「父者はこの縁組み、青鷺火一家からの救いの手のように言っていたが、あいつらにとってもそうだったようだぞ」

 ささ美がそう切り出して言うことは、こうである。
 確かに、青鷺火一家の金回りは良い。いくつもの繁華街を手中におさめ、夜の街も昼の遊び所も押さえているだけでなく、最近流行のインターネッツとやらを通した全国展開の商売があたり、懐にはうなるほど金があるのだと言う。
 しかしだ、金があるところを、不届きものどもが放っておくはずはない。
 青鷺火一家は、頭は良いが、腕はからっきしのものが多く、これまで身の回りを守るためには、金の力でごろつきやチンピラを集めて傭兵代わりにしたてていたのだそうだ。
 この者どもの取り纏め役に独眼鬼会のしっかりとした任侠者を招くことで、傭兵どもがよからぬことを企まぬよう、にらみを利かせていたのである。
 そのように統率してもらう代わりにいくらかの金を、独眼鬼会へ納めていた。

 それが、だ。
 青鷺火の娘御がいよいよ今日、奴良家と縁談をするというときになって、朝っぱらに独眼鬼会の長、一ツ目入道その人が怒鳴り込みに来たのである。
 口上は以下のようであったという。



 これまで、独眼鬼会は青鷺火一家から支払われる金に文句もつけず、ひたすら請われるまま、青鷺火のシマを守ってきた。もちろん、平和が長く続いて今の平成の世では、我等のような武闘派一門にとっては《畏》を集めるにも難しい世の中となり、青鷺火のように商売や学問が得意な面々から仕事を頼まれて、これまで食いつないできたこともあるから、それはありがたく思いこそすれ、その分にケチをつける気はいっさい無い。

 しかしだ。
 聞いての通り、先だっては羽衣狐と奴良組との抗争があり、奴良組の武闘派一門は抗争へ少なからず人員を出さざるをえなくなった。さらには、この先一年後には《鵺》との全面抗争を控えており、伴って少なからず世情は不安定、シノギはいよいよもって危険なものとなってきている。
 それでも、独眼鬼会としては、平和の世にあって青鷺火一家からたまわった恩や、紡いできた縁を尊く思うからこそ、羽衣狐との抗争に割かれて少なくなった人員の中からさらに人を割き、せめて青鷺火のシマくらいはこれまで通り地回りをさせたし、羽衣狐についた方がいいのではなんぞと企むチンピラ、ごろつきどもにこれまで以上ににらみも利かせた。
 今も、青鷺火一家が枕を高くして眠れるようにと、世情不安となってきている夜の世界に、きっちり睨みをきかせているつもりだ。

 いやいや、恩を売ろうとしているのではない。
 ただただ、事実を述べているのみなのだ。
 我等は対価として支払われてきた今まで通りの金子で、これからもこれまで以上の注意を払い、青鷺火一家のシマを守り抜く所存であった。
 青鷺火当主の仁義を信ずるからこそ、娘御を本家の三代目と縁組みさせる心づもりであること、人づてではなく、きっと、きっと、当主自身の口から話して下さるだろうと、それまでは座して待っていようと、噂に聞いた話をすぐには確かめず、ひたすら待っていた次第である。
 何故言わねばならないかなどと、とぼけなさってはいけない。
 奴良組本家とは武闘派も武闘派。
 三代目御本人はいわずもがな、二代目の頃から側近として侍る大妖どもが、うなるほど居る。
 側近頭の雪女などは、若くして単身であの、土蜘蛛と相対し生きて帰ってきたほどの女任侠である。
 そういった輩と縁組みをするということ、しかも娘御が三代目の嫁ともなれば、三代目はきっと青鷺火一家を寵愛し、自らの手勢でもって、青鷺火一家のシマを守るに違いない。人間の血を引いているがゆえに、三代目はそういったところは情け深い御方である、この一ツ目入道がうるさくあれこれ進言申し上げても、手打ちのひとつもなく笑って許して下さるのがその証拠。

