あちこちで、龍に対する謀反の火の手が上がった。

 最初は南、次は北、あちらこちらを任せていた家臣どもが討ち取られ、あるいは家臣そのものが裏切り率先して龍に謀反の意を示したのだ。
 これに、千鬼を束ねる龍は、腹心どもを向かわせ事態を収めようと計る。

 今までも何度かあったことだ、皇龍を討ち、成り代わろうとする妖怪もいれば、怯えながら暮らすのは嫌だと、餌として生かしてやっているのに何を勘違いしたのか人間どもが一揆を起こしたこともあった。

 しかし、最初はこれまでと同じように考えていた龍は、南、北、また東、そして西と続く謀反と次第に疲弊していく千鬼たちに、言い知れぬ不安を抱くようになり、これはやがて苛立ちとなって、夜に蛇女どもを侍らせ酒を飲んでいるときに、興に乗れず盃を叩きつけて蛇女を怯えさせることにもなった。

 おかしいのは、今回の謀反が、北も南も、それぞれが異なる種族の者同士、手を組んだものである様子だ。
 今までは違った。それぞれ、せいぜい同じ種族の者を何人か味方につけただけで安心し、己に向かってきた。人は人の味方、妖怪は妖怪の味方とそれぞれでかたまり、この二つの存在が互いに手を組むことなど、決して無かった。

 だが今回は、妖怪と人が手と手を取り合って、打倒皇龍、千年太平を合言葉に、怒涛のように立ち上がったということだ。
 しかも、日ノ本の国を北と南から、寄せる波のようにやってきて、呼応するように東と西からも軍勢が大挙し、四方へ軍を割かねばならない龍としては、戦況を聞くのも苦々しい。
 当初、すぐに終わると思われた戦いも、今では膠着状態だ。




 日ノ本のあちこちを任せていた将の中には、過去の戦いで討ち取った将の配下に居た者たちいる。
 これが中々使える輩であったし、所詮は妖怪、長い年月の内に情など忘れるであろうと思って任せておいたのだ。
 長い間、これ等は龍の思惑通り、妖怪の将として恥じぬ働きをしてくれた。

 あの桜の根元に座し続ける女と同様、絶望に打ちひしがれたかつての百鬼たちは傀儡となり、こうせよ、ああせよと言うことに、素直に従っていた。
 なのに、少しずつ、歯車が狂い始めている。




 剛力の青田坊、かつての奴良組若頭の近侍であった。
 あの敗北により、守るべき主を目の前で引き千切られ、散り散りになった後、捉えられ龍の下僕となって、外様の将となり、南へと送られた。

 子を守る鬼神が由来の妖怪に、課された年貢はむごいものであった。
 一年に決められた数だけの子供。これを龍に捧げることで、残りの子を救う。
 一度でも違えれば、龍の家臣どもがやってきて、大人子供構わず食い散らかすのは目に見えていたから、青田坊は約定を守った。守り抜くにつれ、心は冷えた。何を守っているのかわからなくなった。

 桜の根元に座し続ける女と同様、季節は灰色のまま青田坊の横を通り過ぎていった。
 人は妖怪を恐れ、青田坊もまた恐れられた。子を浚い、龍へ喰らわせる、龍の将軍であり斥候と謗りを受けた。心は冷え切り、暴れたくもなった。首にかけた、小さな頭蓋骨の数珠が、ずっしりと重くもなった。
 命を絶とうか ――― どうせここも地獄、行く先も地獄、ならば、あの龍がいないだけ、あちらの方がまだましかもしれぬ。
 こう思い当たる度、懐に入れた、若君の千切れた指数本が、ぎゅっと己のわき腹を抓るように思えて、我に返った。

 待った。ひたすら待った。忍んで、耐えて、待った。待ち続けた。その時を。
 待って、待って、待ち続け、やがて、青田坊が篭る屋敷を、一人の小僧が訪れた。

 竜胆色の布を目に巻いた、着流し姿の小僧であった。
 ふらりとやってきたこの小僧を、門番どもは見咎めず、小僧は易々と青田坊が一人手酌で酒を喰らっているところへやってきて、「一人酒かい、寂しいね、青田坊」と声をかけた。

