奴良組の初代総大将ときたら、ぬらりひょんの名の通り、肝心の事までぬらりくらりとかわしてしまう。
 そんな初代であるから、この一件についてカラス天狗は輪をかけて口を酸っぱくしながら殊更に強く進言申し上げ、ついに、

「あー、もー、わかったわかった、好きにせい。リクオがうんと言うならそれでいいじゃろう、後はリクオと勝手に決めろい」

 と、了承の意を取り付けたときときたら、息子たちすら顔を見合わせたほどに得意満面であった。
 同じ言葉をそのまま聞けば、多くのものは、それは了承とは呼べず、辟易か諦観の類であると評するであろうが、カラス天狗にとっては些末な違い。
 ともかく、初代のお墨付きを得られたことが重要である。

 なにせ重要なことだ。
 三代目の、嫁取りについてなのだから。

 そう、三代目だ。三代目におなりだ。
 誰が。
 決まっている、若君である。

 三代目をお継ぎになられてから、もう一月は経つというのに、カラス天狗は若君を幼少のみぎりよりお世話して侍り参ったためか、三代目、という言葉を胸の中で呼び起こしただけで、つう、と、目から熱いものがいくらでもこぼれてくるのであった。
 それだけ大事な若君だから、三代目となられたあかつきには、きちんとした血筋を引いた女を許嫁として用意させていただかねばなるまい。

 なので、まずは初代にその一件を申し上げ、朝な夕なの説得のすえ、件の了承の意を承り賜ったのである。

 さて。

「総大将も既にこの一件、ご存じでいらっしゃいますぞ、若」

 仰々しい枕詞を芝居口調で申し上げ、印籠のように許嫁候補の写真や絵姿を、三代目若君の目の前に、ずずいと差し出し申し上げたところ、若君は、大変に辟易とした様子をお見せになられた。

「あのー……カラス天狗、ボクまだ、中学生だし」
「存じ上げております。ですので、今はまだ許婚としてお迎えいただければ結構。いやなに、気に入った娘がおれば今すぐに祝言を挙げてもこちらは一向に構いませぬが」
「ボクは構うよ!」
「で、ございましょう?ですので、若が人の世の方でもきちんとご成人され、その後ゆっくりと祝言の準備をされればよろしいかと存じます」
「いや、だからぁ、そういうんじゃなくてそのう……とにかく、ボクはまだそういうの、要らないから!」
「あ、若、お待ちください、若ッ!逃がしませぬぞ!三代目ともなられたのですから、嫁を娶り次代の若君をお作りになるのは急務でございます。それとも何ですか、幼馴染や御学友の中に、良い女子でもおるのでございますか。おぉ、そう言えば幼馴染の女は、夜の若にホの字らしいと、雪女が申しておりましたが……」
「つららが?!そんな事までお前に筒抜けなの?!」
「それが守役の勤めでございましょう。それはさておき、その女とは確かにそろそろ若も浅からぬ縁。もし若も憎からず想っておられるのであれば、いかがでしょうか、そろそろご自分の正体を明かされては……」
「冗談じゃないよ、カナちゃんは怖がりなんだから、ボク実は妖怪でした、なんて言ったら絶対嫌われちゃうよっ。ただでさえ最近怪しまれてるんだから、絶対余計なことするなよ、カラス天狗!」
「……夜の御姿のときは、特に己の立ち振る舞いに気をつけている素振りは無かったと聞いておりますが。それに、惚れた相手の正体が実は幼馴染であったなど、中々、ろまんてぃっくではございませんか。何もそこまでして隠し通す必要も、そろそろ無いのでは。ほれ、あの陰陽師の娘にも正体が割れたことですし、どうせ時間の問題ですぞ。
 はッ、それとも若、もしやあの陰陽師の娘の方がよろしいのでございましょうか?!ななななりませぬぞッ、それだけはなりませぬ、もしそんな事になろうものならこのカラス天狗、黄泉の二代目に顔向けが……!」
「それも違うってば。さっきから聞いてたら、先走りすぎだよ。カナちゃんもゆらちゃんも、そんなんじゃないってば。ボクがまだそういうの、考えられないだけ。だから少し、放っておいてよ」
「考える考えないの問題ではございません。昨今流行の恋愛結婚など、夢物語でございますぞ。宝くじに当たるようなものでございます。まずは嫁を娶れば、おのずと互いの間に情も生まれましょう。情など後からいくらでも育めばよいのでございます」
「はいはい、お前の言い分はわかった。わかったから。……もういいだろ、ボク、これから宿題するから。つららに、お茶持ってくるように言っておいて」
「若ぁ〜」
「それじゃあカラス天狗、ボクはつららと結婚する。これでいい?」
「またまた、ご冗談を。お小さい頃の戯れではないのですから、三代目ともあろう御方がそのように身を固めずに冗談ばかり仰せでは困りますぞ。冗談とは言え、わきまえなされませ。守女をそのまま側近頭にしただけでは飽き足らず嫁にすると吹いておるなど、ただでさえ内憂外患の多い今の時期、幹部どもも呆れてしまいますぞ。足固めをし、離散しかけた一家をとりまとめるためには、力の強い家と縁組をするのが一番手っ取り早い方法なのです」
「はいはいはいはい、じゃ、その話はまた今度ね」
「今度では困ります。まずは会うだけでも!」