 そうとも、青鷺火一家が奴良組本家と縁組みをなせば、守りにはいっさい事欠かなくなり、つまり我等独眼鬼会は古くからのシノギの一つを失うことになろう。
 奴良組本家も独眼鬼会もどちらも元をただせば初代ぬらりひょん様に連なるとは言え、これほど大きな組織となったからには金子がどういう経路で渡っていくかで生活も変わる。独眼鬼会に青鷺火一家の金が入らなくなったなら、独眼鬼会としては別のシノギを探す必要があり、一年後という近い未来に抗争を控えた今それをなすのは、苦悩以外の何物でもない。
 しかし、我等のような枝の一つよりも、奴良組本家はさすがの武闘派に間違いはなく、青鷺火一家が頼りたいと思う気持ちも納得できるものであるから、そこのところは致し方無い、我慢しようと思っていた。
 きっと今日にでも、これからの独眼鬼会の人員についての相談事、つまりは、いついつをもってこれだけ不要になる、最後には全ての人員をお返しすることになるだろうと申し渡されるのであろうと覚悟もしていた。だが今日が明日になり、さらに翌日になり、いよいよ明日は縁談の日であるとなったのに、いっこうに青鷺火当主はこない。
 一晩明かして、一ツ目入道自らがどういう了見であるのか、こちらに一言の断りもなく、奴良組本家と縁を結び、こちらには何も言わずに切ろうというのか、あれほどこちらから総会に出よと誘いを申し上げたときに、そちらは一体なんと言ったか、それを全く無かったことのようにして、我等との縁も情も無かったことのようにして、つまりこれは、我等との縁をすっぱり手切れに致そうと、そういうことであるのかを問いに来たのだ。
 もしもそうであるというならば、これ以上は知ったことではない、今日にでも手下どもを青鷺火一家のシマから引き上げさせて、今後一切、青鷺火の息がかかったものどもに独眼鬼会は門を開かないからそのつもりでおれ。

 このように、顔を真っ赤にして申し渡した一ツ目入道の剣幕に、いつものふてぶてしい態度を一変させ、青鷺火はいやいやそういうわけではないのだと取りなすのだが、普段は舌が何枚もあるような男であるのに、この時ばかりは一ツ目入道の言い分がもっともであるのと、一ツ目入道がそのまま配下どもに引き上げを命じるような勢いであるので、ひたすら申し訳ございませんでした、手前のいたらなさで余計な気を煩わせてしまい、面目次第もございません、全くそんな気はございませんでした、平にご容赦、ご容赦、と、己の屋敷の庭に土下座までして慈悲を請うしかなかった。

 いまや、青鷺火一家のシマの全てに、少々愚痴が多いのは組長に似ていながらも、愚直で義理に厚い独眼鬼会の者どもが置かれており、その者どもを引き上げさせられては、チンピラごろつきどもばかりがシマに溢れることになろう。そうなっては、目も当てられない惨事になるに違いない。目先の金に釣られて稼ぎに手をつける者や、勝手な言い分でシマ荒らしを行う者がすぐに現れるに決まっている。
 青鷺火の腹の内に、これから激しくなる抗争において、本家との繋がりがあれば、多少シマが荒れても最優先で地回りの要員を回してくれるだろうという打算計算があったものだから、余計にそこを突かれてしまえば、ぐうの音も出ない。
 ひたすら謝り倒し、一ツ目入道の怒気がいくらかやわらいだところで、実は、総会にしばらく出ていない身分では、一体どのような顔で、《畏》の代紋、その三代目の前に顔を出せばよいのか、傾きかけた奴良組を早々に見放した分際で、今更庇護を求めようとしても相手にもされまいぞと、考えあぐねた末の大博打であったのだと、土下座のままで、叫ぶように言ったところ、一ツ目入道は虚を突かれたように、なんじゃそんな事を気にしておったか、なれば縁談など、人質を差し出すようなことをせんでも、顔を出しに行けば良いであろうにと呟いたのである。



