東京へ来る前のリクオには、己が再び奴良屋敷の若様として迎えられるのはもちろん、奴良組の若頭を襲名するなど、考えも及ばなかったことだ。

 元々、花霞一家を率いることになったのも、茶釜狸を代表とするように、陰陽師の仕事の中で一匹二匹、また一匹という具合に妖怪どもに懐かれて、いつの間にやら一家の主と祭り上げられたようなもの。
 慕ってくれるのは嬉しいし、羽衣狐の下につくには新興一家の主と名乗る方がやりやすかったし、京都の他の妖怪たちにもいつの間にか、花霞童子から花霞大将として認識されるようになってしまったのでそのままにしておいたが、本人はどこまでも、一歩引いたところの端役人生を歩んでいるつもり。

 運良く生き延びたこれからの日々は、例えばぽかぽかとした日差しのあたる縁側で、猫をなでながらひなたぼっこをするぐらいの余暇があれば御の字だと、本気で思っていた。

 そうするうち、今は己の側に在る、道に迷った妖怪たちもそれぞれの道を見いだして、己の元を去り、ひっそりと己の役目も終わるだろう。
 やがては人が己の身を疎ましく思い始めるかもしれない、そのときにはこの身を一つ、伏目の封印として捧げるだけ。
 封印にその要となる妖が必要だと言うなら、その妖自ら封印の礎たろうとすれば、四百年と言わず、千年二千年、あるいは永劫その封印を守ることができるだろう、と。

 初恋の女と相思相愛で、この冬には祝言をあげようと小指の約束どころかこっそり口づけまでかわしたなどという現在の展開も、リクオにとってはまさかの緊急事態。

 隠居生活として思い描く縁側の光景で、撫でている猫の尻尾の数が二本以上ありそうなところで既に普通とはかけ離れているのに、初恋の女が雪女であるあたりで普通であるはずがないのに、自分では往生際悪くも、少しばかり特殊なお家事情があるだけの、あとは普通の中学三年生のつもりなので、雪女から次代当主候補の話を聞かされたときには、眠そうに目元を擦っていたことも忘れて、飛び上がるほどの驚きようだった。

「む、無理やって!オレはまだ中学三年やし、花開院の血すら引いてない、むしろ魑魅魍魎の主の血族やってのに、陰陽師の大家の当主候補とか無茶やて!第一《破軍》、使ったことないのに!」
「あら珍しい、お義兄さまのお決めになったことに口答えするなんて」

 寝床に横になる前に鏡台に向かって髪を梳いていた雪女は、鏡越し、布団の上に寝転がっていたところから飛び起きて正座までしたそのひとを、見つめ返した。

「これは口答えやない。無理なものを無理やと言うてるんや。だって、そんな……阿呆みたいな話、あるわけない。なんかの間違いや。当主に連絡とって、本当ならすぐにでも」
「辞退するつもりなら、だめよ。力を尽くした上で選ばれなかったのならともかく、自分から戦線離脱なんて、妹さんにも失礼だわ。京都を守ろう、伏目を守ろうと言うのなら、その気持ちに偽りがないなら、京都の守り人として当主候補になれと言われたって、粛々と受け入れていいじゃないの」
「や、それと、これとは………」
「今、話したでしょう?これはお兄さまにも色々考えあってのことで、それだってきっと、お兄さまの一存であるはずがないの。それにねぇ、いくらなんでも今から隠居生活を夢見るなんて、アンタどんだけ老成してるのよ。十四、十五と言えば、人間としてだってまだまだこれから。十五志学の年とも言うでしょうに。妖としてだって、奴良組若頭まで襲名されたんですから、『全ての妖怪どもは、オレの後ろで魑魅魍魎の群れとなれ!』とか、ちょっとばかり増長して天下穫るとか言いだしたって、私、怒らないから」
「ぅうわ、なんやその科白。はっずかしぃ。ものすごいはっずかしい。どっから引っ張ってきたん?戦国時代でもあるまいし、妖怪世界においても天下目指すとか天下穫るとか、いくらなんでも時代錯誤や。身の丈に合った生活が、一番ええて」
「その身の丈に合った生活とやらで、どうして今から年金生活を思い浮かべるのかしら。伏目屋敷の妖怪たちだって、アンタがいいって思ってるから、アンタを大将として集っているのに、それをいつかは離れていくもの、それぞれの道を見い出すものとして考えてるなんて、それこそ可哀想よ。懐に入れたものを、神にも仏にも渡しはしないと言うのなら、だったら、ずうっと先の未来、せめてアンタが見通せる限界のところまでは、背負った護法たちを送り届けてあげるつもりで、この話、受けたらいいじゃないの。当主になればそれができるわよ。妖の全部が悪いものじゃないって、アンタが話してあげることだってできるんじゃないの?
 二百年先か三百年先かわからないけど、今のお兄さまたちがいなくなってしまった遠い未来、今の花開院の人たちが私たちを忘れてしまうような遠い未来でも、アンタが当主だったっていう過去があれば、アンタが伏目屋敷を守っているっていう記録さえ残っていれば、伏目にひっそり暮らす護法たちに手を出そうとは、あまり思わないでしょうし」
「遠い、未来………」

