約束の日、飴屋が待てど暮らせど、あの日会った二人が訪れる気配は無かった。
 客が来るからと思って、仕事を早めに切り上げ、部屋の中を掃き清めて待っていたのだが、夜五つを過ぎても誰も来ない。夜四つを過ぎようかといった頃、飴屋は、担がれたんじゃないかと首を捻ったが、

「 ――― そろそろ、その女が現れる頃かい」

 唐突に横から声がかかったので、心臓を鷲掴みにされたようになって、飛び上がった。

 見れば、いつの間にか、狭い部屋のすぐ横で、壁によりかかる男の姿がある。
 長いしろがねの髪は、風もないのにふわりと吹き上がり、瑪瑙の瞳はあかやあかしと燃えている。着流し姿の妖艶な男は、己の胸に、眠たげな黒髪の童子をもたれかけさせていて、この童子はたった今起こされたかのように、しきりに目を擦っていた。
 しろがねの髪の方はともかく、黒髪の方は先日紹介された二人のうちの一人だったので、飴屋はまだばくばくと鐘を打つ胸をおさえて、誰何した。

「あんた……誰だ。リクオさんが来るんじゃなかったのか」
「オレが、そのリクオだよ。あっちの姿はもっぱら、考え事用なんだ。誰にも知られたくなかったって言うから、誰にも知られないように邪魔したぜ」
「一体、いつから」
「黄昏時かな。悪いが茶と酒とツマミは勝手にいただいた。お夏さんの漬物、旨いな。あんた、あの娘を嫁にもらうつもりなのかい」

 見れば確かに、男のすぐ脇には用意した覚えの無い茶碗が二つと、夕暮れ時にお夏が差し入れてくれた漬物を残しておいたのが、綺麗になくなっている。
 ついでに、棚の奥に隠しておいた濁酒も見つかったらしく、飴屋が仕舞った場所すら忘れていた徳利も並んでいた。

「 ――― 本当に、只人じゃないんだな」
「だが、言いふらすのは厳禁だ。騒ぐのは好きだが、騒がれるのは好きじゃねえんだ。奴良組も、オレもな」
「あ、ああ。それはもう」
「リクオ……まだ、寝てていいか?」

 気配が揺らいだのにあわせて目を覚ましたものの、まだ目的の女の姿は無いと知ってか、童子の方は重い瞼を開けられず、眠たげに声をかすれさせたまま、ぼんやりと口にした。
 すると男の方は童子の頭を一つ撫でてやって、「起こすまで、寝ておいでなさい」と、優しげに微笑んでいる。すう、と、まもなく童子は再び男の胸と腕に体を預けて、眠り始めた。甘え甘えさせるその様子が、あのときの二人の様子そのままなので、ようやく飴屋は、この男があのリクオであると納得した。

「ずいぶん懐いていなさるんだな」
「そりゃあ、もう七年にもなるからな。にしても、大きくなりやがって、もう昼の姿じゃ抱きかかえてもやれねえし、時々ずいぶん大人びたことも言う。普通の人の子じゃないせいなのか、それとも食ってるモンがいいからなのか、大きくなるのが早い早い。こっちの姿だと、こうやって抱えてても重いとは思わないんだがね」
「その七年の間、同じ人を探していなさるんだったね」
「ああ。それがあの屋敷に身を寄せている理由でもある。正直、どんな手がかりでも、似たような格好を見たって噂があるんなら、どこへでも行きたい。あそこの親分さんは、ここら一帯に顔がきくから、時々オレが一人でそういう噂を辿って出かけるにしても、そこをシマにしてる組の奴に紹介もしてくれるし、助かるんだ」

 声をかけられたときこそ、心臓を鷲掴みにされたように驚いた飴屋だったが、リクオがあまりに一途に一人の女を思っているので、人のように、あるいは人よりも情け深いことだと想い、本心から、

「見つかるといいねえ」

 と言った。

 リクオは、涼しげな容貌に、ふわりとあたたかそうな笑みを見せたが、その横顔に、緊張が走った。
 と思うが早いか、月に霞がかかったように、飴屋の目の前で、リクオと、この腕に抱えられた童子は、見えなくなってしまった。

