に与えてやっても良い、と。

 ビニールシートを受け取った鬼童丸は、文字通り、獅子奮迅の働きをした。

 マナー違反の父親が、場所取り時間が始まる前にグラウンドの入り口にはられたロープを潜ろうとするのを一喝し、いざ教師の手によってこのロープが取り払われるや、列の中ほどから高く跳躍して先頭の父親集団を飛び越え、「馬鹿な!奴め、飛んだぞ?!」「一体どんな手を使いやがった!」「知ってるぞ、あいつ居合いの達人の……《リクオくんのお父さん》だ!」などと、尊敬と羨望、好敵手を前にしたときの心地良い眼差しを背に、放送席の真正面、何を見るにしても視界が開けた特等席を勝ち取ったのだ。

 陰陽師として妖怪を前にしたときにはあれほど毅然とした態度を取るくせに、いつも押さえつけられるように暮らしているためか、命のやり取りの無い勝負となると途端に弱気で、本当は得意な走りも、学校では手加減してしまうのが、これまでのリクオだったと言う。
 兄たちが見に来ても、秋房や竜二に、本気で走っていなかっただろうと頬をつつかれても、はにかむばかりで理由を言わないのだと言う。
 そのうちに、リクオに勝ったクラスメイトが、「リクオに勝ったよ、あいつ、学年で一番早いんだ、でも勝ったよ!」と、向こう側で母親相手に息巻いて話しているのを見てしまうと、その光景にこそ嬉しそうに笑むリクオを見てしまうと、兄たちも何も言えなくなってしまうのだと言う。

 だが鬼童丸は、これをよしとは、しなかった。
 花開院の兄たちからこれを聞いた鬼童丸は、運動会前夜、紙燭の炎が己等の影を長く伸ばす座敷で、リクオと向かい合い、よく言い聞かせた。
 曰く、全力をもって、勝負に挑め、と。
 なるほど、母の居ない身では、母に勝ったと報告する喜びもなかろう。
 勝ちを相手に譲り、相手の喜びを見て己の喜びとするのも、お前ならばありえるのだろう、と。
 だがそれは、傲慢だ。
 相手は、お前が手加減せねばならぬほど、弱いのか。
 人であるとしても、いつか本当にお前より強くならぬとは限らない。
 そうなったとき、そやつに手加減してほしいか、と。

 当日、リクオは徒競走とリレーで、ぶっちぎりの一位だった。

 風のように走った彼は、二位と一秒以上の差をつけて、ゴールしたのだ。
 リレーにいたっては、最後から二番目でアンカーの彼に繋がれたにも関わらず、怒涛のごぼう抜きで一位に浮上した。

 この日は、なんと当主が忙しい合間を縫って、この様子を見た。
 リクオが一位を取ったことより、他者との競争に勝とうという姿勢を見せたことにこそ喜んで、ようやったようやったと、優しくその頭を撫でていた。加えて、重箱弁当を本家から持ってこさせ、学区が違うために見物に来たゆらや、既に中学に進んでいたために日曜は休みだった兄たちと輪になったせいか、いつになく旺盛な食欲を見せるリクオにも、安堵した様子だった。
 その中で、父さんと呼ばれて一番の笑顔を向けられるのは、やはり満足し ――― 同時に、後ろめたかった。

 まだこの時の彼は、リクオに、主に、お前を奴良家から追わせたのは己なのだよと、告げていなかったから。

 その分だけ大事にしようという心積もりが働いたのかどうか。
 鬼童丸は己の心の動きを自覚するよりも早く、その日、リクオに父として正しく接した。
 己がどんな声をあげていたのかも自覚はしていないし、どういう顔をしていたのかもわからないのだが、午後の部にあった、父親同士の障害物競走では己こそ手本とならんがために奮闘し、着流しと下駄という出で立ちにも関わらず一位を取ったりもした。父子二人での風船割り競争では、息子を肩車して激走もした。
 どういうのが父親で、どういうのが父子であるのかを考えもしていなかった鬼童丸だったが、ともかくその日一日で、花開院の誰もが認めるほどに、彼は父親であったらしい。運動会が終わり、体も心も満足して、ぐったりと疲れ、寝入ってしまったリクオを、それじゃあよろしくなと、任せてしまうほどに。

 伏目屋敷であれば他の護法もあるし、封印に何かあれば自分たちもすぐに気づくから、ひとまず鬼童丸の処遇は不問。
 これまでそうしてきた花開院の当主と、兄妹たちが、実は己を試していたのかもしれぬとは、リクオを背負って二人きり、家路についたときに、ようやっと気づいた鬼童丸であった。



+++



 リクオくんのお父さんって、リクオくんが初めてのお子さんなんですの?

