老紳士の身なりが良かったので、お金持ちだろうなあと予想はしていた若菜だったが、目の前のそれは予想外だった。

「お城だぁー……」

 奴良屋敷も一丁丸ごと塀でかこまれた、趣のある日本家屋だ。
 しかし目の前にあるのは違う。
 外国の写真でたまに見る、貴族のお屋敷を彷彿とさせた。
 細長い塔や三角屋根のついたお城ではなく、もっと近代的な、現実味のある、そして実際に人が住んでいる、城だ。

 正面玄関の前には、噴水をぐるりと囲むロータリー。
 正面玄関を中心に、左右に翼をのばすような対称の作り。
 広い庭では何人かの庭師が植木の手入れをしており、さらにこれらをぐるりと囲むように、屋敷から少し離れたところに鉄の柵があった。
 若菜は今、その鉄の柵でぐるりと囲まれたお屋敷を、鉄の門のさらに外から、口をぽかんと開けて、見つめている。

 門は堅く閉ざされており、この背丈は、隣に立つ鯉伴をゆうに越えている。
 いったいどうやって、この中に入るつもりなのだろう。
 流石に怖じ気ついた若菜がちらりと、鯉伴を見上げた。
 視線を受けた鯉伴は、悪童のような笑みを浮かべる。

「今、どうやって入るのかって、思ったんだろ」
「うん」
「………即答したよ。お前さん、おれがなんの妖怪か忘れてねーか?」

 若菜が思い出すより先に、鯉伴は彼女をひょいと抱え上げ、鉄柵に足をかけるまでもなく、とんと地を蹴ると風をつかまえた。
 まるで重力を感じさせずふわりと浮いて、次には、塀の向こうに降り立っている。

 若菜はすぐに、門の外を見た。
 今まで二人が立っていた場所のすぐそばには、警備員が一人、厳めしい顔つきで前を睨み、立っていたのだ。
 ただ中をのぞいているだけならまだしも、こんな風に入り込んでしまったなら、きっと叱られるに違いない。
 そう思ったのに、どうしたことだろう、警備員はじっと前を睨んだままだ。

「あ、そっか。ぬらりひょんだから?」
「そういうこと。さっきからそいつ、おれ達になんて気づいてねぇぞ」
「へぇ、すごい!」
「だろー?」
「今、わかった。鯉伴さんたちのつまみ食い、お台所のみんなは、見て見ぬ振りしてるわけじゃなかったんだあー」
「あ、うん。それ見つかって叱られたのなんて、おれ、数百年ぶりだった」

 二人連れ立ち、堂々と正面玄関から入ると、鯉伴は勝手知った様子で玄関ホールから続く二階へと上がり、迷いもせずに奥へと進んでいく。
 知り合いだと言うからには、鯉伴もこの家に来たことがあるのだろう。
 それよりも若菜は、あちこちに置いてある調度品や、時折すれ違う人たちの様子などが気になって、ついきょろきょろしてしまった。

「こら若菜、そうきょろきょろすんな。あんまり離れると、おれの《畏れ》が届かなく………普通の人間の目に見えるようになっちまうぞ」
「はぁい」
「………前にもこんなこと、あったか?」
「え?いつ?」
「………いやあれは、そうか、あいつとか。久遠河岸で」
「何のこと?」
「いいや」

 遊歩の類で化猫横丁を歩くなどはあったが、若菜がこうして鯉伴と用向きのために二人で連れだって歩くなど、初めてのこと。
 ふと何かを思い出すような表情になった鯉伴は、若菜が思い当たらず彼の横顔をじいと見つめている先で、遠くを見るように目を細め、何かに思い当たって、視線を落として微笑んだ。

「お前さんと歩いてると、懐かしいことを思い出すのさ。悪い意味じゃねぇ、むしろ、良い思い出だよ」

 何を思い出したのかと、口を開くより前に頭をくしゃくしゃと子供にするように撫でられてしまったし、目的の部屋についてしまったので、視線の切なさの理由を、若菜は訊くことができなかった。

