「そんな、何の確証も無い約束を、まさか千代は信じたと?それで、目覚めた通力で、妖怪たちを無力にしてこの里に放り込んでいるわけですよね」
「その成り行きじゃ、信じるしかなかったんだろうなぁ。えげつない話だぜ。結局、古部の犠牲者一番目が、あの千代で。古部は偶然手に入れた千代の力を使って、さらにあちこちで妖怪を捕らえてここに放り込んでいるってわけだ。それが天子さまのためだぁ?なにかい、天子さまの手下を名乗りゃ、日ノ本に住む人間や妖怪相手には、何をしてもいいって決まりでもあんのか。ますますあの恵比寿顔、気に入らねぇ。おいおっちゃん、アンタ、その頃からここに居て、何にも事を起こさず黙ってのんびり暮らしてんのか?何とかして、この酷い所業を誰かに伝えようとか、思わなかったのかよ?」
「坊ちゃん、そうは言うけど、妖怪なんて元々、誰かに耳を貸すモンじゃ、ないでしょうが」

 指をボキボキ鳴らし、瞳に力を込めて空を睨む鯉伴に対し、輪入道はどこか冷めている。

「強い主が居れば、それに呼応して群れを作りもするけどさ。でも、さァお話し合いしましょって、寄り合いして何かを解決するようにはできてないでしょ」
「そりゃあ、まあ、そうだが。そこは、取っ組み合いなりなんなりしてさ、お互い強さを納得してから、話し合いでもなんでもすればいいじゃねぇか。みんな、古部に無理矢理連れてこられてるんなら、恨みこそあれ、黙って言うこときいてやる義理はねぇだろう」
「その、強さを決める部分すら、古部に牛耳られてる仕組みだから。それに、事が済めば、そのまま日ノ本の妖怪の主になれるって約束されてるんなら、無理してここから出ようって考えなくてもいいやって奴ばっかりだし」

 たしかに、たしかに。妖怪とは、そういうものである。

「『事が済めば』って、古部が廻船問屋で大白親分と話してた、幕府転覆の企みのことですか?」
「うん、それ。人の世のことなんて、結局、おじさんたち妖怪には関係ないでしょ?別に幕府だろうが朝廷だろうが、人は人が牛耳ればいい。ホントは人間同士でやっててくれれば一番いいんだろうけど、巻き込まれてしまったものは、まぁ仕方が無い。人間が陰陽師を使って妖怪を滅しようとしてるのはいつもの事だし、中にはこうやって、力を利用しようって輩もあるだろうくらいにしか、ほとんどの妖怪は思わんのね。んで、事の後では、今の幕府と約定を結んだ主の後釜に据えてくれるって言うんだから、報酬としては悪くない、と」
「 ――― おっちゃん、どういうことだ、それ。約定を結んだ主って、もしかして」
「そりゃあ」

 さも当然とばかり、輪入道は口にする。

「京の羽衣狐を倒した、魑魅魍魎の主。武蔵野国の総大将ぬらりひょん。東国において、十数年前から威光を高めてるけど、そこにそのまま入れ替われれば美味しいって考えるのは、妖怪なら誰しもでしょうが」

 たしかに、たしかに。妖怪とは、そういうものに違いない。
 握り締めた鯉伴の拳に力が篭るのを、気づいたリクオが、優しく宥めるようにこの手を撫でて、肝心のところを伺うことにした。

「ということは、この里で強いと認められれば、やがて外に出られるという事ですね?……その、幕府転覆とやらの仕事さえ終われば、その後は自由にもしてもらえると」
「そうそう、そういうこと。外に出るだけなら、巡業に出られるくらいの番付にさえなれば、鎖つきだけど出してもらえるよ。まぁ……その前に潰される奴も、たくさんいるんだけど」
「巡業?番付?鎖つき?何だか色々、ややこしそうだ。でも、鯉伴さま、強くなれば出してもらえるそうですよ。要はその、巡業とやらに行かせてもらえるようになればいいんでしょう」
「……あの野郎、おれを殺しもしねぇで放り込んだってことは、強くなれるもんなら強くなって出てみろってことか」
「あるいは、使い倒した後は、どうせ皆を自由にする気など無いのかも」
「どちらにせよ、乗りかかった船だ。こうしてても埒があかねえ。輪入道のおっちゃん、その巡業とやら、いつどこでやるんだい。おれも出られんのか?」
「んー……」

 輪入道はごろごろ畦道を転がりながら、鯉伴と、リクオとを、値踏みするように見て、困ったように眉を寄せた。

「坊ちゃん、千代の腕に絡められても、しばらく意識があったんだっけ?」
「おう。妖力はさっぱり使えなくなったけどな」
「じゃ、今ここでは、どう?ほら、さっき河童が川の流れを御してたでしょ。ああいう、些細な術は使える?使えるようなら、この里の中で戦いを見世物にできるって言われて、つまり、巡業に出られるよ」
「今ここで ――― 」

