「……ったく、誰にそんな悪知恵、吹き込まれたんだか」

 それまで側の人間など目に入れずにいた主だが、そこでちらり、と、彼女の後ろで己を見つめる、二人の人間の女を見やった。
 二人がいたことを、今思い出したという様子である。
 言葉でめでたいとは言いつつも、慌てた様子も驚いた様子も他には見せなかった主だが、身ごもったと言われて、さらにそこから先へ続く未来の幻を、己の妖気に映してしまうほどには、混乱もあったのだろう。
 ばつが悪いのを隠そうとしてか、まるで人間風情が己の女に何を吹き込んだとでも言うように、口元の笑みを隠して、陰陽師の女を睨みつけた。

「うちは、何も言ってへんよ、ぬらくん」

 隣に居ただけのカナが、温度の高い視線を不躾に向けられただけで臆し、体を震わせたのに対し、流石にそこは、日ノ本の陰陽師たちの屋台骨、真っ向から視線を受け止めてびくともしない。
 東京へやってきた時に纏っていた、緋色の小袖姿で、手入れの行き届いた長い髪を肩のあたりで一つにくくり、胸まで垂らしている。
 すっかり女らしくなってしまった、主の戦友その人は、振る舞いばかりはあの頃と同じ少年のようにさっぱりと、肩をすくめて受け流してしまった。

「主の命令、主の妖術を下僕の分際で破るのは、二人分の妖気があって叶った事なんやろう、食欲もないし、妊娠しはったんと違うのかと、訊いたのは確かにうちや。今なら雪女の《約束》の術が、あんたを僅かに上回るに違いないとも言った。
 けど、決めはったんは、その女や。それに口出しするほど、うちも野暮やないから、安心しい。
 ……だからな、あんたも、うち等が決めたことに、口出しするんやないで」

 そう、雪女は真実を気づいて、思い出して、こう決めた。
   それでもあの御方を、一人にはできぬ。
 それでも自分だけが、去って無かったことにはできぬ。

 憎みながらでも、側にありたいと、決めたのは雪女。



 ――― だから、カナも決めた。



 それまで、ゆらの隣で立ち尽くし、悲しい夢と幻を見せられて、こみ上げてくるものをぐっと堪えていた彼女は、ここで初めて一歩、踏み出す。

「……私も、決めたわ」

 少し息を吸い込んで、言った。

「誕生日、おめでとう」

 人の前に主が姿を現すは、人の目に主の姿がとまるのは、それこそ目を見開くほどに稀なれど、今ここで目を見開いたのは、そう言祝がれた、主のほうこそだった。
 逆に、カナはやや緊張した面持ちだったのが、いざ言ってみると、胸のつかえも緊張もほぐれたので、次の言葉はするりと、笑みさえ浮かべて言うことができた。

「名前は思い出せなかったの。たくさん思いだそうって考えたんだけど、思い出せなかったの。たくさん調べたんだけど、これかな、と思うものは全部消えてしまっていて、どうやっても、尋ね当てることはできなかったの。
 でもね、これはちゃんと思い出したよ。
 今日は貴方の誕生日。小さい頃は、私の方がちょっとだけお姉さん、だったよね」

 はい、プレゼント。

 差し出した包みを、主は案外素直に受け取った。
 もしかすると、呆然としていて、断る文句も思いつかなかったのかもしれない。

 ショルダーバックにおさまっていた、細長い箱はきちんと包まれて、青いリボン付き。
 彼ならきっと、懐にそのまま入れてしまえるサイズ。

 主がちらとカナを見てくるので、どうぞ開けてみて、とカナは促す。
 幼い頃から何度もやりとりした、誕生日のプレゼント交換は、雪女もきっと、何度も目にしていたに違いない。
 主の隣で、柔らかく微笑んで、頷く。

 それまで、皮肉にも見える微笑が常に張り付いていた主の顔から笑みが消えて、結ばれたリボンを解く間、まるで少年のように緊張した面持ちでいるものだから、自然と女たちの苦笑をさそった。

 誕生日プレゼントは、少し値の張る小筆と大筆が、一本ずつ。

 名前は思い出せなかったけれど、カナは幼友達がどういう男の子だったか、そこはきちんと思い出した。
 あの、少しだけ世間知らずだった幼友達は、おそろしく流麗な文字をさらさらと書くのだ。
 中学校にあがってから、彼と一緒に職員室に行くたびに、誰かしら先生の方からすまないんだけどと声がかかって、ちょっとした宛名を書いたり、掲示する垂れ幕の文字の元になる字を大きくつづったりしていた。
 書道展があったときには、綺麗な和紙に長い漢詩を小筆で書いて、何か賞をもらっていたはずだ。

「色々考えたんだけど、そういうものだったら、幾らあってもいいものでしょう?」

 昔のカナだったら、長く使えるものを、後に残るものをとだけ思って、使えば汚れる、いつかは壊れる筆なんて、選ばなかったかもしれない。
 もっと長く使えるものを、ずっと側においてもらえるものをと、幼友達の少年が気になり始めた少女として当然に、もっと意識した贈り物を選んだはずだ。
 けれどカナだってわきまえている。
 それこそ思春期じゃあるまいし、今、主の横に雪女が立っていても、彼女に嫉妬なんて、覚えることは無い。