 どこからか、切なくも懐かしい気持ちのする旋律が、響いてくる。
 旋律は、扉の向こうから。
 鯉伴がドアを開くと、旋律を閉じこめていた瓶のふたを開いたかのように、いっせいに若菜を、まばゆい光が包み込んだ。



 繊細なピアノの旋律がこぼれる中、泣きたくなるほど美しい夕焼けを窓の外に望む部屋で、綺麗な女の人が、ピアノを弾いている。
 とても綺麗で、美人な人なのに、にこりともしていない。
 お金持ちの家の、お嬢様に見えた。
 けれど着ているブラウスもスカートも、この時代より少し昔がかっている。
 若菜が見ていることに気づくと、鍵盤から手を離し、怒ったように目を逸らして行ってしまった。
 いや、若菜と目が合ったのではない、この光景を思い出しているひとと、目が合って、記憶の中で彼女は今のように、どこかへ行ってしまったのだろう。

 だから旋律は、やまない。

 次は花咲き乱れる野原だった。
 さきほどの女性が、すぐそば楽しそうに笑っていた。
 日傘を放り投げて、野原に飛び出し、くるりくるりと円を描いて踊った。
 部屋の中で見るより、生き生きとして見えた。
 この女性のことを、この記憶の主はとても好きだったに違いない。
 風景は水彩画のように滲んでいたり、古い写真のように色あせていても、彼女は髪の毛一本一本、爪先にいたるまでが精巧で、輝きに満ちている。

 場面は変わり、旋律は、まだ続く。

 逃げ惑う人々、おどろおどろしい生き物たちの襲撃、空と街を赤々と焼く炎の波が、辺り一面を覆っている。
 人の波に紛れるようにして、記憶の主は行く。
 時折振り返ると、繋いだ手の先に、彼女がいる。
 彼女は何事か叫び、しきりに後ろを気にするが、視界の主は行かせない。
 しっかりと手を繋いで、先を急ぐ。

 火が消えた街。
 燃え尽きた家の前で、彼女がたたずんでいる。
 少し奥で、瓦礫からほんの僅か、頭をのぞかせているのは、彼女が弾いていたピアノだろうか。

 彼女は泣き、その肩を、記憶の主が抱いた。



 しあわせな時。二人だった家族に子供が生まれ。
 二人で力を合わせて開いた店は次第に大きくなり。

 笑う彼女。
 そして。



 ある日、届いた手紙。
 部屋に入ってきた彼女に、声をかけられて。
 机の引き出しに、彼は手紙を放り込み、鍵を、かけた。



「なんだっけ、《別れの曲》だったか?」

 唐突に、光景は若菜の目の前から去った。
 はっと我に返った若菜の目の前には、同じようにはたと呼び戻されたような顔をしたあの老紳士が、窓際の大きな執務机の向こう側から、こちらを見つめていた。

「大佐、本当においで下さったので」
「ったりめーよ。昨日はどうだったい、例の騒ぎは起きたかい?」
「いいえ、おかげさまで昨夜はよく眠れました。どうぞ、お掛け下さい。今、お茶をお出ししますから」

 部屋の片隅では相変わらず、記憶の中であの女性が弾いていた音色を、古いレコードプレーヤーが柔らかく奏でている。
 お手伝いさんが来客二人分のお茶とケーキを運んできてくれたが、あからさまに不思議そうな顔をしていた。
 無理もない、あんなに頑丈そうな門を客がくぐったなら、すぐに屋敷には報せが行くだろうに、そんな報せなど全く無かったのだから。

