「次、初代の番ですよ」
「おぉそうかい。それじゃあ、どれ。ひぃふぅみぃよ、なんじゃ、一回休みかい。やれやれ。それ、若菜ちゃん、次じゃ」
「はぁい!あれ、また壱だぁ」
「若菜さまはアレだな、人生じっくりゆっくり歩んでいく派だな」
「ま、《人生ゲーム》ではビリってことだな」
「ぶー。ふんだ、そのうち追い越すんだから。ええと、あ、また子供が生まれた。もう車に乗り切らないよ?」
「うへぇ、またご祝儀かよー!」
「俺様もう手持ちの金、ねぇって。納豆、貸してくれ」
「そんじゃあ、トイチならぬ、十マスにつき一割で」
「暴利暴利!」

 客人を送り出した鯉伴が、若菜の姿を探して初代の離れにたどり着くと、中から初代と小物たちの賑やかに混じって、若菜のはしゃいだ声が聞こえた。
 思わず相好を崩しかけた二代目、先程、過去の部下から指摘されたそれを思い出して、慌てて口元を手で覆う。

 もっとも、表情筋に気合いを入れるより前に、障子に落ちた影を見たか、鯉伴がふと笑った気配を読んだかして、

「あ、鯉伴さん」

 と、若菜が待ちかねたように彼を呼んだ。
 中から、そっと障子が開かれると、そこでは若菜が、ちゃんと行儀良く着物の膝をついて、澄んだ大きな榛色の瞳に鯉伴を映し、ひまわりのように笑っているのだった。

「そろそろ御夕飯にする?お客様の分どうするのかなって思ったから、御膳は用意してもらってるんだけど……」
「いや、加藤くんは帰ったよ。飯食ってけって言ったんだけど、家の奴にはちょっと散歩に出てくるって言ったきりだからって。若菜、お前に《ぼく》なんて言って悪かったって、そう言ってたぜ」

 正確には、鯉伴が噎せている間に一人合点した様子の老紳士は、「奥方になる御方とは露知らず、しかし小僧扱いなどとは大変失礼致しました」と脂汗をかきながら、せっかく崩した足をまたきっちり揃えて土下座したのだが、そこは己の精神衛生上、省いた。
 四百年以上、年を重ねてきた分際で、今更人の女と、それもまだ汚れを知らぬ子供相手に、惚れた腫れたもあったものではない。
 愛しい、という気持ちが無いわけではない。
 しかしそれは、見守るような気持ちだ。
 慈しむような、それだ。
 少なくとも、鯉伴は若菜の前では、そういう自分でありたいと思う。
 ほんの僅かに、ずっと側に置いておきたいという気持ちがあったとしても、それは己の妖の血が道連れを喚ぶ、怨嗟の声であろう、愛しいと思えば尚のこと、巻き込むわけにはいかないと。

 初恋の痛手が後々まで響いたか、鯉伴がこれまで、此の世の供にと歩んできた女は、どこか儚く幽かな女たちだった。
 彼女等は、鯉伴がなければ生きていけなかった。
 なにかしらの檻に囚われ、鯉伴の助けが無ければ、檻の外に出られなかった者たちだ。
 だが、若菜は違う。
 若菜は活力と希望に満ち、これからいくらでも、いくつでも、道を選べる。

 千代とも違い、山吹とも違い、これまで鯉伴とともに歩みそして去っていった女たちのどれとも違い、今日も若菜は向日葵のように、眩しく笑う。
 つられて、鯉伴も笑う。

「なぁんだそんな事、気にしなくていいのに」
「お前ならそう言うだろうよって、そう言っておいた。挨拶もせずに申し訳ないって、謝りながら帰って行ったよ。さて、飯にしようや。おれ、デザートにあれ食いたい。酒と一緒に」
「山葵茶漬け?冷たいやつ?最近そればっかり。今日は白玉団子作ったのに」
「じゃ、それも食う」
「だめ。両方なんて、太っちゃうでしょ。そんな鯉伴さん、私の美的センスが絶対許さない。どっちかにしなさい」
「うわー、笑ったままですごい事言った、この子。……団子でお願いします」
「はぁい、ただいま用意しますね。おじいちゃんも、もうすぐ夕飯にしますから、ちょっと待ってて下さいね」

