夜の御姿の主は、つよくたのもしく、畏れを纏いて百鬼を従えるに相応しい御力をお持ちである上に、妖怪にも人にもへだてなくよく心を砕かれる。ために、幼い頃の主に命を救われた人間の子の中には、今一度あの御方にと、邂逅を待ち望んでいる者もあるという。
 慕うも畏れのうち。
 雪女が御傍について、昼の主の学び舎に行って見た限りでは、夜の御姿を一目でも見た人間どもは、皆おしなべて、その畏れの虜になっているらしい。

 では昼の御姿はと言えば、雪女は、夜の御姿のことをつよくたのもしく、頬を染めて想い出すことすらあるのだけれど、昼の御姿に対しては、ただただ昔はあいらしい、いとし子としか思っていなかったのに、今は何か得体の知れないものを感じて、ただこれと断じることができなくなってしまうのだった。

 主のことを、どんな様子でお育ちなのだと、奴良組の古株幹部に問われたら、昔は、それはそれはもう、すくすくと、明るく元気に素直にお育ちでございますと答えられたものなのだけれど、最近はそれが、どうなのだろう、と不思議に思う雪女である。

「……明るく、元気にお育ちでございます」

 何月かに一度、屋敷に詰める古株幹部の前で、若君の成長のご報告の義務を負っている雪女、だから今日はそのように答え、やはり「それではいつもと変わらんではないか」と、一ツ目入道の謗りを受けた。ほんの僅かに変えた言い回しには、その場の誰も気づかなかったらしいと、ほ、と小さくついた息が、六花となっては誰の目にも触れることなく、すぐに消えた。
 否、一人……これも否、二人、その場で、彼女が咲かせた一瞬の花の命を見届けた者があった。
 一ツ目入道の脇で静かに座していた牛鬼、それから他ならぬ、奴良組初代総大将。

 彼等二人は、他の幹部たちがそれぞれ謗りや詰り、汚い言葉をぶつぶつと呟きながら座敷を去った後もそこに残り、彼等の前で平伏しきっている雪女から、じっと目を逸らさない。雪女は、情の強さならば誰にも負けぬ雪の女怪だが、自身の畏れを相手にぶつけたり、相手の畏れにひるまず立ち向かっていく武闘派の妖怪ではないから、この二人の前ではそれこそ冬の兎のように、心もとなく小さくなっているしかないのだった。
 こんなときに、主が御傍にいてくださったらよいのに、と、僅かの間離れているだけの御方を、たよりないこころもちで、なつかしく思いだす。そのとき思い浮かべるのは、夜の御姿ではなく、雪女の真名を大事そうに呼びながら、笑いかけてくださる昼の御姿の方である。
 広間に、前のお二人以外、妖怪の気配がなくなってからしばらくして、声がかかった。

「明るく、元気は同じで、素直ではなくなったかい」

 総大将の問う声は、どこか愉快そうである。
 雪女は恐縮して、衣しかないようななよやかな体をさらに小さくして、「滅相もございません」とお答えした。

「言葉足らずは、私めの不徳でございます」
「なに、恐縮する必要は無い。もし感じたなら、面白ェと思ったのよ。言ってみぃ、雪女」

 卑小な己ごときが思うところなど、僭越に過ぎたが、感じたことがどれだけ瑣末な事項でも、報告せよと仰せつかっている身の上である。覚悟を決めて、「僭越でございますし、私の思い違いかもしれませんが」と前置きした上で、申し上げた。

