「組で船遊びやるんだけどよ、今度の週末、他に予定がないなら泊まりに来いよ」

 言われたときに、若菜は素直に喜んだ。
 夏の風物詩と言えば、海、キャンプ、花火。
 打ち上げ花火を、川に浮かべた船から眺めるなんて、最高だ。

 一度、あのお船に乗ってみたいなぁと思っていたので、一も二もなく頷き、約束の日を指折り数え、木曜は、ついにこの週末だと思うとわくわくして、夜はよく眠れなかった。
 金曜の朝に眠い目を擦っていると、セツ子おばさんに「楽しみで眠れなかったんだろう」とほっぺを突っつかれて、笑われてしまったほど。

 学校から帰ってランドセルを置き、その日の店番を早めに終えて、いつものお泊まりの用意をした鞄だけを肩にかけて、奴良屋敷へ走る。
 奴良家の妖怪たちとはもうすっかり友達だったから、お船では納豆小僧さんたちと、またどんな遊びをしようかとか、一ツ目入道さんたちが来るなら、挨拶がてらお酌をして早々に酔わせてしまえば機嫌もよくなるかなとか、花火を見るときは、子供の特権で、こっそり鯉伴さんの隣にいても許されるかなとか、様々考えながら、いつも通りの格好で、いつも通り門をくぐった。

 なので、少し、困った。
 屋敷はいつもより賑わっていて、普段は陽がすっかり落ちて真っ暗闇にならないと出てこない、人魂や鬼火なども細々した用事を言いつけられ、あっちだこっちだと行き来しているのだ。
 その中を、毛倡妓に手招かれ、部屋に通されて目の前に出されたお着替えは、赤い金魚が泳ぐ紺地の浴衣。可愛らしい桜色の帯と、そろいの巾着や下駄まで用意されていたのだから。

「浴衣、いらないって言ったのに………」
「そう嫌わないで下さいな。全部、私のお古なの。新調なんてしてないんだから。ね?」
「ん、でも………」
「せっかくの花火なのよ。二代目の隣で見るんなら、ちょっとくらいおめかしして、可愛いって言ってもらえた方がいいじゃないですか」
「う、ん………」

 若菜だって、女の子だ。
 普段から男勝りだと言われてはいるけれど、それだってきっぱりとした口調で正しいことは正しい、間違ったことは間違っていると言うだけで、不必要に男言葉を使ったり、男の子のような態度をとっているわけではない。
 綺麗な着物、女の子らしい格好に、憧れないはずもない。

 けれど、他のものなら、お古だから使ってと言われると素直に受け取り使ったろうが、いかにも少女に見えそうな浴衣を前にして、若菜は戸惑った。
 これを着たら、きっと自分は女の子に見えるだろうなと思うと、はっきりと、怖じ気づいた。

「あのね、おばあちゃんが、十三の年が無事過ぎるまで、あんまり女の子の格好しない方がいいって」
「まあ、お婆さまが?……十三と言うと、成人の年ねぇ」

 本当は、そんな柔らかい言い方ではなかった。
 若菜を正座させ、互いに向かい合って座りながら、しっかり言い渡されたのだ。


 いいかい若菜、せめて十四になるまで、なるべく目立たないように過ごすんだよ。
 女の子の格好は、ひかえなさい。
 お化粧も、いけない。
 持ち物は、できるだけ色味のないものを選ぶように。
 そうだねぇ、ハンカチくらいは、いつもポケットの中だろうから、いいかもしれないけど。
 でも、できるだけ、できるだけ。
 《見つからないように》、するんだよ………。


「何かのおまじないかもしれないわねぇ。信心深いひとは、妖や神仏に可愛い子をとられないようにするために、色々と試すものだから。若菜さまの場合は苦労の甲斐なく、魑魅魍魎の主の大親友におなりあそばしてしまったけれど。ご愁傷様でしたわねぇ、あんな悪戯小僧に目を付けられて」

 毛倡妓がおどけたように言うし、こっそり二代目に恋慕を抱いている若菜なので、彼の前では可愛い格好をしてみたいとも思うし、さらにその二代目は確かに魑魅魍魎の主であるので、側にいるならば、どんな悪鬼も何するものだろうかと思われた。
 今日だけなら。今日だけは、特別だから。

「………うん。そうだよね。今日だけなら、いいかなぁ」
「そうですよ。今日だけ、ちょっぴりおめかししましょう。ね?」
「う、うん」
「そうと決まったら、さ、着付けの前に、さっとお風呂使いましょうか」
「でも私、お手伝いが」
「いいのいいの。今日くらい、しっかりお客様をなさってくださいな」

 背を押されるままに湯を使い汗を流し、丁寧に梳いた髪は前髪を横にわけ、赤い椿のちりめん細工がついたピンでとめ、先ほどの浴衣を着て、軽く白粉をはたきさっと唇に紅をさすと、毛倡妓はうんと満足げな笑みを浮かべ、若菜の肩を抱いて、ともに姿見をのぞき込む。