 意識したことがなかった鯉伴は、ぴたりと足を止めた。
 ふむと考えるように顎に手をあて、同じく足を止めたリクオと輪入道から、たっぷり十歩ほど、今来た道を後戻り。

「おいリクオ、やってみるぞ」
「はい、どうぞ。見てますよ」
「何。何をやるの」

 怒りに身を任せてではない、意識して、拡散した妖気を集める。
 すうと息を吸って、ゆっくりと吐いて。

 やがて、霞のように、鯉伴の姿は透けて、向こうの山陰に溶けてしまった。

「お、おおぉぉ。消えた」

 輪入道は初めて見る術に、素直におお、おお、と声を上げるが、リクオは足元の小石を一つ拾うと、あらぬ方向へぽいと投げた。

「 ――― いでッ。本気でぶつける奴があるかッッ」

 先ほど鯉伴が居た場所から、十歩ほど畑に入り込んだところで、鯉伴の姿は隠れた雲が蹴散らされ、また二人の目に映る。石があたった頭をしきりに撫でている。
 きゃらきゃらとからかうように笑い出した小僧が、鯉伴の涙目にぎろりと睨まれて、ぴたりと黙った。

「リクオ、瘤になったぞ!」
「明鏡止水の体裁は整ってますが、今まで妖力に頼りっぱなしだった分、足さばきがてんで素人です。牛鬼様のお稽古、怠けてたでしょ。いくら姿を隠したって、そんな風にどたどた走ってちゃ、どこに居るのかすぐにわかりますよ。相手の後ろに回りこむなら、足音をなるべく消して、足が土を踏む気配もなるべくさせないようにって、ボクも夜姿であれほどお教えしたのに」
「瘤になった!」
「撫でてあげるから、こっちいらっしゃい。……で、どうですか輪入道さん、鯉伴さまは十二の半妖にしては、そこそこ大きな妖力の持ち主だと思うんですけど、巡業とやらには参加できそうでしょうか」
「うん。それくらい使えれば、まあ、………って、十二?!坊ちゃん、十二なの?!十五、六かと思ってたぁー、ひゃあ、上背あるねえ」
「大きいのは上背ばかりで、まだまだふとしたときの甘え癖が抜けないんです。ちょっとした拍子にほら、すぐ化けの皮がはがれる。瘤ぐらいなんです、情けない。出入りのときは、いつももっと派手な怪我をしてるでしょうが」
「瘤!」
「はいはい、後で冷やしましょうね。リクオが悪うございました。痛いの痛いの飛んでいけー」

 わざわざ瘤の箇所をリクオに見せる幼さは、なるほど十二の少年だと言われれば納得できる。
 しかし、煙々羅が連れて来たリクオはぐずる子供のようであったし、これを腕に抱いて看病していた鯉伴は頼れる兄のようであったのに、今の様子はまるで立場が逆転していた。
 これが実は本来の二人の姿なのだが、輪入道にとっては首を傾げるような ――― 実際は、わずかにごろりと傾いただけなのだが ――― 様子だった。

「リクオくんは、坊ちゃんの、弟くんなんじゃないの?」
「いいえ、ボクは鯉伴さまの守役です。この子がやや子の頃からお世話をしてます。とは言え、今は人間。ろくな妖術を使えませんが、ボクでも巡業とやらは参加できるでしょうか?」
「………できるんじゃないかな。だって、妖術も使わずに、煙々羅を下したんでしょ?」
「煙々羅って、昨日のあの、炎の妖怪?あれは多分、ボクと相性が良かったから……」
「………今だって、おっちゃんは、坊ちゃんが何処に行ったのか、わかんなかったよ」
「鯉伴さまの術は、ボクも妖力が高まりさえすれば、使えるものです。弱点だってよく知ってるから」

 正気を取り戻した琥珀の双眸は、なるほど、童子とは思えぬ深さ。

「とにかく、二人とも、部屋に行ってみよう。部屋に入れるかどうするか決めるのは、おじさんじゃないからさ。うん。それぞれの部屋の主。煙々羅と伊佐様だ。そうそう、小僧さんみたいに一目で妖怪だってわかる小物さんは、それだけで見世物になるからって、巡業と一緒についてまわれるよ」

 巡業とはつまり、妖怪たちの試合を見世物に、同時に売れ筋の茶屋の面子を連れ、一夜の夢を売り捌いて銭を稼ぎ、日ノ本を練り歩くことを言うらしい。
 このときばかりは、里の妖怪たちは外へ出られる。里と同じように、妖力を封じられて。

 道すがら、輪入道が世話好き話好きなのを幸いに、リクオは聞けるだけの情報を聞き出し、やがて彼が三人を集落の中心街まで連れてきて、何本もの色違いの幟が高く空へ立った、大きな天幕のところで彼等を待たせて、「先に、部屋の主に話を通してくるから」と中へ入っていったところで、隅に鯉伴を招き、小声で耳打ちした。

「妖力を封じる術として、大物には鎖の枷、小物には布の封印。この里と同じように、ぎりぎりのところで力を封じる代物なのでしょう。小物に鎖の枷をすれば、それこそ身動きできなくなるし、大物に布の封印では、妖力を封じるには足りないのではないでしょうか。何にせよ、外へ出られるのなら、好機です」
「そりゃそうだがよ、外へ出られるだけで好機と言えるなら、ここに昔っから居る輪入道のおっちゃんや、他のみんなだって、とっくに枷を外したり布を取っちまったりして、逃げてるんじゃないのか」
「輪入道さんは言いました。ボクが外に出ることがあったら、それは間違いなく布だろう、重い枷なんかされないから心配するなって、笑ってくださった。こんな里みたいに、全体が《畏》で囲まれているのならともかく、外に出られれば、宵には夜姿に変われるかもしれません」
「上手くいくと思うか」
「試してみないことには、なんとも」
「それもそうか。次の手は、そのとき考えることにしよう。一度目に外に出てみて試し、上手くいったら次の機会までにどう事を運ぶか決めて……いやはや、思ったより、長期戦になりそうだな」
「久しぶりに父君にお尻をぶたれるかもしれませんね」
「よせやい、そんなのいつの話だ。お前こそ、お袋に気をつけてと言われた矢先にこれじゃ、帰ったら覚悟しておけよ。頬ずりされたり袖に抱かれたり、構い倒されるぞ。もう少しで貞操の危機だったなんて話したら、珱姫山の大噴火だぜ」
「困りました、それは手ごわい」

