乱戦であった。

 走った蒼い炎は、荷車の車輪をかすめ陰陽師どもにたたらを踏ませながら、妖怪たちの手首を締め付ける鎖を焼きちぎり、自由を得た妖怪どもはたちまち己の妖気を高ぶらせ、騒ぎを抑えようとする退魔師どもと、その場でぶつかり合ったのだ。
 振り上げられた大きな爪が、音を立てて夜空を切り裂く。
 雲もないのに稲妻が轟き、やたらめたらに地面を穿つ。
 己の影を大きく膨れ上がらせて、退魔師どもの影をがぶりとやって、身動きできなくしてしまう。

 合図があったなら、とにかく暴れるようにと言い含められた妖怪たちが、ここぞとばかりに己の力を一斉に解放したので、松明は地に落とされ、陰陽師たちは逃げ回り、妖怪たちとともに自由を奪われていた人間たちは隠し持った武器を手に、妖怪たちに加勢した。

 揺れる梢、折れて砕ける大木、射かけられた矢。
 この間を、鯉伴は千代を背負いながら、時には木々の梢に舞い上がって騒ぎを避けたりもしつつ、ひたすらに駆けた。
 妖怪たちも人間たちも、鯉伴が纏う漆黒の妖気に気づきもしない。

 隠れてはいるが、その分、妖怪どもも鯉伴に気づかずめちゃくちゃに得物を振り回したり、力任せに術を使う。
 これをかわし続けて、少し息があがってきたところで、長く続く行列の、いたるところで騒ぎが起こっているが、伊佐が居る先頭まであとどれくらいなのか、などと、目を凝らした。
 途端。


 ――― ドオオォォオォォンッッ!


 一際大きな水柱が夜空に吹き上がり、巻き込まれて悲鳴を上げる退魔師どもが、空にぱらぱらと木っ端のように舞い上がったのを、鯉伴はすぐ側に認めた。

「あそこだ!師匠のアレ、痛いんだよなぁ」

 鯉伴自身が春に身をもって受け止めた、伊佐の水柱。
 これを目印にして、木々の梢からその場にふわり、舞い降りた。

「師匠、すまねえ、奴等がおれを人質なんぞにしようとしたもんだから、リクオがキレちまって」
「構いマせん、どこから始まったにせよ、予定通りの騒ぎデす。あトは古部ヲ探すのミ」
「この辺に居たんじゃねえのか?おれは一番後ろから来たが、それらしい奴は見なかったぜ」
「すぐ傍に居たんだけど、騒ぎが起こったときに、どこかへ行っちゃったの」

 答えたのは、伊佐の大きな肩にちょこんと座り、しがみついていた座敷童である。

「あいつったら、他の陰陽師や退魔師を盾にして、自分はさっさと逃げちゃったのよ」

 鯉伴が加勢するまでもなく、伊佐の力の前に、もはや周囲に動ける敵の姿は無い。先頭にいるのだから、伊佐の鎖が解けたのは誰より遅いはずなのに、まだ他の場所では争いが続く中、既にここら一帯は制圧されていた。
 彼の傍が一番安全だと考えて、里の中でも弱い妖怪や、年老いたり、戦える体ではなかったりなどして戦えない人間たちが集まり、庇護にすがっていた。確かにここなら、千代を守るにもうってつけだろう。

「それじゃ、師匠はここでちょいと待っててくれ。おれが古部を探して、あぶり出してくる」
「わカりましタ、くれグれモ、気ヲつケて」
「河童の奴、いるかい?力を借りたい」
「いるよー。あいよー」

 背から千代を下ろし、伊佐の脇の荷馬車に乗せてやると、鯉伴の手をしっかりと握りしめてくる。

 気をつけて。

 大丈夫だ、とその手を握り返した。
 可憐な、少女の手であった。






 妖怪たちの謀反は、妖怪どもに有利に進んでいた。
 今までならば、暴れようとも妖怪たちを鎖や術布が戒めていたため、行列のあちこちに配置された陰陽師たちの力で簡単に封じることができたが、今回はそれが無い。
 今までならば、古部の傍に千代が居て、古部が一言、千代に奴等を絡めとれと言えば、瞬く間に広がる闇の手が妖怪どもを無力で哀れなものに変えてしまったが、今回はそれが無い。

 河童と二人、今度は列を先頭から後尾まで、途中の妖怪や里の人間たちに力を貸しながら、古部を探して駆け抜ける。
 途中、団子になって陰陽師たちが陣を組み、小物たちが滅されそうになっていたところで、初めて河童の《畏》を鬼纏った鯉伴がこれを一瞬で打ち崩すと、その後すぐ、例のごとく、まるでのんびりしている河童が、「あのさあ」と、走りながら話しかけてきた。