 いつもは、部屋の襖を閉じればそれ以上は追って来ないカラス天狗だが、この時ばかりは違った。
 目を血走らせ、鼻息を荒くしてあさましくも襖をがっちりと両手で押さえ、逃がすものかと若君を見上げたのである。
 若君はいよいよ嘆息された。
 ずり下がった眼鏡を指で押し上げ、力なく縦に頷かれる。

「あー、もー、わかったわかった、好きにしてよ」

 打ち合わせられていたかと思われるほど、お爺様のそれと一言一句変わらぬ受け答えであったが、カラス天狗はもちろんこれも承諾であると受け取り、目を輝かせて文字通り飛び去ったのである。

 やがて、言いつけられた雪女が、いつものように盆で緑茶をお持ちしたところ、この騒ぎを若君はすっかりお忘れになった様子で、机に向かっておられた。
 カラス天狗が若君の了承を得て、すぐに縁談の取りまとめに飛び去ったとは賄い処にも届いていたので、雪女はいよいよ来るべきときが来たとは知りつつも、何だか胸の内が騒いで仕方が無い。ただでさえそそっかしいと笑われることの多い彼女が、そのように心を乱れさせていたのだから、机の上でお茶を倒してしまったとしても当然のことであった。

「ああいけない、どうしましょう、申し訳ありません、リクオ様ッ」
「ううん、大丈夫。何か急いでいたのかい、忙しいのに、いつも悪いね」

 机に零れた茶を拭こうとすると、雪女の手は、暑さに弱い彼女を気遣われた若君の手に、やんわりと包み込まれ、若君は咎めるどころか情け深く微笑まれながら、手ぬぐいを優しく奪ってしまわれた。
 すかさず下がって平伏するところであったろうに、身を硬くしたままであったのは、心の臓がどきりと跳ねたためだ。
 小さくいとけないとばかり思っていた若君の手は、いつの間にやら雪女の手を包む少年らしい手におなりで、少女のように優しいばかりであったおもてには、どことなく二代目に似た凛とした風情が漂い始めた。この年頃の子供は成長が早い、それに驚いたのだと己に言い聞かせるも、守役ではなくただの女として駄々を捏ねたがる部分が、雪女の胸を貫く氷の棘となって、しくり、しくりと痛ませる。

 ところが、若君ときたら、雪女の深刻な悩みなど吹き飛ばすようなことを、平気で仰せになられるのである。

「ねぇ、つらら、今度の週末、あけておいてよ」

 にっこり。

「週末、ですか?」
「うん、護衛を頼みたい。ちょっと遠出をするつもりなんだ」
「は、はぁ、かしこまりました。私はかまいませんが、どちらへ行かれるので?遠出とあらば、事前に言付けておきませんと」
「いいや、それはならない。隠密の用事があるんでね、これは誰に知られてもいけない道行きなんだ。秘密を守れないのなら、同行は許せないな」
「となれば、もしや、他には誰もお連れにならないおつもりですか?!それはなりません、若!三代目になられたばかりの御身にもしものことがあったら、どうなさるおつもりです!」
「だから、つららに言ったじゃないか。ボクが一番に信頼できるのはお前だから話したんだ、けど、お前が誰かにぺらぺら喋ってしまうようじゃ、ボクも考えないといけないなぁ」

 ちろり、と、横目に視線を流される御様子は、昼の御姿であるのにまるで夜の艶めいた男姿を思わせる所作で、雪女、思わずどきりとした。

 この週末、若君の学校のお休みの日がさっそく縁談の日となろうことは目に見えているのに、まるで気がつかれぬ御様子で、いいや、若君のことであるから気がつかぬなどあるはずがない、とぼけた様子で全て己で仕組んでおられるのに違いないのだ。
 一体どこへ。何をしに。
 ともかく、若君が素直に縁談に臨もうとする御様子は全く無いので、こうなれば、雪女が宥めても叱っても聞き入れる御方ではないだろう。これと決めてしまわれたなら、誰が何と言おうと貫き通してしまう御方である。我侭は言わぬ御方だけれども、我が道は己で決められる御方だと、幼き日から御側にあるを許された雪女だから、諦めも早い。