 やがて。

 とん、とん、とん。

 戸が叩かれた。ごくりと、飴屋が喉を鳴らして、しかし、目に見えなくともそこにリクオは居てくれるのだろうと思い、腹を据えて、立ち上がると用意した水飴の器を握って、戸を開けた。

 隙間を開けると、やはり居たのは、あの女だった。
 ぬ、と白い腕を突き出して、一文銭を飴屋へ渡し、かわりに水飴を受け取る。

「次こそは、昼に来ておくれよ」

 答えを期待せずに、いつもの念押しをしたが、今日は不思議に、これに返答があった。
 とは言え、その内容は飴屋が首を傾げるものであったが。

「 ――― 銭は今日で差し上げたのが、最後にございます。お伺いしますが、例えばこの打掛を差し上げたら、飴を分けてくださいますでしょうか……」
「え?いや、そりゃあ、そんな良さそうな着物なら、いくらかで売れるだろうから……」
「 ――― また、参るかもしれません……」

 隙間の向こうの女が、去った。
 ふわ、と、飴屋の横を風が通ったような気がして、振り返ったが、誰の姿もない。戸口も、飴屋が開けた隙間以上は開いていない。

 しかし、リクオは行った、と、飴屋は思い、それは正しかった。
 女に渡したものとは別に、約束の分であろう、水飴が一つ、無くなっていた。


+++


 鯉伴さまを背負ったまま、女の後をつけたリクオは、夜陰の風に紛れて完全に気配を消していた。
 女の方はまるで警戒せず、後ろも振り返らないから拍子抜けである。
 たしかに、闇の中にぼんやり光る白い着物姿と、長い黒髪の後ろ姿が、探す女のものに似ているような気がしなくもない。追い越して顔を見てやろうかと気持ちもはやったが、何故あの飴屋のもとを訪れるのか、帰る先はどこなのか、暴いてやらなければ変わらずこの怪異は続くだろうと考え、はやる心を律した。

 飴屋が言う通り、女は見かけよりも足が速い。
 いや、足はほとんど動かしていない。
 するり、するりと、地面の上を滑るように先を行く。

 まもなく、飴屋が言っていた寺であろう、坂道を女はのぼり、寺の門を潜った。
 リクオはこれを追って、門の陰にかくれ、女の行く先を見定める。
 たしかにいくつもの墓や卒塔婆が立っており、女はするするとこれを行くと、そのうちの一つの前で、突如、ふっと姿を消した。

「 ――― 見たか、リクオ」
「ええ、どうやら、ここが当たりのようだ」
「行くぞ」

 もうすっかり眠気を覚まし、リクオの背から降りた鯉伴さまは、卒塔婆の森へ向かって駆けて行かれる。妖怪屋敷で育った若頭に、墓場が怖いなどという意識はまるで無いのである。たしかに、あちらこちらで青い炎がちりちりと燃えては消えているが、人が眠る場所には、ままあることだと気にもされない。
 リクオもこれを追った。

 ついた先は、とある墓の前だ。
 真新しい卒塔婆が立った墓には、今日供えたばかりのような、花まできちんと生けられていた。

「ここで消えたよな」
「たしかに。しかし、参ったな、暴くわけにもいかねえし」
「そこらで浮いてる人魂に、ちょいと話を聞こうや。おおい、そこの。そう、お前だよ」

 ふわふわと漂うばかりで何も害など及ぼしてもいないのに、人から恐れられるばかりであった人魂は、人の童子が怖れもせずに手招いて呼ぶので、少し面食らったように、おそるおそる、近づいてきた。