 雪女の説得は、まさに正論だった。
 考えないようにしていたのか、それとも自分がそんな遠い未来にまで存在しているなどとはこれまで考えつかなかったのか、どちらにせよ、リクオには導き出せないものだった。
 けれど、鏡越しに枕を抱えてしょんぼりと俯いてしまった彼を見て、雪女はすぐに自分の過ちを悟った。

 寂しがりの彼に、兄も妹も居ないで取り残されている未来が、歓迎できるものであるはずがない。
 時はうつろい、今あるものもやがて崩れさるのが森羅万象の理とわかっていても尚、喪う痛みに彼が慣れることはないのだから。

「例えばの話よ。流石に私も、お義兄さまの杞憂だと思うけど」
「………そうやな」
「この話自体、お義兄さまの悪戯かもしれないし」
「せや!きっとまた、竜二兄の大袈裟な悪戯に違いないわ。秋房義兄やったら当主目指してがんばってたし、向いてる思うし、羽衣狐が居なくなったから《破軍》がいらへん言うなら、いよいよ有力候補や。あ、安心してきた。いくらなんでもわやくちゃやもん、あるはずないあるはずない」

 それとなく話を逸らしてみると、上手くいったらしい。
 リクオは枕を抱えたまま、ころりと布団の上に転がって安堵の息をついた。

 雪女と二人、布団を並べて眠るようになったのは最近のことである。
 最初のうちは天井裏からくすくす笑いながら見ていた小物たちも、雪女が何度か吹雪を吹きかけてやったので懲りたのか、今はもう姿を見せない。
 からかう者がなければ、雪女は実に自然に彼に触れ、不安を取り除いてやりもできるし、甘えさせてもやれる。

 己の髪を梳き終えた櫛を持ち、今度はころりと転がっているそのひとの頭のところへ場所を移すと、ここ最近で甘え慣れてくれたもので、抱えていた枕を放り、雪女の膝を横から抱えるように乗りあがってきた。
 数日前、ふと雪女が思いついてこうしてリクオの髪を梳いてやったところ、心地よかったらしく、以来、就寝前の習慣だ。
 自身の妖気に素直に泳ぐしろがねの髪は、櫛を入れるとするりとほどけた。
 特に梳く必要もなさそうだが、心地よいと言うので続けていた。
 梳いている間は雪女は堂々と髪を撫でていられるし、あれこれと今日のおもしろき事柄を話し聞かせてもやれる。

 今日の話題はもちろん、先ほどから引き続き、京都に帰った後の話だ。
 兄の悪い冗談であってほしい、いやきっと冗談だろうと思いこみ始めたリクオには悪いが、雪女自身は、己の目の前で広げられた書状の末尾に、立派な花押があったのを目にしていた。

「嘘か本当か、京都へ戻ればわかるわよ。もしも冗談じゃなくて本当だったなら、すぐにできないなんて決めないで、もう少しだけ考えてみたら?もちろん、他にアンタがこれをしたいことがあるんなら、そっちを優先したっていいのよ」
「したいこと?」
「そう。なにも陰陽師にこだわる必要なんて無いじゃない、人間にだって、あれこれと職があるんでしょ?何かしたいことは無いの?行きたいところとか」

 答えは、期待していなかった。
 他のために己を殺し続けてきたひとなのだし、欲と言うものがすこんと抜けているのは、身に沁みてわかっている。

 特にないなあと答えがあれば、じゃあ新婚旅行はどこにしましょうかなどと困らせてやるつもりだった。
 なのに。

「…………………あ」
「あら、何か思い当たったの?」

 目をぱっちりと開けて、雪女を見上げてくる。

「氷麗の故郷、見てみたい。富士山麓にあるって、聞いたような気ぃするけど」
「そうよ。……私、話したことありました?」
「昔な。本当に、昔々。初雪が降ったときに、ここの庭で聞いた」
「………まあ。よく覚えてくださっていたこと」
「氷麗のお母はんとお父はんに、挨拶もせなあかん。京都に戻ったら、色々忙しゅうなりそうやけど、一日でもいいから、行ってみたい」
「挨拶なんて、そんなのは必要ありませんよ。人間同士のこととは違いますもの。それに私の母はつがいを持っておりませんから、私に父はおりません。……あ、ということは二代目が私の初めてのおとうさまになられるんですねぇ?」
「………えっ」