 悔しいのは、あの頃、あの時、カナ自身がすっかり蚊帳の外だったことだ。
 ちゃんと、彼自身の口から聞いていたことを忘れて、無意識に幼さのせいにして、彼と彼女のことからも、彼が只人ではないための厄介事からも、目を瞑らされて、すっかり蚊帳の外だったことだ。

 だから、カナは続けた。
 雪女に決められないことを、決めた。

「私は、もう忘れないよ。思い出したよ。名前はまだだけど、ちゃんと、今日があなたの誕生日だって、思い出した」
「ああ。……ありがとうな、カナちゃん。大事に使うよ」

 小さく微笑んだ彼は、いいや、忘れないのは不可能だなどと、言わなかった。
 だからこそ、カナは憤りを感じた。
 カナの言葉を否定せず、いや疑問にすら思わないのは、信じる必要が無いと頭から決めてかかっているからだ。

 今ここで、主と雪女と別れたが最後、カナは再び、せわしない毎日に追われて、少しずつ、少しずつ、せっかく呼び覚ました記憶の欠片を、また失わせていくに違いないのだから。
 カナもそれは、わかっていた。
 今ここで彼等を見送れば、きっと自分は、彼等を忘れてしまうんだろう。
 忘れたまま、今の一瞬一瞬を生きて、懸命に生きるのに精一杯で、忘れたまま思い出しもせず、もしかしたら誰かと結婚して、子供をもうけて、年老いて、死んでしまうのかもしれない。
 人ならば当然だし、それは悪いことではない。
 けれど。

 カナは決めたのだ、ここから、この二人をただでは返さぬと。

 雪女が主と言葉を交わしていた間、彼女をじっと見守っていたゆらとカナだが、今度は、カナが顔を上げて、すっかり立派な、艶やかな妖の主となった幼友達と対峙するのを、ゆらと、そして雪女が、声こそ出さぬものの、しっかりとエールを送るように見つめていた。

「わかってる?私は、私たちは、忘れないよ。絶対に。つららちゃんは、貴方と一緒にいられるんならそれで良いって言うけど、それじゃあ、私は?私たちは?一緒にもいられない上に、忘れていけって、まさかそう言うんじゃないよね?」
「名前の無いモンを、人間はそう長く覚えていられねェ。そういうもんだ」
「やっぱり、忘れるって思ってるんだ。信じてないんだ、私のこと」
「いや、そーいうわけじゃ」
「そういう事じゃない!」
「……でも、そういうモンだろう?」

 諦観の形を借りて人間を見下す主に、なるほど妖怪とはこういうものであるかと、カナは懐かしい恐怖を感じた。
 だってコオロギは二本足で立って歌いだしはしないだろうと人間が信じているように、この妖怪の主ときたら、だって人間は弱いじゃないか、戦えないじゃないか、脆いじゃないかと、二言目には言いそうだ。
 人間を敵にはしていないからこそ、目の前に立っていられるが、例えばこの主が人間を何とも思わぬ種類の妖であったなら、ちょっと加減を間違ったと、腕の一振りで消し去ってしまうのだろう。

 表現方法こそ違うが、頭から人は弱いもの、脆いもの、壊れやすいものと決めてかかっているあたり、カナにとってはどちらも同じだ。
 人を生かすも殺すも己次第だという傲慢さが、虐殺を楽しむ心持ちにも、守ってやらねばという気高い意志にも変わるのだ。

 まさかか弱いただの人間に、力を貸してもらおうなどとは、この主は露ほども思わないに違いない。
 花開院ゆらほどに、政界からも経済界からも頼りにされる陰陽師ならばいざ知らず、ほんの少し縁があったからと言って、カナやほかの人間に、まさか頼ろうなどとは思わないのだ。



 目を、瞑ってな。
 少し眠って、目を開ければ、また元通りの朝だから。

 おやすみ、カナちゃん。

 そして ――― さよならだ。




「馬鹿にしないでッ」

 気づけば叫んでいた。
 本当はもっと、ゆっくり話して、説得して、思いとどまってもらおうと、困って迷って考えて、しっかり言うことを組み立てて、何度も言うことを練習して、話の切り出し方もきちんと決めていたのに、あの日のさよならを、有無を言わさぬ友情の終わりを、思い出した途端、駄目だった。