「お前、ここに埋まってるのが誰か、知ってるかい」
『さァ ――― アタシ、この先でまとめて埋められた、無縁仏の夜鷹で、この辺りをけっこう長いこと浮いてますけどねえ、この墓場に埋まってるのがどこの誰かまでは、気にしたことないですから……』
「ま、そりゃそうだな。じゃあ、ここに人が埋められたのは、つい最近かどうか、これはわかるかい」
『ええ。たしか、まだ四十九日も経っていないと思いますよ。なンでも、どこだかの大店の娘さんだったとか。まだ、十八かそこらの娘だったそうですよ。若いのに、可哀相にねェ』
「大店?へえ、そうか。で、どうやらその娘がこの墓から抜け出して、夜中に町まで買い物に来てるんだけどよ、なんか心当たりは」
『たしかに、埋められたその日から、七日ごとにせっせと出歩いてますねえ。あたしも話しかけてみたこと、あるんですよ。誰かに恨みでもあって、そいつを探してるのかいって。こンな風に浮いてる身じゃあ、話し相手もそれほど見つからないし、少しでも話せそうな相手がいたら、話しかけてみるしか暇つぶしは無いですからねェ。
 でもこの娘、無口で。誰を恨んでもいない、恨むとしたら自分の儚い身の上くらいだって、殊勝なこと言って、すぐ消えちゃって。確かに、死に装束の上に綺麗な打掛着せさせてもらって、真っ裸で路傍に放り出されたアタシとはえらい違いだから、恨みも無いのかもしれないですけど。ああ、でも何を買いに行ってるのかは、アタシ、訊かなかったなァ』
「ふゥん。恨みもないのに化けて出て、飴を買って……?」
『棺桶の中で舐めてたりして』
「まさかー」
『ですよねェ。何なら、掘り返してみちゃいかがです?どうせこの寺の生臭坊主、大酒かっくらって泥酔状態で眠ってるか、夜通し花街で遊び歩いているかですから、気づきやしませんよ』
「いや、流石にそれはやめておこう。騒がしちゃ可哀相だ」
『そうですか?まァ、そりゃそうか。そう何度も掘り返されちゃ、眠ってる方だってたまったもんじゃありませんよね。すみませんね、せっかく話しかけてもらったのに、たいした事もお話できないで』
「いいや、助かるよ、人魂の姐さん。 ――― ここの寺の坊主、生臭だって?その話、もう少し聞かせちゃくれねえかい」

 最後に言葉を拾ったのは、リクオの方だった。
 鯉伴さまと人魂との話に聞き入って、何かを考えている様子だったが、ふと何かが引っかかったらしい。

 賑やかに話す相手を探してはいても、いざ話してみるとろくに話せることもないので、人魂は恐縮してまたあちらへふわふわ漂いに行こうと思っていたところだったので、粋な男に声をかけられ、すっかり舞い上がって、リクオの周囲をふわふわと機嫌よさそうに漂った。

『ええ、ええ、いくらでも話しますとも。ここの坊主ときたらね、経を上げるより女に嬌を上げさせる方が得意でさァ。無縁仏のアタシ等に経を上げたって一文にもなんないから、ろくな線香もあげちゃくれないし、年に一度だって廟に足を運びもしないンですから。アタシだって、あんな酒臭そうな息で経を吐き出されちゃ興ざめですから、いいンですけどね。
 口が上手いンでしょうねェ、檀家さんからよく、寄付ももらってるみたいですよ。羽振りが良いですから。そうそう、ここの墓の娘さんのご両親も、よく来てはお布施を置いていきますよ。見てないところじゃ、全然経なんて上げてないですけど、そのお人等がいるときは、ちゃあんと、坊主の振りしてますねェ』
「そうか……うん、何かが、引っかかるんだが……」

 ぐしゃぐしゃと、不機嫌そうに髪をかきむしり、

「やっぱり、こっちの姿は考えるのには向いてねえ。気ばかりが逸る」

 憮然とした表情で腕を組み、嘆息した。

「一度戻りましょう、鯉伴さま。参ったな、この姿で来たのはどうやら失敗だ。今度のこと、朝にすっきりした頭でもう一度考えたい。なんだか、釈然としねえ」
『行っちまうンですね……はァ、兄さん、坊ちゃん、無理だとは思うけど、たまには遊びに来てね……』