「……承知いたしました。誰にも言いません。ですから、決してつららを置いて行ったりはなさらないでくださいね。約束ですよ」
「そうそう、約束だよ、つらら。誰にも言っちゃだめ。カナちゃんの事をカラス天狗に告げ口したみたいな事を、今度は絶対しちゃだめだ。お前の嫉妬は可愛いくて悪い気はしねぇが、過ぎればちょいと、ならねぇなあ」
「そそそそれは側近としての報告の義務を果たしたまでで!他意は、決して!」
「なんだ、嫉妬してくれたんじゃないの」
「そそそそのような畏れ多いことは、決して!もう、からかわないでくださいでございますです!あ、ええと、お茶!そうです、お茶!お持ちしますから、宿題はちゃあんと若をなさっていらしてくださいね!はい、それでは、これにて失礼をば!」
「主語と目的語が逆だよつらら」

 主の手から手ぬぐいを奪い取り、何故か湯呑にぎゅうぎゅうと押し込んで、それに盆で蓋をするほど慌てふためきながら、雪女は一度襖に激突してからその存在に気づいてこれを開け、閉めるのを忘れて小走りに去って行った。
 その様子を呆れて見ていらした若君だが、やがてくすくすと笑って、また手元の教科書や帳面に視線を落とす。
 あの調子だ、言葉にしなくとも行動で、何かを隠しているらしいことは周囲に筒抜けになるような娘である。
 隠し事など元より向かないことは、若君、百も承知であった。
 彼女の様子を見て、賄い所の毛倡妓あたりが怪しみ、首無に相談し、首無が木魚達磨や初代の耳に入れ、やがて雪女の様子がおかしいことはカラス天狗の耳にも入って、己等二人だけが連れ立ってどこかへ行くとなれば、後をつけてくる者どもが数名あることだろう。大いに結構なことだと思われ、企みが上手くいきそうであることに大変満足された若君は、このところ、夜の妖生活ばかりが主体で勉学がおろそかであったので、ここからの時間は勉学に集中されることにした。
 夜姿が奴良家三代目を襲名し、魑魅魍魎の主と呼ばれるようになり、《畏》をもって妖どもを統べようというからには、昼姿でも同様に立派な人間となって人どもを統べるほどにならねば、一人の己として釣り合わぬというものではないかと、お考えなのであった。





 縁談の日取りは翌朝にはすでにきまっており、カラス天狗が自ら若君の御側で、「今度の土曜日は、若、黄昏時から例の縁談でございますぞ。最近姿を見せてはおりませぬが、青鷺一派の御息女で、三代目にはかねてよりお会いしたかったと可愛らしいことを申しております。健気ではございませぬか。さて若、青鷺一派について少しお話いたしますると、遡ること百年と少し前、今は亡き二代目が云々」と、はりきって講釈申し上げた。
 朝餉をお召し上がりになっている間も、お着替えの間も、学び舎からお戻りになった後に湯を使われている間も久方ぶりにお背中を流しながら、これこれこういういわれの妖でありとお話いたし、朝はともかく学び舎から戻ってこられた後は、若君の方からそれは大幹部の誰と仲が良いのか、あるいは誰の息がかかっているのかといった的を得た問いがあったものだから、カラス天狗としてはそれなりに手応えを感じていた。

 もちろん、三代目の側近頭をつとめる雪女の様子が何やらおかしい、隠し事をさせられているのではないかとは、耳に入っていた。
 入ってはいたが、カラス天狗とて初代の側近を勤めていた大妖の一である。
 他の妖ならばいざ知らず、己等の翼から逃げられる者はないと自負していたし、若君がどこへ姿を消されたとしても、己や息子たちのいずれかが必ず見つけ出し、縁談の時刻までには連れ戻せると踏んでいた。
 侮っていたわけではないのだが、結果的にそうなった。

 何故なら、縁談の前日、金曜の夜のことだ、若君と雪女の姿が無いので、やはりどこかへ連れ立って雲隠れされたなと思い、これで誰も行方を知らぬとなればそれこそ遊歩の類である、力づくで連れ戻す理由もできるであろうと得意になり、おそらく行方を知らぬだろうと思いつつ、知らぬの答えを逆に期待して、若君の御母堂の元へと赴き、