「私は生まれてこの方、本家仕え以外になったことが無いから、青鷺火のような気持ちはわからなかった。一ツ目入道殿も同じような気持ちであったのだろう。きょとんとされておられたよ。私が他のカラスどもに尋ねてみたところ、そのカラスはこう答えた。本家から離れた、幹部に列席していない家の二代目三代目にとっては、奴良組本家、奴良屋敷とは雲の上のようなところで、そこにおわす主など、まさに天上人のようなものなのだそうだ。気軽に訪れて良い場所ではないし、一度離れてしまったのなら尚更、再び縁を紡ごうとしても、蹴られてしまうのではないかという恐怖が先立つとか。傾きかけていたときに我先に側を離れた者ならば尚更に、不忠を咎められるのではないかと思うだろうと。
 青鷺火どもは商売には精を出していたが、腕はからっきしだというからな、大方、ふてぶてしく見せておいて実の所は、本家と少し近づいておきたいと思う程度には、羽衣狐との抗争におそれをなしたというのが正解ではないか、ということだ」
「あやつの事だ、何でも金で解決するであろうと思っておったろうが、言われてみれば確かに、金でチンピラやごろつきは雇えても、一本筋の通った任侠は雇えぬからなぁ。盲点であったわ。この父も本家仕えが長いからなぁ、その点はささ美、お前と同じよ、身近過ぎて偉大さが必要以上にわからなくなってしもうたわ」
「つまり父者、我等は贅沢病に違いないぞ。病のせいで、危うく若を安売りするところであったのではないか」
「むう、確かにそうだ。次はもっとよく見定めねばなるまい。ささ美、ご苦労であった。若の捜索は兄たちに任せておいて、お前は少し休め」

 ともかくも首が繋がったのと、思わぬところで奴良組の威光を確かめることができて誇らしいのとで、落ち着きを取り戻したカラス天狗は、ささ美が下がってまもなく、他のカラスが若君発見の報を持ってきても、すぐに飛んでいってあのいたずら小僧を叱ってやらねばという気持ちは起こさず、もしこれが若君の采配によるものならばたいしたものだと、茶をすすりながらふむと一考し、青鷺火ほどの一家がひれ伏すのであれば、もう少し欲張りになっても良いのかもしれない、これこそはと思うほどの縁談を、手当たり次第当たってみようかと思い直してから、席を立ったのであった。





 若君はお一人ではなかった。
 駆け落ちする、などと御母堂に言い残されて行ったので、薄々誰を供につけているのかは感づいていたが、カラス天狗がお迎えに参上したとき主のお側に侍っていたのはやはり、若君お気に入りの側近頭である。
 守役、護衛を経て、側近頭にまで上り詰めたのは栄達に他ならない。何の見返りも求めず真摯に若君にお仕え申し上げた雪女の真心を、本家に縁ある誰もが認めているからこそ、他にも経験豊富な側近たちがあるというのに、まだ若い彼女が任ぜられたのだ。
 その役目を忘れて、若君の遊びにお前まで付き合ってどうするか、と、カラス天狗が全身の羽を逆立てて叱りつけようとしたところへ入ってきて彼女を庇うのは、他ならぬ若君である。

「まあまあそう言わないでよ、カラス天狗。ボクが護衛を頼んだんだ、ボクの命令で動いていたのに、叱っちゃかわいそうだよ」
「しかし、それならばこやつは我々に、一言どこそこへ向かうと言い置くべきでした。出向いた先で御身に何かあっては一大事、報告の義務を怠ったこやつは叱られて当然でございます」
「それもボクがいけないと約束させたのさ。何でもかんでも言いつけられちゃ、おちおちお忍びもできやしないじゃないか」
「お忍びなど、されてはかないませぬ!三代目ともあろう御方が!しかも駆け落ちなどと、物騒な物言いをお母様へ残されて!」
「このあいだお前につららと結婚するって言ったときは綺麗にスルーしたくせに、そこだけは本気に取ったのかい。お前の基準はわかんないなぁ、カラス天狗」
「ふざけている場合ではございませぬ!本日は縁談の日だったのですぞ!」
「ああ、そうだったね。で、縁談はどうなったの?」

