遠くで話し声がする。何を話しているかまではわからない。
 屋敷の小物どもが、夜となく昼となくざわめくのはいつもの事だった。

 まだ切ない夢の余韻に浸っていたところだったので、うるせぇなあ、と、彼は一つ寝返りをうつ。

 遠くの声は尚、続く。少し近づいた様子だ。

「起きぬか」
「起きぬか」
「千代の手に抱かれたんじゃ、しばらくは仕方なかろうが」
「人間ならば尚のこと」
「これは人間かえ?」
「半妖だとよ。半分は人間だとさ」
「へー、半妖!おいら初めて見た。半妖って喋るのかなァ」
「にしても、まだ起きぬ」
「あと半時ほどして起きんかったら、喰っちまってもわからんのではないか」

 いや違う。己の方が、意識の底から少し浮かび上がったのだ。
 にしても、いつになく煩い連中だ、何の用だとぱちりと目を覚ましてみれば。

「 ――― おぉ、起きたぞ」
「おい半妖、何か鳴いてみろよ」
「お前、父が人か、母が人か?お前を食ったら半分は苦いんじゃろうか」
「半分は甘いんじゃろうか」

 目の前にあったのは、見慣れぬ顔ばかり。
 屋敷の連中だって化け物ばかりだからそれには驚かなかったが、一つも知った顔がなかったのには、目をぱちくりさせて呆然自失。次にぐるりとこれ等を見回し、飛び起きた。
 慌てたせいで足元がつるりと滑り、何かを踏み外して、ずだんと大きく音を立ててひっくり返り、したたかに背や頭を打つ。

「いってぇ……何だ、ここは」

 わはははは、と、遠慮の無い嘲笑の渦の中で、ようやく、ここが生まれ育った屋敷ではないと、また今まで身を横たえていたのも布団ではなく大きな釜の中であったと知り、気を失う前の顛末を ――― 久遠河岸の廻船問屋 ――― 大白親分と、恵比寿顔の陰陽師 ――― 一ツ目小僧が ――― 飛び出して ――― あのような三下陰陽師の術など怖くなかった、しかし何故か、そう何故か ――― からからと、糸車の音がして ――― ぬばたまの闇を思い出し、起き抜けの背に、ぞっと冷や汗を浮かばせた。

 己等を絡め取った、あの闇の腕。
 からからからと糸車の音がしたと思うと、空が星を残して落ちてきたかのように、いとも簡単に絡め取られてしまった。あの腕の中では全てを奪われ、全てが無に帰す、斬ろうとしても実体は無く、滅してやろうとしても、そもそもそれ自体が無であり滅の具現であるものを、どうやって滅せよと言うのだ。
 絡め取られた後、妖力が使えぬまではよかったが、そのうち意識を保っておくだけの体力や気力も消えうせて、昏倒した後、どれだけ眠っていたものやら。

 尚も己を囲んで笑っている化け物どもの中で、とりあえず手近に居た輪入道を捕まえ、

「おい、ここは何だ。どこの国だ」

 問うと、輪入道の方は何だかびっくりした様子だった。
 車輪の真ん中に浮き出た、どこか憎めぬ中年男の小さな目をぱちぱちさせながら、一つ頷き教えてくれる。

「うん、ここは木曽と飛騨の山間にある集落だね。お前さん、つい昨日ここに運び込まれたんだ、憶えてない?」
「昨日?おれだけか?他に二人、ちっこいのがいなかったか」
「ちっこいの?」
「ああ、コレのことか?おめえさが、ずうっと下敷きにしてたんだべ、あんれまぁ、ちっこすぎて、いるのわかんながっだぁ、めごいのぉ」

 なまはげが、牙がぬうっと突き出たおそろしげな顔をさらに歪ませて、たった今まで彼が身を横たえていたらしい大釜を覗き込み、底から、なまはげの片手におさまる一ツ目小僧をすくいあげた。強面だが脅かす気はないらしく、抱き上げられてようやくむにゃむにゃと目を擦っている小僧を、撫でてやっている。
 もっとも、小僧の方は己の倍以上もある巨大な顔と突き出た牙に、目を開けるや固まってしまったけれど。
 しかし、さらにもう一人の姿を探して釜の底を見ても ――― 居ない。

「もう一人、居たはずなんだが」
「もう一人?」
「うんにゃ、連れてこられたのは、おめぇと、このちんまいのだけだべさ」
「連れられて ――― そうだ、おれを連れてきたのは、あの恵比寿顔か?あいつは何処に ――― それにあの、糸車の女は ――― 」

