襲撃してきた不埒者どもの始末より、半壊した座敷の始末より、何よりリクオを初めて見たような、幹部たちが落ち着くまでの方が大変だった。

 リクオは総大将に瓜二つ。
 しかし、当の二人は互いの血の繋がりなど、知らぬ存ぜぬ。
 その上リクオときたら、自分が人であるのか妖怪であるのかも、よくわからぬなどと、ここに来てもまだ暢気なことをぬかす。

「あんたのような凄まじい妖気を立ち上らせる人間が、いてたまるかってんだ」
「うむ。その上、総大将に似せた姿形に化生して、奴良家に上がりこむなど、何か企んでおるようにしか思えぬ」
「さほどの力は持っておらぬようだし、行くところがないと言うから置いてやったが、こうなってくると、貴様、ますます怪しい」

 座敷で囲まれ問い詰められても、リクオ本人すら、腕を組んで悩んでみたところで、己がどういう風にここへやってきたのか、ほとんど憶えていないのだから答えようがない。

 自分で自分が総大将に瓜二つだという自覚も無く、だからわざわざこの姿を選んで化生したのではない。昼日中は落ち着けていられた心もちを、どうにも我慢できずに器から溢れさせてしまったまま、一度滾々と湧き出てくるようになってしまった水には、自分でも栓ができずに困っているような状態なのだ。
 昼に同じように銀に変じよと言われても、よほど妖気漂う祟り場でなくばできないし、昼に同じように自在に妖力を操って見せよと言われても、夜ほど上手くはできない。昼の姿が嘘であるというわけではなく、あれはあれで本当に、毎日が楽しく優しい気持ちでいられるから、笑っていられる。
 逆に夜は纏わりつく己の妖気に自分で咽ぶほどで、つい窮屈な気持ちになるから、誰に彼にも笑いかけられるほどの余裕がない。できる限り、妖気を抑えて抑えて、早めに寝てしまうことで陰の心もちを避けていたのであって、隠していたのではない。
 己がこういう生き物だとはわかっているが、ではどこから生じたかと問われても、せいぜい憶えているのは、朝靄の中気がつくと河原を歩いていて、どうやら道に迷ったようだと思い、それでも川に沿って歩いていたら、いずれは橋などがかかっていようからと歩き続けていたら、うまいことこれを見つけ、しかも橋の向こうからは、何やらよく知っているような気配がして、引き寄せられるようにして渡って見ると、この奴良屋敷の裏手に出た。
 後でこの屋敷の裏を見て不思議に思ったことには、屋敷の裏には川などなく、もちろん橋もかかっていなかったのだが、自分はたしかに、橋を渡ってここへきた。それ以前のことは、憶えていないのだ。

 本当のことを話せと言われたので、このように言葉を選んで話しても、己自身、怪しく聞こえてならないと思うのに、誰が信じよう。
 いや、懐いてくれている小物たちは、相変わらず背中や膝のあたりにしがみついてくれていたが、これは小動物が頼れる母か父か飼い主か、そういうものを求めるようなものであって、あてにならないと大物たちは決めてかかっている。

 リクオを睨みつけながら、無遠慮にひそひそとやり始めた幹部達からは、この騒ぎを起こしたのもリクオなのではとか、総大将に取り入るために、このような騒動を起こしたのではとか、あらぬことをあれこれ言うものまであるので、これを聞いて、リクオはなんだか辟易としてしまった。

「わかった、わかった。もう、ぐだぐだぬかすな。聞きたくもねぇ」

 一言放つと、上座で幹部達のあれこれとした相談事を、黙って見ていらした総大将と、この隣でこちらははらはらとしながら成り行きを見守られていた珱姫に視線をよこし、着物の袖袂を直してから、両の拳を膝について申し上げた。

「世話になりやした。お言葉に甘えてずるずると、長逗留をしすぎたらしい。ここいらでお暇しやす。一言、ひよっこが何を言いやがると思われるかもしれませんが、総大将に申しげる」
「 ――― おう、なんじゃ」
「総大将、あんた、ひとを守りながらの闘いがド下手だ。それだけをするんなら、きっと、昼のオレの方が、よほど上手くやれる」

