百鬼夜行の終焉に、百鬼の誰かが気づいたら、その誰かはどうすると思う?

 百鬼夜行の主が、強くあり続けなければならないのは、主に刃向かう輩もあるからだという話は、先ほどしたね。けれどその、刃向かう理由は、なにも主の顔を忘れてしまうことが全てではないんだ。

 その理由。
 まだ夜行を続けていたいからだと、思うかい。
 まだ生きながらえていたいからだと、思うかい。
 いやいや、そんな気力は、もうみんな、とうに失っているんだよ。

 月が雲を横切ったの、花が咲いたの、風情があるのないの、昔口にしていたことを今も真似てはいるんだけれど、今が春なのか秋なのか、咲いているのが桜なのか萩なのか、水仙なのか彼岸花なのか、けむっているのが霞なのか血飛沫であるのか、よくわかっていないほどなんだから。
 じゃあ、なぜか。

 いよいよ終わるというときだから、皆そこで、未練というものに目を向けるのよ。
 おかしいだろう。人間であれば百年足らずの人生の中でだって、なるたけ未練の無いように生きたり、あるいは未練があろうとも、これもまた己の生き様であったと開き直ったりするというのに、妖怪たちときたら、なまじ命の限りがないものだから、すぐそこに夢の尻尾が見えてきたとなって、ようやく慌て始めるのさ。

 未練の無い輩は、ほら、ここに落ち着こうと主が決めて、屋敷を建てなすったときに、あたりのことをしっかり整えてから、二人一緒に旅立った鬼がいただろう。
 ああいうふうに、終わりを待つようになって、自分で、そろそろここらで仕舞いにしますと、挨拶にくるもんなんだ。

 未練の理由はいろいろあるけれど、この鬼の場合は、女だった。
 それも、今の今まで、目の前に居るには居たが、手を伸ばせない場所に在る、そういう女だと尚のこと、未練になりやすいんだろうな。

 だから、なんとなく終わりを知ったとき、ねえ、終わるとしたら、と、口にしたんだよ。
 二人きりになるのを見計らって、今まで秘めていた、これからも続くのであれば秘め続けようと考えていたのを、耐え切れなくなって、口にしたんだよ。

「 ――― 終わるとしたら、つららの姐さんは、何番目に往くんでしょうね」
「え、なあに、突然」
「百鬼が少しずつ終わるとしたら、姐さんは、いつまでここに居るんです」

 百鬼が少しずつ少なくなることに、やっぱり誰だって気づくもんなんだ。
 ごっそり小物もいなくなったし、ちらほら、見えなくなった顔だってある。

 涼しい顔で、騒ぐ百鬼どもを見守り酒を含む主が、「終わりを始めなすったんだな」と、皆、感づき始めるんだ。
 感づいても尚、主が決めなすったことなら、主が終わらせるというのなら、それが終わりの刻なんだろうって、思うぐらいなんだ。あるいは、本当に全く何にも感づかないで、何にも気づかないで、何に笑うことも憂うことも泣くこともなくなって、ただただ空っぽな体を、陽気な音に合わせて柳のように揺らしているばかりなんだ。 そういうもんなんだよ。空蝉っていうのは、そういうもんなんだ。
 かさかさと風に動いたところで、その実、もう鳴く力は残されていないのさ。

 ところが空蝉となって尚、この女は美しい。
 黒々と冬枯れた庭の上に、ぽつんと咲いた月下美人。
 夜で見る者が無いのが残念だ、なよやかな体を白い着物に隠しながら、濡れ縁に座って微笑む様子は、昔とちっとも変わらない。そしてやっぱり、昔と同じことを言うんだよ。

「いつまでって、そりゃあ、最後までいるわ。総大将がおわす限り」
「でもそれじゃあ、姐さん、最後と大差ないじゃないですか。寂しいのはお嫌いでしょうに」
「大丈夫よ。あの方がいらっしゃるから。あの方は、いてくださるから。それに、何よりあの方を、一人にしておきたくないの」
「総大将は大丈夫ですよ、お強いですから」
「そんなことないわ。時折とても、弱虫におなりだし。泣いてしまったら、私しかいないから」
「 ――― 俺は、姐さんと往きたいです」
「気持ちは嬉しい、でも、往けないの」

 いつもならそこで、それ以上強く何かを言う男ではなかったんだがね、この時ばかりは違った。
 なにせ、最期の機会だったんだから。
 女の細い腕を、万力のように力を込めて引き寄せようとした。
 たまらず、女は無理に引き上げられて、腕一本で宙ぶらりんになってしまった。なにせ大猿妖怪の男ときたら、女の倍の背丈はあったから。それでも、この男がまだ小さな仔猿の頃から見ていたので、女にとっては可愛い弟のようなものだったのよ。
 他の男にするように、唇を尖らせて、ふううと吹雪で凍てつかせてやるなんて、とってもじゃないけど考えられなかったんだ。