 名残惜しげに人魂が言うので、鯉伴さまはなんともあっけらかんと仰せになった。

「なんだ、お前、ここから離れられない理由があるのか?賑やかなのが好きなら、うちに来いよ。賑やか陽気が好きな連中がたくさんいて、毎日祭りみたいだぞ」
『まァ、いいンですか?お邪魔じゃございませンかねェ。あたしなんて、ふわふわやってただけで怖がられますよ。坊ちゃんのおうち、ご近所さんから怖がられたりするンじゃ、ありません?』
「おれは提灯と言えば破れ提灯、厠の供には鬼火か人魂で育ったからなあ、そういうところはわかんねーや。屋敷に来れば他にも鬼火や人魂がいるから、人間に怖がられて寂しい想いをするより、楽しいと思うぜ」
『本当ですか?まァ嬉しい。あたし、寂しいのが未練でこういう身の上になったんで、もしかしたら、成仏しちゃうかもしれません』
「そりゃあよかった。それまで楽しめよ」
『それじゃ、お言葉に甘えて……。あたし、夜鷹やってました、おセツって言います。坊ちゃん、兄さん、よしなに』

 嬉しそうにふわふわと飛び回る人魂を供に加えて、二人は一度屋敷に戻ることにしたが、鯉伴さまが人魂娘を何の気負いもなく供にしてしまわれた様子に、リクオは守役として、一抹の不安を覚えた。

「鯉伴さま」
「ん、なんだ」
「……タラシですね。どこでそんな芸当覚えたんです」
「うん?なんだそれ?芸当?」
「天然ですか。こりゃあ、先が思いやられる」


+++


 夜が明け、一睡もせずに腕を組んで濡れ縁に座したまま、闇に沈む庭を見つめていたリクオは、纏わりつく紫雲が朝陽に払われ、また視界の先が陽の光に照らされて浮かび上がってくると、同じように頭の片隅に沈んでいた考えも泡沫のようにふわりと浮かび上がってきて、そこで、人魂のおセツを呼んだ。
 昨晩、奴良屋敷の新たな一鬼となったおセツは、鯉伴さまに伴われて、総大将と珱姫さま、あちらこちらの小物たちに紹介され、陽気な宴の場にすっかりできあがって、この時間には今にも酔いつぶれそうになっていたが、それでも、屋敷に連れてきてくれた恩人の一人であるリクオのことは嫌うはずもないので、手招かれてふわふわと近寄り、童形姿を「あれまあ、夜の御姿も粋だけど、その御姿も可愛らしい」と喜んだ。

「もう休む時間だろうに、無理をさせてごめんよ。ねえ、おセツさん、さっきの、寺でのことなんだけど」
『はいな』
「そのご両親、お布施を納めにくるって言ってたね。二人とも、一緒に来るのかな」
『……いいえ、そう言えば、別々に来てましたねェ。自分たちの娘のことなら、一緒にくるでしょうに、娘を埋めたときは一緒に来て、その後は、別々に』
「それにおセツさん、言ってたよね。《何度も掘り返されちゃ、眠ってる方だってたまったもんじゃありませんよね》って。あの墓の下の娘さん、掘り返されたこと、あるのかい」
『はいな。あの娘だけじゃなく、あそこで埋まってるのは、よく掘り返されたりしてますよ。ま、あたし等みたいな無縁仏じゃなくて、ちゃんとした檀家さんのところのだけですけど。弔いのときに埋められて、後で何か思いだすことがあるのか、掘り返されて、また埋められて。あの世に持たせてやりたいものでもあるんじゃないですか?』
「それで、娘さんを、掘り返したのは、どっちだい。父親か、母親か」
『供を連れた女でした。身なりもよかったし、大店の奥方じゃないンですか?となると、母親の方でしょうねェ』
「そうか ――― ありがとう、おセツさん。充分だよ。よく憶えていてくれたね」
『あたし、お力になれたんでしょうか』
「もちろん。とても助かったよ。きっとあの娘も、助かると思う」
『あらァ、嬉しい。こんなに喜ばれるなんて。ええと、リクオ様って仰いましたよね?また何かありましたら、何でも仰ってくださいましね。あたし、こんなにふわふわしてるから出来ることは少ないですけど、リクオ様のお望みなら、なンでもして差し上げたい』
「うん、その時は、きっとお願いするよ。他にも何か思い出したことがあったら、是非教えて」