「その……昼の御姿のリクオ様と、夜の御姿のリクオ様を見て、思ったところがございます。夜の御姿のリクオ様は、無愛想で、お口が悪く、お気が短くていらして、その、とても、とても、素直な方でいらっしゃると」
「ほほう、するってぇと、何かい、昼はそれに比べて素直じゃねぇと?」
「お昼間のリクオ様は、それはそれは、お優しい方です。言葉を尽くしてご友人をお慰めすることもあれば、困りごとの相談にのっていらっしゃることも多く、人間の御友人たちから、何かにつけ、頼みにされているご様子です。あまりお怒りになったり、頼みをお断りしたりすることがないものですから、軽んじられることがあるくらいなのですが、リクオ様はほんの少しもこれに残念に思わない御様子。  昔は、『立派な人間』になる、という目標があったためのものと納得もできたのですが、三代目襲名を心に決められてからもその御様子は変わらないので、少し訝しく感じておりました。軽んじられ、ときには軽口を叩かれて、それでも尚にこにこと笑っておられるのは、なにゆえであろうかと」
「ふむ ――― 我慢強さや根競べは、たしかに昼のときの方が向いてそうじゃ」
「はい、総大将の仰せの通りです。とは言え、我慢や忍びと、若はお思いではないかもしれません。ただ、その、素直で無いと言うより、ご自身にも、あるいは周囲にも、言葉が過ぎることをお許しください、嘘をおつきになるのがとてもお上手でいらっしゃるのかと。  昼の御姿が偽りである、ということではありません。ただ、怒りや、憎しみや、人が忌み嫌い遠ざけたがるものを己の中に全く見せず、そこにいらっしゃるのに、姿形はあるのに本心がどこにあるのか、人は悟ることができないのでございます」
「それは、まるで鏡花水月だな。総大将、若君は立派にお育ちの御様子」
「フン。しかし、雪女、お前が言いたいのは、それだけじゃねぇんだろ?」
「……先日、その、昼の御姿のリクオ様に、私は言い知れぬ《畏れ》を、抱きました」

 これを話すのは、雪女も迷った挙句のことだった。
 畏れを見せつけあい化かしあい、互いの畏れを奪い合いながら百鬼夜行を率いる夜の御姿の主が、気に入らぬ相手を力でねじ伏せ叩き切り、結果脅かされていた土地神や人を守るのはわかりやすいものだった。
 対して、雪女は、人間に詳しくない。人の子を育てるなど、主以外にたずさわったこともない。人がどういう想いを抱きながら、短い一生の間につがいを見つけ子を成して死んでいくのか、見当もつかない。
 今話そうとしている、垣間見てしまった昼の御姿の時分の主の行動を、こうも恐ろしく感じるのは、ただ慣れていないからかもしれないし、だったら話すほどのことでもないのかもしれない、とも思う。
 いずれにしても、話し始めてしまったからには致し方ない、潔く、雪女は言葉を続けた。

「 ――― 先日、良太猫のところへ、新参の化け猫を預けたとご報告申し上げたましたが、顛末については、すっかり済んでしまったことですので、今更詳しく申し上げる必要もないことと、リクオ様よりご説明もあり、皆様にはご了解いただいたことと存じますし、リクオ様配下の皆もそれで納得して、もう気にもとめてはおりません。
 しかし……でも、私、昼の御姿のリクオ様に、あんなに、あんなに……。
 思い知らされました、やはりどんな御姿であったとしても、体も、心も、一つでしかないのだと」

 あのとき、かける言葉が見つからなかった。
 見つかってしまったかと、顔を背けるわけでもなく、やはりいつものように、にこりと笑顔で、主は言った。



 どうしたの、つらら。
 ボクが、こわいのかい。
 じゃあ、目をつぶっておいで。



 初めて夜の御姿となったあのときに、人の幼馴染の娘へ言ったその言葉に、よく似ていた。



+++



 妖怪は、人を化かし、誑かし、おそれさせ、時には呪い、時には殺す、《悪しき》もの。
 では何の罪も無い一人の人間が、化かされ誑かされおそれさせられ、さらには呪われ殺されたからと言って、それが《妖怪》の仕業かと言うと、悲しいかな、それが同じ人間の仕業である場合もある。
 妖怪が妖怪同士で因縁を持ち、滅し合うのと同じように、人間同士も因縁を持ち、殺し合うのが浮世のさだめ。