「どうした、古部を見つけたか」
「んーん、ちょっと個人的な興味なんだけどー」
「おう、なんだ」
「江戸にある鯉伴のうちの傍って、川とかあるー?」
「すぐ傍にはねーけど、ちょっと離れたとこにあるぜ。なんでだ?」
「僕、そこに住んじゃおうかなー」
「そりゃいいや、ご近所さんだな。毎日遊べる」
「うーん、そうじゃなくてー」

 珍しく、ほんの少し言い淀むと、誓うように言い切った。

「鯉伴がいつか魑魅魍魎の主になるなら、僕はその、百鬼夜行になってみたい」

 対して、鯉伴は照れたように笑う。

「嬉しいねえ、そんな事、親父抜きで言われたの、初めてだ。川なんてケチくせぇこと言わないで、屋敷に池でも作ったらいいや。それがお前の部屋ってことで、いいじゃん」
「いいのー?」
「いいさ。これが終わったら、盃交わしてくんな、兄弟」
「うん」

 一鬼を従えた鯉伴の夜行はさらに続き、途中、奮戦する輪入道を、山姥を、鎌鼬を、一反木綿を、次々加えて古部を探したが、列の半ばまで戻ったところで、向こう側からゆうゆうと、やはり妖怪どもを従えて歩んでくる者がある。
 リクオであった。

「こっから後ろは、あらかた片づきましたぜ。だが、古部は見あたらない。あの野郎のことだから、まさかとっとと逃げ出すなんて事は、無いはずだが」

 二人がううむと唸っているのを、脇に転がる陰陽師が、負け惜しみか、肩を震わせて笑った。

「古部様ならば、そろそろ準備が整う頃だ。お前たちが騒ぎ初めてから、もう半刻は経つからな」
「はあ?なに言ってやがんだ、こいつ」
「負け惜しみだろ、吠えやがって」

 気分が高揚した妖怪たちが、止める間もなくぽかりとやると、その陰陽師はその場でばったり倒れたが、不吉な予感は漂ったまま。

「鯉伴さま、これは一つ所で陣を固めた方がいいな。手勢を率いて先頭に行くとしやしょう。あっちの出方を待つべきだ。古部は逃げやしない」
「そうだな、別々のところにばらけてるより、その方が」


 二人、頷き合った刹那。


 何かが、夜空に光った。


 続いて爆風、そして轟音。
 二人はようやく足に力を込めて耐えたが、従えていた小物たちが耐えきれず、悲鳴を上げて吹き飛ばされた。


 おさまらないうちに、第二波。


 これは、火柱とともに彼等を襲った。


 伊佐の水柱に匹敵する勢いの火柱が、あちらから、こちらから、土を溶かし木々を倒して立ち上り、夜空を焦がす。
 薄雲から舞い降りるぼたん雪が、花びらのように舞っている中に、火柱は容赦なく吹きあがった。

 と、火柱を従えるようにして、夜空に浮き上がる何者かの姿があった。
 薄雲がかかった月すらも、その身に纏う紅蓮の炎に焦がし、鋼のように引き締まった巨躯を、これまた赤い胴着におしこめた、憤怒の形相の一鬼である。


 風に揺れる、逆巻く炎のような髪は、内側から灼熱に燃え上がっており、額の金冠も熱を帯びて、仄赤く染まっていた。


 体躯は、伊佐に匹敵するほど。
 離れていても周囲を圧倒する《畏》は、もはや妖怪と呼べるものではない。
 長年奉られてきた像に、神格が宿ったと言えばこそ、信憑性が持てそうなもの。


 しかし、似ても似つかぬはずのこの紅蓮の鬼に、リクオは息をのんだ。


「 ――― 閻羅?!」


 愛らしい童子の面影など、何処にもなく。
 地獄の鬼どもを従える、一際大きな炎がそこに居て、リクオを睨み返していた。

「ヤマよ、まずは千代を探すのです。あれの力があれば、この混乱をおさめるのは、たやすい」

 炎の鬼は、片腕に一人の陰陽師を守護するように抱いていた。
 憤怒以外の感情が伺えぬ、どこか空虚な瞳でもって、山間の中の行列を空からぐるりと見渡すと、先頭の荷車に、古部が言う、例の娘の姿を見つけた。
 見つけられた娘は、荷車の中でびくりと体をすくませ、その前に、伊佐が立った。

「伊佐は強い。大事な戦力ですから、くれぐれも欠かすことのないようにお願いいたしますよ。滅さずにすむ程度に、痛めつけてくださいませ。貴方様の大事な下僕になる一鬼でございますから」