「若菜さま、若の御姿が見えませぬ。明日には縁談を控えられた大事な御身でありますので、お迎えに参じたいと思いまするが、何処へ赴かれたのか、ご存知ではありませんか」

 と、しらじらしく申し上げたところ、

「ええ、知ってますわ」

 例のごとく、にこやかに太陽のごとく笑って、御母堂はそうお答えになった。
 賄い所の脇の部屋で、家族水入らずの食事時であるから、御側には初代の御姿もあった。
 二代目を介して父娘となった、血の繋がらぬ家族であるが、この二人、不思議とうまが合うというか、二人を繋げる橋であるはずの若君が居ない間も、とりとめのない話などしながら、こうして膳をともにしておられる。

「そうですか、やはり御存知である。……なんですと?!御存知でいらっしゃる?!」
「はい。ちゃんと挨拶に来ましたから」

 にっこり。

「あ、挨拶とは、いかなる?!」
「好いた女との結婚も許されず、見ず知らずのひとと縁談などさせられそうだから、駆け落ちするんですって」
「な、な、な、なんですとおおぉおおぉッ?!な、何故我等に言ってくださらんのです!!」
「あらぁ、だって、あの子が決めたことなら口出しできませんもの。ねぇ、おじいちゃん」
「うむ、そうじゃのう。既に元服も済ませておることじゃしのう。にしても駆け落ちとは、リクオもやるもんじゃのう!」
「ええ、あの子はやりますわ」

 二人、顔を見合わせ、にっこり。
 似た者父娘である。

「ま、まさか!お二方、気は確かでございますか、若はまだ十三でございますぞ!駆け落ちなどして、一体どこでどう食っていけるというのです!」
「あらぁ、妖怪さんたちの間では、十三で成人なのでしょう?他の街の異界などで、いくらでも働き口があるのではないんですか?」
「それはそうですが、しかしぃ、奴良家の三代目ともあろう御方がまさかそのような」
「面白そうじゃありませんか。どこかの飲み屋でバイトしてみたりとか」
「カーッカッカッカッ、ホストでも始めたら、案外イイ線いきそうじゃのう」
「いやですわおじいちゃんたら、そんな職業しちゃったら、嫉妬でお嫁さんにさっそく氷付けにされてしまいます。せいぜいモダンバーのバーテンダーが関の山じゃないでしょうかねぇ。それならあの子、聞き上手ですからそこそこできると思いますわ」
「あやつの事じゃから、そのうちどこぞで新しい一家でも作り上げそうじゃのう。新しい屋敷にも枝垂れ桜植えたりしてのう」
「うふふふふっ、立派な大将になったら遊びに行きましょうね。おじいちゃん、お酒、もう一本燗にしましょうか?」
「うん、頼むよ若菜さん。いやしかしそうなったら、若菜さん、そんなに若いのにおばあちゃんじゃぞ」
「まぁ、それじゃあ還暦の頃には玄孫の顔が見れるでしょうかねぇ。楽しみですこと」
「曾孫かー。男の子もいいが、女の子も捨て難いのう」
「そ、総大将!若菜さま!一大事ですぞ!おおお、こうしてはおれん、お探し申し上げなくては!ええい、黒羽丸!トサカ丸!ささ美!おるか!」

 ばっさばっさと羽音大きく、羽を散らかしながらカラス天狗が行ってしまうと、カッカッカと陽気に笑っておられた初代総大将は、やれやれと肩をすくめられた。
 駆け落ちした、探さなければ。
 考えとして当然の帰結だが、ぬらりひょんの一家に四百年仕えているのなら、もう一つ、尋ねることがあっただろう。駆け落ちだと聞いて、行方を誰も知らぬと思い込むのは道理だが、道理に縛られぬのが妖怪だろうに。
 数百年生きた己の側近よりも余程、目の前でにこにこと笑っている、人間の義娘の方が一枚上手であると思えば、溜息も出ようというもの。

「まったく、あやつと来たら過保護に過ぎるわい。若菜さんを見習って、どっしり構えておったらいいものをよ。そんで、若菜さん、あやつはどこへ行ったんじゃ」
「まず、一ツ目さんのところに行くと言っておりましたよ。縁談相手の娘さんのお父さんは、一ツ目さんと仲が良いそうで、とりなしてもらいに行くんですって。ついでに腹を割って話してくると申しておりましたわ」
「やっぱり、行く先、知っておったか」
「ええ、カラス天狗さんにもそう言ったのに、聞く前に飛び出して行っちゃいましたけど、お報せした方がよろしいでしょうかねぇ?」
「くっくっくっく、ほっとけほっとけ。訊いておいて最後まで話を聞かんかったあやつが悪いんじゃ。カラスの勝手でしょ、というやつじゃ」