 それまで、お前はどこから来たんだだの、何の妖怪なんだだの、あれこれと騒がしく彼を囲んでいた妖怪たちが、水を打ったように静まり返った。
 誰もがお互いの目を見やり、互いの顔を見合わせ、押し黙る。

 それまでの賑やかさが、嘘のように、誰かしら、「そうそう、そろそろ昼餉の支度でもしなくちゃ」「煙々羅に呼ばれてたんだった、いけねえ、道草食っちまった」などと、あれこれ用事を思い出して、去っていく。
 己を囲んでいた彼奴等が、一人、また一人と去っていくと、次第に周囲が見えてくる。

 粗末な小屋だった。
 多くの妖怪たちがつめかけ、笑い声を上げたのに驚いた鶏が、こけこけこっこと騒ぎ声を上げ、羽根をばたつかせている。
 その合間に。

 ――― からからからから……

 他ならぬ、あの糸車の音がして、総毛だった。

 一人、また一人と、彼の周りを去っていくや、はっきりと見えてくる、汚れた単衣の着物、これに包まれた痩せた四肢、べったりとただ黒く艶のない髪を、ようやく肩下まで伸ばした、女が、鶏小屋の隅で、まるで景色の一つのように、何事もなかったかのように、あの夜などなかったかのように、ただ、糸車を回していた。

「てめェ……ッ!」

 気を失う直前に見た顔だ、忘れるはずも無い。

 それまで只人のようであった彼の瞳が、静かな怒りに蒼く燃え立ったのは、たしかに妖の者であると、残った皆に思わせるに充分な気迫であった。
 それも半妖小物で済ませられる類ではない、さぞかし名のある妖の血筋に連なるのであろうと、珍しげに彼を見つめる妖怪たち、少しばかりたじろぐ様子さえ見せた。
 それほどの怒気であった。

 かと思えば次にはもう、娘に飛び掛り組み敷いている。
 あまりの疾さで、まだ彼を囲んでいた妖怪どもは、じっと彼を見つめていたはずの目よりも、どたんばたりからからと、酷い音が響いてきたのを耳で先に聞き取って、いつの間にやら目の前の少年が消え去っており、乱暴に娘を組み敷いていたのを知ったほどだ。
 誰が止める間もなかった。
 あるいは、止めようともしなかったのかもしれない。
 誰もが覚えのあることであり、誰もが少なからずこの女には、恨みがあったから。

 新入りの少年が、己より二回りも華奢な娘の体へ馬乗りに、はっきりと敵意を目に灯して首元を締め上げたのも、娘が苦しげに眉を寄せたのも、誰も止めようとはしなかった。
 二人に痛ましい目を向ける者はあったが、それだけだ。
 ここに居る誰もが、同じような目にあって、ここで目を覚ましたからに他ならなかった。

 からからからり、からり、からり。
 娘の手を離れた糸車が、踊りつかれたように倒れて虚しい余韻だけを残し、やがて、止まった。
 から、り。

「おい女、リクオはどこだ、どこへやった!あの、恵比寿顔が連れて行ったのか。お前は知っているんだろう、言え!」
「 ―――― 」
「言え、言わねえかッ、酷い目に合わせて欲しいか、女だとて容赦はしねえぞ!」
「 ―――― 」
「黙ってりゃあ済むと思ってか、こいつ、惚けた顔しやがって……」

 いよいよ、ぎりぎりと首元を掴む手に力が入ったのを、なまはげの腕に抱かれたままの一ツ目小僧が見つめて、ふるふると小刻みに震え出す。
 普段は飄々としていて優しい少年が、身内の危機となると烈火のごとく怒る様を、今までも何度か目にしてきた。この怒りを覚えさせた敵が、その後どうなったかもよく知っているから、組み敷かれて苦しそうな顔をしている娘が次にはそうなってしまうのではと危ぶんだのだ。