 初めて聞く話と、初めて思い当たった事実に、リクオはたいそう驚いた様子で、

「………そりゃ、あんな親父で、なんや申し訳ないな」

 複雑な顔をして呟き、雪女の笑いを誘ったのだった。



+++



 道楽息子の放蕩息子、奴良組二代目ならぬ無責任一代男、お祭り好きの四百歳児、ダメ親父、クソ親父、紙一重で残念な方、等々。
 奴良屋敷にリクオが滞在した一ヶ月程度で、二代目は不名誉な二つ名をいくつも襲名した。名付け親はもちろん、花霞リクオである。
 やや控えめに聞こえるものは、昼姿で口にしたもの。
 とは言え、あの昼姿でさえ、ぷっくりと膨れたり唇を尖らせて口答えするほどなのだから、二代目がリクオに毎日どれだけ口を酸っぱくして叱られていたかが伺えるだろう。

 奴良屋敷を訪れた頃の遠慮は取り払われて、リクオはいつの間にやら、二代目相手には物怖じせずに言いたいことを言うようにもなった。
 幼い頃のおぼろげな記憶にあるそのひとの、成長して初めて見える適当加減には幻滅し、まさに計画性というあたりでは頼りがいなど皆無であると見抜いた上で、己の兄貴分に、よくよくお願いしますと、酒宴の席から明けて昼の姿の方でも言い残したほどである。

「五分五分じゃなくて、七分三分の盃の方がよかったかな。その方が、やめてって言ったら、すぐやめてもらえたのに」

 今まで、さっそく例の《キビダンゴ》の箱を手に取り、難しい顔をしていると思ったら、「この桃マーク、安易でよくねぇよな。まずはこれ変えようぜ。あと名前なんだけどさぁ、《ババコロリ》に変えない?」などとやり始めたので、無視していたリクオ。
 鴆と己と二代目と三人、京都へ戻る前の最後の作戦会議の予定だったが、これはダメだと早々に見切りをつけたのだ。
 戸惑う鴆相手にも、「いいの。このひと、こういうとき、役にたたないから」と可愛い顔で断じて、もっぱら二人で話し合っていたので、油断した。
 昼姿のリクオに、だっこしたい頬ずりしたいほっぺにちゅーしたいとあれほど言っていたのを知っていたのに、つい警戒を解いたので、背中を見せた瞬間、わしりと腰をつかまれて、幼子にするように、膝の上に乗せられたのである。
 前述は、そこで頬ずりやら髪なでなでやら、もみくちゃにされた後で、二代目の腕の中でぐったりとしたリクオの言だ。

 冗談としても流石にそれはと鴆が渋い顔をして、任侠道には疎い弟分を叱ろうとしたが、

「なんだ、おれはそれでも、かまわなかったのによ」

 馬鹿にされているのがわからぬはずもあるまいに、息子を膝に抱えてご満悦の二代目は、上機嫌で応じた。
 また適当な受け答えをして、と目尻を釣り上げかけたリクオは、しかし、そこで二代目の顔を見上げて、できなかった。

 あのへらへらとした笑みを浮かべているのだろうとばかり思っていたのに、そこにあったのは、全く違う、あたたかな笑みだった。
 目が合って、柔らかに笑ったのは、父の顔だった。
 一回り大きな手でリクオの手を握り、目を細めて笑った二代目の視線はきっと、リクオの向こうに、己の最後の妻だと言い切った、娘の姿を、見ていた。

「お前の、この手。生まれてきてくれたときに、もみじみてぇにちっちゃかったの、覚えてるよ。おれぁそれを見たとき、お前のためなら何でもできると思ったし、何でもくれてやれると思った。腕だろうが足だろうが目ん玉だろうが、お前のためなら何を失ったって、痛くねぇって。
 おれにとってはそれまで、変わっていくってことは、喪っていくってことと同じだったてぇのに、お前ときたら、おれのそんな四百年なんざひっくり返しちまった。あんなにちっちゃかったのに、お前の手はそれだけでかいことを教えてくれたんだよ。
 そのお前が欲しいって言うもんなら、なんで拒むことがある?」

 これを言われた後、リクオは無理に二代目の腕から逃れようとはできず、結局、出回っている薬の回収やら、今後の薬の専売特許をいつまでに取ることにするやらといった話を、オニバンバ生息地域を調べた結果の、表だって姿を現している分布図を前に、しまいまで二代目の膝の上に座ったまま、鴆と差し向かいに行った。
 恥ずかしいことこの上なかったが、二代目は上機嫌だし、鴆は苦笑しつつも最後の日なんだから甘えておけよなどと二代目の肩を持つし、暑苦しいというのに、ぺったりと背中を預けてみれば、そこにはちょうど二代目があおぐ団扇の風が届いて心地よいしで、ついつい、もう少しならいいかと時間を許してしまったのだ。

 ある程度の話をリクオと鴆とでまとめた後、奴良組の出資の割合のところで二代目と鴆とが話を詰めだすと、京都でも、金勘定は兄と副将に任せっきりだっただけに、リクオは聞いているだけ。
 話し合いが夕餉過ぎから始まったとあれば、こちらの姿では瞼も重くなってくるというもの。
 ついうとうとしてしまったリクオに責はないけれど、さっさと夜姿になっておけば眠気などそれほど気にもならなかったろうにそうしなかったのは、リクオの小さな甘えに他ならない。