 老紳士は若菜に向かって昨日の非礼を丁寧に詫びた上で、二人に向かい合って腰掛けた。

「それでさ、加藤くん。怨霊が出る部屋ってのは、ここの事かい」
「はい。部屋を変えようかとも思ったのですが、ガタガタとやられる以外は別段、害は無いので、そのままにしております」
「ふぅん。昔とった杵柄って奴かねぇ。いや昔っから、腹ぁ据わってたかァ、お前さんは。佐和子さんも、最初はあんなにツンツンしてたのに、お前さん、一歩も引かないで口説いてたもんな。……先立たれるのは、寂しいね」
「まったくです。若い頃に苦労させられた分、私が死んだら遺産を使って豪遊する、だなんて言っていたのに、逝く順番が違うんですから。ところで、大佐」

 大人たちが亡くなった人のことを、穏やかに話せる気持ちが、若菜にはまだわからない。
 自分の両親のように最初から居なかったのとはまた違うのだろう、とても寂しいことだし、もし自分が大切なひとを失ったらと思うと言葉などかけられない。けれど大人同士はそういう言葉を掛け合うのに、ある程度の遠慮のなさを互いに受け入れているようで、こうして若菜の前で鯉伴は老紳士をいたわり、老紳士も失った痛ましさよりも、かつてあった喜びの方こそに、今は微笑んだ。
 その老紳士は、鯉伴が怨霊騒ぎに若菜を連れて来た方こそに、困ったような顔を見せた。

「そんな小さなお嬢さんをこんな場所へお連れになって、よろしいのですか?」
「ん?」
「その……怨霊だの何だのというのは」
「平気平気、こいつはそんな事くらいで驚くような奴じゃねぇよ。今日はおれの助手として、手伝ってもらうつもりで連れてきたんだ。こいつはおれにも見えないモンを《視》るからな。どうだい若菜、何か見えるか。遠慮するこたぁねーぞ、この爺さんは幽霊も怨霊も妖怪も悪魔も、ぜぇんぶ見ちまってるし、一度なんて悪霊の集合体に飲み込まれそうになった事もあるんだ、たいていの事じゃ、驚かん」

 促されて、ならばと若菜は、正直な感想を口にした。

「……私、見ようと思って見ているわけじゃないんです、自然に《視》えちゃうだけで。同じ歩道を歩いてる人たちが見えるのは当然でしょう?そんな感じなんです。あの、それで、だからわかるんですけど、ここには怨霊とか、そういうのは居ないみたい」
「うん。若菜もそう思うか。おれもそう思った。加藤くん、お前さんが言ってたのは、本当にこの部屋なんかい?」
「確かですよ。起こるときは昼となく夜となく、ばたんばたんと引き出しや戸棚が開いたり閉じたり。私以外にも、使用人が何人か見ています。皆、気味悪がって、若い者はあまりこの部屋に近づきたがりません。その……今は気配が無かったとしても、例えば異変が起こっているときにしか姿を現さないような怪、ということはございませんでしょうか」
「うん、そうだなあ、そういう輩も新しく生まれてるかもしれねぇが、おれはこれは、ある意味昔ながらの怪異だとも思う」
「怨霊ではないが、怪異はあると……?」
「おう。ついさっき、この部屋に入ったとき、若菜はもう何か《視》てたんじゃねーか?」

 再び促され、若菜は少し、困ってしまった。
 確かに若菜は、視た。
 この部屋など見えないぐらい、その世界に包まれてしまったような錯覚さえ覚えるほどの、溢れる光景を視た。
 今では、あれが老紳士の思い出なのだろうとは、わかっている。

 若菜に覗き視の趣味は無い。
 視えてしまうのはともかく、人が隠しておきたいものを暴くのは、その人を苦しめることだ。
 鯉伴と初めて会った日に、彼が手に持っていたなじみの煙管や羽織を視たのとは、また違う。深い思い出を、話さぬ思い出を暴くのは、よくない事だ。
 だから、何かが視えてしまったとしても、決して今まで、口にしたことはない。

「その……視たというより、視えちゃった、というか」
「何が見えた?」
「………綺麗な、女の人。ピアノを弾いてた。これと同じ曲。立派なお屋敷の部屋で。目が合うと、怒ったみたいに行っちゃった。次は花畑で笑ってた。編み込んだ髪を束ねて、お団子にしてた。ちょっと昔っぽい、空色のワンピースを着て」