「そんなの、信じてないのと同じじゃない!頼りにしてとは言わないけど、少しくらい、愚痴とか文句とか、言ってくれたっていいじゃない!何を覚えてて、何を忘れるかなんて、そんなの私が決めるものだもん、貴方に決めてもらうものじゃないもん、貴方のことより、デスク長の嫌みとか部長のセクハラとか、忘れたいことなんて山ほどあるのに忘れられないんだから、貴方のことなんて、絶対絶対、ぜーったい忘れてあげないんだから!
 だいたいね、目を瞑ってるなんて、子供じゃあるまいし、今更どんな怖いことがあったって、嫌なことがあったって、目を瞑って羊を数えるみたいなこと、してらんないの!私だって、そりゃ、ただの人間だけど、男女平等なんて嘘っぱちの世の中で、戦わなくちゃいけないの!
 あのね、《リクオくん》、私だって、あれから色々戦ったの!
 目を瞑ってばかりいちゃいけないって、怖いことだって、嫌なことだって、辛いことだって、自分に大丈夫大丈夫って、泣きながらシャワー浴びて言い聞かせながら、立ち向かってきたの、乗り越えてきたの!
 そういうお話、貴方としたいの!
 貴方だってきっと、すごく怖い想いをして、辛い想いをしたんだって想う。わかるなんて言えない、きっと自分だけにしかわからない、でもわかりたい、わかるって言い合いたい、だから、だから私、貴方のこと、ちゃんとあの頃の全員に、電話をかけて、どうか思い出してって、みんなに会いにも行って、今日ここに集まろうって呼びかけたんだよ。
 だって《リクオくん》だけを死なせてしまえば万事安泰なんて、そんなのおかしいもの。一人を殺せばみんなが助かる、だからその一人を殺そうなんて話より、みんなでちょっとずつだけ苦労したりがんばったりして、それで日本って国が滅びるんなら、所詮、この国はそこまでだったってだけでしょう?!
 たった一人が死んだだけで守られる国を、住んでる人たち全員ががんばっても守れなかったって言うんなら、それは、その一人が死ななかったことが悪いんじゃない、全員のがんばりが足りなかったか、そういう運命だったか、どっちにしろ、国なんていつか消えて無くなるんだから、それが自分たちが生きている間には絶対ないなんて考えてる方がおかしいのよ!
 だから、絶対絶対、忘れてなんてあげない。
 私は、つららちゃんみたいに、貴方みたいに、力なんて持ってないけど、けど、絶対、忘れてあげない!
 私は貴方の下僕の妖怪なんかじゃない、弱い人間よ。けど、弱い人間だけど、貴方と対等の、友達だもの、貴方の言うことを黙ってきいてあげる必要なんて、ないんだから!」

 自分で意識もしないまま、カナは幼友達の名前を、しっかり思い出していた。

 意識しないまま思いだし、呼びかけ、主が目を見開いて己を見つめていても、自分が彼の名を呼んだなど、まるいで思いいたらぬまま、胸の内を吐露して、肩から息をついて。

 あっけにとられて、ぜいぜいと息を荒く己を睨みつけてくるカナを、主は呆然と、気圧されさえしたように見つめ返していたが、やがて、ふ、と笑って視線を落とした。

「けど、あいつ等はここに来なかった。カナちゃん、あんたが呼びかけて集めようとしても、応える奴はいやしなかった。そうなんだろう?」

 今度はカナが、ぐ、とつまる番だった。
 事実だったからだ。

 名前も思い出せない、どういう友達だったかもわからない、たいして思い出もない、言われて初めて、ああ、たしかにそんな同級生がいたかもしれないと思い当たる、そんな存在に、たいした理由もなく会いに行こうなどと誘っても、うんと頷く者など、いなかった。
 誕生日だから祝いに行こう。子供の頃なら立派な理由だったことが、大人になると人と人の溝はいつしか広くなってしまうのか、かかる橋が小さなものでは理由に数えられないのだ。

 そんなこと言われても、と、鳥居夏美は明らかに困惑していた。
 名前も覚えてないし、あんまり覚えてないし、それなのに誕生日におしかけるとか、かえって迷惑じゃん?と、さばさばした物言いをしたのは、巻沙織。
 翌日にはまたイタリアに戻るし、その日の遅くってのはなぁ、すまんっす、と、多分あの部活の中で一番に日本で有名になったに違いないのに、やっぱり一番に低姿勢なのは、チーム全員で戦う大切さを知っているからなのだろう、島二郎。
 行きたいのはやまやまなんだが、と、唯一前向きな答えを、多分本気で返した部長、清継氏は、その日は学会で、多分夜遅くなるだろう、と続けた。

 カナは無力だった。
 悔しいことに、きっと主の思うつぼなのだろう、自分でもそれがわかるくらい、無力だった。

「………気持ちは、嬉しい。オレにゃ、それで充分過ぎるくれぇさ」

 泣きたくなんてなかった。
 泣けば誰かが助けてくれた子供の頃とは違う、泣けば相手が悪者になった子供の頃とは違う、カナは今、大人の女だ、泣くのは卑怯だと知っている。
 泣けば、自分が弱いと認めてしまう。
 魑魅魍魎の主の力に知らず知らずすがって、平穏な毎日を暮らしながら大人になってきた自分が、脆弱な人間であると認めてしまう。

 違う。

 ――― 私はもう、目を瞑りはしないんだ。

 けれどこれ以上、どうしたら、それを伝えられるのか、カナは必死で考えを巡らせるのだが、

「けどな、家長カナ。あんたは再び、オレたちを忘れるだろうよ。そういうモンなんだ」

 甘い花の香にあらがう術を持たないカナには、もう、これ以上は。
 ちらちらと、どこからか舞い始めた桜吹雪が、やがて主と雪女、二人を飲み込むように覆い隠すのを、止めさせる術に心当たりがないのだ。

