墓が掘り返され、あばかれてみると、果たして、そこでは赤子が小さくか弱い声を上げていたので、「やはり」と、苔姫は呟き、赤子の側で打掛に包まり眠る娘の亡骸に向かって、小さな手を合わせた。
 この横で、鯉伴さまも所作を真似て手を合わせて目を瞑り、それから、棺桶の中にひょいと降り立つと、小さな赤子と、この周囲に散らばっていた、飴屋の焼印が入った竹の器を抱いて戻ってきた。

 葬られるときに入れたはずの六文銭は、棺桶のどこにも見当たらない。娘が飴屋へ通ってきたのも、たしかに七日ごとに六度であった。

「飴屋、こいつはお前んとこので、間違いないか」
「たしかに、そいつは、手前の店で扱う器です。水飴を売るときに」
「この女が着ているものは、お前が見た打掛で間違いないな」
「 ――― へえ、たしかに」

 浮世絵町以外で異相は目立つので、リクオは住職や大店の旦那の前には姿を現さず、こうして準備を整えるときにもそうしたように苔姫に全てを任せ、少し離れた場所から様子をうかがっていた。
 棺桶の中の娘が、期待はしていなかったがやはり己の探す娘でないことに、ほっと息をつき、同時に、今は物言わぬ屍でしかない母親が、ようやくほっと息をついたような表情であるのに、いかな神仏が結んだ縁かは知らぬが、生きている間に知り合えなかった人の娘への僅かな憐憫を感じずにはいられなかった。

「おおぉ、これは……娘が産んだ子に違いない。なんということか」
「おそらく、お亡くなりになった後、棺桶の中で生まれた御子にございましょう。娘御は、死んだ身なれど、棺桶の中で御子を産まれて、黄泉路へ行くに行けず、飴屋の戸を叩いて水飴を買っては御子に与えていたと、そういうことなのでしょう。母とは、こうまで情け深いものなのですな……」

 よくも、いけしゃあしゃあと言えたものだと、リクオは目を細めた。
 立派な袈裟に身を包む僧侶は、初めて知ったように感嘆しているが、人魂おセツから聞いた話が本当であるとは、この辺りがひんやりとした祟り場となっていて、耳を澄ませば鬱々とした声が僧侶に向けられていることや、自分も少し気を緩めてしまうと化生してしまいそうなほどの陰気が垂れ込めているのが、何よりの証。
 人間どもには決してわからぬ理屈で、本能で、リクオは僧侶の嘘を知る。
 要らぬ赤子を埋めたのは、生きている者を埋めたのは、何もこれが初めてではあるまいに。

 さて、どうやって暴いてやろうかと思案し始めたその時に。

「 ――― 母になったからとて、全て情け深くなるとは限らぬもの。しかし、お主の母は、三途の渡り賃を飴に換えてでも、お主を生きながらえさせた。お主のことを助けてくれと、誰にも言わなんだのは、生きるものは生き、死ぬものは死ぬと思ってのことであろう。それでも、此の世で乳も与えられなかったことを不憫に感じて、お前に水飴を買ってきたのだぞ。
 わかるか。お主は、母に守られておったのだ。よかったのう。母はお主を、確かに愛しておったよ。本当に、本当に、よかったのう。すばらしい母に恵まれて、羨ましいぞ。よかったのう、本当に、よかった。それを知ることができただけでも、この浮世に生まれてきて、よかったではないか。
 他の、情容赦の無い者どもが、お主を要らぬと思ったとしても。
 それでも、母はお主を、たしかに愛しておったのよ。
 誰を恨むでもなく、ただ、お主を愛しておったのよ」

 ぽろり、ぽろり、ぽろり。

 その場に居た男どもは、ぎょっとした。
 僧侶も、大店の旦那も、飴屋も、墓の土を掘り返した人足たちも、あんぐりと口を開けて見ているしかなかった。

 苔姫は微笑みながら、大粒の涙をぽたりぽたりと落としたが、これが何と大粒の真珠に代わって、黒々とした墓場の土に、白い霰と降り注いだのだ。この一粒を鯉伴さまが拾って、棺桶に膝を曲げて入れられている娘の手元に握らせてやった。「六文分を払って、釣りが来るだろう。閻魔に多少の融通だってきかせられらァな。だから迷わず、もう逝けよ」優しく娘に囁いて。

「馬鹿なことを考えた者があったのう。許しておくれ、罪無きやや子。さっそく浮世の辛さが身にしみたであろう。代わって詫びよう。本当に、本当に、すまなんだ。許しておくれ。罪を犯す者は、それでいいと思い込んでおるのよ。前の世で、我等がいかな業を犯したのか、それは神仏のみぞ知ることだが、いかな業を犯して生まれた我等もまた、誰かに愛されることがある。さあ、あたたかな家へ行こう。お主は、この苔姫が面倒を見る。
 浮世は辛いことばかりではないぞ、夢のように、幻のように、地獄にもなれば浄土にもなる。お前もこれからは、浮世の夢を楽しむと良い」