 ――― と。
 まだ小屋に残って所在投げに佇んでいた、例の輪入道が、

「坊ちゃん、あのな、その娘、唖なんだわ。喋れないの。声が、出ないのね。うん」

 横からどこか申し訳なさそうな表情で、そっと囁いた。

「 ――― おし?」

 声が出ない。もちろん、そういう人間が居るのは知っていた。
 呪いか、病か、前世からの宿縁か、何かの拍子で声が出なくなってしまうのだと。

 けれど彼は、今までそういった人間に会ったこどなど無かった。
 顔が胴体の上に二つついていたり、目が一つしか無かったり、そもそも人の顔をしていなかったり、そういった連中にはたくさん縁があったのだが、屋敷に出入りする連中はそれぞれ立派な身なりをしていたし、陽気な連中ばかり。何か言えばすぐに何か返事をしてくるような者どもだった。
 人間とも多く言葉を交わして知った気になっていたが、屋敷に出入りする人間たちは皆何かしら商いに巧みなものであったり、物怖じせずに妖怪たちと慣れ親しんだりする者だった。

 己が今組み敷いているような、ただ苦しげな表情で、涙を浮かべて、じっと耐えるしかない人間になど、会ったことがなかった。

「うん、声がね、出ないんだわ、その娘。だから、まあ、その、なんだ。……おじさんたちもさ、坊ちゃんと似たような感じでここに連れられてきたんだわ。その娘がぶわぁっと、ほら、何か出すでしょ、《畏》みたいなの。それに捕まって、連れられてきたの。おじさんもそうなんだわ。そのおじさんが言うんだからさ、あのぅ、怒らないで聞いてほしいんだけどね、その娘さんも結構可哀相な身分なんだ。普通じゃないかもしれないけど、一応、人間の部類だし」
「人間……これが……?」

 ようやく、組み敷いた人間の細さを、知る。

 女性に向かって、何て失礼をするんです。

 今ここには居ない守役の声が、耳によみがえって、怒りの波は、瞬く間に冷えた。
 後に残ったのはただ、悔やみだけ。

 力を込めていた腕を離すと、己の下で横たわったまま、けほけほと娘は咳をする。
 慌てて上から飛びのけば、ゆっくり身を起こして、胸のあたりを押さえ、涙目になりながら深く呼吸していた。

 小屋に残っていた、どうやら世話好きの妖怪たちが、ほっと息をついた。
 しかし、その後で、妖怪たちはまたもぎょっとする。
 なんと、たった今まで娘を組み敷いていた少年は、娘の前で、姿勢を正し頭を下げたのだ。

「頭に血が上って無茶をした。すまねえ、この通りだ」

 囚われの身となった怒りに、己を捕らえる元凶となった娘に妖怪たちが迫るのは、今までにもあった。
 しかし、皆が皆、娘がそれでもどこか遠くを見るような目をして、ただひたすら、嵐が過ぎ去るのを待っているようにじっとうずくまっていると、やがて諦めて立ち去るのみであった。それ以降は、滅多なことでは娘の元を訪れなくなる。
 娘はどんなに打たれても、その後でまた、何事もなかったかのように、からからからりと、糸紡ぐのみ。

 彼のように、狼藉を働いてしまった、申し訳ないと、己を捕らえた娘に対して頭を下げたのは、初めてであったのだ。

 この後はどうなるのかと見守る者たちの前で、さらに、今までに無いことが起こった。

「……無茶をついでに、どうか教えてもらいたい。おれと一緒にいた、連れがもう一人いたはずだが、目が覚めたときにここには居なかった。あの恵比寿男の言うことをきいていたお前なら、どこに居るのか知ってるだろう?せめて、どこに居るのか、無事なのかだけでも、教えてはもらえないだろうか。どこにいるのか、案内してくれるだけでもいい。頼む」

 少年が、娘の目としかと己の目を合わせて、最後には再び沈み込むように頭を下げる。
 こんな事をした者は、少なくとも、この小屋に集っている妖怪たちの中では、初めてだった。
 それだけではない。

 娘は、己の息がおさまると、そっと胸元を正したが、ただ黒々と、絶望の淵を覗き込んでいたような表情の無い瞳が、少年の瞳に燈る炎が燃え移ったように、ほんの僅か揺らいだのだ。
 瞬きをして、戸惑うように目を伏せた、たったそれだけの小さな揺らぎだったが、娘が表情らしきものを見せたのは初めてのことだったので、誰もが息を呑んだ。