 お願い誰か、と、きっと、子供の頃に起こった暴動が起こったときに、誰もがそう祈ったように、今もまた、名も知らぬ誰かに、祈るしか無いのだ。
 主の言葉に、それは違うと、挑んでも挑んでも、乗り越えることができないのだ。

 カナの想いは、願いは、次第に濃さを増す花弁に隠されて、再び眠りにつく ―――― かと、思われた、そのとき。





「あー、思い出した、奴良リクオ!ほら、良い奴!」





 木立の少し向こうから、素っ頓狂な声があがった。
 ハスキーボイスの女の声だ。
 これに、ああ、いたいた、そうだ確かに居た、なんで忘れていたんだろうと、数人が応えた。

 まさに今、妻を従えて花吹雪の向こうへ消え去ろうとしていた主は、この声に目を見開いたが、それはカナも同じだった。

 この場所は、主の結界が人を阻む場所。
 主の許しなしには、何人たりとも、入り込めぬ場所のはずなのに、響いたのは人の声。

 それが、こちらに近づいてくる。  木立の向こうから、坂を上って、賑やかにやってくる。
 いつしか桜吹雪は消え、リーリーと虫の音だけが変わらず響く中、賑やかに話しながら囃しながらやってくるのは ――― 。




 主の許しを得なければ入り込めぬのは、力を持つ妖怪がゆえに。
 力持ちながら下僕と扱われる妖どもは、主の言葉に従って、せいぜいが畏まり頭を垂れ、己が力が主に刃向かうものにあらずと示すため、約束された境界を越えることあたわじ。
 けれど主の下僕でないのなら。
 主の対等な友人であり、かつ、主を傷つける刃物や力を持たぬ、人の類なれば、結界などあることすら気づかずに、今のようにすうと通り抜けてしまうもの。

 古来から人々がたまに、山神の縄張りとは知らず、獣を追って山奥へ入り込んでしまったように。
 龍神姫の棲む池とは知らず、乾いた喉を潤すがためだけに、しんと静まり返った泉へたどり着き、そこで夫婦になってしまったことがあるように。
 ここは線引きと妖怪ならばすぐに判じられるものを、知る力が無いからこそ、人々はたまにこうして、するりと結界を越えてくる。



 カナはこの声に、大声で応えた。



「みんな、こっちだよ!ここよ、早く来て!」



 主には従わない。黙って忘れてなどやらない。
 大切な友達を一人犠牲にして、その上に安寧の胡坐をかくような目を瞑る真似は、決してしない。
 一人で力が足りないのなら、みんなの力を借りてでも。



 これが、家長カナが出した結論だった。



+++



「おぉそうだ!それだよ巻くん!素晴らしい記憶力だ、驚愕と賞賛に値する!それがあの、主の御尊名だ!」
「つか清継くん、結構虐めてませんでしたぁ?」
「何を言うかね島君。僕は中学生男子として当然のスキンシップを、主とは知らず知らずの間にはかっていただけでだねぇ。いやあれはむしろ僕の直感が、彼とお近づきになっておこうと思っていたのだ。そうだとも、そうに違いないッ」
「………ついこの前まで、存在を忘れてたとか言ってたくせに」
「そうだぞ清継ぅー。つかなんで徒歩?!御車の準備はどうしたァ〜ッ!!」
「そ、それはだねぇ鳥居くん!そう!あの時、我々は、全員が全員、ぬらりひょんの妖術にかかってしまったのだよ!おそろしくも切ない大業だとも、記憶からすっぽりと、彼のことだけが抜け出ていただろう?!
 ぬらりひょんという妖怪は、知らず知らずのうちに人様の家に入り込み、茶をすすってなどいる小悪党妖怪……などと、僕が中途半端に妖怪研究を始めたつもりの頃はそう思っていたが、ところがどっこい、それだけで妖怪の総大将などを名乗れるわけがないのだ。遡ればぬらりひょんが妖怪の総大将である、というのはとある妖怪漫画家が、主人公の敵役としてぬらりひょん一味というものを出してからであり、それまでは人々にあまり強い印象を持たせる役どころではなかった。ところがその強い印象が無いというのが問題であって、つまり妖怪たちというのがそれぞれが強い印象を持たせて人々に畏れを抱かせるのが目的なのだから、ぬらりひょんはその真逆であり ――― 」
「始まったよ。てめーの妖怪談義なんざ聞いてねーっつの!(ドゴッ)」
「痛い!もう、変わっていないな君は!だいたい車なんて排気ガス臭いもの、主の側に近寄らせるわけにいかないじゃないか!嫌われてしまう!」
「人間、十年そこらでそう極端に変わりゃしないってー。つかさー、そろそろこの辺じゃなかったっけー?バス停からそう遠くなかったはずだよねぇ?」
「あれ、今、何か聞こえませんでした?」
「え?」
「うん?」
「そうかい?」





 みんな、こっちだよ!ここよ、早く来て!