 とは、何度目かの父兄参観で顔なじみになってきた母親たちから聞かれた、何気ない質問であった。
 とかく人の世とは、言葉の端々にあらゆる念が絡み合っていて息苦しいもの。
 鬼童丸が生粋の人間であったなら、この問いに隠された、「ちょっと、御年を召してらっしゃいますよね?おいくつですの?」「奥様はお亡くなりになったらしいですけど、お若かったらしいですわよね?」「リクオくんは小さな頃、奥様と一緒に東京からいらしたとか。お父様もご一緒に?」といった内容の疑問を読み取れたのだろうが、生憎、こういったところは千年間、隠遁生活をしていたようなものなので、明るくない。

 彼に残されていたのは、彼自身がいつもそうするように、正直に、朴訥に、せいぜい人だ妖怪だというところは省いて、語ることだった。

 曰く。

 なるほど、己が息子を持つのは初めてである。
 なにせこの年になってから出来た息子であるから、いとしくて仕方が無いところがある。
 ところで息子とは言っても、血が繋がっているわけではない。
 あれの母が東京で、他の男との間になした子を連れて京都にやってきて、付き合いはそれからである。
 あれの母は知ってのとおり既に亡く、また最後まであれの父を恨んでもいなければ、あれの父との縁を断っていたわけでもない。もとより、人の世に照らせば内々の縁であることだから、今の世では私生児という分け方にもなってしまうのだろう。あれの東京の家は数百年前から続く家で、難しいところもあるから、今、名乗りを上げて帰るわけにはいかない。
 己とあれの母の間にも、何があったというわけではなく、むしろあれが己を剣の師と定めたところからこそ、縁は始まる。
 とは言え、己も師であり父であるつもりだから、あれにいたらぬところがあるようであれば、しっかりと申し伝える故、遠慮なく申し出てほしい、と。

 古式ゆかしい、堂々とした口上であった。

 鬼童丸自身、訥々と語って聞かせただけの事なのだが、これを父兄参観後の懇親会で話してみれば、何故だか教師含めて聞いた人間のほとんどが泣いている。

 それまで、うちの子が学校の給食が美味しくないって言ってるんですけど弁当を持たせてやっていいですか、だとか。
 うちの子は病院にかかるほどじゃないですが体が弱いから、外の体育の授業は、子供が受けたくないって言う日は、教室で自習にしてやってくださいませんか、だとか。
 塾に通わせていて、そちらの勉強が忙しいから、授業中にテキストを広げていても邪魔しないでやってください、だとか。
 そういった内容の話に終始していた教室が、時折鼻をかんだりすすり泣く声がする他は、水を打ったように静まり返った。

 泣いていない親御さんたちは(先述のような、少しばかり的を得ない内容のあれこれを申し出ていた母親たちは)、ぽかんと口を開けて、鬼童丸を見つめるばかりだ。
 これでよし、これでしあわせ、これで満足、というのを覚えぬ者たちにとっては、少し刺激の強い話だったのかもしれない。ともあれ、鬼童丸にもそれはわからないが、そういった者たちが、途端に眉を寄せて喧々囂々と噛み付いてきたのを、悪意だとは判断できた。

 彼等の口上としては、私生児だとは、此の場ではっきりと言うようなことではない、だとか。
 それでは奥様と結婚もしていないのに、父親を名乗るのはおかしいのではないか、だとか。
 東京でお父様が生きていらっしゃるのなら、それを差し置いて自分を父と呼ばせるのは、僭越なのではないか、だとか。

 これこれこうしたことを、もっともらしく言うのだが、もちろん鬼童丸は、理解などしない。
 母親が産もうと思って産んだ子なのだ、あの子はそれをほんの少しも恥じてはいない。さらには、それの父親でいては何故いかんのだと、堂々としたものだ。
 事情があって、本当の父親がここへ来られず、子が己を父と呼んで慕うなら、それに応えんとするのは当人同士の約定のようなもの。実際の父親が現れたとて、二人以上父親が居て困る話もあるまい。血の繋がった父親だとて、何ができるものでもなければ、昨今は血の繋がりのみに甘えて、ろくに背中を見せてやれぬ父親の類も増えていると聞く。
 あれこれと口上をもって相手を間違っていると指差すのは構わぬし、己も己のこの所業を正しいなどと判じたことは無いが、だからと言って、きゃんきゃんと吼えるが正義と勘違いし、己の子に座して忍び耐えるもまた修行であることを教えられぬ小娘どもに、間男扱いされるいわれはないぞ、と。