 人魂娘は、リクオに向けられた笑みに、己の光をぽうっと桃色に染め上げて、朝の光から逃れるようにそそくさと退散したが、この様子を、鯉伴さまがしっかりご覧になっていた。
 昨夜遅くに帰ってきて、少し眠ったが、リクオの様子が気になって、いつになく早起きされたのだ。

「お前の方がよほどタラシじゃねえか」
「人聞きの悪い。私はちゃんと、してもらったことに、御礼を言っただけです」
「 ――― で、わかったのかい」
「ええ。やはりあの墓は、掘り返すべきです。掘り返さなければなりません。それも、できるだけ早く。でも ――― 掘り返して、考えが正しいことがわかったとして ――― その先、どうすればいいやら ――― もしかしたら、掘り返さないでいた方が、母親と離れずいられるのだし、良いのかもしれない。誰にも知られずに、今世で業を犯さず浄土へ行った方が、あるいは ――― と考えると、やはり掘り返すのはやめておくべきか」
「なんだ、はっきりしないな。何をそんなに気にしてやがる」
「疎んじられるとわかっているのに、産まれてくる意味があるのかと、そういうことをです。産まれてきてくれて嬉しいと、喜んでくれる父も母も無ければ、むしろ何故産まれてきた、どうして死んでいてくれなかったと思われるのは目に見えているのに、産まれてくる意味があるのかと、そういうことをです。迷っています。誰かが望まないのを承知で暴くべきか、誰かが望んだままに隠したまま、触れずにおくべきか」
「よくわからねえが ――― 生きるの死ぬのは、自分で決めることじゃねえのかい。誰か他の奴が決めることじゃあねえだろう」
「生きてくれ、死んでくれ、というのを、決めたがる輩はいますよ。私もここに来る前、誰か彼かにそういう風に疎んじられた覚えはある……いえ、こんな話、鯉伴さまにすることではありませんね。すみません」
「いや、続けろ。いつまでもガキ扱いするんじゃねえ」

 屋敷の物の怪たちの気配が、一番静まる時刻だ。
 いつか総大将とそうしたことがあるように、今は鯉伴さまと、桃色に染め上がった東の空を眺めながら、リクオは昨夜よりもさらに悩む。
 昨夜は事の次第がどういういきさつであったか、わからないから悩んでいたが、朝陽に照らされた今はすっかり道筋が見えて、あの墓に埋められているものと、何故埋まっているのかと、女がどうして飴を買いにくるのかが、わかってしまったから悩んでいる。

 縁者が埋めようと思って埋められたものを、他人が掘り返すべきか、否か。

「お前が何に気づいたのか、おれはわからねえがよ、お前が今悩んでいるのは、生かすべきか、殺すべきか、そいうことか?」
「まさに、その通りです」
「そりゃあ、お前が考えることじゃねえって。産まれてきちまったもんは、あとはどうやって生きるのか、産まれてきたもんが勝手に考えることだ」
「それでも、こうなってほしい、こう育ってほしいと思う願いは、縁者なら持ちますでしょう。鯉伴さまだって、奴良屋敷の二代目として育ってほしいと思われて、こうして育ってきたわけですし」
「だが、二代目になろうとしているのは、おれの意思だ。他の誰の考えでもない。嫌になったなら、出て行くのも、それもまたおれの自由な意思だ。未来は、自分の意思で選ぶ」
「選ぶ幅が狭いから、選ばされていることに気づけないのかもしれない」
「選ぶ幅が狭くなるのは、縁が多いからさ。まあ正直、鬱陶しくなることが無いとは言わないが、縁も含めておれの命に与えられたものであるなら、丸ごとおれは背負ってやろうと思うよ。背負わされたものであろうと、背負うと決めたのは、おれの意志だ。人と、妖と、繋いだ縁を絶やさぬように」
「鯉伴さまは、お強い。 ――― ボクは、弱いな」
「そうか?おれがこう思うようになったのは、お前がいてくれたからだぞ、リクオ。お前がおれを甘やかすから、おれだって誰かを甘やかしたいって思うようになったし、お前がおれを守るから、おれだって誰かを守ってやろうという気になった。親父のように強くてかっこいい、魑魅魍魎の主になってやろう、ってな。
 リクオ、お前がここへ来て、今もここに居るのは、お前が自分を思い出せず、どこから来て、どこへ行くのかも思い出せないでいるからだったな。縁を持っていないわけじゃない、きっとどこかに縁があるのに、それが思い出せないから、弱くなってしまったように感じるんだ。
 弱さじゃなくて、それは、心細さだ。お前は強いよ、おれを守ってくれている。
 お前が心細さゆえに、迷っているんなら言うぞ。生かすべきか、殺すべきかというのなら、生きるかもしれないものを殺す必要は無いと、おれは思うね」