 そうあの頃は、だいたい怪異に真っ先に巻き込まれるのは、一番に怖がりの家長カナで、一番に妖怪に会いたいと願っていた清継は、だいたい騒ぎに巻き込まれることなく終わってしまっていた。
 この時も、すぐそこから聞こえてくる声に、清十字探偵団の面子ははたりと動きを止め、顔を見合わせて、あの頃のざわりと何かが体を通り抜けていくような興奮を、思い出したのである。

「家長さんの声だ!」
「カナーッ!いるのーッ?!」
「家長さん!妖怪はどこだい?!主はそこに居るのかい?!」
「てめェはその好奇心をまず殺せぇぇえぇッ!考えろTPO!いい加減判れ大人の対応!」
「ぬおぉお圧迫祭りかあァァァアァッッ」

 やんややんやと騒ぎながら練り歩き、たどり着く様、まるで百鬼夜行。
 百鬼の主すら唖然呆然としている間に、彼等はついに、がさりと傍らの草叢からこの坂道に、たどり着いてしまった。
 それまで道なき道を、懐中電灯で辺りを照らしながら、背の高い草を掻き分けてきたので、唐突にアスファルトを探り当てた足が感触に着いていけず、先頭の清継氏が「おぉ?!」と声を上げてすっころんだのを皮切りに、すぐ後ろをついていた巻沙織が「ぬあぁ!」とこの上に折り重なり、「きゃあ」と鳥居夏美が転びかけたのを、しんがりを守っていた島二郎が慌てて支えようとして、結局二人して、前の二人に覆いかぶさるように転んでしまった。

 ぎゃーとかわーとか騒ぎながら、ありもしない方向を照らし出した懐中電灯の明かりが、ほんの一瞬、彼を、照らし出した。

 青き胡蝶と、光を放つ桜の花弁を従えた主の顔を、さっと横切ったその瞬間に、まろび出た四人ともがいっせいに、声を上げた。
 歓声。

「おぉお、いたぁ!主イィイィ!いや奴良くん!水臭いじゃないかマイファミリー!御礼を言う暇もなく、記憶からすら姿を消してしまうなんて本当になんというか、水臭い以外のなんでもないよヒドイよ僕は君に会いたかったのにッ!」
「その年でラブコールとかマジキモイから。つか、ぽかんとしてねーでそこ、退けよシマジロー!ガタイ良くなりすぎてんだから、重いんだって!つか奴良ァ、てめー、私の記憶勝手に持って行きやがったんだってぇ?やっていいことと悪いことがあるっておじいちゃんに教わらなかったんかい!」
「ああん沙織ィ、じたばたしないでってぇ、痛い!あ、あははは、元気だった奴良ー?……黒いお坊さん、って、まだ、元気なのかな?」
「及川さん!及川さんだッ!全然かわってねぇ、美人で綺麗で可愛いまんまだ、及川さーーーんッ!俺です、シマジローです、うわぁ感激だ、また会えたなんて感激ッス!雪女が初恋とか、俺の経歴マジではんぱなくね?!」

 一目で人ではないとわかるその人が、目の前に現れたとしても、彼等はまるで驚かない。
 封じられていたはずの記憶が、カナに「こんな同級生が居なかっただろうか」と問われてから、四人が四人とも、実を言うと考え、どうしてよく思い出せないのだろうと考えて、ついに思い出してしまったのである。
 あの頃、あの部活は決して大人数ではなかった。
 むしろ、清十字探偵団の部室、イコール生徒会室だったし、そこに出入りできる人間は限られていた。

 それを憶えていない、思い出そうとすると靄がかかったように記憶がはっきりとせず、またしっかり思い出そうとすると必ずと言ってよいほど何か邪魔が入るとなれば、四人が四人とも、何かオカシイと思い始めたのだ。
 カナからの電話には、多忙であるからと理由をつけて断ったものの、もやもやと胸の内がおさまらず、切羽詰ったようなカナの様子が気にかかりもしたので、あの頃、あの部活に在籍していた別のメンバーにそれぞれがそれぞれに連絡を取り合ってみると、皆が皆、同じように記憶の消失を経験している。

 いよいよもって、これはおかしい、何かある、くさい、と判じ、「よし、全員、例のバス停に集合だ!」と皆の都合など慮りもせずに決めたのは、あの頃から無駄な行動力に溢れた清継であった。
 えええ、おれ次の日、イタリア戻るんですけどおぉ! → だから前の晩のうちに済ませてしまえばいいんだよ。
 またそうやって勝手に決めるううぅ! → 誰かが決めなくちゃ、君たち動かないじゃないか。
 だいたい誕生日ってさぁ、手ぶらで行くわけぇ?どういう奴だったか憶えてもいないのに、プレゼントとか決めらんないしィ。 → そこを思いだすことが、多分重要なのだよ!家長君が言っていたろう、思い出せと!
 カナが投げ込んだ小石は、湖全体に波紋をたてた。

 どういうものが好きだったか、どういう奴だったかと、彼等はプレゼントを選びながら考えて、カナと同じように、《あの日》の暴動を思い出し、結果、ここにたどり着いたのである。
 思いだす、忘れないでいる、ということが、どういう結果に行き着くか、あの頃有名になり過ぎた予言を皆が皆、同時に思い出したのに、忘れたままでいようなどと言う者は、ただの一人も居なかった。