 今は遠く離れた故郷の屋敷を思い描き、声をたてて笑い合う。

 山間の里ながら、誰が手引きしてくるものなのか、中心街も昼日中とあって、荷車を押した人足たちがせわしなく行き来したり、恰幅の良いどこぞの武家らしき人が供をつれて珍しそうにそぞろ歩いたり、公家の牛車ががたごとと、供に囲まれて帰り道を急いでいたりと、なかなかの賑わいである。
 江戸の街のそれまでとはいかないが、賑わいの中に人と妖の姿が交じり合っていて、誰も不思議に思わないところなどが、浮世絵町の中心街の様子に良く似ていた。

 これを何となしに見つめ、リクオが俯く。
 今は童子の小さな両手が、袴をきゅっと握り締め、脇でやはりリクオの袴を掴んでいた一ツ目小僧が、心配そうに彼の顔を下から覗き込んだ。

「……申し訳ありません、鯉伴さま」
「あん?」
「ボクの不覚です。もっと早くに、あの場を離れるべきでした。大白親分と、古部の話を聞いただけでも充分だったのに、何か証拠をと求めたのがいけなかった」
「なんだ、そんなことか。今更だ、そんなの気にするなって。命はあるんだ、よしとするさ」
「こんな危険に巻き込むつもりは無かった。……例の妖怪見世物小屋と、何か関係あるかって、考えてしまって」
「へー、そんなことまで考えてたのか。ずっと手がかり探してたもんなぁ、お前。まさに予感的中。あれ、となると、中に潜り込めたのは良かったんじゃねーか。お前の彼女、どっかに居るのかなぁ。もしかしたら、お前が騒ぎを起こした茶屋とかに居るんじゃねーのか。行ってみるか」
「……ボクのお咎めはなしですか?」
「はァ?何を咎めろって。そりゃあ、その甘えん坊小僧に、やんわりとじゃなく、きつーく言ってきかせなかったのは、小大将の監督不行届ってやつかもしれんがよ、ついてきちまったモンは、仕方ねぇだろ。それに、もしお前が、これは自分だけの問題だからって、たまにそうするようにお前一人で旅に出た先で、お前一人がここにとっ捕まってたらって考えたら ――― そうならなくて良かったって思いこそすれ、なんで咎める必要がある。ふざけんな」
「…………」
「釈然としねぇって面、しやがって」
「鯉伴さまは、大事な奴良家二代目の御身です。お言葉はありがたいですが、鯉伴さまの命と、ボクの命は違います」
「違わねぇ」

 はきと言い放った、鯉伴だ。
 それまでとは違い、少しの厳しさを黒曜の瞳に宿しており、見つめられてリクオははっとした。

 まだ少年期に差し掛かったばかりの鯉伴だが、飄々とした笑みを消して、しかと相手をとらえると、父譲りの凄みと母譲りの美貌が冷たく溶け合って、いとも簡単に相手を絡め取ってしまうのだった。

「お前は奴良家と盃を交わした貸元でもなんでもねぇ。親父の客で、いわば対等な身分。お前が言う、大事な御身とやらが御家のことを言ってるのなら、むしろお前は奴良家にとっても、おれにとっても恩人、対等以上。お前に何かあって、黙っているおれと思うなよ」

 目を細めて凄みを利かせると、濃い睫が目元に影を落とす。
 さわりと吹いた風が、鯉伴の首筋を撫でて、時折立ち上る妖気がするように、鯉伴の黒髪を揺らした。
 陰影がいずれ鯉伴がそうなるだろう未来の大妖を形作り、ごくりとリクオは喉を鳴らした。
 一体このひとは、どれだけ大きな存在となるのか、うかがい知れず、確かに今。

 《畏》を抱いた。

「それに、あね姫さまはよく仰せだ。此の世に身分の違いはあれど、此の世でどれだけ銭を稼いで名を上げようと、三途の河を渡るときには皆、持っていけるは等しく六文銭。御家、御家と、お前は言うが、浮世の身分なんざ、所詮、そんなもんだ」
「……すみません。身分だけで、申し訳なく思ったわけではないんです。鯉伴さまの行方が知れなくて、総大将も珱姫さまも、屋敷の皆も、どれだけ心配してるかって思って。鯉伴さまをお守りするのが、ボクがボクに課した役目なのに」
「お前はそうやって、またお前自身を勘定に加えねぇ。お袋も言ってたが、悪い癖だぞ、それ。あのな、リクオ。もっと簡単に言うとだな」

 陰が消えて、困ったように髪をかき回しながら頭を掻くと、すっかりいつもの鯉伴である。
 深い影から浮かび上がった太陽のように明るく、にかりと笑う、明るい少年だ。

「お前はおれを守ると言うがよ、おれだって、お前を守ってやりたいのよ。わかるか?」



+++



 しばらくして、話をつけてきた輪入道に、三人は天幕の中に案内された。
 入ってみれば天幕は、奴良屋敷とその敷地がすっぽり入るほど ――― いやそれ以上に大きく、天井も高い。この中に、さらに櫓を組み、階段や壁で仕切って、その向こう側では、どっと人がわいて拍手をする気配がする。