 見る見るうちに、目の前の老紳士の目が見開かれたので、若菜はそこで口を閉じた。
 ちらと、隣の鯉伴を見上げるが、ソファに深く腰掛けてくつろいだ様子の彼は、若菜を促すように一つ頷いただけだ。

 迷ったが、引き出しの鍵を開けようとする怪異であると聞いていたし、先ほど《視て》しまったものが何なのかも気になっていたので、上目遣いに老紳士を見つめながら、よくない事だと知りつつ、ついに口に出した。

「………あの綺麗なひとが、佐和子さんですか?
 じゃあ、佐和子さんがこの部屋に入ってきたとき、おじさんが隠した手紙は、誰からのものだったの?
 もしかして、ガタガタ言い始める引き出しって、その手紙を入れた、その机の上から二番目の引き出しのことですか?
 その手紙、何が書かれていたんです?
 どうしてそんな風に、隠しておきたがるの?
 今でもあの手紙は、その引き出しに入っているんですか?」

 若菜が言葉を重ねると、老紳士の顔からはさあと血の気が引き、唇がわなわなと震えだした。
 ふつりと汗が額に浮かび、笑顔が消え、眉根に深い皺を刻んだ。

 やっぱり言ってはいけなかったと、若菜は途端に後悔した。
 誰かが隠しておきたいことを、言葉にしないことを、口にしてはいけないのだ。
 これまでに何度も、幼さゆえの思慮の足りなさから繰り返し繰り返し、学んできたではないか。
 嘘をついて隠そうとしていることを暴くたび、それで困ったことが解決したとしても、隠した者は若菜を恨んだし、事態が解決したとしても人々は大人も子供も、若菜を気味の悪いものを見る目で、見るようになったではないか。

 その時、誰もが言ったあの言葉、化け物め、と。

 あの言葉を今も言われてしまうのだろうと、若菜は身を小さくして覚悟をしていたが、老紳士は若菜が思うよりも我慢強く、しかし、流石に心の内を暴かれて、平然としてはいられなかったらしい。

「………申し訳ないが、少し混乱しております。その子は、千里眼をお持ちですか」
「いいや、遠く離れたものを見る目じゃねぇ。ここにあるモンしか見えねぇよ。お前の心を暴いたわけでもねぇ、お前が強く念じたモンを見るだけさ。
 それで、その引き出しの中とやらには、何が入っているんだい。怨霊が狙うようなお宝でも、入ってんのかい?」

 しばし黙り、老紳士はもう一度、申し訳ない、と頭を下げた。

「少し………時間を、いただけませんか。後日。……いえ、明日まで考えさせてください。きっと、お伺いいたしますので」



+++



 帰り道、若菜は鯉伴からあれこれ話しかけられても、上の空だった。
 うん、と返事をするか頷くかするのが関の山で、とぼとぼと、足も何だか進まない。

 じーわ、じーわ、蝉が煩いほど鳴いている。
 まだ太陽は中天高く差し掛かったばかりで、鯉伴は今朝早くから動き始めたから、「帰ったら昼寝でもするかぁ、若菜ァ」と、少し気だるい様子だ。
 これにも、うん、と小さく答えて、やはり若菜はとぼとぼ歩く。

「………若菜、お前さっきから、どうした?何か怒った?」
「う、ううん。怒ってない、けど」
「あ。わかった。さっき出されたショートケーキ、食いっぱぐれたから拗ねてんだろ。さっさと食っちまえばよかったのに。持ってくるとかさ。どうせ一回客に出したもんなんて、誰も食わないまんま捨てられっちまうんだから」
「違うもん」
「わかったわかった、駅前で買ってから帰ろ。ついでにアップルパイも」
「違うったら」
「じゃ、なんで怒ってんの?」
「怒ってないもん」
「じゃあ、どうした。話してみろよ」