 それぞれの手に、それぞれ選んだ誕生日の贈り物を携えて、彼等は、ここに来た。



 皆が、来てくれた。
 皆が、彼の名前を思い出した。
 カナは溢れそうな想いを、唇を噛んで耐えた。
 耐えて、

「ほらね」

 主へと ――― 幼友達の奴良リクオへと、微笑んだ。



「ほら、リクオくん。皆、貴方を憶えてる。思い出せる。貴方一人を殺して生き延びる道になんて、誰も興味は無いみたい」
「それはまずい」

 しかし、この結果を諸手で喜ぶ主ではない。
 切れ長の瞳を切なく細めて、空を仰いだ。

「さっさと忘れてもらわねぇと、お前等に引きずられて、人間どもがまた思い出しちまう。そうなりゃ、あの予言の前の方が成就する」

 主の言葉に呼応するように ――― 突如。
 夜の街にサイレンが、鳴り響いた。

「国が滅ぶというのは何も、妖の手によるものだけじゃねぇ」

 サイレンの音を追うように、空が割れるような轟音が轟き、空を何かがいくつも横切ったらしい。
 そこに居た人間たちのほとんどは、それが何かをすぐには判じられない。
 戦争の記憶は、一世紀もしないうちに、人の中から消えてしまうのだ。

 あれが戦闘機の音で、街から投げかけられた光線はこれを捜すためのもので、サイレンは人々に避難を促すためのものだと、知る者はここには居ない。

「天災、戦争、インフレとデフレを繰り返した末の経済の崩壊、軍事革命、他にも何が起こるかわかったモンじゃねぇ。あのな、カナちゃん、それにお前等、意味わかっててそれでもいいなんて言ってんのか。お前等がやろうとしてる事は、迷惑どころの話じゃねぇ、犯罪で済まされるような可愛いモンでもねぇ、自分たちさえ良けりゃいいって言う、仁義にもとる外道の所業。
 死して尚、あの世の人間どもに疎まれて、輪廻から外れ永遠に魂の牢獄で責め苦を負うことになるだろう、そういう、我侭なんだぜ?」

 ほら聞こえるだろう、崩壊の足音が、と、主は涼しい顔で、青ざめる人間たちに空を指す。
 あの音はどこの国の戦闘機であろうか、少なくとも、こんな街中で聞こえて良い音ではない。
 しかも、これは主の業ではない、現実に、空を駆る鋼の鳥の無粋な鳴き声なのだ。

「日ノ本は小さい。世界地図を見れば、大陸の極東にぽっかり浮かぶ、ただの島。すぐ側に、軍隊をかかえた幾つもの国に囲まれ、見張られている。ちょいと奴等の気まぐれが起きりゃ、足踏みされたぐらいの労力で、あっと言う間にこの国は無くなる。
 住んでる奴等の努力で良くする?それが間に合えばいいよな。
 けど、あの予言は二択だ。滅ぶか、栄えるか。どちらかだ。
 だから、あんた等に与えられた選択肢も、二つだ。今まで通りオレを忘れて日々を過ごすか、オレを思い出したがために国を失い路頭に迷うか。どちらかだ。
 オレは御免だぜ、頼みもしねぇのに思い出された挙句、思い出しちまったせいだと恨まれるなんざ。それよか、忘れていてもらった方がよっぽどマシさ。
 カナ。つまらねぇ意地張ってねぇで ――― 今ならまだ間に合う、もう一度、忘れちまいな」

 優しく残酷な主は、曖昧を許さない。
 人間は脆い、だから優しく守ってやらねばならないと、幼少の頃からカナを通じて知ってきた主は、決して今まで、カナに強い態度をとらなかった。
 弱いから。脆いから。守ってやらねばならないから。

 今のように苛烈な光を、カナは向けられたことは無い。
 子供の頃のカナならば、これに竦み、目を逸らしていただろうが、そうはならなかった。
 いくつも、いくつも、空を轟音が翔ける。
 あれは日ノ本が滅ぶ前触れなのだろうか、あれはこの国を攻め滅ぼそうとする敵の影なのだろうか。
 思い出してしまったがためだと、そういうのだろうか。

 足は竦み、体は震え、けれどカナは、妖艶なる魑魅魍魎の主の視線から、目を逸らさなかった。
 友達を忘れて、殺されていくのをみすみす見逃して、そうしたことさえ忘れて、それで安穏と生活を続けることが正義なのだろうか。
 大勢の人間たちのためだから?
 予言だから仕方が無い?