 東の空が明けていく。

 リクオは尚も思案していたが、鯉伴さまが、大人びたことを仰せになったのと同じ口で、今度はくわあと大きな欠伸をしたので微笑んで、「もう少し、お布団でお眠りなさい。私は朝の支度がありますから」と送り出してやると、素直にうんと頷いて、目を擦りながら立ち上がった。
 去り際何を思ったか、鯉伴さまは、くしゃくしゃとリクオの髪を撫でていき、幼子が何を気を使っているやらと苦笑したものの、どうしてか、リクオは懐かしいような心もちがして ――― 掘り返そう、と決めた。

 生かすべきか、殺すべきか。
 考えるのは己ではない。


 ――― お前の未来は、お前が選ぶんだ。


 不意に思い出された懐かしい声が、背中を押した。


+++


 二日後。

 部屋に上がると、飴屋が最後だったらしい。
 先日紹介されたリクオと、鯉伴さまはわかったが、もう一人、童女のような背丈の娘がいて、これも屋敷の妖怪なのだろうかと思っていると、茶を運んできたカナが座布団を進め、その童女を紹介してくれた。
 先日の報告とお願いに、ということだったので、飴屋はこの日も商いを昼で切り上げて、カナの父親の仕事場に顔を出したのだが、何やらそれだけでは終わらなさそうだと、表情を曇らせる。

「こちら、苔姫さま。さる豪族のお生まれだけど、事情があって、昔から浮世絵町の奴良屋敷に身を寄せていらっしゃるの」
「はあ、こりゃあ、どうも。璞町のしがない飴屋でございます。……で、その、姫さんが、どうして、こちらに?」
「リクオから話を聞いてのう。どうやら妖怪や子供の身には手が余るように思えたので、こうして出向いた」
「妖怪の身にはって……じゃあ、あの女は怪異の類ではなかった、と?」

 子供の身には、と言っておきながら、上座にしゃんと背筋を伸ばして座る苔姫の姿は、飴屋からはそれこそ童女のように見えてならなかったが、口を開けば声はたしかにしっとりとした娘のもので、面立ちにも大人びたところがある。
 小柄だが、童女ではない。

 この苔姫が、リクオと目を合わせる。頷きあうと、次に話し始めたのがリクオだ。

「怪異は怪異ですが、それが起こる原因は、どうやら生きた人間の方にあるように思えてならない。それを解決しないと、同じようなことは、飴屋さんのところ以外にも起きると思うんです。逆に、片がつけば、今後あのひとは、飴屋さんのところには来なくなるでしょう。
 そこでお願いがあります。今から、ボク達と一緒にあの寺へ、来てはいただけませんか?」
「え、ええッ?!あの寺へですか……?」
「飴屋さんも、あの打掛を見たでしょう。それに、あのひとに飴を売って、水飴を入れた器も渡していますよね。あなたの証言が必要なんです」
「証言って……お白州じゃあるまいし、一体これから、何をなさろうって言うんです」
「あの寺の、ご住職に断って、ある墓を暴いてみようと思っています。既に、檀家さんには断りを入れました。とある大店のご主人でしたから、ボクのような河原者では縁も作れず、どうしようかと思っていたところに、苔姫の御力を借りました。出自はやんごとなき豪族の姫君で、その大店のお得意様ということもあって、話を聞いてくださったそうです。飴屋さんのところや名前は伏せて、今回の怪異のお話をしたら、是非改めて欲しい、と」
「一体、どういうことです?話が全然見えねえや、つまり、手前のところに来ていたあの女、その大店の縁者だったんですかい?だったらどうして、その大店の旦那のところに化けて出ずに、手前のところなんぞに来たんです。一体、どうして ――― ?」
「それは、道すがら話しましょう。来てくださいますね」