 ところがどうだ、ここ最近の人間どもときたら、たいした因縁も理由もなく目に映った的を遊戯で叩いたり打ったりするようで、しかも表立って法だ律だ裁きだとぬかしているくせに、いざ獣のように人が人を殺してみれば、物言わぬ骸となった良き人のことなど忘れてしまったように、獣じみたその人が、「まるで夢を見ていたようで、そのときのことははっきりしない」と、狐憑きのようなことを言うと、やれセイシンカンテイだ、やれセキニンノウリョクだと、色々騒ぎ立てた挙句にたいした罪にもせず、再びお天道さまの下に咎人を出してしまうらしい。
 これでは、妖怪より悪い。表向き平和を謡っておいて、悪鬼のごとし所業をした者に、さしたる咎も与えず野に放してしまうのだから。
 街の灯は増え、立ち並ぶ家々は昔よりも賑やかに煌びやかになったが、だからこそ、その影は以前よりも濃く深く、人間どもを絡め取っているのだろうか。

 げに怖ろしき浮世の往来を、学び舎へ向かいそれから帰途につく、ほんの僅かな間であっても、若君たった一人で歩かせるのは心苦しいから、雪女は遠くから近くから、若君を見守り続けている。
 雪女が、実は若君がほんの小さな頃から、同年代の人に化けて御傍で見守っているのだと最近知られてからは、まるで一人の学友にそうされるように接していただけるのが、彼女としては微笑ましく感じることである。

 折々そうするように、この日も他愛もない話をしながら二人で家路を急いでいると、商店街のあたりで、主と雪女の前を、よたよたと一匹の黒猫が横切った。
 二人の会話が途切れたのが、黒猫がただならぬ様子であったからだ。
 怪我をしているのは間違いなく、弱り切っていて、喉の奥から赤子のような、呪うような声を張り上げていた。小汚い猫が、よろよろと這うように行く先で、立ち話をしていた女たち数人も、眉を寄せ道を開け、小さな穢れにひそひそと声を抑える。

 時は夕暮れ、逢魔ヶ刻。
 何かを呪う獣が魂を黒く禍々しく燃やして、そのまま外道に堕ちてもおかしくない、陰の気がたれこめ始める時刻だ。
 雪女は身構え、汚らわしい獣に主を近づけるまい、外道に堕ちる前に、いっそ冥途への橋渡しをしてやった方が、この浮世で苦しみ続けるより、あの獣も浮かばれようと、唇を小さく尖らせた。が、凍てつく吐息が放たれる間際、主の手が雪女を制する。

「 ――― リクオ様、いけません」
「だって、放っておけないよ」

 雪女が、止める間も無い。
 主はかの黒猫をおいかけると、さっと小さな体を抱き上げてしまった。
 すさまじい声だった。猫が人語を解したなら、すさまじい罵声であったろう。四足を長く伸ばし主の腕に爪をたてるなどして、弱々しく歩んでいたとは思えぬ抵抗である。

「あいててててて!こら、大人しくしてよ!」
「リクオ様、だめです、お怪我をしてしまいます!猫同士の争いに敗れたのでしょう、放っておけば、生きるものは生き、死ぬものは死にます」
「言ってることはわかるんだけど、って、あいた!噛まれた!……だ、だめだよつらら、優しくしてあげて。こんな怪我、このままにしておいたら死んじゃうよ。それにこれ、猫同士の喧嘩ってわけじゃないみたいだ」

 夜の御姿と比べて、昼の御姿の主はまだまだ、男君と呼ぶには少しほっそりとしていて、たよりなく思えるのに、頬や腕に引っかき傷をこさえながらも、両の腕でしっかと黒猫を抱いて離さない。
 主が猫の傷を見るや、唇を噛んで、人好きのする笑みを引っ込めたので、雪女もまた何事であろうかと猫を覗き込む。