 本家から呼び寄せたおぼろ車の中、若君は手持ちぶさたなのか、火をつけぬままの煙管を指先でくるくる回しながら、ご存じのはずのくせに何食わぬ顔でこんな事を訊いてくるのである。
 若君の隣で、雪女は縁談をすっぽかしたのはまさに己の責任であると、白を通り越して顔を青ざめさせていた。
 日取りを知ってはいたものの、彼女一人では唇を尖らせて「それじゃあ一人で行くからいいよ」と仰せになる若君を止められるはずもなく、かと言って誰にも言わぬと約束した手前、約束を司る雪の女怪が自分からこれを破るわけにもいかず、ただひたすら、どうなることかと成り行きを見守るしかなかったものの、いざこの場ではひたすら、ひたすら、小さくなっているしかなかったのである。

 ぐう、と、カラス天狗は唸る。
 おそろしげに震えてばかりいる女怪を苛めるのは、彼とて本意ではない。

「……ご存じでいらっしゃるのでしょうに。青鷺火の娘御は参りませんでした。つい先ほど、青鷺火本人が本家へやってきて、この話はなかったことにしたい、しかし本家との繋がりは別の形で是非お願いしたいなどと……」
「へえ、一ツ目入道、うまくやったんだ」
「やはり、若の入れ知恵でございましたか!」
「上手くいったんだろう?」
「……ええ、ええ、そりゃあもう、上手く行きましたとも。あのしたたか者の青鷺火が、名前の通り真っ青になってやってきて、とりあえずお詫びの品だと菓子折りの底に小判をぎっしり詰めたものを初代に押しつけていきましたわ」
「え。いやいやいや、何もそこまでしろとは誰も。参ったなぁ、それじゃあまるでカツアゲじゃないか。多く貰いすぎだよ」

 それまで、悪戯が成功したときに若君が見せるあの、幼い頃から変わらない得意そうな表情であったのに、銀縁眼鏡をついと押し上げ、それは困ったと腕を組んで、眉を寄せた。
 はあやれやれ。
 三代目になられたというのに、こういうお人好しなところはまるで変わらず、そうしてこういうところがあるからこそ、目くじらをたてていたカラス天狗も、ため息一つでまぁ良いかと思ってしまうのである。

「まぁ、今回は結果おぅらいでしたから良しとして、若、今後はこのような真似、お控えくださいませよ。縁談前日に行方をくらますなど、言語道断でございます」
「お前が無理に縁談なんかに引っ張り出そうとしなけりゃ、ボクだってこんな真似はしないとも」
「何を仰せですか!三代目として嫁を娶り、跡継ぎを残すのは急務であると!」
「はぁ、お前、まだわかってないんだねぇ。いいよ、気が済むまで付き合ってあげるから、持っておいでよ」
「おぉ、その気になってくださいましたかッ」
「何を言ったってお前、聞く耳持たないだろう?お前が諦めるまで相手をしてやろうって言ってるだけだよ」
「さすればこのカラス天狗、若のお眼鏡にかなう娘御を探して参りますぞ。しからば、御免」

 頂いた御返答を己の都合の良いようにだけ解釈し、カラス天狗は空をかけるおぼろ車から飛び出すと、さっそく次の娘御の元へ話をつけるため、翼をはためかせて行ってしまった。

「若、そのう……」
「うん?どうしたの、雪女」

 縁談をすっぽかすなど、無茶にもほどがございます。
 今回はあちらから無かったことに、などと言ってくださったからよいものの、これからもそうなるとは限りません。
 どうか次こそは大人しく、まずは会うだけでも聞き分けてくださいませな。

 ……言わなければならないお小言は、いろいろあったはずなのに。

「あの……まだ、縁談、受けられるんですか?」

 いざ口をついて出たのは、先日から胸を痛ませる氷の棘の仕業でか、全く違う言葉であるのだ。
 はっと雪女は己の口元をおさえ、若君から目を背けて俯いた。
 若君が目を丸くされて、珍しいものを見るような目を雪女に向けられたので、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなくなったらしい。