「やっぱり、思った通り美人さんだこと」

 そこには、栗色の髪に花をつけ、大きな目をした少女が一人、毛倡妓に肩を支えられていた。
 悪いものと目を合わせないための銀縁眼鏡も、今は取ってしまったので、もうどう見ても男の子には見えない。
 毛倡妓にも美人さんと言われたし、先に様子を見に来た小物妖怪たちも、うへえこりゃあ一大事だとふざけて逃げ出してしまったので、若菜は少し、自信を持った。

 鯉伴さんにも喜んでもらえるかな、もしかしたら化猫屋さんの猫娘さんたちにいつも言ってるみたいに、可愛いお姉ちゃん見っけ、だなんて言ってもらえるかなぁ、などと淡い期待もしていたので、実際の反応には拍子抜けした。

「………あー。まあ、………いいんじゃないの」

 早めに到着していた幹部数人たちと、座敷で先に一杯やっていた二代目は、脇息に肘をついたまま、顔をのぞかせた若菜を一目見て、珍しいものを見つけたように両目を大きく開いたが、口から出たのはそれだけだった。
 笑顔を見せてくれるどころか、頬杖をついていた手で、顎や口元を撫でて、ついと視線を逸らしたくらいで。

 それまで談笑していた幹部連中も、黙ってしまった。
 居心地が悪くなった若菜は、空いた銚子を片づけて、早々に賄いに引っ込もうと決めた。
 恥ずかしさに顔を伏せて、銚子を片づけている間、二代目も幹部連中も、その横顔をちらちら見つめてくるので、若菜はすっかり、己が珍獣にでもなったような気分である。

 もちろん、二代目は気に入らなかったのではない。
 幹部連中も、珍獣を見ていたわけではない。

 来年の春には小学校を卒業する若菜は、恋の真っ最中であるのも手伝って、女子の格好をしてみると、驚くほど愛くるしい。
 商売女の媚びた目つきや、慣れたしなに見飽きている妖怪任侠どもの目には、いたいけな若菜の、恥じらったように伏せた目や、ぽっと羞恥に染まった目元や、のびかけの髪が白く細いうなじを覆う様などが、たまらなく新鮮に映った。
 紅で咲いた小さな唇など、さくらんぼのような愛らしさ。
 いそいそと空いた銚子を片づける手には、童女の頼りなさがあるのに、時折、黙ってしまった男どもが気になるのか、上目遣いにちらりと見てくるところなど、ぞくりとするほどの色気がある。

 二代目は、しまった、と、早くも後悔した。
 己の興味と稚気で女子の格好をさせてみたものの、これでは悪い虫についてくださいと言っているようなものだ。
 さっそく、若菜が去った後の襖を、名残惜しそうに見つめている幹部の面々を、おいこらなにを涎でも垂らしそうなだらしねぇ顔をしてやがると、ドスのきいた声でおどしてやらねばならなかった。
 可愛そうに、もったいないお化けなどは、二代目に睨まれ汗をかいたので、いつもより顔がしょっぱくなってしまったそうな。

 こんな前振りがあったので、若菜は船に乗るときには、今日を待っていた昨日までよりも、あまり楽しい気分ではなくなっていた。

 もう少し喜んでもらえるかなぁ、と思っていたところへ、「ああまあいいんじゃないの」の一言では、その相手が恋煩いの相手ならば尚更、意気も消沈するというもの。
 もちろん、相手が立派な大人で、それも人間ではないのだから、若菜のささやかな恋心など知ったことではないだろうが、ああもさっぱりされてしまうと、どれほど胆が据わっていようが理屈がわかっていようが若菜だって子供だ、ほんの少し、拗ねもする。
 若菜も自覚はしているのだが、どうしても二代目の前では、若菜はいつもより子供っぽくなってしまうようで、自分をおさえきれない。

 その上、二代目と来たら、船に乗って座敷に入るや、さっそく呼びつけておいた色っぽい猫又が両脇からしなを作って寄ってきたのを追い払いもせず、だらしない顔をしてちこうよれとやっては、

「おお、今日は一段と可愛いじゃねぇか」
「だぁってぇ、二代目にお呼びいただいたんですモン、はりきっちゃいましたぁ♪」
「嬉しいこと言ってくれるねぇ。そんじゃあ今日の付添は、揚羽猫に頼もうか」
「えぇー、ズルイ〜、私だって今日、二代目の御側にいようと思って、おめかししたのにィ〜」
「ハハハ、それじゃあ牡丹猫には右側をお願いしよう。そう拗ねた顔すんじゃねぇよ、折角可愛いのに台無しだろ?」