 おっとりしているが、是非を問わない口調である。
 仕方なく、飴屋は共に行くことになった。

 それほど遠くない場所であるのに、苔姫は駕籠を使う。飴屋が見ていると、着物の裾を持ち上げたときに覗いた足は、目を疑うほど細く小さく、およそ人の体を支えられるようにはできていないようである。
 リクオと目を合わせてにこにこと笑っていると、向日葵のように明るい娘であるのに、一体その身にどんな業を浴びせられたのだろうと、飴屋は胸が痛くなった。

 苔姫と鯉伴さまとリクオ、そして飴屋は、カナに見送られて、寺を目指す。
 道すがら、と言った通り、リクオはカナの耳にはもう届かないだろうと思われる程度に離れると、口を開いた。

「あの夜、鯉伴さまとボクは、あの女のひとの後をつけました。彼女は飴屋さんが言った通り、お寺の門の向こうにある、墓場の一つに帰っていった。真新しい卒塔婆が立って、綺麗なお花が生けてある、立派なお墓でした。翌日の昼に、苔姫にお寺へご一緒してもらって、そのお墓がどこの大店のものなのかを伺ったら、璞町の呉服屋、清屋さんのものだっていう話でした」
「え、清屋?あそこ、娘さんなんて居たかなァ……。たしか、気の弱い一人息子が居たって話だったような……」
「それがね、居たんですよ。最近養女に迎えられた、女のひとが一人。十八だったそうです。養女に迎えられたときには、もう労咳を病んでいて、黄泉へ逝くのを待つだけだった。おかしいでしょう、死ぬと判っている女のひとを、わざわざ、養女へ迎えたんです。
 その娘さん、大店の旦那様の、愛人だったようなんですよ」

 ざわり、と、飴屋の背筋を冷たい予感が通り過ぎた。

 璞町の呉服屋の、旦那様はかなりの羽振りだ。奥様は肥え太り、一人息子は詩吟と茶の世界に凝り固まって、何の苦労も知らない。妻に美しさを求められないなら、旦那様にだって愛人の一人や二人、必要だろうし、実際、居るだろう。死ぬとわかって捨てるどころか、娘に迎えて墓の世話をしてやるなど、なかなか普通のお人にできることではない、と、そこには感心するのだが、飴屋の背筋を通り過ぎて行ったのは、そういった、表向きの人の業ではない。
 では、何故、娘に迎えられて死んだ愛人が、飴屋のもとを訪れて、その飴を、誰に与えているのかと、いうことだ。

「旦那様に訊いたら、たしかに、最後に綺麗な打掛を、黄泉路で寒い想いをしないようにと、着せ掛けた、と」
「じゃ、じゃあやっぱり、手前の部屋の戸を叩いてたのは……」
「ええ、間違いありません。死んだはずの娘さんです」
「ひ、ひぃぃぃ……」
「それは確かです。墓から出入りしてたのを、おセツさんがしかと見てましたから」
「お、おセツさん……誰です、それは」
「そのお寺でふわふわ漂ってた、無縁仏の人魂です」
「ひ、ひいいぃぃぃぃ……」
「飴屋、それぐらいで何をガタガタ震えておる。人魂も、飴を買いに来る幽霊も、怪異だがお主に何の害もなさなかったであろう。男ならば、しゃきっとせぬか。この話の怖いところは、人魂や飴買い幽霊ではない。今も生きている人の方じゃ。そういうことであろう、リクオ」
「………」
「………まこと、浮世は時折、そのまま地獄のようじゃ。妾も昔は、よう泣かされた」

 どこか遠い目をする苔姫は、今も尚、微笑んでいる。
 無意識であろうか、自らの足を、これまた小さな手でさすって。
 飴屋はこの横顔を、どこかで見たような気がしたが、苔姫に会ったことなど無い。
 けれど確かに見た、一体いつどこで…と考えるのだが、このときはまだ、答えが出なかった。