 あっと声を上げた。
 なんと、無体なことをする者があるのだろう。
 黒猫の両目は、糸できつく縫い合わされ、その合間から流された血が今は乾いて、べったりとこびりついていたのであった。






「こんなに可愛いのに、ひどいことする奴がいるもんねェ」
「まったくですよ。最近の人間ときたら、妖怪よりタチが悪い奴がいるって、総大将も嘆いていらっしゃいました」
「こいつよォ、こんな小せぇのにこんなに血とか流して、大丈夫なのか?死なないのか?」
「静かにしろ青、あー、つっついたりするな、起きてしまうだろうが」
「そんな事言ったって、黒田坊ばっかり一人でもふもふして、ズルイじゃない。あ、その子、女の子よね。さてはさっそく唾つけようってわけェ?」
「な……ッ、拙僧は一人もふもふなどして悦んではおらん!毛倡妓、人聞きの悪いことを言うな!」
「ねー、つっつかなくてもそんなに煩くしてたら、起きちゃうんじゃなーい?」

 すうすうと眠る小さな毛玉が、間延びした河童の言葉通り、黒田坊の腕の中でううーんと四足を伸ばしたので、毛玉を囲んでいた面々は、はっと口を噤んだ。納豆小僧の頭の上から、ふつり、と一粒の豆が糸を引いて溢れる。
 彼等が静まって見守っていると、猫はまた黒田坊の袈裟の上で、小さく胸を上下させながら寝息をたて続けた。
 ほ、と、示し合わせたように、皆、息を吐く。
 若君からの預かりものである以上、人語を解さぬ獣であろうと、大切な客人には違いない。しかも酷い怪我を負っていて、見つけたときはひどい暴れようだったらしい。
 らしい、と言うのは、若君の守役兼護衛兼側近の、雪女が彼等に言ったのを聞いただけで、この小さな客人が奴良組の屋敷へ連れてこられたときには、熱を持った体をくったりと若君に預けていたからだ。

 目をやられていたばかりか、体のあちこちに刺し傷や毛を毟られた痕をこさえ、後ろ足の骨も折れていた小さな客人を、若君はその足で、義兄弟が営む薬鴆堂という薬屋へ連れて行ったらしい。「ここは動物病院じゃねェぞ、リクオ」とぶつぶつ言いつつも、手際良く堂主は猫に手当てを施し、薬をいくらか若君に預けたそうだ。
 夜の御姿の若君とは義兄弟の契りを交わした者同士、酒を酌み交わすことさえあるのに、昼の御姿の若君相手には、あれこれと世話を焼き、何かにつけ兄貴分の顔を見せたがる、つまり渋い顔をしていても、若君にそれはそれは甘い堂主なのである。

 若君がお戻りになった頃には、もうとっぷりと陽が暮れていて、起き出していた妖怪たちが、いつもより遅いお戻りにどうしたことかと顔を出してみたら、若君が困ったような顔で「どうしても見過ごせなくて」と小さな客人を抱えていたというわけだ。
 若君の御母堂も、「まあ、じゃあ牛乳をあたためて……あとなにか、柔らかいものをこさえましょうね」と言うので、猫は正式に奴良組の若君の、客人として認められた。

 今は、若君が御母堂を手伝って、自ら台所で猫のためのなにやらをこさえているし、雪女はその若君についているので、後に残された若君と縁の深い妖怪たちは、寄り集まって、か弱いこの生き物が、ひょっとした拍子に死んでしまったりはしないかと、はらはらしながら若君のお戻りを待っているのだった。
 それからまもなくして、若君自ら御膳を手にして、座敷に姿を現した。
 その後ろに、影のように雪女が寄り添う。