「そこは小劇場。小物妖怪や人間たちが、軽業なんかを見せてるんだ。泊りがけの遊客なんかが、年中見に来てるんだよ」

 劇場を囲むように板壁が囲み、それは緩やかな弧を描いている。
 板壁に沿って輪入道の後に続き、先へ行くと、やがて板壁が土塀になった。
 空こそ見えぬものの、奥へ進むと土塀は両脇に現れ、土塀の向こうには簡単な作りながらいくつもの小屋や、洗濯場、自主稽古だろうか、蛙頭と蛇頭が取っ組み合う庭などがあり、どれも天井の高さを良いことに積み木のように折り重なって塔のように高い。

 あの丘から集落を見下ろしたとき、中心街はこじんまりと建物が寄り集まっているように見えたが、天幕の中はその中心街をいくつも寄り合わせたかのようだった。鯉伴が振り返れば、小劇場があるのだと言われた板壁のあたりは既に目に映らず、代わりに、リクオが一度は放り込まれた茶屋からの客だろうか、三階建ての屋敷の物見から、着飾って白粉と紅を塗った花魁と目が合った。
 意味深げに花魁が鯉伴に色目を使ったので、へらりと笑って手を振ったところで、

「子供が何を鼻の下伸ばしているんです。行きますよ、ほら、歩いて」

 リクオが足を止めた鯉伴の袖を掴んで、ぐいと引っ張り、慌てて輪入道を追った。

「すげえなあ。天幕の中なのに、まるで街みたいだ」
「まァ、この天幕が、集落の本体みたいなもんだから。うん」
「集落に居た妖怪たちは、ほんの一握りで、こっちにこれだけの数が居たんですね。にしても、この奥行きや迷路のような道、空の渡廊、まるで《迷い家》だ。中に大勢人が住んでるところは違うけど」
「マヨイガ?リクオ、なんだソレ」
「東国の妖怪屋敷ですよ。人を迷わせて己の腹の中に誘い込む妖怪です。立派な屋敷の姿をしてて、迷い込んできた人間たちから見れば、無人の広い屋敷。中に入ると外よりも数倍の広さで、一度入ったが最後、迷路のようでなかなか出られない。《迷い家》は、一人にされた人間の、恐怖だとか、悲しさだとか、一人にされたときに思いだすよすがだとか、呟きだとか、心の動きを喰って、満足したら褒美を取らせて外へ吐き出すとか」
「リクオくん、詳しいねぇ。さすが、煙々羅の弱点を見破ったってだけはある。まぁ、こっちは、陰陽師が、《迷い家》と同じつくりを、術式で作っただとか何だとか」
「 ――― あの稚児趣味陰陽師が、そんな術式を作れるような、手練には見えなかったけどなぁ」
「京の花開院家の十三代目ってのが、作り上げた術の一つらしいよ」
「なるほど。厄介なものを作りますねぇ」
「十三代目って、アレか。羽衣狐を倒したときの、花開院の」
「そうそう」
「ってことは、この集落を作ったのにも、花開院が絡んでんのか」
「花開院家は陰陽師。陰陽師は朝廷の使い。幕府の命では動きませんから、ありえるかもしれませんね。その上、朝廷と幕府がにらみ合う構図があるのなら、朝廷配下の陰陽師たちが、絡んでいるのも充分にありうる。だけど、どうかなぁ、あのお高くとまった陰陽師の一家が、いくら御家大事とは言っても、秘伝を簡単に外部に漏らすかなあ。それくらいだったら、古部なんかじゃなくて、直接花開院と名乗る輩が来そうなもんです」
「でも、この天幕は花開院の術なんだろ?」
「直接絡んでいなかったとしても、編み出した術を高値で売ったりくらいは、するんじゃないですかね。直接妖怪を滅する術は、流石に個人の資質に左右されますが、そうじゃないこういうものは便利なだけで広まっても困らないでしょ。……この術は便利ですよ。持って帰りたいなぁ。懐から長ドスも大盃も出し放題です」
「懐の裏打ちに術を縫い付けるってか。なるほどなぁ」

 奥に進むにつれ、目つきの悪い大物妖怪たちが増えて、一ツ目小僧は怖がりリクオの袴に両手でつかまるようにしながら歩いているのに、二人ときたら、まるで緊張感が無い。
 帰れないかもしれないと気づかないほど疎くもなさそうな二人なので、輪入道は二人にこれまで何度かしたように、驚いたように目をぱちくりさせて見つめるのだった。

 その輪入道が案内する目的地が近づくと、やがてすれ違う妖怪たちが皆、次から次、脇に避けて礼をしていく。それににこやかに、「はいよ」「ご苦労さん」などと声をかけている輪入道、やがて示した先は、天幕の中でも一際大きな瓦屋根の道場屋敷だった。
 門を潜ればすぐ脇に、戸を開け放った道場が設けられ、この中ではたった今、旋風を纏った鼬が、蛇頭の長い首を引っつかんで、口に構えた鎌をつきつけたところだった。