 リクオを囲む者どもが、総大将をのぞいて殺気立つ。
 総大将は、一拍、呆気に取られたような顔をして、すぐにカラカラと陽気に笑われた。

「そうさなあ、そんな闘い方は、これまで無縁だったんじゃ。どうも、今までとは勝手が違うらしいと、今度の闘いでよくわかった。そういうことを教えてくれる奴も、ほれ、この通り、周りにはおらんのよ」
「珱姫さまは、ただの人間だ。それも、弱い方に属する人間だ。やんごとなき御方とそろそろ街でも評判だから、出歩いてる最中に狼藉しようとする野郎もいるかもしれねぇ。それが妖怪とは限らねえんだから、昼日中でも一人歩きはご遠慮いただいた方が、よろしゅうございましょう。
 鯉伴さまは、まだ妖怪のこれといった御力をお見せにならねえ。これからどうなるかはわからねえが、今は人のやや子と同じで、ちょいと騒げば熱を出し、妖気の障りがあっても熱を出す。見たところ、まだ薬師一派のような連中を傘下にはおさめておられねぇ様子ですから、街の連中と、色々なつなぎは持っておいた方がいい。今んところは、珱姫さまの御力と、珱姫さまがご存知の漢方薬で、お二人は健やかにお過ごしでいらっしゃるが、生き肝を取られても多少無理がきく妖怪と、血を流しすぎただけで死んじまう人間と、同じに考えてたら、もっと痛い目に合う。
 今や、お二人は奴良組の急所だ。今日みたいなことは、これからもっと起こるかもしれねえ」
「 ――― 確かに。総大将、羽衣狐をくだしてよりこちら、貴方の威光と名前はこの江戸を中心に、広く轟いていると考えた方がいい。今までは羽衣狐か、それともぬらりひょんかと、日和見を決め込んでいた輩が、どちらかが倒れた今だからこそ、残った方にかかって来ようともするでしょう。残った方は、先だっての闘いで、消耗していると思うでしょうし、その上、この奴良組の奥方は人間。今すこし、神経質になった方が、よろしいかもしれません」

 最初のうちこそ他の幹部どもと同じように、ぎろりとリクオを睨んでいた木魚達磨が、リクオが淡々と言葉を重ねるうちに、ふむ、と思って総大将へ進言する。
 奴良組の知恵袋たる木魚達磨が、一理あると認めたところで、ふむ、と幹部達も皆、思案顔になった。

 頃合を見計らい、

「それじゃ、オレはこれで」

 ぺこりと一礼し、薄情に思えるほど未練を感じさせず、リクオはすっくと立ち上がり、堂々と座敷を横切って、濡れ縁からひょいと庭に出ると、門の方へと歩き始めた。

「あ ――― あ、リクオさん、待ってください。まだきちんと御礼も申し上げていないのに」

 名残惜しげな珱姫の声には、一度だけ立ち止まり、纏わりつく妖気に不機嫌そうな顔に、一瞬だけあの、心のこもった微笑をわずかにのぞかせた。

「珱姫さま、こちらこそ、色々と世話になりました。苔姫さまには、お約束を守れず申し訳ないと、何卒よろしく……」

 これだけ言うと、いよいよリクオは姿を消してしまった。
 なんとも、あっさりしたものである。

「……行っちまった」
「……本当に、何にも企んでなかったのかね」
「……しかしよう」

 尚もぐだぐだと相談し続ける幹部達を尻目に、総大将はやおら立ち上がられた。
 しっかと珱姫を、胸に抱かれて。

「そ、総大将?」
「床につかれますか?すぐに用意させましょう」
「いや、ワシも長いこと一つ所に居座っちまったが、そろそろ行こうと思ってなぁ」
「 ―――― は?」

 一同、我等が総大将がまた何を言い出したかと、飲み込めぬ。

「ぐだぐだと陰気に、恨みだつらみだ妬みだ怨念だばかりを肴に飲む酒は、好かん。誰を疑い誰を信じるというのを、同じようにぐだぐだと決めようとするのも、ワシは好かん。
 一つ所を守るためだけにそればかりを悩んで鬱々とするようなら、今までのようにふらりとどこへでも好きな場所へ自由に入り込んで、好きだと思った奴と、好きなように自由に生きる。お前等がこの屋敷へ留まると言うなら咎めはせん、好きに使え。ワシについてくると言う奴があるなら、今まで通り、屋敷を出てワシについてくればいいじゃろう」

