とある冬、とある金曜の、夜のことでございます。
 総会や宴会が無いときは、奴良組初代と若頭を務める若君、そして二代目の奥方の三人家族は、揃って台所側の座敷で膳をともになさいます。大物たちや小物たちも、食事時くらいは寛ぎたいでしょうし、であれば上座にでんと一家の長がいつもおさまっていると息詰まりますよね。ですから席を外した方がいい時、というのがあるとは心得ておいでのお二人でしたし、家族で語らいたいときもあるので、さしてこれを侘しいとも思わぬ御三方だったのです。

 二代目の奥方、つまり若頭の御母堂は、今日の夕方、グラウンドや学校の清掃で汗を流した若君が帰宅するや、早々にお風呂を使われて、上がったときにはさっぱりした顔で、御姿をしろがねの髪と瑪瑙の瞳の妖艶な男君へ変じておられるのを見て、「あら夕飯はそちらの姿で取るのね、じゃあ燗でもつけましょう」とお考えになられましたので、今日のお二人の膳にはそれぞれ燗がついていたのでございますが、これを母君から盃に注がれて、おや、と、男君は、そこで初めて気づいて、きょろきょろ辺りを見回したのでございました。

「氷麗は?皆の方か?」

 常に己の側にいて、己に手酌をさせぬとばかり、妙な気合で必ず侍っている女ですが、時には、他の側近たちと同じ場所で食事を取りたいとも思うこともあるのだろうと、僅かに感じた寂しさを、そう納得させて訊いた男君でしたが。

「氷麗ちゃんなら、学校から帰ってきて、すぐに実家へ帰ったわよ」
「うん?なんだ、そりゃ」
「お見合いですって」

 ぶふーーーーッッ。

 男君、ぐび、と含んだ酒を全て吹いてしまいました。
 お向かいに座すお爺様が、鏡花水月でかわす暇も無いほどの、見事な吹きっぷりでございます。

「み、見合いって……ゲホッ…なんだそれ…ゲフッ……聞いてね……ゲホゲホゲホッ」
「リクオ、行儀が悪い。おじいちゃん、ごめんなさい、大丈夫ですか?はい、手ぬぐい。お着替え、すぐご用意しますから」
「いやいや、大丈夫じゃよ若菜さん。こりゃ、リクオ、なんじゃだらしの無い」
「いやだって、何だよ見合いって。聞いてねえし。オレに断りもなく何のつもりだ」
「落ち着け。見合いというのは古風な言い方じゃが、まァつまりアレじゃよ。当世風に言うなら、『合コンパーティ』っちゅー奴じゃ。男女が何十人か集まる『飲み会』じゃ。里の馴染みからどうしても…と声がかかって、断りきれなかったとな、ペコペコしながら帰っていったわい。何、日曜になりゃあ帰ってくる」
「はァ?!尚悪いだろうが。おいじじい、何が「『合コンパーティ』っちゅー奴じゃ」だよ阿呆。聞いた時点でとっととオレに教えやがれっていうかいつ聞いたどこで聞いた何でオレに知らせねえんだ」
「はァ〜ん?さっきから聞いてりゃあよ、お前、あの娘の何のつもりじゃ馬鹿孫。お前に断りがあろうが無かろうが、男の一人や二人篭絡してこその雪女じゃろうが。それが甘ったれのお前の世話をあれこれしているせいで、あんな美しい娘が、まだ一人の男も虜にできておらんのは、己に魅力が無いせいではないかと気にしておるのじゃぞ。可哀相と思わんのか。アレの母親はキツーイ女じゃからのう、いつまでたっても男を惹きつける魅力がないだの何だの、きっと言われておるのじゃろう。かなり気にしておったから、そういう集まりに行ってみてはどうじゃと背を押してやったのよ。そこへ今度の合コンの誘いじゃ。お前の耳に入れれば、また亭主面してあれこれと煩く言うに決まっておるじゃろう、だから言うなと言っておいた。あれもここで一発はっちゃければ、自信もついて、女としての箔も ――― 」