 さらには、この娘が、つと立ち上がって、少年を手招いたのである。

「 ――― こりゃあ、たまげた。千代が、答えた」

 輪入道が、汗がついと伝った額を掻くにも掻けずにもどかしそうに、ごろりと一つ転がった。




 千代が連れた先は、小屋の外、冷たい清水の流れを越えて森に入り、清水を遡るようにして、岩が転がる険しい道を越えたさらに先、小高い丘の頂上だった。
 山間に沈み込むような里を一望できるその場所からは、彼等が出立してきた粗末な鶏小屋だけでなく、ぽつりぽつりと茅葺屋根の上から白い煙を上げる家々と、これ等から続く細い畦道がやがて大きな道に繋がって、さらに大きな家や高い塀で囲まれた屋敷や物見櫓、色とりどりの旗が立った布張りの大きな天幕などが立ち並ぶ、賑やかな街に繋がっているところまでが、よく見えた。
 地平線は、山陰に隠れてよく見えない。
 さらに高い山に登り、雲が晴れればわからないが、今は連なる山影さえ、薄雲にぼやけて境界がはっきりとせず、これに囲まれた集落も景色も何もかも、いよいよもって見覚えが無い。

 少年が困ったようにがりがりと頭を掻いて、集落を見つめていると、隣に立った娘が、真っ直ぐに、平野の真ん中の街を指した。

「あの、街の中か?リクオだけ、あそこに居るんだな?」

 声を聞けなくとも、意志を通じ合わせる方法を少年は知っていた。目と目を合わせればいい。それだけだ。
 これにつられてか、娘も戸惑ったように、しかしはっきりと視線を合わせて、こくり、頷く。
 言い難いことを言うように、小さく、首を縦に。

「確かだな?見たんだな?」

 これにはしっかりと、こくり。確実に。

「なんで、あいつだけあそこに……」
「ははあ、おめえの連れ、野郎のまなごにとまったんだべな。キレイな顔した童子だべ」
「キレイ?……まあ、昼はよく女に間違われちゃいるが、それ禁句だぜ。本人、気にしてんだから」
「あのさぁ、坊ちゃん、ここがどういう所かわかってる?残念だけど、多分そのお連れさん、茶屋行きになったって事なんだよ」

 退屈しのぎか、世話焼きか、その両方か、少年の後をぞろぞろついて来た妖怪たち、顔を見合わせて口々に「可哀相にねえ」などとため息をついている。「うちの姐さんもさあ、今じゃあそこの飯盛り女だもん」「人間どもときたら、アタシ等よりよっぽど怖いもんさ」ひそひそと、噂する声まで聞こえてくる。

「茶屋行き?」

 中でも一番にとっつきやすい輪入道に、少年が腕を組んで首を傾げて見せると、

「そのぅ……里に来る、ま、おエライ殿方のね、お世話をするというか……。夜の方の。気に入られれば、どこかへ売られていったり……」

 これまた、ごにょごにょと口の中で濁すように言ったが、充分だった。

 ここで目を覚ます前、ねっとりと絡みつくような恵比寿男の視線が、静かに目を瞑ったリクオの頤をいやらしくなぞっていたのを思い出し、ざわりと背筋を駆け上がった寒気。
 同時に、ぶわりと足元から妖気が吹き上がったが、これが少年の全身を覆ったのも、一瞬だけだった。
 やはり、目を覚ます前と同じ、何かに絡め取られたように妖気は霧散し、力が入らない。

「助けたいってのはわかるけど、無理だって。やれるなら、皆、同じことやってるしさ。この里じゃ、妖怪なんて言ったって、半端なのは人間と同じ。おじさんも、坊ちゃんの気持ちはわかるけど、ここは、おさえときなよ」
「そうそう、会えないわけじゃないんだし ――― 行儀を教え込まれた後なら、ちゃんと会えるんだし」
「……だいたいは薬漬けだかんな。そのときに、話ができるかどうかは別としてだべや」
「しっ、余計な事言うんじゃねえ、この馬鹿はげ」

 見るもの感じるもの全てが初めてのもので、香る風さえ知らぬもの。
 戸惑いも怒りも、何かを切り開く力にはなりえず、そこでようやく諦めがついたと言おうか、とにかくやけに遠くへ来てしまったらしいと判ると、今度は逆に腹が据わってきて、右も左もわからぬままに騒いだり問い詰めたりしたのが恥ずかしくなってきた。
 あれは何だこれは何だと問うだけならば、それこそ幼子と変わらない。
 ともかく、来てしまったのは仕方が無い。
 どうやってここへ来たかを問い詰めるより、ここから出て帰る手段を講じた方が良いに決まっている。
 済んでしまったことをあれやこれやと悔やむのは、誰にとっても、面白くもなんともないのだから。