 言おうか、どうしようか、若菜は迷った。
 こうして鯉伴と二人、連れ立って歩くのは嬉しいし、役に立てるのも嬉しい。
 けれど誰かの心を傷つけたり、秘しておきたい秘密をわざわざ暴くのは、良い気持ちがするものではない。

 こういった気持ちを、どうあらわしたら良いのかにまず迷ったし、それで結局、

「………………なんでもない」

 泣きそうな声で言うしか、若菜にはできなかったのだ。

「何でもないってツラじゃねーし」
「なんでもないもん」
「はいはい。わかったわかった」

 宥めるように髪を撫でられて、寄り添うように歩かれてしまうなど、まるで子ども扱いだ。
 これに若菜は戸惑った。
 鯉伴はもっと速く歩んで行けるし、風を捕まえれば梢を蹴って空を飛ぶように帰ってしまえるのだから、一人で拗ねてしまった子供なんて置いて、帰ってくれればいいのにとさえ思う。けれど撫でてくれる手のあたたかさも、じーわじーわとうるさい蝉の声とじりじりと照りつけてくる太陽の忌々しさを、隣で一緒に受けながら、「にしても、暑ィよなぁ」と顔をしかめるとぼけた正直さも、嫌いではなかった。

 嫌いではないことに、戸惑った。

 こんな風にただ寄り添われて、自分がどんな顔をしていても、どんな気分でいても嫌われないだろう安堵感は、初めてのものだった。

 祖母は小さい頃に亡くなったし、優しくはあったけれど厳しい人だったので、駄々を捏ねる気持ちは生まれなかった。彼女の前では姿勢よくあろうと、座り方立ち方だけではない、幼いながらも生き方にそうあらねばと思わされたから、我侭一つ言えたことはない。拗ねて見せたこともない。
 学校の先生にだって、こんな風に、一人つきっきりで面倒を見られたことなんてない。
 友達だってもちろんそうだ、あちこちに転校して、たくさん話し相手も遊び相手もできたけれど、甘える相手とするには、若菜は皆より先に大人になりすぎていた。

 言ってみてもいいだろうか、と、不意に吹いた風に目元を払われた拍子、思ったので、いくらか涼しい石塀の陰を歩ながら、若菜は小さく口にした。

「………私、言ってよかったのかな」
「ん?」
「加藤さん本当は、ずうっと、隠しておきたかったんじゃないのかな」
「さっきの、引き出しの話か?」
「うん………」
「隠しておきたいと思っていたから、引き出しに入れて鍵をかけたままにしてきた。だが同時に、それじゃあいけねえ、開けなくちゃならねえ、もう隠しておきたくねぇと思うから、自分でも知らねェうちにガタガタと、自分の念だけが一人歩きして引き出しをかき回し始めるんだろ。そういう奴には、言ってやった方がいい。何を一人で癇癪起こしてやがる、ってな」
「癇癪?」
「おう。あの怪異はな、多分、加藤くんの念が起こしてる。一人芝居だよ。ああいうのを、昔は生霊って呼んでた。若菜、お前さんを連れて行って、お前さんがちゃあんと《視て》くれたから、おれも自分の考えが合ってるって思えた。ありがとうな」
「でも、ずうっと隠しておきたかったんなら、知らない振りをしていた方が良かったんじゃないのかな。私、本当に、言ってしまって、よかったのかな。言わないで、ずうっと黙ってたら、加藤さん、あんなふうに怒った顔して、苦しそうな顔しなくても、よかったんじゃないのかな」
「それで、秘密を墓まで持っていく、ってかい?そうさなァ、それでいいと思ってる奴は、自分で知らず知らずのうちに生霊作り出して、引き出し開けさせようとは思わんと思うぜ」
「そうかな。それでも、私、それを視ちゃいましたって、言わない方が良かったんじゃないのかな。だって、秘密を見られるのって、すごく嫌なことでしょ?自分で言えないことを、他人の方から言われちゃったりしたら、すごく嫌なんじゃないのかな。
 私 ――― 嫌なの。そんな風に、誰かを苦しめるぐらいなら、全部黙ってた方が良いんじゃないかって、そう思っちゃう。本当の事だからってあれこれ口に出してたら、本当のことを言ってたとしても、誰かに嫌がられたり、誰かを傷つけたりする。それなら、黙ってた方がいいんじゃないのかなって、そう思うの」
「なんだい、らしくねェなァ。嫌われたくないから、相手の嘘にも目ェ瞑るって?悪人の嘘は暴くが、善人の嘘は黙っておくってかい?どっちも嘘は嘘だ。善人こそ、てめぇが嘘の生き方してたなんてぇことは、後々苦しみにも繋がる。さっさと暴いちまった方がいいし、それでお前を嫌うような相手は、もとよりお前の側にいる資格の無い奴だ、離れていって惜しく思う気持ちはわからなくもねぇが、忘れちまえ、そんな奴」
「でも、よく言うでしょ。『雉も鳴かずば撃たれまい』、口は災いの元、って」

