百鬼夜行の終焉を、聞いてくれてありがとう。
 辛かったろう、苦しかったろう。うん、私もつらかった。

 だから、聞いてくれた御礼に、良いことを教えてやろう。

 春に咲く私だから知っている。季節は巡りくることを。
 冬枯れの後にこそ、花咲く春が、来ることを。











 私は待つことは得意なのさ。春以外、することもないからね。
 人が再び、此の世に満ち満ちて街をつくり、妖怪たちもまた、浮世を陽気に楽しむようになった最近、偶然なのか必然なのか、以前と良く似た街に、良く似た人々が、良く似た家をこさえて住むようになって、互いを良く似た名前で呼び合っているんだよ。
 いやいや、偶然であるはずがないね。
 季節は巡りくるんだから、嬉しい季節が巡ってきたんだよ。










「行ってきまーす!」
「あらリクオ、早いのね。お弁当、まだ作ってないわ。もう少し待てない?」
「購買でパン買うよ。朝練なんだ!」

 桜の枝の下、古い書院造の玄関を、慌しく駆けて出て行く一人の少年。
 これを見送る母に手を振って、最近、中学に上がったこの家の跡取り息子は、スニーカーを履くのももどかしそうに、足を突っ込んであとは歩きながら踵をとんとんとさせつつ、家を出る。

 門を潜り抜けたとき、少年、こちらへ歩いてやってくる着流しの男の姿に、あれと声をあげる。
 長い黒髪を風になびかせ、カランコロンと下駄を鳴らしてこちらへ歩いてくるのは。

「よォリクオ。学校かー?おつとめご苦労さん。……あ、今日ジャンプSQ発売日だよな?買ってきたら父さんにも見せろよ」
「父さん、おかえり。生きてたんだ。ぅわ、酒くせ。何時まで飲んでたの」
「生きてたのってお前……酷いねぇ〜、一週間留守にしてただけじゃん」
「四国妖怪がどうのって言って、一人で飛び出してったきりだからさ、ついに闇討ちにあったかと思って。いいんだよ、きっちりボクが三代目継ぐから」
「ばっかお前、おめーみてーな洟垂れに組をまかせられっかって。お前はまだガキなんだから、朝から晩まで玉コロ蹴って追いかけてりゃいいんだよ。いやぁ、今の今まで、あちらさんが離してくれなくってな……四国との話し合いも滞りなく済みそうだし、そこを接待に誘われたら、断るわけにはいかんのよ。すまんな、心配かけちまって」
「わかってるけどさ。あんまり、無理しないでよ。今日は、ゆっくりできるの?」
「おう、今日は家にいるよ」
「母さん、玄関にいるよ。顔見せてあげて」
「はいよ。いってらっしゃい」

 屋敷の主、奴良鯉伴、息子の琥珀色の髪をわしわしと撫でてやり、これに息子が嫌がる様子を見せるとそれもまた可愛くて、両手で髪をもみくちゃにして送り出す。
 ちょっと、やめてよ、と振り払い、父の腕からようやく逃れて、部活の道具が入った一式を肩にかけ、

「行ってきまーす!」

 坂道を駆け降りていった。
 いつもの場所で待っているのは、小学校の頃からの幼馴染。

「カナちゃん、おはよう!」
「リクオくん、おそい!」
「ごめんごめん、そこで父さんに捕まっちゃって」
「お父さん、帰ってきたの?四国妖怪さんたちは?」
「話し合いで解決しそうなんだって」
「そっかぁ、よかったね」
「うん」

 おや、不思議や不思議、この二人。妖怪の話を普通にしてる。
 どう見ても幼馴染は人間なのに、「そんなものいない」なんて言わないんだ。
 いや、おかしいのは、この幼馴染だけではない。

 以前とよく似てるんだけど、街もどこか違う。
 ほら、あそこで、遅刻しそうになったサラリーマンが手を上げて捕まえたのは、空を飛ぶ朧車だ。交通規制の笛を吹いてるのは、若いカラス天狗だし、横断歩道を、真新しいランドセルを背負って渡っていく子供たちの中には、猫の耳や尻尾が生えたのがいる。
 バスの形もなんだか妙だ、猫の顔が一番先頭についていて、タイヤじゃなくて猫の足が動く。これに、小さな子供等が、人も妖怪も、何にも不思議に思わず乗っていく。

 うん、つまり、ここにはそういう季節が巡ってきたんだ。

 父にくしゃくしゃにされた髪を撫でつけながら、やっぱり目をぱちぱちさせる妙な電車に乗り、学校の近くでこれを降りて通学途中、幼馴染と他愛も無い話をしていると。
 がばりと若君の後ろから、抱き着いてくる者がある。

「 ――― おい、奴良〜ッ」
「わ、わぁっ、びっくりした、何だよシマジロー」
「宿題、宿題見せて!やってきてんだろ?!」
「やってこなくても答えられるけどねー」
「うわ、むかつく……」
「だが報酬によっては見せてやらんでもないのう」
「え、ええええ……いや、今月マジでもう無理。小遣い全部つかっちゃってさ。パン一個買えねーよ」
「しょうがないな。一個貸しだよ。教科、何」
「三時限目の古典。つれづれなるままにぐさーとかさ、マジ意味わかんないって。訳するぐらいなら最初っから現代語にしときゃよくね?!」
「君こそ何を意味のわかんないこと言ってるの。何も難しいことないよ、あんなの昔のおじいちゃんの愚痴と知ったかぶりが綴られてるだけなんだから。ノート、鞄の奥の方だから、部室で渡してもいい?ボクのクラス、五時限で使うから昼休みに返してよね」
「いや、お前、マジで良い奴!良い人でも良い子でもないけど!」
「はいはい、わかったから首絞めないでよ。それじゃあカナちゃん、またね!」
「うん、後でね」