 はたはたと溢れる涙を真珠に変えながら、寒くないように両袖を合わせて体を包み込むように赤子をそっと腕に抱き、男どものことなど忘れてしまったように、鯉伴を伴い、寺の門へと歩み始める苔姫。
 その歩んだ後には、美しい真珠が光っている。
 今までに無いことに、皆が目を丸くしていたが、一人、大店の旦那が、ようやく我に返って苔姫を呼び止めた。

 最初に苔姫を見たときには、さしたる供も連れていないのに姫を名乗るところを見くびって、慇懃な挨拶をしたものの、後は長く待たせたり曖昧な返事をしたりと無礼を働いていたのに、今は苔姫が落とした真珠を踏まぬよう、大きく遠回りをして、苔姫の前へ膝をついた。
 苔姫はもう、墓が立ち並ぶ土の上から、本坊と門を結ぶ石畳の上へまで来ていたが、ここで足を止め、毅然と清屋を見下ろした。

「お、お待ちくださいませ。その赤子は、我が娘が産んだ子にございます。私の、孫にあたる子でございます。その子は、我が家で引き取りますゆえ ――― 」
「 ――― 清屋、それはならぬ」
「な、何故でございますか。血縁が育てるは当然のこと。この母親の情にかなわずとも、決して苦労はさせないようにいたしますし、私、こ、これでも、璞町でそこそこ繁盛した呉服屋を営んでおりますので、ですから ――― 」
「金の話か?ならば、ほれ、妾が零した真珠で、この子の命の代価を払おう。拾い集めて持っていくがよい。妾には無用のものじゃ」

 かつん。かつん。

 はらりはらりと落ちる涙は、石畳に跳ねて。

 かつん。かつん。

「 ――― その子は、その子は、私の、孫でございます!」
「では、父親は誰じゃ」
「そ、それは ――― 」
「清屋よ、手放しがたく思う、お主の気持ちもわかる。だが、少し考えてみよ。本当にこの赤子が、棺桶の中で生まれたと思うか?死んだ者が、赤子を産むと思うか?」
「 ――― どういう、意味で、ございますか」
「死んだ者は、赤子を産まぬ。当然であろう?」
「し、しかし現に、今、棺桶の中から ――― 」
「棺桶の中から出てきたから、死体が赤子を産んだ、か。単純なことよ。お主、もう少し頭を回さぬと、今は繁盛している店とやらも、瞬く間に傾くかもしれぬ。よいか、清屋、一つだけ教えてやろう。赤子は、後から入れられたのよ。後は、自分で考えよ。
 この赤子は自由じゃ。この浮世に生を受け、これから己で道を選ぶ。その道を、お主の業で絡めるでない。お主が手放しがたく思うそれは、情ではなく、ただの業ぞ。お主は、お主の今ある縁を、大切にすることじゃ」

 かつん。

 かつん、かつん。

 清屋、石畳の上で平伏したまま、もう何も言えなかった。
 父親は自分でございますと、名乗れなかった男に、それ以上追いかける資格もなかった。

 飴屋は、ここまでの道すがら、リクオからあれこれ聞いていたし、清屋よりも実は少し頭が回ったので、ようやく、先ほど背筋を襲った寒気の理由がわかった。
 赤子を入れたのは、清屋の奥方だ。
 愛人を娘にまでして可愛がる旦那への、悋気がそうさせたのだろう。清屋は、愛人が赤子を産んだことすら、知らなかったのかもしれない。労咳にかかったと知ってからは、ろくに愛人のもとへ通わなかったとなれば、それも合点がゆく。旦那様から、あの子を頼むと言われた家人が、実は奥方に買収されていて……考えれば考えるほど、浮世の無情に凍えそうになるので、ぶるりと一つ身を震わせ、飴屋はもう、考えないことにした。

 それと、もう一つ。

 飴屋は、先ほど、苔姫に誰の面影を見たのかも合点した。

 かつん、かつん。

 泣いてばかりの真珠姫は、もうどこにも居ない。真珠を溢れさせてはいても、微笑んでいる。
 腹をすかせているだろうに、苔姫の腕の中で、赤子はほんの少し泣き声を落ち着かせて、笑ったようである。

 ――― ああ、この御方は、菩薩さまに似ていなさる。


+++


 去っていく苔姫を、リクオは追わなかった。
 聡明な苔姫のこと、リクオがこれからどうするつもりであるかも、きっと感づいているはずだ。鯉伴さまがこちらを気にするように一度振り返ったが、苔姫に何か言われて、渋々といった風情で、駕籠について歩いていった。
 機転にありがたく思いつつ、その場でリクオは、夜を待つことにした。