 この屋敷を追われるつい前日まで、同じように腕にかかえられていたのを、頭よりも、懐かしい熱を伝えてくる背中が思い出して、逆らえなかった。
 ふと気がついてみれば二人はとっくに話を終えて、己の寝顔をのぞいていた。
 羞恥からビンタを喰らわせてしまい、流石にこれはリクオも反省したものの、当の二代目はまるで気にした様子もなく、こっちの姿だとそれまで母親譲りだなぁなどと、けらけら笑ってすませた。

 京都で十年思い描いていた、関東奴良組の大親分。四百年を生きる大妖。
 そういった肩書きの数々よりも、彼はむしろ、



 お父さんのように、強くて優しい、魑魅魍魎の主に、おなりなさい。



 母の一言が、一番に正しい、姿形をとらえていた。



+++



 花開院の兄妹たちと、猩影と雪女、そしてリクオ。
 彼等が持つ荷物のあちこちに、こっそり忍んで同行する小物妖怪が、何匹か。

 京都へ発つ彼等を屋敷の門前で見送る奴良屋敷の妖怪たちときたら、若様がここへ来られたときの喜びようとは打って変わって、葬式のような有様だった。
 それは、若様の目が治って、綺羅綺羅とした瞳に自分たちを映してくれるのは嬉しく、己は嫡男ではないのだし二代目の奥方がお戻りになったなら、死んでくれたものとして考えてくれていいのだなどと言っていたのが、若頭を襲名してくださるまでになったのはありがたい。
 けれど、だからこそ、もう少し長く逗留してくだってもいいのに、いやいっそこのまま、東京にお住みになったらよろしいのに、もう京都になど戻らずともと、思ってしまう。

 何日も前から、また来るよと繰り返してくれた若様だけれど、従える妖怪たちをあちらに多く残しているのだから、慈悲深い若様ならばなおさら、それを残したまま東京に残るとは言ってくださらないだろうとわかってはいるのだけれど、それでも、どうかもう少しだけ、あるいは何か、ずっと若様がこの屋敷にいられる方法がないだろうかと、考えずにはいられない。

 名残惜しいのは妖怪たちばかりではない。
 リクオのほうだって当然に、出発の日、いよいよ玄関でこうした妖怪どもの見送りを受けていると、自然、胸が痛んでくるのだった。

 早いところ、別れを済ませて出立してしまいたいのに、肝心の屋敷の主が最後まで玄関に顔を見せない。
 初代が様子を見に行こうかと言いかけたところで、廊下の向こうから、「あったあった、あんまり見つかんねぇからどっかにぶん投げちまったかと思ったが、大事な物を入れるところに仕舞いこんでたままだった」と、例のからからとした笑い声を響かせながら、二代目が姿を現した。

「いやぁ、悪い悪い、待たせたな。大事な物を入れる場所ってのを百年に何回かは変えてきたんでな、おかげで今じゃあ屋敷のあっちこっちに仕舞場所があって、最近はそのどれもごちゃまぜに使ってるから、ついこの前仕舞ったモンを探すのにも一苦労よ」
「ええぇぇ。蔵の変なもの、あれだけ整理したのにまだあるの?もっと早く言ってよ、知ってたらボク、全部掃除したのに」
「お前の掃除は、つまり全部捨てるってことだろうがよ。いくらおれだって学ぶっつーの。要るモンまで捨てられちゃたまらねーもん」
「大袈裟やわ。ボクが捨てたのはせいぜい、応募期限の過ぎた懸賞シールとか、割れた金魚鉢やお茶碗の欠片とか、そういうものぐらいやもん」
「財布ん中までひっくり返して掃除しやがったじゃねーかよ」
「今時、古銭だの小判だの入れてるからでしょう?流石に捨ててないじゃない。博物館に管理してもらった方がいいんじゃないかとは言ったけど、それだって、同じ巾着の中で無造作に福沢諭吉と一緒にしてるよりは保存状況がいいんじゃないかって思ったからで」
「あの懸賞シールは応募するためじゃなくてだな、飲んだ証というか、記録のためにとっておいたものであって。小銭も同じようなもんでなぁ……って、まぁそりゃいいや、断捨離マニアのリっくんに、収集の楽しみを教えてやるのは今度帰ってきたときにとっておくとして、今探してたのは、これだ」

 二代目がかすりの手ぬぐいに包んでいたのは、黄水晶を主として、四つだけ紅瑪瑙をあしらって仕上げた数珠だった。
 リクオにも、一目でわかった。
 紅瑪瑙は、母の形見としてついこの前まで、己の左手首におさまっていたものだ。

 石を失ってしまったように、取り返しのつかないものがある。
 捻眼山で二代目が口にした言葉がよみがえり、リクオはその時と同じ申し訳なさについ視線を伏せたが、二代目はまるで気にせず、その数珠を再び、リクオの腕に戻すのだった。