 同じサッカー部に入った二人、幼稚園の頃からの腐れ縁もあったんだが、中学に入ると途端に縁を強めた。急いで部活に行くからと、カナを置いて二人、走って行ってしまう。じゃれあいながら行くのはまるであれだね、仔犬。
 幼馴染の女として、男同士の友情ってところにはどうにも入りにくいね。朝練の時間に合わせて学校に来るために、同じ運動系の部活に入ったはいいが、なんだか取られたような気がして面白くない。
 でもしょうがない。男同士の友情なんてそんなもんだ。女の入る余地なんぞないんだよね。

 カナもそれをわかっているから、黙って二人を見送ることにした。
 だって二人、本当に仲良くなっちゃったからさ、水を差すのも悪いじゃないか。

 それにしても、この世界の中で、屋敷の若君は以前より何だか生き生きしている。
 そりゃそうだ、こういう世の中なら、若君は何も隠さず生きていけるんだから。

 なのにどうしてか、H・Rが始まって、机の前にはりついていなくちゃならなくなると、だいたいいつも若君は、ぼんやり窓の外を、つまらなさそうに眺めているんだ。いつもの笑みもなく、どことなく大人びた横顔は、黄昏刻を過ぎれば若君が化生する妖の男姿を彷彿とさせる。けど、こういうときの若君は、ひっそりと気配を殺しているから、誰の目にも留まらない。
 先生の前ではしっかり者の奴良くんで通っているけど、黙って教室を出ても誰も気づかないだけで、さぼりたいときはさぼっているんだよね。ほら、ぬらりひょんだから。

 何か落ち込んでいるのかって?
 いやいや、心配はいらないよ。
 誰だってこのくらいの年になるとね、楽しかったり憂いたり惑ったり喜んだり、浮き沈みが激しくなるものなんだ。
 今日も何だか気が乗らず、午前中の二時限までは家庭科の実習という時間割だったので、これからふらりと屋上にでも行って、昼寝でもしてようかなあと思っていた若君だったが。

「転校生を紹介します。及川さん、入って」

 H・Rで先生がこう言ったので、これはなしだなあ、と。
 だって、先生ときたら「学級委員長の奴良くん」を、頼りにしすぎているからさ、転校生なんて来たら、ちょうど隣の席も開いているし、そこに座らせるに決まってる。

 にしても入学早々、気の早いことだと皆が騒ぐ中 ――― クラスの中には、普通に妖怪も混じってる ――― 教壇に立ったのは。

「及川氷麗です。雪女なので、このマフラーは冷気を逃がさないためにしています。最初は、実家から近い、もう少し南の方の学校に入学したんですけど、夏が近づくに連れてつらくなっちゃって、こっちに転校してきました。変なときに転校してきましたが、皆さん、よろしくお願いします。あ、ちなみに、好きな科目は家庭科です!」

 つまらなさそうに視線をついと流した若君も、その娘を一目見て、一瞬で好きな科目が家庭科になった。

 なんて綺麗な生き物なんだろう。陶磁器のような白い肌、絹糸のような艶やかで長い黒髪、満月のように皓々と輝く黄金の瞳。
 いやしかし、まずい、何だかこれはまずい、若君は自分で何がまずいのかわからないまま、さらにひっそりと気配を消すことにしたよ。
 クラスの男子どもが、「ボクの隣あいてます!」「そこは欠席なだけだろうがぁ!」「お前席あけろ!」などとやっている中、小柄な体を、前の奴の背に隠すようにして、ひっそり。ひっそり。次の時間の教科書を立てて、これに顔を隠すんだ。

 なんだかおかしい、いつもの笑顔が作れない。おかしい、おかしい。
 頬に熱が上がって仕方ない。側に行きたい気持ちなのに、そんな己を気取られたくなくて、逆に若君の眉間にはどんどん皺が寄り、不機嫌そうになる。

 一目で惚れちまった。まあ、そういうことだ。

 でもさ、若君、まだお若いから、そういう自分を認められないんだよね。
 余裕の無い自分を認められなくて、ただ俯いてしまって、できれば先生が自分のことを忘れたまま、あの娘をどこか違う場所へ座らせてほしいと願うばかりだったんだ。

 そうだねえ、先生はすっかり未熟ながらもぬらりひょんの術に騙されて、奴良の若君のことなんて忘れていたけれど。

「先生、あそこがあいてるみたいです。私、あそこに座っていいですか?」

 当の本人が、若君の隣の席を指差したんだ。

 クラスの男子どもが落胆に泣き叫ぶ中、雪女を自称する、及川氷麗はトコトコやってきて。
 びっくりするあまりに気配を動かしてしまった隣の若君と目が合うや、にっこり笑い、「よろしくね」と。

 もう一度言うよ。

 うん、つまり、ここにはそういう季節が巡ってきたんだ。










 百鬼夜行の終焉を、お主はもう、知っているね。

 今度私が語るとしたら、どうやらそれは、冬枯れの後に来る季節の話になるようだ。



<心中-彼岸/了>










...天 涯 彼 岸 物 語...
「ねえ家長さん、私、奴良くんに嫌われてるのかなあ……」
「どうしたの及川さん、まさか、いじめられたとか?」
「ううん、違うの、親切なんだけど、目をあわせてくれないし、ろくに喋ってくれないし、ちょっと触ったら、何メートルか後ずさって」
「…………ほほう」
 さあお嬢さん方、春ですよ。恋の事始をいたしましょう。そして私に聞かせておくれ。大丈夫、私は口がかたいほうだから。
 花の下で、思う存分、語っておくれ。 ――― おかえり。