 これにこそ、鯉伴が大きく笑った。
 側でじーわじーわと鳴いていた蝉が、ぴたと黙るほどの大きな笑い声だった。

「お前の口からそれを聞かされるとはなァ。けど、その昔話はな、口は災いの元って話じゃねーんだよ」
「そうなの?」
「おう。犀川のほとりに住んでた千代ちゃんはな、真実に蓋をしましょうって事を伝えたかったんじゃねぇの。おれぁ誰より、その話は知ってる。あれはな、『それでも雉には声がある』って話なんだ。だからな、若菜、お前は誰に恥じる必要も、身を小さくする必要もねぇ。それでも後ろめたいなら、今回の事はおれに言われてやったことだって、そう思えばいい」

 そのうちお前にも、本当の『雉も鳴かずば』の昔話をしてやるよ、と、鯉伴はその話を締めくくった。

 彼が、きっと自分にその話をすることも無ければ、自分が時折するように鯉伴に昔話をねだったとしても、この話だけは己からねだることは無いだろうと、若菜は察した。
 目に見えるほどの記憶ではないにしても、鯉伴が遠く見つめる先が、続くアスファルトの道路の向こうでないことくらい、よくわかる。

 胸のうちでもやもやと凝り固まっていたものを吐き出したためか、若菜は何だかほっとして甘えたい気分になったのと、鯉伴の視線の先の思い出を慰めてやりたくて、あまり無いことだけれど、すぐ隣で揺れていた鯉伴の手に、そっと自分の手を滑り込ませてみた。
 指を一本握るくらいの、遠慮がちなものであった。
 これに気づいた鯉伴はすぐに、彼女の小さな手を握ってしまった。
 遠くを見つめていた視線が、今ここに戻ってきて、繋いだ手の先から、若菜を見つめてふわりと笑ったので。

 それだけで、いいや、と思えてしまい、若菜は途端、笑顔を取り戻す。

 何も知らなかったとしても、見えなかったとしても、今ここで二人で並んで歩いているんだから、それで、いいや、と。

「……あー、暑いねェ。せっかく二人でお出かけだってのに、こう暑いとたまらんぜ」
「ケーキ屋さん、連れてってくれるんでしょ?」
「おう。ついでにどっかで、涼んでから帰るかー」
「はい!ラムネが飲みたいです総大将!」
「お、いいねェ。んじゃあ宇佐美のおばちゃんとこの駄菓子屋にでもお邪魔すっかー」

 ああ、暑い暑いと、言いながら二人、手は決して離さずに。


<4へ続く>






アトガキ
お前等が暑苦しいわ。という二代目と若菜ちゃんを書きたかったので大変満足です。
ファイル14個目にしてようやく手ぇ繋ぎました。
鯉伴×若菜だけでも読めるけど、一応「夢、十夜」から繋がっているので、それぽい事も混ぜてみた。