主だから、気がついた。百鬼の終わりに気がついた。 己の役割に、気がついた。 いつしか百鬼の誰もが、人の味を覚えていた。 実は主もね、別に興味が無かっただけで、喰えと言われれば喰えたのだろう。 喰わなかったのは、人間の中にだって「牛は喰うが豚は好かない」という嗜好があるのと同じだった。 けれど主、百鬼を率いてまた世を練り歩くのは、もうよくないなと思った。 もう夜行はできないなと思った。 夜行をすれば、また人を喰う輩が出るだろう。 うん、主が人を喰わないのは、そりゃあ、嗜好によるところもあったけれど、もっと違う何かがあったからなんだ。 その、もっと違う何かというところを、自分でも思い出せないくらいだったから、ああ、いよいよ自分もだめなんだなと、乾いた笑いが起こったくらいなんだよ。 主はね、ご自分でこのとき、ご自分を見限られたんだ。 よくないな、と思っても、どうしてよくないのか、言えたものではないんだから。 自分で自分が何故よくないと思うのかを言えないのだもの、配下の百鬼どもだって納得しないだろう? ただ、よくないな、と思われたんだ。 主はやっぱり、ご聡明な方だった。 ここにしばらく落ち着こう、と、仰せになったのは、翌日の昼過ぎのことだ。 黄昏から動き始める百鬼たちにすれば、まだ寝ぼけ眼をこすっている頃だ。 しかしまあ、これまでしばらく歩き続けていたようだし、一つ所に落ち着くのもよいのではないかと思って、そうなるとあれこれ楽しくなった。 以前のように木を切り屋敷をこさえ、立派な門まで作らせた。 真新しい畳の上で、妖怪たちもはしゃいで、さあ新築の宴だと騒ぎ出す。 「なんだか、昔を思い出しますね」 一通りの支度を終えた後、ただ黒々とした影だけを浮き立たせる大樹を見上げて、首無が遠くを見るように言う。 「憶えていますか、総大将。屋敷があったあの頃を。庭のしだれ桜を。ずいぶんと歩いてきたから、あの屋敷があった場所がどこかももう、わかりませんけれど、帰れるものなら帰りたいと、たまに思うんですよ。今の総大将もご立派だと思いますが、私はね、あの頃の昼の総大将の御姿も、とても大事に思っていたのです」 言われて、主は、はたと思い出した。 そう、昼日中だと言うのに、己はしろがねの髪のまま。瞳は瑪瑙のまま。 昼の姿というものがあったこと、しばらく思い出していなかった。 思い出したので、するり、と綾をほどくように、陽の光に紫雲を払わせて、妖気に吹き上がる長いしろがねの髪を、栗色の短髪へ。瑪瑙の瞳を、思慮深い琥珀のそれへ。今再び変じて見せると、首無は、嗚呼、と懐かしげに目を細めた。 「そうそう、その御姿。本当に、久しぶりです」 「うん。ボクも ――― こうなるのは久しぶりだ。こっちの方が、考えるのは向いているんだよね。なんだかすっかり忘れていたよ。ありがとう、首無」 「お役にたてれば光栄です。では、総大将」 首無の横に、申し合わせたように毛倡妓が並ぶ。 二人、互いの目を合わせて。 「終わらせなさるんですね」 ほっとしたように、毛倡妓が問う。 「うん、そうしようと思う。ずいぶんと長い間、つき合わせてしまったね。今までありがとう、毛倡妓、首無」 「こちらこそ、お仕えできて光栄でした、総大将」 「黄泉でお待ちしております」 これから二人で旅立つだけだと言うように、なんとも、落ち着いた様子で。 誰も見ていないところで、二人の鬼が葬られた。 誰も見ていないところだったから、二人の行方を、誰も訊かなかった。 陽が落ち、月が高く昇るまで、主はそこに立ち尽くしていた。 いつしか、抑えきれぬ妖気がふつふつと身のうちから湧いてきたが、これを抑えて、思い出させられた昼の姿のままで、尚も立ち尽くしていた。 宴がたけなわとなっても姿を現さないので、心配して探しに来たのは、雪女。 「総大将、総大将〜……あれ……」 いつまでたっても少女のような声色で呼びかけてきた雪女は、姿を人間に変じた主を見て、一瞬、おやと首を傾げたが、すぐに。 「……リクオ様、その御姿、懐かしいですねえ」 「うん。久しぶりだよ」 「でも、皆の前ではやめた方がよいと思います」 「わかってるよ。ボクだってまだ、喰われるわけにはいかない」 「クスクスクス……人間のふりで近づいたところを、逆に化かすっていうのは、面白いかもですけど」 「それはいいね。面白そうな悪戯だ。今度やろう」 「んもう、すぐ本気にするんだからー」 「悪戯はボクの十八番でしょ」 「ああ……そうでした。そうでしたねえ」 ほんの一瞬、虚ろだった金色の瞳が、我に返ったようにしげしげと総大将を見つめて、しんみりとした。 「ねえ、総大将……リクオ様、なんだか、とても懐かしいことを思い出したような気がいたします」 「うん。ボクもだよ」 「でも、思い出そうとすると、すぐに忘れてもしまいます」 「うん」 「なんだか、怖いですねえ。私、どうなってしまったのでしょう」 「大丈夫だよ、氷麗。大丈夫だ。お前はボクについてくればいい。最後まで、ボクについてくればいい」 「ええ、もちろんです。だって、それが一番に安心ですもの」 「そうかい?」 「はいですとも」 にっこりと笑う雪女は、姿を消した二人の行方を、しかしそれ以降も、決して尋ねることはしなかった。 忘れてしまったように。最初からいなかったかのように。 |