「母さんの形見だからな、お前とおれで、半分こしよ。お前はそれ。おれは、お守り袋の中だ」
「………うん」

 もう一度謝りたい、何度謝っても足りない。
 きっともう触れない方がいい。
 けれど、なにも言わずにはいられない。
 さよならは寂しい。今度はいつ会えるか、約束をするにはもう、父との距離は近すぎて、逆にそんな他人行儀な言葉は口に出せない。

 どう言葉を切り出していいかわからないでいるリクオを前にして、しゃがみ込んで息子と目を合わせた二代目は、お前までなにをしょぼくれてるんだよと、やはり笑ってリクオの髪を撫でた。

「行ってこい、リクオ」

 あとは、それだけだった。
 それだけでよかった。

 言いたかったこと、伝えたかったこと、万の言葉を尽くしても、大きな手から伝わってくる熱は、言い表せないものだったろう。
 うん、とリクオも、そのあたたかさに応じるように、同じだけのあたたかさを伝えられるように、笑って、答えた。

「うん。行ってきます、お父さん」



+++



 京都への帰り道は、東京へ来るまでよりも楽なものだった。
 敗軍の将ではない、若頭をお送りするのだから、護衛のカラスは何羽も空を飛んでいたし、来たときとは違い、前回の総会では奴良組の貸元どもが総意において、リクオを若頭と認めざるを得ない状況でもあったので、己のシマで若頭に、二代目の若様になにかあっては大変だと、わざわざ手勢を割いてしっかりお守りする。
 おかげで、東京から京都までは、新幹線一本で済んだ。
 何より、心を通じ合わせた雪女がかたわらに居てくれるのが、リクオにとっては心休まる。
 京都に戻ってすぐに猩影と別れ、花開院家へ挨拶にあがり、兄妹たちと分かれて伏目に車で向かうと、奴良本家とはまた違う、切ないような懐かしさに、次第次第、満たされてきた。

 彼女を連れて、その日の夕方過ぎには戻るだろうことを、あらかじめ伏目屋敷の皆には伝えておいたし、前触れとして猩影が先に、荷物と一緒に戻ってもいた。
 皆が待ちかまえているだろうとは思っていたが、いざ二人が車止めから歩いて、屋敷の門までの坂を歩き始めると、門の上に登って待っていた小物たちがすかさず見つけて、

「大将だ!大将がお戻りになった!」
「あれあのようにお昼間の御姿でしっかり歩いておられるのは、一体いつ以来やろう。ほれお前たち、大将の目が、ちゃあんと開いてうち等を見てはるわ」
「雪女の姐さまもご一緒だぞ!玉章さまと鬼童丸さまにお知らせせねば!」

 その場で飛び跳ね、手を叩き合って喜ぶ者、さっそく駆け寄って荷物を持とうとはりきる者などがある。
 導かれるようにして、リクオと雪女は久方ぶり、伏目屋敷の門を潜った。

 《夕暮刻以降、関係者以外入ルベカラズ》の札を手前に置いた、門を潜ったその拍子、リクオは身に封じていた妖気を解き放った。
 自然、玄関前で待ち構えていた面々の前に、ふわりと桜の花弁が舞い散り、この中で、花霞大将と雪女がふと視線を交わして微笑み合う。
 意味深な二人の視線に、者どもが気づかぬはずもない。

「おかえり、リクオ君。東京ではうまくいったらしいね?」

 玉章が、皆を代表してからかうように言うのだが、もちろんこんな迂遠な物言いでは、彼の大将はびくともしない。

「留守役、ごくろうさんやったな、玉章。うん、敗残処理はまぁ上手くいった。京都に奴良組の手は入らん」

 もちろん、これだって充分に、玄関口の妖怪たちを賑わせる話だし、よかったぁ、奴良組のコワいごくどうもんがが入ってきたらどうしようと思ってたんだあと、可愛い声があちこちから聞こえたはしたものの。

「…………いや、ボクが言いたかったのはそうじゃなくて」
「そんな遠回しな言い方で、この大将に響くわけがねェだろう、玉章。もうアレだ、俺はこの先、こいつには直球しか投げねぇことにする。なんかその方が良さそうだ」
「猩影君、直球作戦はダメだったから、君が作戦をかえようって言ったんだよ」
「あれ、そうだったか?」
「感触とか聞いて焚きつけてみるのはどうか、って言ったのは、君なんだからね」
「お前等、オレにこそこそ隠れてそんな事やってたのかよ………」

 リクオがげんなりと肩を落とし、笑いが起こり、雪女もまた、袖に口元を隠してくすりと笑う。
 この伏目屋敷を発ったときには、これほど幸せな気持ちでまたこの玄関口に立てるとは、思わなかった。

 しかし、ここで笑い合うだけでは満足できぬ者が一人、あった。

「リクオよ」

 重々しくその名を呼んだのは、鬼童丸である。

「ただいま、オヤジさん。背骨の調子はどうだい」
「傷などもうとっくに癒えた。それよりも、前触れに聞いた話は本当なのだろうな」
「え?あ、うん……本当だ。たった今、二十七代目にも報告してきた」
「陰陽師の家で妖の女を娶るなど、簡単に許されはせぬと思うが、どうであった」