「 ――― そコまでぇぇいッッ」

 太い声が腹の底に響く。
 道場の上座に座して、試合の様子を見つめていた巨漢だった。

 はちきれそうに逞しい四肢を、袴姿に押し込めた、禿頭白髭の武士。

 伊佐だ。

 輪入道が三人を連れ、道場の脇にころりと立ち止まると、こちらを見てうむと頷き、「各々、稽古を続けるように」と言い置いて、濡れ縁から階段を下りてきた。
 異相、巨漢が集う妖怪道場である。
 道場の造りとて、人間の体躯ではなく妖怪に合わせているので、鴨居の高さなどは普通の倍はある。
 なのに、伊佐の巨漢はそれでも納まりきらず、道場から出てくるときに、鴨居に頭をぶつけぬよう、屈んだまま膝立ちでいなければならないほどだった。

「…………………でけぇ」

 浮世絵町では人間の大人すら、ほぼ同じ目線であった鯉伴は、小さく呟き目を見開く。

「伊佐様、連れて参りましたよー。こちら、新入りの鯉伴と ――― リクオくんの方は、知ってるんでしたよね?」
「ご苦労サマ、輪入道サン。はい、確かニ、この童子でス。……お二人とモ、ようコそ。西の伊佐、と、ココでは呼ばレていマす」
「坊ちゃん、リクオくん、この方はね、西の部屋名主の伊佐様。巡業と番付の話はしたよね?巡業ってのは見世物だけど、妖怪同士の勝負事でもある。古部の奴が、一番強い一鬼をここの百鬼夜行の主に無理矢理したてあげようとしてるわけだし、望めば事が済めば自由にもなれる、望めばそのまま百鬼夜行の主になれるってんだから、みんな真剣勝負よ。人間世界の番付と、全く同じ序列があって、伊佐様は、西の横綱。西部屋の連中の ――― おじさんもそうだけど、その、主だよ。うん」

 ぽかんと口を開けて伊佐の巨漢を見上げている鯉伴の袖を引っ張って、リクオは慌ててその背を押して礼をさせた。

「お初にお目見えします、伊佐様。この里に来てからまだ日が浅く、右も左もわからぬ事が多くございますが、よろしく手解きいただきたく、お願い申し上げます」
「うン。こチらこそ、まだこノ国の言葉に、慣レたばカりでス。よロしく。しかし、リクオさん、ヴァタシはヴァナタを見ルのは、初メてでハありません。昨日、あの茶屋デ、お見カけしました。煙々羅との立チ回り、オミゴト、でシた」
「それは失礼を申し上げました ――― 面目次第もありません。いつもなら、一目見た御顔は覚えているのですが、昨日はその、半分以上、正気ではなくて。あの場にいらした人はほとんど……煙々羅と、座敷童は憶えてるんだけどな」
「難しいコトバ、やメましょウ。ヴァタシ、よくワカラナイから。稽古の様子、見なガら、お話しマしょう」

 彼を慕う小物たちだろうか、縁側にちょこちょこと可愛い足取りでやってきて、来客分の湯呑みと伊佐の分のどんぶりが並ぶ。伊佐の手にかかれば、どんぶりも湯呑みだ。
 勧められて縁側に並んで座し、まずは伊佐の話を聞いた。
 妖怪の中にあっても際立つ異相と、高低が妙な言葉が示す通り、伊佐は異国の妖なのだと言う。妖というのは厳密には正しくなく、日ノ本の国でそれを現しあてはめるための言葉を探せば、《夷》、つまり《鬼》となるが、ならば《妖怪》であるのかと言うと《神》に近く、しかし既に神格は失って久しいので自由な身分なのだと、少し寂しそうに笑った。
 国から離れ、海を渡って気ままに旅をしていたところ、日ノ本に迷い込み、運悪く古部に捕まったのだそうだ。今は茶屋にいる座敷童を助けようとして、罠に嵌められたのだと言う。

 妖怪同士の戦いなど、相手を貶め嘘をつき、騙し化かし詰りあうのが戦い方と心得違いをする者が多い中、伊佐は嘘を知らぬように真っ正直に次第を話す。
 鯉伴もリクオも、伊佐を疑う気は全く持てなかった。

「そノ時まで西軍の主ハ、大関の輪入道サンでした。ヴァタシは新参者なのデ、色々教えてモらってイまス」
「へぇぇ、おっちゃん、強かったんだぁ!」
「え、いやぁ、そんな、それほどじゃないのよ。煙々羅にはずーっと負けっぱなしだったし、だから西部屋は煙々羅の東部屋にずうーっと笑われっぱなしだったし。うん。いやぁ、ほんと、大したことないの」
「………顔赤らめるなって。気持ち悪い」
「……………………ひどい」
「それデ、貴方ガタは、どコから来たのデす」

 ここまで来れば、何も隠す必要はあるまい。
 元々、古部に正体はばれているのだし、ここに閉じ込められている妖怪たちは皆、隙あらば逃げ出そうと考えているのは同じはず。
 リクオは鯉伴の顔を伺い、鯉伴が頷いたのでこれを受けて、輪入道に説明したのと同じ説明をする。

 武蔵野国を騒がす《わいら》を調べているうち、大白一家と京の廻船問屋との繋がりを怪しく感じたこと。
 小物妖怪たちを使おうとしても、札や小さな結界が邪魔をして、上手く探れなかったこと。