 面倒だとも、難しいとも、炎の鬼は、ヤマは、言わなかった。

 使い手の言葉に忠実に、こくりと頷くと、巨体には似つかわしくない素早い動きで、伊佐へ詰め寄ろうとしたのである。

 これを、中空で遮った者があった。

 吹き上げた桜の妖気に乗って、跳躍したリクオが、その目の前を遮ったのだ。

 従った多くの鬼たちが、ヤマが太い腕をただ一振りしただけで、たちまち地上に落とされていく中、リクオはこの腕を最後に太刀で受けた。
 ぐぐり、と、腕に食い込んだ刃をものともせず、ヤマは表情一つ変えずに、途中で動きを止められた腕を振り切って、リクオを振り払う。

 手応えはない。
 振り払われたリクオの体は、湖面の月のようにゆらりと揺らめき消えたのみ。
 かと思えば、次にはその拳の上に立っていた。

「鯉伴さま、この野郎、何か企んでやがる。急いで先頭で陣を固めるんだ」

 腕を走り古部を狙うが、これは古部自身の呪符が投げつけられ阻まれた。
 炎の蛇がうねる。うねって空からリクオを飲み込もうと暴れ、あやうく距離をとってかわした。

「こいつは、一人や二人じゃキツいぜ」

 鯉伴が妖怪たちを引き連れ、先頭へ駆け抜けたのを視界の端で確かめ、しかしリクオはその場にただ一人、残る。


「閻羅!」

 名を、呼んだ。
 なついてきた童子を、打ち捨ててはいけなかった。


 討ち取ろうと狙うのは、炎の鬼が守護する古部、ただ一人。
 しかし、リクオがどれだけ手数を出して狙おうとも、炎の鬼…ヤマは古部をしっかり庇い、傷一つつけられぬ。

「閻羅、おい、そこに居るんだろう。妙なものに取り込まれてようが、お前はそこに、居るんじゃねえのかい」
「リクオ、お前が春のしろがねの大妖の正体だったとは、聞いて驚いたぞ。煙々羅に別の名を与えたのはお前か。しかし残念だが、アレは、このヤマを喚び出すためのただの媒介、もはやどこにもおらぬ」
「貴様、意志を消したのか」
「意志など、いらぬ」

 きっぱりと、古部は言い放った。
 男の顔に張り付いていた笑みが、この時、瞬時に失われた。

「道具に、意志などいらぬ。右と言われれば右へ、左と言われれば左へ行くのが、道具。意志などいらぬ」
「ならば、何故、いたずらに意志など持たせた」
「知れたこと、さらなる大きな炎とするため、闘争心を持たせるためよ」
「心さえも、貴様の道具だと言うのか」
「しょせんは、仮初の心。道具をより良いものにするための、ただの準備にすぎぬ。貴様のような妖に、外道扱いされるいわれはないわ!ヤマ、手加減は要らぬ、このようなうるさい妖など、燃やしつくしてしまえ!」

 たちまち、夜空を飛び交っていた炎の龍が、ヤマの拳の上に集まると、空を斬る所作をしたそれだけで、リクオを一口に飲み込むほどの巨大な鳳と化して迫った。
 あやうく一波をかわすも、すぐに鳳は引き返し、リクオは強風にさらされる蝶のように翻弄された。

 風に舞い散る花弁が、なかなか拳では貫けぬように、しろがねの残像は残っても、ヤマの拳の中にも鳳の口の中にも捕らわれない。

 巨体を前にして、全く臆することなく、ついにリクオはヤマの目前に姿を現し、憤怒以外の感情を見せぬ、ヤマに静かに語りかけた。

「閻羅、返事をしろ。そこに居るんだろう。お前、こいつにこんな事言われて、悔しくはねぇのか。
 閻羅。これがお前の欲した、本当の強さとやらか。これがお前が望む、お前のしたいことか。古部に従う傀儡となるのが、望みか。
 いいや、違うだろう、閻羅童子」


 僅か。


 揺らいだ。


 炎がゆらめくように、リクオの目の前で、瞳が。


「………俺様の」


 初めて、ヤマが口を開いた。


「………したいこと」


 確かめるように、探すように。

 やがて、目の前のしろがねの大妖を初めて目にしたように、嬉々とした表情を浮かべ。

 紙一重。
 前触れ無く突き出された炎の拳を、リクオはかわして間合いを取った。

 にたりと笑ったヤマは、静かに、呟く。



「………貴様を、超えて、魑魅魍魎の、主となる」



 ヤマが突如鋭く伸ばした爪の先、はらりと一度はかわしたものの、ついにリクオの脇腹を貫いた。

「ぐ、うぅッ」

 ぐらり、と体勢を崩したリクオは、真っ逆様に森へと落ち、古部の哄笑が、夜空に響きわたった。