「いいや、アンタは、俺と往くんだ」
「猩影くん、いや、痛いわ、お願い、離して。こんなことをする子じゃないでしょう」
「いつまでもガキ扱いしないでくれ、俺は、アンタが」
「 ――― その女は強情だ、一度いとし子呼ばわりされたら、懐から中々出してはもらえねえぜ、猩影」

 いつの間にやら、くだけた寝巻き姿で二人の様子をにやにや眺めていたのは、他ならぬ、主だった。
 柱に背をもたれさせ、男と女の痴話喧嘩を、うっかり覗き見てしまい、後は興味と好奇心で覗いたままになさっていた、子供の頃のように悪戯な表情で。

「懐から出ようと暴れれば、その女は腕が千切れたって追ってくる。そういう生き物なんだから、あまり手荒に扱うな。ガキ扱いするなって言ったって、仕方ねえだろう、その女からすれば、男なんざ、等しくガキと同じなんだからよ ――― 氷麗、床の用意を頼む。なんだか今日は疲れちまった、早く休みたい」
「はい、ただいま」

 拍子抜けした男の手を、雪女の手はするりと抜けて、二人を残してぱたぱたと、廊下を去った。
 男はね、行ってしまった女の背を、切なく見つめていたよ。離した拍子に、女の手首に残った赤い痣を見て、不意にどきりとしたようだった。我に返ったって言うのかねえ、男の未練はここで無くなった。
 本当は、いつまでだって見つめていたかったけれど、これで終わりなんだなって、思ったのさ。
 ああ、そうとも、この男だって、主についてきた大物の一鬼だ、聡く強い妖怪だった。

「総大将、俺、こんなに酷い奴でしたかね」

 強い力で、何度も百鬼を助けてきた男だったけど、知らず知らずのうちに力を込めてしまっていた、なんて、手加減ができない、なんて、そんな耄碌したようなこと、今までしたことはなかったのに。
 白く細い腕に残った、赤い痣。
 女の姿がなくなっても、男の目に焼きついてしまって、ひどく、胸を痛めたんだ。

 ああ、ああ、そうだとも、この男は、立派な一鬼だった。

 総大将が頼みとするほどに、強く、立派な、一鬼だった。

「 ――― 総大将、アンタはズルイ」
「ああ」
「いつまでも、あの人の前で甘えたふりをして、あの人を繋ぎとめる、アンタはズルイ」
「ああ」
「でもそれが、アンタには必要だと言うんなら。きっと、きっと、あの人のことも、終わらせてやってくださいね。たった一人残してしまうなんて、くれぐれも、無いように」
「当然だろう。この百鬼夜行の主は、オレだ。お前等全員、見送ってやるよ」
「最後です。教えちゃくれませんか。アンタはあの女を、どうやって口説いたんです」
「聞いてなかったのかよ。オレは一言も口説いてなんぞいないぜ。ただ、あの女の腕から、逃れようとはしないだけよ。甘えてやると、嬉しそうな顔をしやがるからな」
「やっぱり、総大将」
「 ――― 」
「アンタは、ズルイひとだよ」

 その夜以降、その男は見られなくなったよ。
 誰もが騒ぎながら思った、ああ、往ったんだな、って。










 男を見送った後、主は部屋にお戻りになった。
 しばらく仮宿暮らしが長かったから、ご自分の部屋があるというのは、落ち着いたよ。
 何より、戻れば当たり前のように女が待っていてくれるのが、嬉しかった。

 言った通り布団を敷いて、己の手首の痣のことなんて、もうすっかり忘れて、微笑んでいる。

「お酒をお召しになりますか、すぐお休みになりますか」
「酒はもう飲んだ。眠い。氷麗、添い寝しろ」

 夜伽をしろ、と言ってやったときは、婀娜めいた妖艶な笑みを見せるくせに、ただ添い寝しろと言ってやると、懐かしそうなあたたかな微笑を見せるので、主はこちらもまた、気に入っていたんだ。
 特に、こんな夜はね。
 特に、こうやって誰かを見送った夜はね。

 この女の腕に抱かれて、ねんねんころりよと髪を撫でられると、不思議に気持ちが落ち着いたんだ。

 仕舞いにしなけりゃならないなあとお考えになってから、居眠りをしなくなったせいで、百鬼のものどもからは、血の臭いもしなくなってきたが、そのせいか、主はなんだか疲れやすくなっていてさ。
 やっぱり己も仕舞いなんだなと思われたよ。

 そうして、仕舞いが近いと言うのに、女の腕のやわらかさときたら、変わらず、あったかいんだ。

 雪女なんだけどね、それでも、あったかいんだ。