 但し、最後にこう付け加えた。

「ボクたちはなるべく早く、帰らなければなりません。総大将は《わいら》などという妖怪はいない、人が怪しげなことをしているだけだから捨て置けと仰いましたが、輪入道さんから聞いた《わいら》騒ぎは、もう人だけの話ではない。幕府転覆まで狙っているとなれば尚の事です。
 奴良組は幕府と不可侵の約定を結んでいますし、だから総大将も《わいら》には手をお出しにならない。人が使い魔をやって人に戦を挑んだとしても、どちらに与することも無い。でも、幕府はきっとそうは考えずに、暴れる妖怪をなんとかしなければ約定を破ったとみなす者も現れるはず。あるいは、そう難癖をつけて奴良組を追い出しにかかるかもしれない。そうなる前に、《わいら》はただの使い魔で、斬られても痛くない軍勢を集めるための道具だと、知らせなければ」
「ふム ――― 総大将、と言うノは……?」
「奴良組総大将って言えば、そりゃあ、武蔵野国一帯をシマにした、魑魅魍魎の主ぬらりひょん様のことだろう。へぇ。坊ちゃんとリクオくん、奴良一家の妖怪だったんだぁ。あそこって、半妖でも入れるの?」
「おれは、その、ぬらりひょんの倅だよ」
「ああ、なるほどねー、道理で。公家の姫君を嫁にしたんだって言うもんねって、ええええええええええええええええッ、奴良家の、わか ――― !」

 輪入道の口は、鯉伴の手で塞がれた。
 何の騒ぎかと道場から顔を出してこちらを伺う者もあったが、それだけである。

「おっちゃん、声でかいって。それに恥ずかしい。ここまで来ちまったら、若様も何もないもんだ」
「……だ、だって、だってね、ぬらりひょん様ときたら、あの羽衣狐を下して、弱い連中もちゃーんと面倒見てくださる偉いひとだって言うじゃないさ。いやー、伝え聞いて憧れだったのよー、握手して」
「おっちゃん、手ぇ無いじゃん」
「……………………そうだった」
「シかし、帰るト言っテも…………」

 ふう、と天を見上げた伊佐の肩に、迷い込んだのか、小鳥が二羽、ちちちちと舞い降りて止まった。
 伊佐はまるで気にもとめず、故郷の空を、朝も昼も無い天幕に見ているのか、遠い目のまま。

「…………外に出ラれるノは、巡業の時だケ。シかしそノ時ニは、重く苦シい枷ヲつけラれ、使えル術は制限サれる。逃ゲようトしてモ、鎖ハ、古部の言霊デ、ヴァタシをコの里ニ縫い付ける、糸ニもなル。何度か試しタが…………」
「伊佐様も、やはり外へ出られたいと」
「コの姿ハ、窮屈だ。海へ出タい。ソレだけダよ」
「それなら話は早い。ボクたちもそうです。一つ考えがあるのですが、聞いていただけますか」


+++


 今まで、古部の前に、二つの姿を持った妖怪があらわれたことは無い。
 人間に化けて人を騙すことはある。
 付喪神が、何食わぬ顔で、道具のふりをすることはある。
 妖獣が、かつでそうであったように、ただの獣の鳴き声を出すことはある。
 狐や狸が何かに《化けて》、人を騙すこともある。
 だがそれだけだ。
 どれほど化けても焦がれても、花が石にはならないように、本質までを変えることは無い。

 例えリクオが、この姿は人間だが、里の外で夜を待てば化生できるかもしれず、そうなれば妖気の箍も外れるし、この姿の方に古部は鎖をつけないであろうから、外でいくらか自由がきくはずだと説明しても、にわかには信じがたい。炎と氷、光と闇、どちらも本性として内包する妖怪など、あるはずが無いのだ。
 さらに言えば、リクオもまた、二つの姿の両方ともが妖怪だとは言わない。今は《人間》だが、妖気昂ぶれば《妖怪》となれる、と、言うのだ。
 二つの異なる属性を、同時に一つの器に注がれて、当たり前のように在れる妖怪などというものを、古部は最初から居ないと思っているはず。

 伊佐もまた、鯉伴が口ぞえしなければ、そして伊佐自身が、遠く大陸で、同じようにいくつもの姿を併せ持つ存在を実際に見て知っていなければ古部と同じくこれを信じず、話は先へ進まなかったかもしれない。

「 ――― 古部は、そんナ《もの》ハ居なイと思い込んデいル。ならバ、たシかに好機。リクオさん、今のヴァナタになら《布》しか巻かれナいダろう。ソレでは、大物妖怪は、封じられナい」

 伊佐は、二人の案を受け入れた。

 巡業において、本当にリクオが外で化生できるのかを判じ、できるとわかれば、その姿で古部を討つ。
 もちろん、一人では心もとないが、ここにはこれだけの妖怪が居るのだ。
 枷さえ外されれば、伊佐も力になろうと約束した。同じく、加勢を望める妖怪は他にもあるだろう。