 つと立ち上がった若菜の髪留めが、取れかかっているのに気づいた鯉伴は、ちょいと待ったとすれ違いに彼女を引き留めて直してやると、それだけで夕暮れに隠せぬほど頬を染めるのが、また初心で愛らしい。
 ありがとうと小さく礼を言い、慌てて逃げるように去った若菜を鯉伴が見送っていると、

「………顔が土砂崩れておるぞ、倅ぇ」

 初代が言い放ち、今度は鯉伴が慌てることになった。



+++



「……怨霊にとり憑かれた?って、あのおじさん、そう言ってたの?」
「お前はつくづく良い子だねぇ、若菜。加藤くんなんざ、お前にとっちゃどっからどう見たって、おじいちゃんだろうに」
「だって大人のひとって、若く見られた方がうれしいんでしょ?」
「またその理屈かい。親父のことは爺呼びなのに」
「だって、おじいちゃんは、おじいちゃんって呼んでほしいって言うんだもん。ねぇ、おじいちゃん、そう呼んでいいんだよね?」
「そうじゃのう、若菜ちゃんは本当に良い子じゃ。よしよし」
「あ、お酒、もう少し飲みます?持って来るね」
「いやいや、今はいいよ。お前さんもほれ、自分の膳を片づけなさい」
「………やや子のおれの事を俵担ぎしてたとかいう話が無かったかのようにいつの間に子供好きよ?」

 初代と若菜、いつの間にやら仲が良い。
 鯉伴が都合で屋敷を留守にしている間に、気心通じる仲になったらしい。
 そうだろう若菜は気立てが良くて可愛い奴だろうと誇らしく思うと同時に、膳を使うときはそっちじゃなくてこっちの隣だろうと、子供っぽいもやもやが胸の内を充たすのを、どうしても鯉伴は押さえられない。
 ついつい本題から話が逸れかけたが、若菜が己の膳の冷茶が少ないのに気づいて注ぎ足してくれるついで、「それで、怨霊って」と話の先を促したので、「ああ、そう、怨霊だよ」と、気を取り直した。