 その話はたった今まで雪女と二人、報告にあがった花開院家でも及んだ内容であったが、リクオはとろりと甘く目を細めて、同じようにはきと言う。

「オレはこのひとを、雪女の氷麗を娶る。そう決めたと言ったら、そうか、って。それだけやった。みんな、改めて、オレの嫁さんと仲良う、したってな」
「……と、言うことになりました。京都のお料理の味付けだの、あれこれとしたしきたりなどはわからぬ未熟者ですので、みなさん、よろしくお願いしますね」

 発つ前はあれほどに、妙な噂を流すなと口を酸っぱくして仰せだった大将が、自ら傍らの女の肩を優しく抱いて引き寄せるし、雪女もまた、美しい白い肌をほんのり上気させてぺこりと一礼するしで、囲んでいた妖怪ども、等しく、おおぉ、と、感動の声を上げた。
 副将二人など、互いの苦労を思い合って、同時にくっと目頭を押さえたほどだ。
 鬼童丸も、これで満足したのか、うむと一つ頷いた。

 めでたしめでたし、と締めくくられそうなところだったが、そこで、屋敷の奥から、きゃあああと少女の声が響くえはないか。
 その声にリクオも、はたと彼女の存在を思い出した。

「あれ?そういや、カナは?今の、カナの声じゃねーのか?」
「あー……。リクオくん、落ち着いてから話すから、あんまり気にしないでよ」
「おい玉章。オレはちゃんと、あれの面倒をみてやってくれと、頼んだはずだよな?」
「みてる。みてます。やだな、そんな風に疑いの眼差しで僕を睨まないでおくれよ、僕は気に入った娘しかイジメやしないのと同じで、出来ると思う相手にしか無理難題はつきつけない。ただ君と同じ教え方なんかできないから、ちょっとばかりスパルタ式にはなっているかもしれない。………それでも、教えてるだけ誉めてくれたっていいはずだよ?」
「わかった、わかった。オレもこれほど留守にするつもりはなかったし、教え方云々は不問とする。で、なんだ、あの悲鳴は」
「だから、それは旅の疲れをとってからゆっくりと。大丈夫だよ、僕がさっきまで見ていた限りでは、まだ余裕がありそうだったから」
「でも、なんだか悲鳴と足音、近づいてきてるんじゃない?それに何かしら、どどどどどって、ずいぶんな大人数が走ってくるような………」
「おい、玉章」
「チッ、まさかあの役立たず、結界の維持すらできなかったのか」

 玉章が言うが早いか、大将大将と懐いていた小物どもは当然、集まっていた大物どもも互いに目配せしあい、鬼童丸すら長いため息をつくではないか。
 リクオと雪女が見守る先、長い廊下の向こうから、やがて唐突にそれは現れた。

 伏目屋敷は妖怪屋敷。
 人には見えぬ部屋が、柱を三本過ぎた向こう側、庭へ一歩足を踏み出すと、現れる。
 そこは異界と同じように、ちょっとした隙間からいくらでも広く作れるし、人の目には映らないから、ちょっと困ったものなどを仕舞っておくのにうってつけだ。
 しかし今はそこから着物姿のカナが飛び出したと思うと、すてんと転び、はっと玄関を見つめて明王の姿を認め、

「リ、リ、リクオさまぁぁッ」

 慌てて立ち上がり、裾が乱れるのも気にせずに全速力で突進。

 彼女の後ろから、無数の口、それも長く鋭い牙をはやした口がばくんばくんとあちこちに噛み傷をつけつつ、追いかけてくるではないか。
 これを認めるや、リクオはとっさにカナを背に庇い、己に向かって飛びかかってきたその口どもを、ぎんと睨みつけた。
 それだけで、口どもは恐れをなし、恐怖で竦んで空中で見えない壁にぶつかったかのごとくぴたっと止まった。
 先頭の口が止まったので、後ろから前の奴の動きを追って舞い上がった口は、前の奴にぶつかる形で急停止。

 キキーッ、ドシンッ。

 やがて、どさどさと落ちたそれ等は、モップのように床を這い、そそくさと今来た道を戻り始める。
 まるでそれまでうるさく吠えていた野良犬が、格上の相手の存在感に尻尾を丸めて逃げていくかのようだ。

 これに、リクオがすかさず印を切った。
 九字を唱えて切ったそれだけで、指先からの真言に縛られ、廊下に溢れていた無数の口どもは、びくりと雷に打たれたかのように体をふるえさせ、ぱったりとその場にのびて、動かなくなった。

「なんだ、こりゃ。付喪神……ですらないのか。怨念の類か?」

 真言を使うまでもない、あっけない最後にリクオは首を傾げた。
 それもそのはずだ、口の妖怪と思っていた無数のそれは、動かなくなってみたのを拾い上げてみると、ただの本。
 無数の、本だ。