 第一、あのリクオが、黙って慰み者におさまるわけがない。

 肩からふうと息をついた少年の落ち着きを知って、傍らで小さな体をさらに小さくした一ツ目小僧が、すがるように袖を掴んでくる。気づいて見下ろすと、昔は目線も体の大きさも、ちょうど良い喧嘩相手だったのが、今では己の腰までも届かなくなってしまった小僧が、なんだか申し訳なさそうに不安そうに、大きな目をうるうるさせて、こちらを見つめているのだった。
 ふ、と笑って頭を撫でてやると、ついてきてくれた輪入道や山姥、なまはげ、小鬼や人魂なども、ほうと安心したように息をついた。

「来た早々に引っ張り回しちまったみてぇで、すまねえな。どうもありがとう。この通り、右も左もわかんねえ新参者だ。色々と教えてもらうことも多いだろうが、よろしく頼むよ」
「うん、うん、あーよかったよかった、ここに来て早々、泣き喚いて滅入っちゃう奴もいるからさ。おじさん安心したー、よかったー」
「輪入道さん、アンタいい奴だな」
「え、そう?いやぁ、そうかなぁ。うん、おっちゃんって呼んで」

 子供ではなくとも、まだ大人ではない、そんな曖昧な境界線にようやく立った少年の、細身の背がこのまま頂上から身投げでもしてしまうのではないかと、不安にかられてついて来た、どこか世話好きの妖怪たち。
 振り返った彼ににかりと笑われ礼を言われると、何だかどきりとしてしまった。
 男だ女だと問わず、いつしか心に入り込まれる ――― 妖力など必要のない、少年自身の魅力に他ならなかった。

「アタシは山姥、おばばでいいよ」
「オラ、なまはげの権作だべ」
「僕は河童。名前……考えたこと無いなぁ」

 続いて次々に、俺は、私はと名乗りを上げて、そのときに、黒曜石のように美しい真っ直ぐな眼でこちらを見られると、もうすっかり虜になっている。不思議と、この少年の力になりたいと思わせるのだった。

 最後に、少年は傍らに、影のようにひっそりと立ち、肩身狭そうに俯いている娘にまで、

「アンタは、千代って言うんだったか?」

 にかりと笑いかけたので、これまた娘も、そして妖怪たちも驚いた。
 己を虜囚にしてここへ連れて来た元凶に、にかりと笑えるこの少年、一体どういう身のどういう人なのであろうか、余程の器量か、ただのうつけかと、訝る者もあった。

 娘は、今度こそいよいよ戸惑ったように、こく、こくり、こくこくと頷いた。
 少し頬が赤らんで、ぱちぱちと瞬きをして濡れた瞳は、黒々としてたところに、確かに光が宿った。
 何も映していなかった両眼に、少年の姿が映し出された。
 初めて見つけた、たった一つの光のように。

「おれは奴良組の ――― 」

 名乗ろうとして、少年は頭を振ってやめた。
 その名前が、こんなところでなんの役に立つものでもあるまいと、判じての事だった。
 ここでは、二代目でも若頭でも無い。
 彼等にとって、ただの半妖、ただの新参者、ただの、元服前の少年に他ならない。

 シマの外で、我こそはと名乗りを上げるなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがあろう。

「おれは、鯉伴だ。母は人間、父親が妖怪でな、知ってるかもしれないが、半妖だ」

 ここで、彼は和子さまでも鯉伴さまでもなく、ただの鯉伴だった。

 何の後ろ盾も持たず、従える鬼と言えば、今は袖にぶら下がっている一ツ目小僧のみ。
 けれど、すっかり鯉伴を気に入った妖怪たちは、彼を見下しも見くびりもせず、じゃあ夜が来る前に里を説明しようだの、彼を囲んで丘を下り始める。
 千代も、少し離れて、彼等の後ろをついて来ていたが、鯉伴が岩場で降り難そうにしている娘に気がついて手を貸した後は、その手を振りほどかず、輪の中に加わった。

「それで鯉伴の親父、どんな妖怪だって?」

 帰り道、誰かがそんな事を訊いた。
 何の妖怪なのかもどんな妖怪なのかもはっきりとしない実の父親を頭に描き、ううむと唸った挙句、鯉伴はこう答えた。

「人の家に勝手に上がって茶をすする妖怪」

 これには皆が顔を見合わせ、言い切った。

「「「なんかわかりにくい」」」