 このように、飲む前から酔っ払っているかのような、歯が浮く科白をほいほいとくれてやっているのだから、若菜の納得がいくはずもない。

 それで船に乗った後もなるべく、二代目を気にしないようにして、いつもの遊び相手、納豆小僧や火の玉小僧、豆腐小僧などと、座敷遊びをして楽しんでいた。
 小物妖怪たちと笑い合って過ごしていると、若菜も少し気分が良くなった。

 最初はどこか気落ちした様子で、二代目から遠く離れた、座敷の丁度反対側の隅っこで遊んでいた若菜が、いつも通り笑顔を見せることが多くなってきたので、花火を待つ間、皆で座敷を出て、天の川を泳ぐ大きな宝船の甲板で、風にあたってみないかと小鬼が誘う。

「若菜さま、座敷遊びにも、飽きてきただろ。屋台もあるからさ、ちょいと菓子でも買いにいきやせんか」
「屋台、って?この船の他にも、空を飛ぶ船があるの?」
「まあまあ、見りゃあ判るって」
「う、うーん……」

 それでも、祖母のきつい言いつけを破ってしまった身としては、せめてこの格好で、あまり外には出たくない。
 船の中でも、外は外なのだが、二代目と同じ座敷にいるだけで、守られているような気がしている。
 座敷の外や、空の下に出てしまうと、その腕の中から抜け出てしまうような不安があって、中々すぐには頷けない。

 しかしその時、座敷で膳を囲んで騒いでいた大物妖怪たちが、やんやと騒ぎ始めた。
 何かと思って上座を見やった若菜たちが見たものは。

「二代目ェ、今日こそ、あちき勝たせてもらいますえ」
「おぉ、元禄吉原の太夫様と飲み比べさせてもらえるたぁ、光栄だねェ。じゃんけんで負けた方が飲む。酔いつぶれたら負け、これでいいな?」
「クスクス、えぇ、充分。後だしは反則ですよ」
「それじゃ、審判はこのワシ、良太猫がつとめさせていただきやすんで!」
「キャア〜♪二代目、頑張ってぇ!」
「勝ったらあたし、ちゅーしちゃう〜!」
「まーじでー!おれがんばるわー」

 ダメな大人たちの姿だった。

「既に合コンのノリだな」

 と、納豆小僧。初代の頃より奴良組に仕えているので、二代目がいつオムツが取れたかまで知っている。

「バカじゃねーの」

 と、火の玉小僧。こちらも同じく少年の頃の二代目を、うっすら記憶しているので、容赦が無い。

「二代目、酔っ払うと見境ないからねー……」

 と、豆腐小僧。元禄あたりに百鬼夜行に加わった。
 新入りの頃には、酔ってキス魔になる二代目に何度奪われたか、同じ頃に入った黒田坊と並んで口を濯ぎながら、何度愚痴を言い合ったか知れない。

 若菜は人並み以上に苦労もしてきているし、大人が酔うと少し羽目を外してしまうらしいのも知っている。
 知っているし、そうでもしないとやり切れない事がたくさんあるのだろうと、思いやる優しい心も持ち合わせた稀有な少女であった。
 けれど、仄かに、子供ならではのまっさらな恋心を向けた相手のそういったところは、あまり見続けて気持ちの良いものではない。
 せっかく上向き始めた気分が、また下降し始めたのが、自分でもわかった。

「……みんな、お外、行くんでしょ?」

 皆とならば、何かあっても大丈夫だろう。
 少し時間をおいて戻ってくれば、酒の余興などすぐに飽きられて終わっているだろうからと、若菜は小鬼の誘いに乗ることにした。


<中編へ続く>






アトガキ
花火とか山とか海とかは必要なイベントだと思いませんか。
女の子がおめかしして、「○○くん、喜んでくれるかな」的な展開を魑魅魍魎の主相手にやってみようと思った。
で、二代目は上記のような反応になったわけですが、
初代→「うむ、可憐じゃ。お珱は何を着ても似合うのぅ!……ムラッ」(気遣いを忘れないが自分に正直)
三代目→「ん、何だ、着替えたのか?へぇ、似合うじゃねぇか。何だよ、照れてないで酌してくれよ」(恥じ入る女を何気に命令系でしばりつける生粋の将軍気質)
と、なると思うんですがいかがでしょう。孫はなんやかんやと爺ちゃん子だと思うのよね。

二代目はにはこの後、お約束として外せない例のフォロー科白を言ってもらわねば。
いつもながら、ろくでなしブルースな二代目でスミマセン。あの美形で超キス魔とかだったらすげぇ迷惑。
つか子供の前でそういうところ見せちゃいけないよ鯉さん!
違うんですこの鯉さんは、若菜ちゃんがあんまり可愛いのでいつものように素で甘えられないんです。
納豆小僧は鯉さんがいつまで布団に世界地図描いてたかも知ってるんだろうな。
いやむしろ、仕込みの「ムラッ」から知ってるわけで。おそるべし。