「でもさっきまで、ばっちい気配はしたわよ。いやだわリクオさま、そんなもの拾い上げてはなりません。すぐに凍らせて粉々に砕いてしまいましょう」
「ううぅぅ、ダメですよ奥様ぁ。そんなんになっても、本に罪はないんです。玉章さまに言われた通りできれば、ちゃんとした本に戻れるはずなんです。けど、私、上手くできなくて。………リクオさまは今、どうやって祓われたんですか?」
「祓った?いや、様子見に睨んで、九字を切っただけやけど………」
「………やっぱり、私、才能無いんでしょうか」

 リクオの背中にひっついてさめざめと泣き始めたカナを見れば、なんとあちこちに、擦り傷や噛み傷がある。

「カナ、貴女、傷だらけじゃない?!可哀想に、すぐに手当をしましょうね」
「あ、いえあの、奥様、リクオ様、ごめんなさい、私、お出迎えもせずに失礼を。お戻りなさいませ、お待ちしておりました」
「堅苦しいのはええ。なんや、どうしてそんな傷だらけなんや。氷麗、とりあえず、手当を」
「ええ」

 優しい主と奥方のお戻りに、すっかり気を緩めたカナは、今日まで我慢していた分まで、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
 彼女の手を取って雪女が、これを追ってリクオが玄関をあがろうとするも、玉章が阻んだ。

「いけないよリクオくん。何度も言うが、君は甘い。ココナッツミルクで味噌汁を作ったかのように甘い」
「なんだ、いきなり」
「カナ。泣いている暇があったら、さっさと書庫に戻ったらどうだい。今のはほんの一部じゃないか」
「は、はい。でも……私、やっぱり、できません。リクオ様みたいに、あんな風に指一本で祓うなんて、そんなこと、いくら練習したってできるわけが」
「自惚れるんじゃない。大将と自分を比べるなんて、おこがましいにもほどがある。大将が富士山だとするなら、君の力なんて米粒程度にも満たないんだから、君が全力を尽くしたって、あの無数の本の中の一冊だけを祓えるかどうかだろう。それでも、毎日一冊ずつ祓うのが、君自身の修行にもなる。君だって納得したはずだろう。今更やめるのかい。僕は、途中で放り投げるのが一番嫌いだ。君の才能が無いことなんて百も承知だが、だから努力しても無駄だなんて甘ったれた事を言う前に、もう少し努力をするふりぐらいでも見せてもらいたいね」
「お、おい、玉章……」
「リクオくんは黙ってて。世の中ね、こういう、自分は弱いです、だから守ってください、だってあなたたちは才能も力もあるんでしょ、なんて言う弱者気取りの奴が、一番したたかで強欲なんだから。甘い顔をするとすぐつけあがる。他人が自分より秀でているのを、才能って言葉で相手をたてるふりして、努力不足の自分を擁護しているだけさ。いいかいカナ、君はリクオくんより才能がないわけじゃない。才能なんて後からいくらでもついてくる。君はリクオくんより格段に努力していないだけだ」
「ちょっと、言い過ぎなんじゃない?カナはただの人間なんだし、弱くて当然でしょう」
「奥方、そのただの人間に、護身術を授けるようにと仰せつかったのは、僕だ。身を守るつもりなら、少しくらいは強くなってもらわないとね。ほら、行くよ。君の本なんだろう。責任持って、君が全部祓うんだ」
「む、無理ですうぅうぅ!もう限界で……!」
「限界なんて超えろ。僕は甘くないよ」
「うええぇぇん、鬼ぃいぃぃ、悪魔あぁぁぁ」
「僕は狸だと何度言ったらわかるんだい。鬼や悪魔なんかと一緒にしないでくれ。だいたい狸は狸でも僕は四国八百八狸の長の血族。僕と同類に間違われるという光栄を必死に拒む、某猫型ロボットの気が知れないよまったく」

 大将夫婦が目を白黒させているうちに、あろうことか玉章はカナの襟首をひっつかみ、ずるずると廊下を引きずって、奥の部屋へと姿を消してしまった。
 その後ろを、心得た様子で犬神がてくてくとついて行く。