「みんな、見ててくれてありがとう。その子、一度でも起きたりした?」
「いいえ、一回寝返りを打っただけで、よーく寝てます。ねえ若、この猫、このまま死んじまうんですか?ずーっと眠りっぱなしだから、何だか怖いですよ」
「納豆小僧、獣たちはね、眠ってた方が病気や怪我は治りやすいんだよ。だからきっと大丈夫。鴆君が手当てしてくれたんだし、薬までくれたんだ、死ぬなんてことはないさ」

 若君が心をこめて微笑まれるので、その場の誰の間にも、言い知れぬ安堵が広がる。
 不思議なもので、若君を囲む者たちは、このように微笑まれると、大概のことは、そうかそういうものなのかと納得する。夜の御姿とはまた違う、言い知れぬ御力であった。

 若君が膳を脇に置いた気配で、空いた腹に気がついて起き上がろうとするも、あちこち痛むのだろう、ろくに動けず、猫がいじらしく悲痛な鳴き声をあげるところへ、若君が手馴れた御様子で、その傷ついた脚を痛めぬよう、そっと抱き上げた。
 黒田坊はこれでようやく膝の緊張がほどけたが、長いこと猫を抱えたままの姿勢であったため、両脚がすっかり石のごとくである。気づいた青田坊が、「仮にも袈裟を着た者が、それくらいの正座でなんたるザマよ」と笑うので、「何を」、と息巻きかけたが、他ならぬ若君が、しい、と桜色の唇に幼い人差し指をあてて ――― その隣で、納豆小僧が真似をして、自分の藁束の先に指をあてて ――― たしなめるので、渋々、彼もまた無言を守って、若君の腕に守られた、小さな生き物を注視した。

 猫は、見えぬ目にも、己を取り巻く妖しげな気配にも、興奮しているらしい。若君の腕に深く爪を立てている。腹は空いているのだろうに、毛倡妓が手の平に魚の身をほぐしたのを置いて、鼻先へ持っていってやっても、ふんと小さく匂いを嗅ぐだけで、口にしようとしない。
 その小さな生き物へ、若君は優しげに語りかける。

「大丈夫、大丈夫だよ、苛めやしないから。みんなが君を守ってくれる。もし君を追ってる奴が来ても、すぐにやっつけてくれるさ、みんな、とても強いんだから」

 座敷に居合わす、己と縁を結んだ妖たちを、心から信じていらっしゃる御様子。
 この若君が、そうやって、猫の逆立った背中の毛を撫で続けていると、やがて、猫はあれほど必死に抜け出そうとしていた若君の腕の中、良い居心地の場所を見つけたのか、ゆるゆると体を弛緩させ、ふうと長く息をついた。
 すかさず鼻先へ、今度は若君が自ら、柔らかく煮たうえに、さらに今は片手でほぐした魚の身を与えてみると、一口、もう一口と、腹に入れ始める。
 すっかり平らげると、とりあえずのところ、若君への警戒は解いたのか、幼さが残る彼の指先まで綺麗に舐めて、また、くうくうと眠りについた。

「……はー、よかったですねぇ、若。鴆様のお薬まで、ちゃんと食べてくれました」
「うん。ほんと、よかったよ。手伝ってくれてありがとう、雪女」
「いいえ、私はあたたかいままのお料理は苦手ですから、ちっともお役にたてなくて、かえってご迷惑だったんじゃないかと……。にしても流石はリクオ様、隣であれこれお伝えするだけだったのに、見事な包丁さばきでございましたよ!このチビさんも、きっとすぐ良くなりますとも!」
「そうだね。体の傷は、内臓までは届いていないって鴆君も言ってたし、きっと。……かわいそうに、目は潰されてしまっているそうだけど……」

 若君が、優しい表情を曇らせ、そっと目を伏せる。
 幼子のように素直で、他ならぬ若君の祖父にあたられる、初代総大将が、「二代目はワシに似ていたが、リクオはワシの奥によう似ている」と頬をゆるませる、気品漂う面立ちも手伝って、どこから見てもやんごとなきお育ちの人間である。
 あはれである、と口にして、何事か力になってやれないだろうかと言う様とこの心根を、若君をよく知らぬ輩は、人間臭いと馬鹿にするのだが、若君が幼い頃からお守りし、仕えてきた者たちは、好ましく思いこそすれ、どうして疎ましく感じよう。
 微笑まれていると、そこに桜が咲いているかのようなあたたかみを感じさせる若君が、言葉を失ってしまったところで、気を使って、毛倡妓が問う。