「あいつ、家に怨霊が出るって、そう言うんだよ。自分の仕事机の引き出しが、ガタガタ言う。すると、つられたように周囲のものも、ガタガタ言い始める。
 最初は地震かと思ったそうなんだが、どうやら違う。地面は揺れてねぇ、ただひたすら、家にあるモンが勝手に揺れる。ガタガタと、引き出しはいっそう音をたてて、そのうち鍵がかかってる引き出しが開かない腹いせみたいに、ほかの引き出しがみぃんな、みぃんな開いちまって、中のものがぶちまけられるんだってよ。棚の扉もバタンバタン、開いたり閉じたり、開いたり閉じたり、まるで姿がねぇもんが、癇癪起こして八つ当たりしているみてぇなんだってさ。
 確かに、怨霊ってやつぁ頭に血ィのぼってるヤツが多いからなァ。どういう理由でか知らないが、どっかで変なモン連れて来ちまったんじゃねェかって考えた。あいつは昔っから、嘘をつけねぇヤツだからな、誰かの恨みなんざ買うような奴でもねぇし、あるとしたら、どっかから拾って来る以外に考えられん」
「そりゃ、物騒じゃのう。しかし怨霊とは、何も心当たりがねぇ奴を、祟れるモンでもねぇぞ?心当たりがある奴しか祟ることができんのじゃ。そういう規則に縛られとる怪じゃからなぁ。本人、本当に心当たりが無いのじゃろうか」
「あると言えばある、とさ。そりゃ、将校さんだったんだ、戦争で誰も殺してねぇと言えば嘘になるだろうよ。だが、それ以外の場所で、人を騙したり盗んだり、およそそういう事は天地神明に誓って無い、だとさ。加藤くんはそういう奴だ。それに、憑かれた奴なんて当然に、相応の陰の気を帯びるだろうが、それもねェ。若菜、お前さんは、何か《視》えたかい?」
「え、私?……ううん、何も」
「だろう?おかしぃんだよなァ、家にだけ憑く奴ってのが居ないとは限らねぇが、それにしたって怨霊に満ちた家に住んでたら、やっぱり陰の気は帯びる。あんなに矍鑠としてられたモンじゃねぇと、そう思うんだが」
「加藤のおじさん、それで、鯉伴さんに相談したかったんだ」
「うん、そう言ってた」
「……大佐って、呼ばれてたの、どうして?」
「太平洋戦争ンとき、人間どもの戦争に乗じて外つ国からやってくるデビルだの屍鬼だのディアブロだの、そういうのをおれ達が次から次、しばいてた時に、この国と渡りをつけてくれてた将校さんが、加藤くん。便宜上、日本軍から特務機関の大佐扱いされてたのが、おれ。おれは別に給料貰ってたわけじゃないのよ。ボランティア。人間同士の戦にゃ、関与してねーよ。
 渡りをつけてくれるついでに、色んな騒ぎにも巻き込まれちまったからなァ、加藤くんはそういうモンがいるってことを、しっかりばっちり見ちまって、今でも忘れられねぇってそう言ってる。とは言っても、戦後はできるだけ忘れるように努めてたから、自分でこういう目に合うなんてって呆然として、で、おれを思い出して頼ってくれたんだってさ」
「ふぅん……それじゃあ、ずうっと困ってたってわけじゃなくて、そういう事が起こるようになったの、最近なんだね」
「ああ、確かに。そう言ってたよ」
「最近、何か変わったこと、無かったのかな」

 若菜の知恵を借りるのは、知り合ってからもう、何度かあった。

 例えば、船幽霊目撃者になる、の段。
 昔から船幽霊は、何を言っているのかわからない。
 というか、手だけなので、何を言うこともできない。
 しかし船幽霊という奴は柄杓を持って船を沈めるという、そういう妖怪であるのだから意志など通じなくてもいいだろうと片付けていたところ、先日、化け猫横丁で悪さをはたらいたチンピラ妖怪が逃げるところを目撃したのが、奇しくもその船幽霊のみであり、これが興奮気味にあれこれ手の振りだけで伝えようとしても、もちろん誰もがさっぱりわからない。
 これに、指文字というやつを使ってもらってはどうだろうかと、知恵を出したのが若菜である。
 指文字は、「あ」から「ん」までの言葉を、指の形で表すものであり、伝える方も伝えられる方も憶える必要があったが、一度憶えてしまうと嘘のように意思疎通が簡単になった。
 めでたく下手人はとっつかまり、若菜は奴良組と船幽霊から大変に感謝された。
 今ではすっかりおしゃべりになった船幽霊たちの中では、「お前、女だったんだ」「あらやだ、貴方、殿方だったの?」(中略)「……おれたち、結婚しようか」「……えっ、そんな、急に言われても……ううん、でも、嬉しい」なんていうロマンスがあったりもするのはさて置き、出会いと再会と、二度も続けて二代目を救った若菜の機転は、今や初代も、相談役の木魚達磨も認めるところ。

 姿形に加え、思慮深いところや足が早いところなどが、やはり己の守役の昼姿に似ているので、膳を囲んでこういう話をしていると、鯉伴は時折、遥か四百年の時を超えて、昔に舞い戻ったような気がする。

「鯉伴さんに会う前、あのおじさん、昔の事をすごく思い出してたの。私ね、ほら、目が良すぎちゃって、あんまり強く念じられると声まで聞こえちゃうでしょう」

 自分が少しばかり他人と違うものを見るらしいと知ってはいても、つい口に出してしまって、引き取り先で気味が悪いと言われてきたのに、今日も同じ失敗をやらかしてしまい、加藤さんにもそう見られるのだと、笑って誤魔化しながらも一度は覚悟をしたのだそうだ。