「………羽衣狐が住んでいた洋館の、地下室の書庫の本を、どう処分するかが花開家で問題になりまして。あのカナって娘、本が好きなんですってね。手っとり早く燃やすなんてとんでもない、それなら自分が全部手入れをするからって言って、引き取っちゃったのはいいんですけど、それがコレ、全部この通りでして。羽衣狐の妖気を受けて、中途半端に妖化してるもんだから、ふとした拍子に蛾みたいに飛び回ったり、さっきみたいに蝙蝠みたいに襲ってきたり。
 玉章さまが木の葉の結界で一部屋くくってくださりまして、とりあえずはそこを即席の書庫として本を入れてあるんですが、奴等、まるで躾がなってないんです。あっちこっち噛みつくもんだから、その部屋の畳も障子も、もうぼろぼろですよ。
 その落ち着かない部屋で精神統一を果たし、一冊ずつでもいいから祓うっていうのが、玉章さまがあの娘に命じた修行の方法でして。ただ、さっきみたいに本たちが暴れると、玉章さまの結界にも穴をあけちゃうんです。カナはこの穴をふさぐのと、祓うのと、同時にやらなくちゃいけないわけなんですけど、どっちつかずで本が部屋から飛び出しちゃうわけなんですよ」
「ははあ、なるほど。やり方にはちいっと問題があるが、理には叶っているか」
「こう言っちゃなんですけど、大将、あの本ども、うるさいんです。昼はいくらかぐったりして鼾をかいてますけど、夜になると、がりがり、ごそごそとやり始める。とっとと落ち葉と一緒に火にくべて、焼き芋でもした方がいいって思いますけどねぇ。閻羅童子だってやる気だし」
「こらこら茶釜狸、つれないことを言うな。カナが自分でやってみたいって言ったんだろ?もう少し、様子を見てみよう。後でオレも、その書庫とやらに顔を出してみるよ」
「帰ってきてそうそう、落ち着かない屋敷だわねぇ」
「そう言ってくれるな氷麗、これが結構楽しいんだ」
「ええ、存じておりますよ。叱っちゃいないでしょ。大丈夫、私もにぎやかなのは、嫌いじゃないから。ふふふっ」

 睦まじい二人の様子に、屋敷の奴等もうれしくなってへらりと笑う。

 いつまでも玄関にいないで、さあさあお部屋でゆっくりなさってくださいませな、と鉤針女が柔らかく笑み、小物どもがかわるがわる案内するように先頭にたって、大将に奥方さま、こっちこっちと手を招いた。

 と。



「おう。そんじゃあ、邪魔するかのう。いやぁ、なかなか良い屋敷じゃねぇかい。奴良屋敷に比べたら見目はこじんまりとしとるが、柱の間だの見えねぇ階段だのは、あっちより多いか?なかなか立派な屋敷じゃぞ、リクオよぅ」



 ぴたり。

 賑わっていた屋敷の者ども、聞きなれぬ声に。
 リクオと雪女は、まさかという顔をして。

 声のする方向へ、全員がぎしぎしと音をたてながら、首を曲げた。

 そこに居たのは。

「しょ、しょ、初代!?」
「爺様ァ?!え、なんやそれ、全ッ然、気ィつかへんかった!」
「はーっはっはっは、まだまだじゃのう、リクオ」

 誰あろう、奴良組初代総大将、そのひとである。
 ぬうと唸って少し身構えたのは、鬼童丸だ。
 無理もない、彼にとっては四百年の昔に争った、宿敵であった。

「貴様……ぬらりひょんか」
「お?なんじゃ、そういうお主は鬼童丸かい。老けたのう〜」
「お主に言われたくはない。それで貴様、何の用だ」
「あー、うん。孫が一家をたちあげてるとなりゃ、見てみたくもなるじゃろう?それにこっちにいりゃ、いつでもお珱とでぇと三昧かと思うとなあ、つい……」
「つまり?」
「うん。ワシ、ここんちの子になる」
「たわけめ。とっとと関東へ帰れ」
「あ、いたたたた……、長旅で腰が」
「白々しい嘘を申すな、若造めが」
「まあまあ、そうツンケンするんじゃねえよ。リクオのアルバムでも見ながら、茶ぁくらい飲ませてもらったって、バチはあたらんじゃろうが。あ、綺麗な姉さんや、茶は鬼童丸の部屋に運んどくれ」
「勝手に決めるでない」

 一体いつから居たのか、てっきり奴良家の玄関で別れたとばかり思っていた初代が、戸惑う鉤針女に案内させて自分の家のように足を進めるのを、渋い顔をしながらもまんざらでもなさそうに、鬼童丸が追った。

「おいリクオ、いいのかよ。関東奴良組の初代だろ?花開院がまた煩く言わねーか」

 と、残された者どもを代表して猩影が問うが、きょとんとした顔の後で己の大将が何と言うかなど、その場の誰もがきっとわかっていた。



「そう言われても、家族のところに家族が来るのは、普通のことやろう?」



 ともかくこのように、伏目屋敷には家族がいくらか、増えたのである。





















不吉な夢の景色 世界を覆うにはまだ遠く
色濃きは現れた黒雲 世界に満ちるにはまだ小さく
忍び寄る冷たい刃は 決して足音を立てないもの

やがて姿を消した黒雲どもが
父と子と 心の傷を抉る事件を巻き起こすのだが

けれども今は夏休み 嗚呼夏休みったら夏休み

一日二日 もう一日と 気づけばついつい長逗留
一つ二つ もう一つと 雪色の毒を口にして
一匹二匹 もう一匹と 慕う小物を懐に

花霞リクオの 奇跡のような日々あれこれ
嫁と交わす口づけは ひとたびふたたび またみたび
珠玉のごとくに輝ける日々


まずは ここまで















...三千世界の鴉を殺せ...

<花霞リクオの夏休み編・了>