「お忘れくださいませ、戯れ言を申しました」
「忘れるもんか。ふぅん、つららはボクに縁談受けてほしくないんだ」
「それは!……ですから、身分に不相応な事を申しました、どうかお許しくださいませ」
「身分ねぇ。今時そんなの、関係ないと思うけどなぁ」
「いいえ!いいえ、いいえ、関係ありますとも。私のような守役女をそのまま側近頭にしてしまうのだって、青や黒のような近侍を差し置いて、過分の施しをいただいていると思っております。これ以上は、もう」
「それじゃあ、本気で駆け落ちしちゃおうか、このまま?」
「え?」
「って言ったら、お前はついてくる?」
「ご冗談はいい加減になされませと、いつも申し上げておりますでしょうに」
「それじゃ、例えば冗談ではなかったら?」
「………困ります。若は三代目として、関東勢を率いる御方です。ましてや今は、一年後に《鵺》との全面抗争を控えた大事な時期。………縁談でもって足固めをなさろうとするカラス天狗さまのお考えは、正しいものと思いこそすれ、逆らい立てなどできはしません。ですから、どうか、もうこの話は」

 お許しくださいませ。
 再び、細い指をついて平服する側近頭は、哀れなほどに震えている。
 この女は自分を好いているに違いないのに、いったいどうしてこうも頑なであるのか、どうしたらこの女の方から、懐いてくるだけではない、守子への関心だけではない、男に対する独占欲というものを得られるのかと考えても、組の足固めの部分ならば昨夜一ツ目入道の耳に吹き込んだような、カマかけにアヤつけの手段がいくらでも思い浮かんでくるのに、この女を落とす術はまるで思い浮かばない。
 米神を煙管の吸い口で叩きつつ、ここは大人しく、しばらく縁談の話はのらりくらりで避けるしかないなと思われる若君なのであった。



+++



 空は雲の上に棲み風を起こす空妖や、湖の底に棲み旅人を惑わしては《畏》を得る水妖、まさに空の上に目を凝らし地の底までをもさらうようにして、その後も三代目の縁談相手は捜され続けた。
 ところが、カラス天狗がこれはと思う娘御を捜し当てて縁談の席を設けようとするたびに、若君はお決まりのように雪女と駆落ちされ、カラス天狗は頭のてっぺんから羽根を抜け落ちさせ胃の腑をきりきりとさせながら二人を捜し、決まって縁談はお流れになるのだ ――― 相手側の諸事情によって。

 もちろん、毎度毎度抜け出しを計る若君を自由にさせておくカラス天狗ではない。
 息子たちや屋敷の者たちに申しつけて見張りをたてたり、額を畳にこすりつけた後で少々手荒く昼のうちに自由を奪って蔵の中で大人しくしておられるよう強くお願い申し上げたり、他ならぬ雪女にも三代目をこれ以上ぬらりくらりとさせてはならぬと厳しく申し渡し《約束》を誓わせ、あちこちに根回すのだがどうもいけない。
 カラス天狗とて、初代とともに数百年この屋敷をねぐらに暮らしているのだから、小物たちはもちろん、大妖の類とてそれなりに掌握しているつもりである。
 けれども、たった十三の歳であられる若君の前で、何の役にも立たないのだ。