 伊佐に言わせれば、この国の妖怪たちの主の座より、海に出て気ままに旅を続ける方が、彼自身にとっては魅力的なのだそうだ。

「一度、外に出て試してみないことには、作戦のたてようもありません。まずはその、春場所、でしたか。ボクたちの番付とやらを決める巡業まで、部屋にご厄介になってもよろしいでしょうか。そこで外に出てみて、化生が出来、かつ鎖を外すところまで上手くいけば、次に外に出る機会には、何とかなると思います」
「となると、夏場所はこの里から出られないから ――― 秋場所になるかねぇ。本当にやるなら、それまでに味方を集めておかないと。古部と戦うにしても、その前に煙々羅と戦わなくちゃならないだろうし」
「その、煙々羅ってのは、仲間にできねーのかい。そいつだって、古部のことをよくは思ってねーんだろ?」
「だガ、ヴァイツは古部の命令ヲ聞く。あノ金冠が、古部の命令ニ逆らうト、ヴァイツを痛メつけルから」
「やっちまうしか、無いってか」
「煙々羅を引き込めりゃ、そりゃあ、おっちゃん達だってとっくにそうしてるさー。あいつだって東部屋の横綱なんだから、仲間にできれば手勢も倍になるし。ただ金冠を取るだけでいいならその方法だって探るだろうけど、でもねぇ、おっちゃん思うに、あいつは正真正銘の威張りん坊だ。伊佐様のことも毛嫌いしてるし、誰かの言うことや頼みをきくようには思えないねぇ。古部のことだって、金冠があるから言うこと聞いてるだけなんだろうし、こっちの作戦を話したら、嫌がらせのためだけに、まさにその古部に告げ口しないとも限らんよ、ほんと」
「 ――― でも、この西部屋の勢力と同じくらいの大さの勢力を、そのままにしておくのは怖いですね。伊佐様が西部屋の主で、あちらが東部屋の主なら、真っ向からぶつかり合ったとき、やはりあちらの勢力の妖怪たち全部とぶつかり合うのは、得策ではないと思います」
「お前、一度は勝ったんだろう?もう一回、勝てばいいんじゃねーの」
「簡単に言わないでください。ボクをただの人間って思って油断してくれたから勝てたようなものの、二度も同じ手を喰らってくれるとは思えません」

 ここで、皆は少し腕を組んで考えた。
 ふと、伊佐が瞑目から、岩石のような顔に比べて小さく可愛い目をぱちりと開き、リクオと鯉伴を見比べる。

「どうダろうカ……リクオさん、鯉伴サン。ヴァナタたちノどちラかが、煙々羅の東部屋へ入って、中ヲ探りつツ、できルなラ味方に引き込ムというノは?」
「なら、おれが行こう」
「鯉伴さま、聞いてなかったんですか?威張りん坊で手がつけられないらしいじゃないですか。稽古と称されて袋叩きにされるのは目に見えてます」
「にしたって、今のお前やこの一ツ目を放り込むわけにいかねーだろ」
「それは……」
「大丈夫だって。心配するなよ。袋叩き結構、古部の奴め、おれをナメて生かしておいたこと、後悔するくらい強くなって叩きのめしてやる」

 意気込む鯉伴をリクオも止められず、また、忠誠心を求めて一ツ目小僧をちらりと見るとガタガタ震え出したのでこれにも無理強いできず、鯉伴の言うことももっともであったので、最後に伊佐が自ら立ち上がり、

「東部屋へ、案内しマシょう」

 というところで、話はまとまった。はずだった。






 輪入道と奴良組三人の一行に伊佐が加わり、天幕の中を今度は東側へ行く。
 真逆の位置にある場所なので、伊佐に案内されて天幕の中、天井すれすれに縦横無尽に張り巡らされた渡廊の一つを使って目的の場所へ向かうと、案内された場所は道場と言うよりも、紅格子の障子や窓が、むしろ遊興の場所と博徒の根城を思わせる、煤けた場所にたどり着いた。
 伊佐の道場とは赴きを異にして、集っている妖怪たちも、血気盛んと言うより斜に構えた者が多いようだ。

 人の姿を模る者でも、片袖を抜いて晒した肌にびっしり刺青を彫った者もあれば、リクオの苦手なあの香を煙管で好んで吸って、片腕に抱いた女と座敷に倒れこみ、行儀悪く足で障子を閉めた者もある。
 阿片窟さながらの煙々羅の巣の奥目がけて、伊佐を先頭に一行は歩を進める。

 穴倉のように外気が絶たれた回廊には、やがて窓が無くなり、箱のような廊下が続く。
 一定の間隔ごとに行灯が足元を照らした曲がりくねった回廊をひたすら奥へ歩くと、やがて最奥から漏れ出る光。さらに喧騒、怒号。

 光の中へ入った途端、一行の目の前を一体の妖怪が、綺麗な放物線を描いて跳ね飛ばされた。
 次に、背中から番付順の木札目がけて倒れこみ、仰向けにぐうと唸って動かなくなった。
 所業の主の姿を探せば間もなく目に映るのは、稽古場の畳の上で、蹴りを繰り出したままの姿勢を保っていた、煙々羅だ。

 全身を纏う煙は白く立ち上り、髪は紅蓮に燃えている。
 見れば、閉め切られて汗のにおいが篭る男所帯の板の間には、ごろごろと屈強な者どもが転がっている。中には、人型すら保てず、ふひふひと荒い息をしてひっくり返った獣たちの姿もあった。

「次!次、いねーのか!……あん、今ので最後か。……チッ、歯応えのねぇ奴等だ」

 瞼の無い釣り目であたりをぎょろりと睨みつけ、最後に、巨漢の客人を睨みつけた。
 真上に姿勢よく伸ばされた片足が、ゆっくりと道場の床を踏む。

 里の気によって抑えられていても、煙々羅の妖気に触れてだろう、道場の四隅の篝火が、ふわりと一瞬、高く燃え上がった。

「なんでぇ、伊佐さんよ。何しにきた。見学はお断りだぜ」
「オヴァエの部屋へ入門したイといウ者があってナ。案内してキた」
「入門だぁ?」

 輪入道、鯉伴、そして一ツ目小僧、最後に、リクオ。
 視線を滑らせた煙々羅は、最後でぴくりと顔を引きつらせた。
 敗北の苦い味が口の中に思い出されたのだろう、四隅の篝火が一斉に、高く立ち上り天井を焦がす。にやりと凄惨な笑みが、煙々羅の口元に浮かんだ。リクオから視線を逸らさず、獲物を前にした狩人のごとく、睨みつける。