 それだけ仰せになると、鯉伴を抱いた珱姫をさらに両腕に抱いて、リクオがしたように、座敷を横切りひょいと庭に下り、振り返りもせず、すたすたと歩いて行ってしまわれた。

 まず一人、雪女が当たり前のように立ち上がり、座敷を横切りすたすたと行ってしまった。
 そして二人目、牛鬼がやおら立ち上がった。やはり座敷を横切り、すたすたと行ってしまった。
 深く深くため息をつき、「総大将ときたらまったく……」ぶつぶつ言いながら追いかけたのは三人目、カラス天狗。
 これに、小さな荷造りを終えた小物たちが、わらわらと続く。
 四人目、狒々が堪えきれず腹をかかえて大笑いして転がり、ついでに座敷を横切って行った。
 五人目、かないませんなと木魚達磨。
 六人目、七人目、と続き、その頃には屋敷のあちこちから大物小物問わず妖怪どもが溢れ出ていて、最後まで座布団の上に座っておろおろとしていた算盤坊も、もう堪えきれずに、「総大将ぉ〜」と慌てふためき、これを追った。


+++


 心細くはなかった。逆に、なんだか肩の荷が下りたような気がして、そうか最初からこうすれば良かったのかもしれないな、などと思い、(最初からって、いつだ?)思い出せもしないくせに、時折過ぎ行く切ない想いが、さらに鬱々とさせた。
 しかし、あの屋敷から出て、晴れて自由の身になった今、北へ行くも南へ行くも己の思うがままだ。自分が人か妖怪かわからないのは、今も同じだが、己の好きに決められるのだとすれば、どちらでもいいじゃないかと言う気になった。
 人だとか、妖怪だとか、こだわること自体が小さい小さい。
 どっちだって、いいじゃないか。どっちでも、いいじゃないか。
 どちらにも属する妙な生き物がいたって、いいじゃないか。
 誰に咎められるほどのこともなしと判じると、いささか気が晴れた。
 空を見れば、月は皓々と明るく、星も眩しいほどに輝いている。

 足は自然と、北の方へ向いた。雪が見たいな、と思ったからだ。降っているかどうかは知らないが、山奥では年中降っていると聞いたことがあったから、ならばそこへ行ってみようと思った。
 屋敷への未練は、露ほどもなかった。

 ところが、一人歩いていると、後ろから、とことことついてくる奴がいる。
 誰だ、こんな夜更けにと怪しく思って振り返ると、なんと、奴良屋敷総大将が、胸に珱姫をしかと抱えられて、しかもその珱姫はすやすやと眠る和子さまを抱えられて、こちらへやってこられるではないか。

「総大将……?」
「おお、リクオ、奇遇じゃのう」
「あらリクオさん、お晩です」
「おぬしもこちらへ行くのか、ならばワシ等もついて行ってみよう。のう、珱姫」
「はい、妖さま」
「……こんな夜更けに、どちらへ?」
「なに、いつものことじゃ。気にするな」
「ええ、いつものことです。ふふ」

 微笑みあい頬を寄せ合われるお二人に、仲がよろしいことで、と、呟く。ちくりと胸が痛むのが不思議だった。ああして笑い合う相手、何故いない、どうしていない、いたはずだ、すぐ傍に。

「お主、こちらは北じゃぞ」
「はい」
「江戸から北の奥州は、まだ寒いらしいぞ」
「そうらしいですね」
「なんじゃ、冬が好きか」
「冬が好き……いや、どうかな。どちらかと言えば、春とかの方が。本当は夏が好きなんですがね、嫌がるんですよ、あいつ。秋になると、ほっとしたような顔をする。冬が一番過ごしやすいって言ってますが、でも桜が咲くと、なんでか嬉しそうな顔をする。
 ――― その顔が、なんだか、ぼんやりしている」

 離れているのが、不安なのではない。ただ離れているだけなら、いくらでも信じていられる。
 しかし、居たはずの感触が曖昧で、でもそこに居たはずなのに、すぐ傍にあったはずなのに、冬を纏うくせに、春のように笑うあの娘が ――― 若。リクオ様 ――― どれだけ思い出そうとしても、僅か、かすれたような声しか、思い出せない。なのに、居た、と言える。断定できる。
 この声の主は、本当に居るのだろうか。居るのだとすれば、どこに居るのだろう。
 冬を纏う娘、というような気がするから、だったら、寒い地方へ行けば、会えるだろうか。
 会ってみたいと思う。いや、会わねば、と思う。
 己が己を忘れてしまったのだ、ところでお前はオレが想っているお前なのだろうかとその娘に言ったなら、きっと笑ってくれる。ころころと、笑ってくれる。 ――― 大丈夫、私がその分、きっちり、若を憶えていますから ――― 。抱き締めてくれる。冷たい手で、あたたかく。