 屋敷の者たちに見張りを頼んだとしても、そうっとそうっと抜け出そうとする昼の御姿の若君を、首無は見て見ぬふりをしただけでなく、後を追おうとした無粋な小物どもを綾取りの糸で絡めとり、しばらく宙吊りにしてしまったし、毛倡妓などは何食わぬ顔で己の着物の裾に隠して屋敷の外まで連れ出してしまった。
 河童などは屋敷から連れ立って出て行く若君と雪女に手を振って見送っていた始末である。
 蔵に閉じ込めて鍵を懐にしまっておいたからもう安心と思ったら、青田坊が錠前を壊して若君を逃してしまったし、黒田坊などは、若君との約束とカラス天狗との約束の間で心を乱す哀れな雪女を、まるで姿形そのままの僧のように、己の心が《約束》したいと思ったものこそが、真にお前という存在を縛るに値する《約束》なのではないか、それ以外に強いられたものなど、お前の心を縛るものではないはずだ、などと説法の真似事をして、カラス天狗の言霊を解いてしまったのだ。
 それどころか、カラス天狗の血を引いた三羽烏たちも、忍び事が得意なささ美が二人を捜し当てたあっぱれな手柄をたてたにも関わらず任務ではなく情を優先させてこれを見逃し、以降の探索には加われぬと勝手な物言いをしたのを諌めんがため、娘の頬を打ってお前のような娘など要らぬどこへなりとも飛んでいってしまえと申し渡した父親の前で、泣き崩れる妹をひょいと抱き上げた長兄が次兄を引き連れて飛び去ってしまうという叛意を示した。以降、浮世絵町のカラスどもを、カラス天狗本人が老骨に鞭打って束ねているのだが、このところはすっかり息子たちにまかせっきりであったので、探索どころか、情報を束ねることもままならなくなってしまった。

 縁談は無かったことに………と庭に土下座をして謝りに来た者を、もう何人見たことか。
 奴良組を見限ろうとしていた大妖、土地神の類も、回を重ねるたびに格上の者を選んでいるはずだ。二代目の頃より弱体化している奴良組に、彼等を平伏させる《畏》があるなど、三代目には失礼ながらも、正直カラス天狗は信じられなかった。
 毎度総会に顔を出す大幹部どもの力を借りているのは明白である。その大幹部どもが不思議なことに、ちょいと耳を貸せと言われてしまうと、サシで飲み明かした拍子にふと三代目に昔の総大将の面影を思い出してしまったり、二代目を偲ぶ気持ちが浮かんだり、他ならぬ三代目が幼い頃に悪戯の片棒を楽しく担がされたときの陽気を思い出したりもして、そうだな一肌脱いでやるかという気持ちになるらしい。

 結果的に、大幹部どもの元を一巡するほど、自ら挨拶回りのようなものをなさっているのは素直に感服したカラス天狗は、ついに、若君の縁談のお世話を、諦めることにした。
 己から世話をすると言っておいて勝手な話であるのは百も承知だが、これ以上は体がもたぬ、と、数回目の縁談の翌朝、鏡を見たときに額に大きな五百円ハゲを見つけたときに悟ったのだ。

 若君の縁談は仕方が無い。
 思えば初代も二代目も、これと決めた女を自ら連れてこられたものだ。
 《鵺》との全面抗争を前に、早く祝言を挙げ、一粒種でも良いから次代を、などという悲劇的観測があるにはあったのだが、ここまで嫌がられているのでは、たとえ縁談の席に若君を引きずり出したとしても、次代が望めるような仲にはなるまい。
 良いとも、待とう。
 全面抗争など、勝てばよいのだ。
 そういう気構えができてきた。

 ――― だが、そろそろ、守役女べったりは、よしていただかなくてはならぬ。

 大幹部どもへ挨拶回りを兼ねたおかげで、元服前は三代目への風当たりが強かった者どもの中にも、まだまだ青二才には違いないが先が楽しみではあるなどと言う者も現れ始めた。
 良い展開だ。
 このまま抗争へ持ち込めば、たのもしく勇ましき夜姿の三代目に、まさしく心服する者もあるだろう。
 だが、しかし、だ。
 その三代目が、未だに守役女を恋しがるような方であっては、せっかく上向きかけた三代目の評判を、地に落としてしまうに違いない。

「つまり、急を要する話だ。若も元服され、守役女も不要になられた。一度は側近頭にまでなったとなれば、充分に箔も付くだろう。お前に縁談を捜してきたぞ、雪女。そろそろ身を固め、女のしあわせを掴んではどうか」
「いいえ、カラス天狗さま。私は若に ――― リクオさまを未来永劫、御側でお守りするとお誓い申し上げました。他の男のところへ嫁に行き、若の側を離れるなど考えられません。御側で、側近として、命に替えてもお守りすると《誓約》し、盃も交わしております。リクオさまが仰せになられるのならともかく、いかにカラス天狗さまといえども、この誓いをないがしろにはできますまい」