 馬鹿馬鹿しいと思いつつ、けれども、カナは、それから座り込んだままの清十字団の面々も、空を割る轟音が増えていくのになす術も無い。
 人は弱い。脆い。力が無い。
 たった一人では何もできない。

 けれどカナは、一人では無い。





「せやなァ、ぬらくん。言うことも一理ある。せやかて、うち等は子供やない。大人や。この長い時間稼ぎをしてくれはったことには、ほんまにありがたく思うとるよ。だからな、うちからも、誕生日プレゼント、しとくわ」

 カナが唇を噛み、主と睨み合っている様を、裏の歴史の観測者たる花開院家当主、花開院ゆらはしばらく見つめていたが、カナが一歩も引かぬのに満足したのか、芍薬がふんわり開くような笑みを浮かべて、胸元から髪切り鋏を一丁、するりと取り出した。

「 ――― 言霊には言霊。術には術。ぬらくんが時間稼ぎをしてくれはったおかげで、うちは無事、大人になった。花開院の当主におさまった。今のうちの力なら、あの予言を破ることはできなくとも、アラを見つけて穴を開けることくらいはできる」

 しゃきりと音をたて、長い髪をばっさりと。
 立ち尽くす彼等の目の前で、小袖姿の女陰陽師は、長く艶やかに伸びた黒髪を、まるであの頃していたように、耳元までばっさりと、切ってしまった。

「あの《予言》の通り、《奴良リクオ》は死んだ。けど、あの《予言》は、《奴良リクオ》が蘇り生まれ直すことまでを、制限してはおらん。もっとも、死んだままやないから、今までのように大安吉日オンパレードとはいかんやろうなァ。それ相応に、天災人災、降ってくるやろう。
 だからうちは、それを滅びにならんよう、祈願することにするわ。
 なに、もともと当主の役目はそれや。だから、ここで願掛けする。
 金輪際、髪は伸ばさん。伸びるはずだった髪で、降って来る災いを絡めとリことごとくを燃やして消してしまうことにする。これは予言への造反やない、予言を受け入れ、かつ先を目指す言霊や。
 それ相応に悪い日もあるやろうし、悪いことも起こるやろう。
 それを、うちの監督不足、情に流されたための世迷言と、言う輩もおるかもわからんが、文句は言わせん、うちが当主や」

 ばっさりと切った髪の束、これまた懐から取り出した懐紙に包んで、疾ッと舌を鳴らすと、その場で懐紙ごと、髪はめらめら燃え始め、辺りを明々と照らし出した。
 恐怖に息を呑み空を見つめていた者も、にらみ合っていた主とカナも、主の後ろから固唾を呑んで彼等を見守っていた雪女も、皆が一瞬目を奪われるほど、美しい、赤く苛烈な、炎だった。
 ひらひらと、立ち上る炎はまるで、炎から生まれ来る鳥が、夜空に羽ばたくかのよう。

「うちの役目は、日ノ本を守ること。けどな、友達を犠牲にして枕高くして眠れるほど、うちは図太うない。あの頃の力では相殺なんてできへんかったが、今のうちなら、これまでの願掛けと、これからの一生の禁を守り通すくらいすれば、なんとかいけるやろうと思う。それで足りないと言うんなら、迎え撃つ。
 とは言え、あんたの十三年、純粋な妖として生まれくるほどの一回りと、ここに揃った純粋な人間五人の友人の力と、二つの特別な奇数が揃いも揃ってあんたの誕生を言祝いでるんや、そんじょそこらの人間にも、妖にも、ただの力業で解ける術やないで、これは。
 ――― 女の髪をプレゼントに貰うんや、もっと嬉しい顔、したらどないやの、ぬらくん。
 誕生日、おめでとう」

 これが、花開院ゆらが出した結論だった。





 立ち上る炎の鳥は四方へ飛び立ち、主の顔は炎に照らされて、僅かに揺らいだようだった。
 轟音を上げて何処へか飛んでいったはずの、鋼の鳥は、間違いに気づいたかのように慌しく、元きた空を今度は引き返し、飛び去ってしまう。

 サイレンが、止んで。

 リーリーと鳴く虫も、空を割く音が消えてからしばらくしてまた、声を、思い出した。





 リーリー。リーリー。





 日ノ本に今年も訪れる、美しい秋の風が、木立の合間のすすきを揺らす。

 しばらく、誰も、何も、言わなかったが。

 清十字探偵団の面々すら、狐につままれたような顔で、たった今戦闘機が飛び交った空を、呆然と見上げていたが。

 ふ、と最初に笑ったのは。喉の奥で、それから耐え切れず、呵々大笑したのは。

「ふ ――― ぷ、くくくくッ ――― あはははははッ、髪とか、何ソレ!プレゼントにしちゃ、重すぎだしッ!」

 誰の目も、カナの視線すらいつしか空へと向かっていた、その間に、主はどこへ行ってしまったのだろう。
 皆が視線を元に戻すと、雪女の隣に立っていたのは、着流しに緋色の羽織姿、琥珀の瞳に茶褐色の髪が首筋を覆い、人懐っこそうな笑みを浮かべる、あの日の少年だった。

 記憶を探るとおなじみの、銀縁眼鏡こそ無いが、カナが思い出した通りの、物腰柔らかそうな少年である。
 優しくて、優等生で、でもちょっとずれてて、昔は悪戯っ子で、ちょっと怖いところがあって、でも、とても大切な友達の、懐かしい姿だった。