 寺のくせに祟り場とは面白い。今にも溢れる妖気と、ふつふつと沸き起こる怒りで身をしろがねの男姿へ変じてしまいそうであったが、これは目を細めてフンと一つ笑うだけで耐えると、本坊の後ろの林にごろりと身を横たえ、完全に日が暮れるのを待った。

 清屋がすすり泣き、人足が掘り返した土を再び棺桶にかぶせていくのを見守っている。
 この側で、僧侶が読経をしているが、血と煩悩に穢れた者が読む経など、何のありがたみもない。辺りの祟り場は、僧侶の声に静まるどころか、リクオの中に流れる血に呼応するように、ふつふつと沸いている。

「 ――― まァ、そう急ぎなさんな。急いては事を何とやらだ。始末をつけるのは、今宵、月の無い夜としましょうぜ」

 ふつふつ、ふつふつ、土の下から聞こえてくるのを、喉の奥でクククと笑い、まだ目覚めるには早いぜと、手綱をしめる。
 鎮まれとは言わない。それは僧侶の役目だ。そしてリクオは僧侶ではない。

 呪、厄、病、疫、泣、憤、怒、殺、死、血、腐 ――― ありとあらゆる呪詛の塊が、身を横たえるリクオの耳に聞こえてくる。
 苔姫の真珠が散らばった場所は、不思議とこれが払われて、人間どもが気づかぬうちに、うっすらと緑の苔が生えてきたほどであったのに、人足どもが主の見ていないところで、これを一つ二つと拾い上げ、さらには清屋がこれを叱って去ると、僧侶が何食わぬ顔で残りを全て拾い上げて懐に入れてしまったので、せっかくの清い気配は消え去って、また元の通りの穢れた場所へと変わってしまった。

 僧侶の手に触れられると、真珠は清い輝きを失って、ただの質の良い玉になってしまった。
 只人の身であれば、それでも珍しく尊いものだろうが、これほどの祟り場を ――― 高僧が一生をここで過ごし、読経を続けたのであれば、いずれは花も咲くようになるかと思われる、腐れた場所を ――― 例え一箇所であったとしても、一瞬のうちに払ってしまう苔姫の真珠は、人の手が触れずにいてこそ価値あるものだというのに。

「やっぱり生臭坊主だ。てめぇで、てめぇの首を絞めやがった。オレは知らないぜ。ただ見てるだけだ。そう、どうなるのかを最後まで、見てるだけ。この寺は、知らんぷりが許される場所らしいから、オレも、こうして寝そべってたら、オレの妖気が地下のあんた等に、どんな力を与えてしまうのかも、知って知らんぷり、だ」

 宵闇まで昼寝としけこむかと、くわあと欠伸をしたリクオの脇で、待ちきれずにか、ぼこりと土が盛り上がった。
 あちらでも、こちらでも。

 やがて黄昏時となり、宵闇が、辺りを包み込み。





 朝は等しく、皆に訪れる。
 寺の小坊主が、いつものようにあたりを掃き清め、朝餉の支度が整ったところで僧侶を呼びに行き、ようやく、住職の姿が寝床に無いのに気づく。いつもむせ返るような酒の臭いがしているというのに、これもなく、また朝帰りだろうかとたいして心配もせずにいたが。

 奉る仏像を拭き清めておこうと思ったところで、異変に気づく。
 外から、何かを引きずるような泥の帯が、幾筋も、幾筋も、本堂に続いている。
 観音扉はわずかに隙間が開いていて、小坊主が少し押すと、これが、ぎい、と不気味な音をたてて開いた。

 小坊主、息を呑んで立ち尽くす。

 土、泥がついた白骨。同じく泥で汚れ、腐りかけた死体。男、女、老人、子供、赤子にいたるまで、何人も何人も、助けを求めるように手を伸ばして、絡んでいた。
 ――― それ等が折り重なって下敷きにした、変わり果てた住職の体へと。

 慌てた小坊主、ひっくり返りそうになりながらも宿坊にとって返し、兄弟子たちを呼んで一大事を告げ、寺は途端に騒がしくなった。
 死体がどこからやってきたのか等を改めるが、一晩のうちに墓場にはいくつも穴が開いていて、そこから何かが這いずったような跡が、一直線に本堂へ続いているのだ。
 不思議であったのは、住職に絡んでいた死体のいずれも、墓穴に入れた覚えの無い者たちであるということ。

 年長の坊主は首を捻ったが、心当たりがあろうはずもない。酒や女に溺れた師匠で、ろくに経もあげなかったので、こういう最期を遂げることは決まっていたのだろうとも思われた。

 これを、仏像の影から見届けていた者があったが、弟子たちが騒がしくなったのを見届けて、影に溶けるように消えた。

 一晩中、これを隠していた仏像もまた、知らんぷり。
 目の前で起こったことにも全部、手を合わせながら、知らんぷり。

 下手人も、あがらなかった。