「……それで、リクオ様、このおチビさんの名前は、どーされるの?」
「え?」
「おチビさん、では呼びにくいでしょう。かと言って、自分で名乗れる様子はありませんし。……見たところ、尻尾は一本しかありませんもんね」

 これにも、若君は難色を示される。
 その理由は、眠り猫の首につけられた、赤い革の首輪にあった。

「この子、飼い猫だと思うんだ。首輪もつけてるし、少し見ただけなんだけど、そこについてるペンダントには、小さく住所みたいのも書いてあったしね。もう少し落ち着いたら、もっと触らせてくれると思うから、そうしたら飼い主のところへ、連れて行ってあげたい。名前もきっと、この子のものは、もうあるんだと思うな」
「……では、それまでは、若の大事なお客人ですね。立派な寝床をこさえてさしあげませんと」

 と、首無が運んできたのは、打ち直したてでふかふかの座布団だ。
 この上、屋敷を徘徊する妖怪たちの気に障られて、風邪でもひいてはいけないからと、この季節にしてはあたたかな毛布までを用意して、あんばいよく、猫の客人がこれを気に入って丸くなったので、その夜はこれでお開きとなった。

 猫の世話は若君の方が、他の妖怪たちよりも細やかに気が行き届くし、若君のお世話にはいつものように雪女が侍り、あとは皆、思い思いの自分の夜を過ごしに赴くが、たった二人になったところで、首無が胴は前、頭は後ろを向いて、てんで心ここにあらずなので、毛倡妓は気にかけて、その胸中を問う。

「いや、何、少し、嫌な心もちがしたんでね」

 若君の御傍を離れると、江戸育ちらしい、はきとした物言いで色男は答える。

「辻斬りってやつはさ、最初っから人を斬ろうって思う輩は、あんまりいないんだ。最初はああやって、犬猫みたいな小さなのから始めていく」
「やだ、気味の悪いことを言わないでよ」
「まァ、今は、俺たちが生まれた江戸の頃とは、ずいぶん違うからな。御上御自ら、『平成』なんて謡う世の中だ、往来で刀をぶん回す輩はもういないし、どれだけ闇夜が暗かろうと、お月さんのようにお役人が目を光らせなすってる……と、思いたいもんだね」
「いやだいやだ、可愛い若様の身に何かあったらと思うと、ぞっとする。変なこと言わないでちょうだいな」
「リクオ様なら大丈夫だろう。青や雪女がついているし、何よりご自身で、自分の身の一つくらい、ちゃあんと守れるさ。お前が思っているより、たのもしい御方だぞ」
「それは、夜の御姿のときは何の心配もないけれど。昼の御姿のときは、ああしてまるで小さな童でいらっしゃるんだもの。同じ年頃の男子よりも小さいようだし、女子よりはたくましいかと言うと、この前連れておいでになった御友人の女子よりも小さいし……ちゃんとご飯、食べてくださっているはずなんだけど……。
 それに、あんなに愛くるしくていらっしゃるでしょ?アンタが言うような、けしからん変態がその辺りをうろついているんなら、若に目をとめないはずがないじゃない。ああ、どうしよう、心配になってきた」

 おろおろし始めた毛倡妓を、首無は呆れたように、あるいは面白そうに、目を白黒させて、

「お前も、すっかり昼の御姿の若様の、《畏れ》の虜なんだなぁ」

 からからと笑う。

「あの方は、昼の御姿でも、なかなかどうして、しなやかで、したたかでいらっしゃるようだよ」