(昨日の今日で俺様の目の前に姿を現すとは、良い度胸だ)
(さては俺様に勝ったのでいい気になって、部屋を乗っ取れるとでも考えたか)

 こう、考えるのは、妖怪の世界では、無理もないことであった。
 負けた者の命は、勝った者が握る。これが約束事だ。

 だが、今一度試合をするならば、煙々羅とてもう人間と思って油断はしない。
 涼しい顔が歪むまで泣き叫ばせてやる ――― そう決め、唸るように問うた。

「……どいつが、入門したいって?」
「おれだよ」

 言ったのは、リクオの隣。
 行儀悪く着流しの片袖を抜いて、懐におさめた黒髪の少年。鯉伴だ。こちらは全く意識していなかった煙々羅は、逆に虚を突かれた形になった。

「 ――― へ?そっちじゃねーのか」
「リクオ?なんだ、お前、リクオが良かったのか?生憎だけど、こいつはお前にゃやんねーよ」

 その言い方も、何だかカチンと来た。
 くれないと言われれば欲しくなる。
 一度欲しくなれば ――― なんだ、欲しかったのだ、と、気づいてしまう。
 もう一度、あの目で見てほしかったのだ、己を映して欲しかったのだと。
 目の前から失われて、何だかむしゃくしゃして、負けたせいだと思い込んでいた煙々羅、それまでの凄惨な顔はどこへやら、子供のようにぽかんとして、首をかしげた。

 次に。

「や、や、やるとか何だとか、な、何様のつもりだこのクソガキッッ!!」

 怒りと羞恥がないまぜになった。

「あれ。怒っちまった」
「鯉伴さま、その言い方なんですか!仮にもこれから師事しようというひとに!」
「や、だってさー。あれ、なんかお師匠っぽくねーって。どっちかって言うと伊佐の方がそれっぽいというか」
「んもー……」

 と、リクオはその一行の前に出ると、僅かに身構えた煙々羅の前に座し、その場で板の間に拳をつけて、深く頭を垂れた。

「煙々羅様、存じ上げなかったとは言え、昨日は衆目の前で大変なご無礼を働き、誠に申し訳ございませんでした。あの場から逃れるための、小物風情の最後の悪あがきと思って、どうかご容赦くださいませ。また、昏倒したこの身をその後、縁者の元へ運んでくださったとのこと、次にお会いしたときにはしかと御礼を申し上げようと思っておりました。本日は拝謁の栄を賜り、なおさらに、恐悦至極に存じます」
「あ……ああ、や、……まー、放り出すついで、みたいなモンだったからよ。き、気持ち悪い言葉遣いすんなよ。昨日はタメ口だったくせに。そういうの気持ち悪いから、やめろ。古部の野郎の悪趣味は、まあ、アレだよな、逃げたいって気持ちはまァ、あそこに居る奴なら、誰だって……お前は運が良かったんだ、うんそうだ、だから、運良く俺様の弱点を見つけて、運良く俺様が気まぐれを起こした。それだけだ、それで仕舞いだ、仕舞い」
「はい、本当にボクは運が良かった。昨日お相手してくださったのが、煙々羅様のように情け深い御方だったんですから」
「だから、《様》はよせ。なんか、むずむずするっつか、よそよそしいっつか」
「そうですか?」
「敬語も。いらねーよ。お前、仮にも俺様に勝ったんだ。堂々としねーと、俺様が軽く見られるだろーが」
「しかし、あれは運が良かっただけで」
「いいから!よせ!」
「………じゃあ、煙々羅。昨日はありがとう」
「………おう。ま、気にすんな。困ったときは、お互いさまだよ」

 四隅の天井を焦がしていた炎が、再びただの篝火に戻り、煙々羅はたまたま気になったように頭をがりがりと掻いて、たまたま壁の汚れが気になったらしくそっぽを向き、一行には背中を向けたまま、毅然と話し出した。

「俺様は、俺様が認めた奴しか、部屋には入れん。……それに、俺様の部屋に入ったが最後、裏切りには死あるのみ。半端な覚悟や半端な強さの奴はいらん。運だけで俺様に勝つような奴も、おい、そこの黒いの、お前みてぇな礼儀知らずも、そこのちまいの、愛嬌だけで世の中渡っていけると思ってやがる小物も、お前ら全員、お・こ・と・わ・り、だ」

 頭を上げたものの、リクオは座したまま、困ったように伊佐を振り向いた。
 潜り込む前に断られては、折角の打ち合わせが台無しである。

 しかし、伊佐は口元の笑みを大きな手で覆うようにして隠していたかと思えば、リクオと視線を合わせ、唇に指をあてて無言の意を示した。ついでに、器用に片目だけを閉じて見せる。

「 ――― だが、まあ、働き手としては、ちょいと不足しててな。こいつら、戦うことだけはそこそこ器用なんだが、気が利かねぇ馬鹿共が多くて困ってんだ。……小間使いとしてなら、まあ、リクオ、お前は傍に置いてやってもいいぜ。どうせ、戦うにしたって運が味方しねーと、戦えねーんだろ」

 色々予定とは違ったが、どちらかが中に潜り込むということには成功した。