 凍りついた雪原に、季節を忘れて咲き誇る花、一輪。

 若さゆえに粗相も多く、子供のようにころころと表情を変えて周囲を和ませる彼女だが、それでも正真正銘、雪の《畏》をまとった女怪である。毅然と面を上げ、細い体ながらもしゃんと背筋を伸ばして畳の上に座している姿には、彼女の母親の姿が重なる。彼女もまた、己が情を寄せた男のために、その男が他の女、それも人間の姫君を選んだ後も、その姫君はもちろん、姫君が産んだ和子さまもろともに守って見せた。
 常は蓮っ葉な物言いや態度がいかにもな女傑、女任侠であったのに、それがしあわせなのだと微笑んだあの女ときたら、無垢な少女のようで、カラス天狗はいつも胸が痛くなったものだ。
 できることなら、彼女の娘にまで同じ倣いをしてほしくはない。

 この女たちが主のために強くもなれば弱くもなるとよく知っているカラス天狗は、雪女の返答はあらかた予想もしていたので、これに対し、あらかじめ用意していた答えを返すのである。

「御側でお守りすると誓った身なればこそだ。これから若は、三代目として奴良組や配下につく者どもの頂点にお立ちになる。近い未来に《鵺》との全面抗争を控えた今だからこそ、奴良組に属する者どものの結束と、奴良組から離れかけている者どもへの地回り、地盤固めが急務。これまでは若があちこちの大幹部どもへ挨拶回りがてらお知恵を授けて、縁談でなく今まで通り大幹部どもを通した縁でもって綱渡りをされておられるが、何かの拍子にその三代目が、いまだに守役べったりだと明かされてみよ。せっかくの三代目の威光など、それこそ地に落ちるというものだぞ。
 今の若のお前への執着など、幼子が気に入りの玩具を離しがたく思っているのと同じだと、お前もわかっておるだろう。そのうち、無邪気に他の女をこの屋敷に連れてきて、この女を嫁にすると残酷に言い放つことだろうと、お前こそが覚悟をしておることだろう。まして、まだ若い三代目が、守役女にいまだべったりしておれぬなどと噂を立てられることなど、望んでおらぬだろう。
 お前が先に身を固め、人妻となれば、若とてわきまえられ、今まで通りべったりとされようとはせぬだろうと思うから、若のためお前のためと思うから、こうして話しているのだ。
 相手は静かな湖の、次代の主となる御方でな、雪のお前を焦がすこともなかろう。
 ちょいと派手な噂もおありだったが、なに、若いうちはやんちゃもあるものだ。嫁を娶れば一家の主だという自覚も起こり、落ち着きもしよう。どうだろうか、せめて、会うだけでも ――― 」

 自分のためにではない、三代目のために。

 身命を賭してもお守りし、お仕えしようと誓った御方のためならば、例え火の中で己が身を焦がされてもかまわぬ雪女としては、痛いところであった。己の身が浮ついているために、主に良からぬ噂がたつのではと、縁談前に連れ出される度、彼女も同じ心配をしていたのだ。

「………それでも、リクオさまの御側から離れることはできません。側近頭のお役目を返上することになろうとも、賄い役に下がろうとも、お守りすると誓ったのです」

 せいぜいが弱々しく、俯きながらこう述べるしかないではないか。

「むう。そうか。………実はな、その御方は、お前が本家勤めのままでも良いと言うて下されておる」
「え?」
「このカラス天狗も、高尾山に妻を残し一年のほとんどを本家で過ごす身だ。他にもそういった輩はあるし、相手方もお前の役目に理解を示しておられる。妖怪というよりも、近隣の村では今も廟に供物を備えに来る人間もある、土地神に近い御方の血筋よ。破格のお相手だぞ」
「………まずはその、会う、だけでしたら」

 そこまで言われては、そう言うしかないではないか。