 総大将、最後までは言い切れず。
 屋敷の大物妖怪が怯む若頭のガンつけとて、総大将にとっては、せいぜい愛孫が背伸びして己にくってかかってくるぐらいのもの、常ならへらへら笑っていられるのですが、今日ばかりはそうもいきませんでした。
 だって、男君ときたら、うっすら涙目だったのですから。
 可愛いから怖くない。可愛いから、泣く子には勝てませんよ、ええ。

「勝手なことすんなクソジジイ!亭主面?!いずれあいつの亭主になろうって言ってんのに亭主面して何が悪い!!クソ、おい、カラス!!氷麗の行く先は ――― 何、富士樹海?ほほー、面白そうなところで合コンじゃねーか。朧車を呼べ、オレも行く。護衛?いらねーよふざけんなついてくんな一人で行く、ついてくんなこっちみんなこっちくんな!」

 慌しく座敷を出て行き、あれこれ用意をしているらしい孫を、総大将はただ見送られるのです。ほんのちょっぴり、罪悪感を憶えながら。

「……ちょいと、からかい過ぎたかのう」
「おじいちゃんたら、リクオで遊ぶのが本当に好きですねえ、ふふふ。熱燗、もう一本つけましょうか」
「うん、頼むよ若菜さん」

 さてさて、そうして男君が向かう先は、富士山麓、富士樹海。
 夏であろうと冬であろうと、薄暗く妙な妖気があたりを覆う、妖怪の聖地でございます。
 人が入れば迷うこの土地で、妖怪たちは各々、店を開いたり居を構えたりしているのです。

 男君は樹海の外れで車を降り、漂う妖気を辿って、網のように足元を這う木々の根っこを軽くひょいひょい飛び越えながら、まっすぐに、にぎやかそうな妖怪たちの街へと向かわれました。
 人には見えぬ、人外の者にしか行き着けぬ街を、男君の瑪瑙の瞳は、しっかりと映しておりました。

 あかやあかしと燃えるように、柱や屋根を朱で塗った街は、遥か昔、江戸は元禄の頃の花街の名残でございます。人の世が移り変わろうとも、妖の世がそれにならうにはもう少し時間がかかりますので、今も尚、このように艶やかな街として残っているのです。
 この街の姿、化猫横丁によく出入りされる男君の目にも、なるほどこれが本場かと、当初の目的を忘れそうなほどに妖しく見え、生来の好奇心が騒ぎそうにもなりましたが、いやいや、と、ここは我に返って辺りの様子を伺います。

 街は、かつて人の花街がそうであったように、背が高く立派な塀でしっかと囲われておりまして、出入りするのは立派な構えの門からしかかないません。
 気負いもなしに、すいとこれを潜った着流し姿の男君、さっそく客引きの男たちから声がかかりますが、これには一つ視線を流してやるだけで、女郎街の方ではなく、酒肴を供する茶屋町の方へ、足を進めます。
 飛び出すようにして屋敷を出てきてしまったので、目的の場所が富士山麓の妖怪街ということ以外、何も手がかりはないのですが、まあ、そこはなんとかなるだろう、と、さほど心配はしておりません。元来楽観的な御方ですし、それに、それほど大人数の男女が集まる会となれば、少なからず人目を引くでしょうから、いざとなればこの集会がある場所を、そこらの誰かに金子を握らせて探るおつもりでしたから。男君の姿に化生されると、大胆さが表立ちますが、だからと言って、若君である間に表立つ緻密な腹積もりが全て失われるわけではないのです。

 もっとも、今日のところは、この心積もりは不要になりました。
 しばらく歩くと、朱塗りの柱や壁と白い障子の風情ある街並みに、一軒の大きな旅籠があって、この旅籠の入り口あたりに、そぐわない看板が立っており、これが黒板になっていて、『★妖怪合コン★パーティ・会場こちら・男性6000円 女性1500円』とありましたから。

 男君は、往来の流れに身を任せ、ふらり、とこの旅籠に入りました。
 お代ですか?出せと言われれば、持ち合わせが無いわけではありませんから、正直に払うおつもりでしたが、求められませんでした。
 入り口のあたりは相応に込み合っていて、男君がこの中を、妖怪たちの間を縫うように、ぬらりくらりと歩んでも、皆、誰かそこにいるんだろう、くらいにしか思いませんでしたから。はい、忘れそうですが、男君もぬらりひょんという妖怪ですからね。
 お代を払ったときに渡される、番号札のようなものは、親切にも、配っている者の前にぬっと手を出すと、渡してもらえましたし。