 懐かしすぎる、姿だった。

 術が解けたのだと、喜んだのも束の間、カナの笑みは急にしぼんだ。

「リクオ君 ――― あの頃の、ままなんだね」

 そう、笑う彼はあの日のままだった。
 夜なのに、完全に祓われちゃったよと、柔らかそうな頬を膨らませて、妖艶な主からただの少年に姿を変えた彼は、ぶつぶつと言っていたが、カナの問いに、うんと照れ臭そうに笑った。

「あの頃、こっちの姿の成長は、止まる頃合だって言われてた。あの頃のカナちゃんにも、背は追い越されてたでしょう?」

 その上、ここに居る数人だけの記憶で、再構成されたようなものだからと、頬を掻いて笑う所作まであの日のままで、なのに、カナも、ゆらも、周囲に立つ誰も彼も、彼を置いて大人になってしまっている。

 ごめんね、と、先ほどまでの、周囲を威圧し絡め取るような、しろがねの美丈夫とは裏腹、陽光のまろやかさを感じさせる少年の姿で、彼はカナに小さく語りかけた。

 一緒に大人になれなくてごめん、なのか。
 そんなことすら言えていなくてごめん、なのか。
 怖い想いをさせてしまってごめん、なのか。
 他にも様々な想いを乗せたごめん、なのか。
 カナにはわからなかった。無性に、変わらぬままの彼の姿が、悲しかっただけだ。



「私 ――― 家長カナと、いいます」



 何を言えばいいのかわからず、誰もが、同じように黙したままで、あの頃の記憶と寸分違わぬ姿の彼は、やはり人ではないのだと確かめているようであったので、打ち払うようなはきとした声で、こう申し述べた。
 ぱちり、と、目の前の小さな少年が大きな目をさらに見開き、可愛らしく小首を傾げるのも、構わずに。

「あらためて、お誕生日おめでとう。私は、弱くて脆い人間だけど ――― 大人になっちゃったけど ――― 友達で、いてくれますか」
「じゃ、じゃ、じゃあ僕も!奴良くん、僕も!友達だよね、ね、ねッ?!あ、こ、これ、プレゼント!君の印象って和服・ジャパニーズ酒・煙管、と思ったからとりあえず一通り持ってきたんだよ誕生日おめでとうぐはぁッ」
「清継!学びましょうTPO!今、感動のシーンだったろうがッ!……あー、ごめんね奴良、忘れてて。でもさ、あんたも悪いよ?勝手にこっちの記憶とか、持ってっちゃ駄目だよ。あんた等みたいになんでもかんでもできる力とか無いんだから、そんな大事なモン持ってかれたら、こっちは立つ場所なくなっちゃう。……ほれ、プレゼント。ランニング用パーカー大人用。夏美と二人で、お金出し合って買ったんだ。あんた、走るの早かったじゃん?まさかちっちゃいまんまだとは思わなくてさぁ、成人男子用買っちゃったわ。カッコいい方で着て。……おめでと。巻沙織、友達で、いたいです」
「鳥居夏美。言いたいことは、沙織がほとんど言ってくれちゃった。あの頃、すっごく楽しかったのに、なんだかぼんやりしてて残念だなって、そう思ってたの。私、妖怪のことで怖い想いをしたこともあるけど、助けられたことも、ちゃんと憶えてるよ。ありがと、奴良。誕生日、おめでとうね。黒いお坊さんに、よろしく」
「プレゼントって言ってもさー、あんまり思いつかなかったんだよなぁ、もう帰り支度してたし。皆、なんかちゃんとしたので気後れするけど………これ、サインボール。親戚に頼まれてたんだけどさ、今回会えなくて、だからチームの奴等全員のとか入ってんの。お前、サッカー好きだったじゃね?もしかしたらあのまんま、一緒にサッカー続けてくのかなって思ってた。友達……だったよな、だといいなと、思ってる。都合よかったら、ほんと、ごめん」

 怒涛のように次々とプレゼントを手渡され、結局、少年の心を忘れられぬらしい奴良リクオは、最後に手渡された、薄汚れたサッカーボールに一番、綺羅綺羅と目を輝かせ畏れを感じていた様子であった。
 そんな薄汚れたボールの何がいいんだと清継が残念がり、女の髪を重いと言うたなとゆらが怒り、鳥巻コンビがぶうぶうとブーイングの嵐を巻き起こし、少年姿の主が、声高く笑い。



 やがて。



「 ――― 奴良リクオと、いいます」



 しばらく使っていなかった、自身ですら忘れようと一度は決めたその名を、日ノ本の妖どもを統べる少年は自ら、彼等に名乗った。



「知っての通り、ボクは妖怪で、でも人間で ――― 今は、魑魅魍魎の主をやってます。
 ボクが魔を統べる王であっても、友達でいてくれますか?」



 当然に、その場の皆が皆、こう応えた。



「もちろん!」



 それが、彼等の、結論だった。



 ――― ありがとう。



 少年は笑んだ。
 それから、後ろで控えていた雪女に振り返り、両手に抱えたプレゼントの山を見せて微笑み合う。


 そして、緞帳が落ちるように、周囲は闇に閉ざされた。