 この、北へ向かうリクオの目的を道すがら話すと、あまりに不確かに過ぎるので、珱姫は柳眉を寄せられる。

「しかし、顔も憶えていないのですよね?それで、どうやって探すのです?」
「うん。その特徴だと、まず間違いなく雪女じゃろう。妖怪だったら、の話じゃが。ま、雪麗に訊いてみたらいい」
「雪女の姐さんですか?屋敷においでなのでは?」
「なに、すぐに追いついてくると思うよ。ここいらで、少し待つかい」
「 ――― え」

 総大将が後ろを振り返られるので、リクオもこれにならうと、畦道の向こうから、何だか賑やかな一行がこちらに向かってやってくる。目をこらせば、なんと噂の雪女を先頭に、ぞろぞろと奴良屋敷のものどもが皆、列をなしているではないか。

「で、行くあては?」

 これが、雪女の第一声。

「まことに、心まで凍りつくような冷たい女じゃのう」
「だって、雪女だもん。ちょっとあんた、人間の女とやや子を抱えて野宿なんてできないわよ。どうすんの」
「さあて、どうしようか。リクオ、お前、どうする気じゃ」
「や、オレはそれこそ、野宿でも、なんでも。朝からなら、人里に降りられるし」
「かーっ、お主までそんな冷たくあしらうか!」
「あんたは、とっとと屋敷に戻ればいいだけでしょう」
「いや、あそこは明け渡して来た。今のワシは自由な身の上って奴じゃ」
「は?」
「ワシはお前さんを気に入った。気に入った奴とともにいりゃあ、つまることもない浮世も、いくらか楽しくやってられるじゃろう。だから、お前さんの行きたいところに行って、もう少し、お前さんの様子を眺めてたいと思ってな。その姿なら、酒もいけるじゃろ、ワシと飲まんか、ん?」
「物好きな。オレなんざ、何にも面白いことねーぜ」
「普段は童形、妖気高まればそうも立派な大和男子、これが面白くないなら、浮世のほとんどは面白くもなんともないわ」

 そうこうするうちに、ぞろぞろと列を成した百鬼夜行、総大将がひいふうみいと、列の最後まで数えてみれば、小物たちにいたるまで、きっちり屋敷に棲んでいた全ての妖怪が揃っていた。
 にやり、と笑う。

「ところで、お前さんが特に行くあてもなく、ただその、惚れた娘を探しているっちゅーんなら、お前さんのその薄ぼんやりしたところを、はっきりと思い出せるようになるまで、寝泊りするにちょうど良い空き家に、心当たりがあるんじゃが、どうじゃ。ついてこんか」
「は?」
「どうせその様子じゃあ、雪女の集落がどこにあるのかも知らんのじゃろう。むやみやたらと山を侵せば、シマ荒らしと嫌われもする。その娘のことを思いだす限り話せば、この姐さんがちゃんと探してくれるさ。こう見えて、なかなか面倒見がいいのよ。な、女房を助けてもらった礼くらい、ワシにもちゃんとさせてくれい」

 こうまで言われては、断ることもできない。
 百鬼夜行を引き連れて、ぞろぞろと来た道を引き返してみれば、やがてたどり着いた空き家というのは、もとの奴良屋敷だった。

「………おい、総大将………」
「な?見事な空き家じゃろうー。のう、珱姫」
「ええ、見事に空き家でございますね、妖さま。ふふふっ」
「ほれ、リクオ、空き家を見つけたなら、良い部屋は早い者勝ちじゃぞ、わっはっは」

 珱姫を抱いて、それ、と駆け込んだ総大将、そして続く百鬼にあっけにとられたリクオだが、早く早くと小物妖怪たちが手や着物の裾を強く引くので、引きずられるようにして屋敷に上がる。
 やや先を行く総大将の肩越しに、珱姫がひらひらと片手を振った。

「楽しい空き家生活になりそうですね、リクオさん」

 かくして、リクオは奴良屋敷の、正式な住人となったのである。


<夢、十夜/第一夜・了...二夜へ続く>











...夢、一夜...
ここには、若く強い総大将がおわし、珱姫は隣で微笑んでいらっしゃる。人と妖の架け橋となろう和子さまは、いとけなくお眠りであらせられる。
乱世は終わり、長い平和が始まろうとしている。なのに、お前が居ない。