 男君の目的は、一人の女探しなわけですから、参加する気は毛頭ありませんでしたが、なんだかちょっと面白そうだなあという気持ちは、いくつになっても変わるものではありません。

 廊下を歩んでいると、女友達とくすくす笑いながら、時折袖でぶつ真似をしながらはしゃいでいる雪女の姿も見つけましたので、男君はひとまずそこでほっとして、しばらく様子を見よう、と思われたのです。
 男漁りをするような、あさましい女ではありませんし、女友達とはしゃいでいる様子から、会うのも久しぶりだったのでしょう、ならばそうして羽根を伸ばしている女を、此の場から引きずり出すような真似はしたくありません。飲み食いで楽しむつもりなだけであればそれでよしと、思っておられます。
 また、こんな場所で、あの雪女が本気で好いてしまう男が、見つかるとも思えません。のんびりしているように見えて、審美眼や観察眼は鋭い女ですから、男がつく嘘や抱えた下心など、たちどころに見抜いてしまいます。
 男君が心配なのは、もっと別のことです。

 ともあれ、そのパーティとやらが始まるのはもう少し先のようなので、男君はその間、酒でも一杯もらって待っていようかねえと、雪女たちの脇を素通りして、会場の大広間へと歩を進めました。
 あれあれ、不思議です。
 雪女の視界に入る間際、するりと、男君の姿は霞がかかった月のように、見えなくなってしまいました。
 しまった、見失いました。そういえば男君はぬらりひょんでした。認識できなくなるとは、語り部として失格です。困りました。

 しかし話を終えるわけにも参りませんから、ここからは、雪女の方を見てまいりましょう。
 男君の守役の雪女は、今は古い馴染みと四人でおりまして、なにせこの四人とも全員が雪女でございますから、ここでは、雪女の氷麗さん、と称します。

「あれ」

 雪女の氷麗さんは、ふわりと、嗅ぎなれた白檀の香りが鼻先をかすめたような気がして、たった今自分の脇を通り過ぎたその人を確かめようと、話の途中にも関わらず振り向きました。
 しかし、思い描いたひとの姿は、そこにはありません。

「どうしたの、氷麗?」
「ううん、ごめん。今、知ってる人が横切ったような気がして」
「知ってる人〜?この辺りに氷麗の知り合いなんているの?」
「違うの。その……本家の若様が通ったような気がしたから」
「若様?まっさかー、こんな所に来るようなおひとじゃないでしょー」
「いらしたらアタシ、絶対ツバつける。目指せ玉の輿」
「ちょっとやめてよ。私がお育てした若さまに悪さしないで!」

 冗談にころころと声をたてて笑いつつ、廊下で立ち話を続ける四人は、雪女の里の馴染みでございました。もう何年も会っていなかったのですが、離れていたとて友は友、久方ぶりに届いた手紙に、氷麗さんが喜ばなかったはずはありません。
 それが、いつも彼女等が冷やかしに言っている集会のお誘いでもありましたので、少し戸惑いもしましたが、少し冷やかした後は抜け出して、四人だけで飲みなおそうとも文中にはありましたので、そうかと思い、ここへ来た次第なのです。

 実は、本家へ若様の守役を務めに言っている氷麗さんを、友人たちは少し心配しておりました。
 雪女として生まれたならば、これと決めた男に寄り添っていくか、そういった相手に恵まれなければ、一人や二人の男を虜にするかでしか、己の心を慰められないはずなのですから。そういう生き物なのですから。
 氷麗さんのお母様、奴良家に仕えた先代の雪女の雪麗姐さんとて、そうです。こちらは総大将をこれと決めていました。
 しかし、氷麗さんはと言えば、聞こえてくるのは本家の若様の守役になり、若様が長ずるにつれて側近ともなり、母のように姉のように、甲斐甲斐しく世話をしているらしいという噂ばかり。本家に仕える妖怪たちの中に、良い男がいるのかしらと考えてみたものの、そんな噂は露ほども聞こえません。
 ですから、馴染みの三人で相談して、氷麗さんに好い男はいるのか、きちんと幸福を感じているのか、これを確かめよう、ということになったのです。