「けどね、みんなには悪いなって思うんだけど、声が聞こえてくるまで《念じる》って、私にとっては相当《気持ち悪い》ことなの。音って普通、形にならないでしょ?けど、私に《視》える、ってことは、形になっちゃってるって事だもん。今までそういう人たちは、だいたい悪いこと考えてた。だからつい、周りの人たちには聞こえないのをわかってても、気持ち悪いって思われてでも、黙ってられなかったの。
 けど、加藤さんみたいなのは、初めて。ただ懐かしいって気持ちだけで、あんなふうに、声が聞こえちゃうまで念じるひとなんて。そんなに昔のことを懐かしい、懐かしいって強く思っちゃうぐらい、何か嫌なこと、あったんじゃないのかな」

 聡いなぁと鯉伴は感心した。
 本当は自分達の話を、壁に耳でもつけて、どこかで聞いていたのではないだろうかとさえ、思った。

「怨霊が出始めたのはな、ずうっと連れ添った女房が死んだ、半年前からなんだとさ。戦時中に知り合って、戦後に夫婦になって苦労を分け合ってきた女房だったんだと」
「ああ……そうだったんだ……。あの、鯉伴さん。それじゃあ加藤さんはもしかして、奥さんに怨まれてるんじゃないかって、そう思ってるのかな」
「いいや、本人に訊いたが、笑って首を振ってたよ。おれの前ではな。だからおれは、こう言ってやった。そんなら明日にでもお前んちに行こう。今日は奴良家に伝わる護符を授けるからこれを枕に敷いて寝ろって」
「そんな護符、あるんだ?」
「いや、おれの落書き」
「……鯉伴さん。嘘つきはダメでしょ」
「ぁいででででッ、いや、効果ありますよきっと。魑魅魍魎の主の落書きだもん!」
「だもん、じゃない!本当に怨霊だったらどうするの!」
「だからよ、そうじゃねえって思ったから、そうしたんだよ」
「そうじゃないって、どういうこと?」

 すかさず若菜がつねりあげ、赤くなった手の甲に、鯉伴は息をふうふう吹きかけた。
 彼女の目は厄介なもので、認識をずらすばかりが能のぬらりひょんの術など、あって無きがごとしだ。
 ずらしたつもりでも、本体にきっちり届いてつねられる。

「ありゃあ、怨霊じゃねぇや。若菜、お前にゃ同席してもらった方が早かったかもしれねぇ。おれぁ、お前みてぇな稀有な目は持ってねーからさ、それ相応のモンしか見えねーから。けど、二人じゃねぇと怨霊の話もしてくれなかったかもしれねーしなぁ。だから、一度帰ってもらって、仕切り直そうって、そう思ったんだよ。それまでは、本人が納得してほっとすりゃ、小麦粉だって気の持ちようで万能薬になるんだ、おれの落書きだってお守りになんだろ?」
「怨霊じゃないって?」
「だからさ、それを確かめに行くのよ、明日。お前とおれで」
「へ?」
「へ、じゃねぇよ。夏休みだろ?学校、ねーんだろ?手伝ってくれ、若菜」



<3へ続く>






アトガキ
娘のように可愛がっているつもりで、無意識に昔の恋と比べてる末期の二代目でスミマセン。

二代目の好みって、「可愛い」より「美人」なんだと思うのね。山吹さんみたいな。
山吹さんはほぼ一目惚れ(理知的美人だし)、最初から二代目が押せ押せで頷かせたひとだったらいいと思うんです。
若菜さんははっきり言って、「好みではない」。でいいと思うの。
こう言うと語弊がありますが、若菜さんはちゃんと可愛い。ほんとにただ好みの問題。
けど二代目は「月下美人」を好む方であって、「向日葵」に対しては、「あー、元気そうでいいわねー」ってタイプかと。

けどその内、向日葵が見えなくなると寂しくなる。あるとほっとする。つられて笑う。
若菜ちゃんは初恋ですが、二代目は恋する前に愛しちゃってればいいと思うよ。