 あくまでこれも訥々と語っただけなのだが、この意見には、教室のお母さんたち、しばらく黙りこくった後に、拍手が起こった。

 交差点のヒーロー、運動会の鬼を経て、《リクオくんのお父さん》の評判はお母さんたちの間で鰻上り。
 この懇親会で、その名声は確固たるものになった。
 姿勢正しい座り姿で、眼光鋭く相手を見つめ、己の息子を思いだすときにはこれが優しく緩むところなど、お母さんたちから見るとかなりな高得点。
 加えて、クラスの中でも、ちょっとあのお母さんはどうなのかしらね、でも表立っては言えないし、という派手なお母様たちにぴしゃりと言ってのける、年上の安心感。

 ここで鬼童丸の、《リクオくんのお父さん》としての方向性は、定まった。



+++



 さて、時計の針は進み、妖の世では魔京抗争、人の世でも未曾有の京都災害として記憶される日が過ぎ去り、京都にも平和が訪れて、今。
 花霞一家と奴良家の縁も強まり、簡単に行き来できるようになったからこそ、奴良組二代目は安堵してリクオを京都に任せていられるし、気軽に京へ赴いて、リクオに合うより先に、長年の宿敵である鬼童丸へメールをして、最近の息子の様子を聞いておくなど、根回しができるようになった。

 今この時も、枝垂れ桜の枝に身を預けながら、来週には花霞家を訪ねる予定であるからと、鬼童丸のアドレス宛にメールを送信した。



タイトル:鬼童丸父さんへ
本文:こんばんはヽ(・∀・)メ鯉さんです♪ 来週の金曜からそっち行くのは聞いてる?夕方あたりにどっかで飲んでから行くかねーと思ってるんだけど、いい店しらない?サシで飲もうよ。リっくん(はあと)の話きかせてよ。



 間もなく、返信が、あった。



タイトル:Re:鬼童丸父さんへ
本文:その日はPTAで卒業式についての集いがある。m(-_-)m スマヌ



 ―――― 。



 その返信を見て、二代目、しばらく放心。
 やがて、絶叫した。



「ぴっ、ぴっ、ぴっ、ぴーてーえーだとぉおおぉおぉぉおぉッッッ???!!!」
「どうしました二代目?あんまり大声出すとご近所迷惑ですよ」
「ちょ、まっ、聞け首無ィッ!鬼童丸がッ!ぴっ、ぴっ、ぴーてーえーがあるからって俺の盃の誘いをことわりやがっ……」
「あぁ、今、PTA会長やってるらしいですよ。リクオ様が通われている、中学校の。学校の校長先生からも、父兄からも、信頼厚いらしいですね」
「知らないし!つかなんでお前が知ってんのよッ!!教えといてよ!!!」
「リクオ様が言ってたんです。あれ、聞いてないんですか?」
「聞いてねーよ!」
「ま、言えばそうやってあんたが煩く地団駄踏むって、思われたんでしょうね」
「おれだって父兄参観とか運動会とか学習発表会とか行きたかった!うわぁくそおぉ!ぴーてーえーとか、やりたかったのにいいぃいぃ!!!ツッコミどころ多すぎてどこから突っ込んだらいいのかわかんねーよ!どこでどうなってそうなったのよ!!誰よ、あいつに顔文字教えたの!!一番気になるっつーの!!!」








...難しいことは 抜きにして...
「リクオくんのお父さん、あの災害の直後に自警団のボランティアしてたんですって。流石よねぇ」
「馬鹿な暴走族が走り回って、ちっちゃい子を乗せて走り回ろうとしてたところから、取り返したって聞いたわよ?」
「流石、かっこいーい。懐ふかーい」
「怪我してた鳩に手当てして、山に帰したんですってよ。うちの子が見たって言ってた」
「時々、猫と話してたりもするって。動物好きなのかしらねぇ?」
「やだ、かーわいーい」