 どこかで聞いたことがあるような声であった気もしたが、長い年月にすっかり心を化石のようにかたくしてしまった青田坊、何奴だと誰何して、自慢の剛力を放ったが、一発も当たらなかった。
 はあはあ、ぜいぜいと息を切らした青田坊が、根負けしてどっしり座ったところへ、小僧は青田坊の手に盃を持たせ、とぽとぽと注いだ。

 そこで不意に思い出した。若?と訪ねると、小僧は目の無い顔で、心を尽くして微笑んだ。

「待たせたね、青田坊」

 青田坊は涙を流し、化石の心はぴしりと割れて、中から羽毛のように柔らかなものが覗き、若君はおんおんと座り込んで泣く青鬼の頭を、よしよしと撫でてやるのだった。
 懐から、青田坊は若君の指を取り出すと、これが足りていなかった手へ、そっと捧げる。
 すると、指は待っていたように、若君の手へとおさまった。




 血にまみれた黒田坊、僧形でありながら血を流し続けた過去があり、一度はこれを改め守る側についたが、命令とは言えやれと言われれば、心は妖怪にもどってしまった。

 冷えてかたまった心を抱いて、黒田坊は滅し続けた。
 北で妖怪に刃向かう者どもを、境界線を越えてやってくる者どもを、滅し続けた。
 来るなと言っても、何度も何度も、人間という奴はどうしてこうも物覚えが悪いのか、代が変わればまた同じように、妖怪どもの圧制から逃れんと一揆を起こして立ち向かってくる。
 これを、滅した。滅して、経を唱えた。

 やがて、境界線がわかるように、線を引くことにした。
 ここから先に入ってはいかん。
 お前たちはここから外へは出てはいかん。
 人は妖怪たちの生餌だ、だから境界線から出ないうちは、安全が約束された。

 この線を引くようになってから、滅することは少なくなった。
 それでも、今まで滅した者たちの墓の前で、黒田坊は経を唱えた。

 ある日、村の子供たちが、戯れに獣を追って、村からずいぶん離れたところまで来てしまった。
 境界の外だった。

 滅しなければ、と思ったが、懐に抱えていたものが、途端にずしりと重くなったような気がして、何だろうと覗き込んでみると、それはあの日とっさに抱え込んで以来忘れていた、若君の足だった。
 この足でころころと、しだれ桜の庭先で走り回る若君が思い出されて、目の前できょとんと己を見上げている童子と重なった。

 ここは境界の外である、早く村へ戻りなさいと言うと、子供たちは慌てて引き返した。

 無垢な目を向けられて、黒田坊は網笠を深く被りなおし、にじんだ視界を誰にも悟られぬようにして、帰った。
 帰ったところで、小僧が一人、勝手に茶を飲んでいた。
 振り返り、「あ、おかえりー」と暢気な声で言ったそれが、まさしくたった今、思い出したその御方のものに違いなかったので、黒田坊は腰を抜かしかけ、這うようにしてその膝先ににじり寄ったが、掴んだ肩がごっそりと肉を奪われており、またあちこち体が足りておられないのを知って、泣いた。

 冷えてかたまった心をほどいて、痛かったでしょうに、苦しかったでしょうに、いいえ、今でも痛いでしょうに、苦しいでしょうにと、のほほんと微笑んでおられる若君の御身を思えば、泣かずにはおれなかった。

「そりゃあ、身を裂かれているのだもの、それ相応には痛いけど、でも、それぞれを皆がちゃんと抱えて守ってくれているからね、皆の場所もわかって便利だよ。それに、なんとなく心の移りもわかるんだ。だからわかるよ、苦しいのも痛いのも、ボクだけじゃない。黒田坊、つらかったね」

 妖に堕ちた魂は、一度黒に染まったがゆえに、黒い引力につかまれば、またいとも簡単に呑まれてしまう。しかし若君のお優しい手が触れると、心が綻ぶよう。
 闇に堕ちた身でこれはおかしいのかもしれないが、いわば若君は太陽なのだ。同時に清水なのだ。
 道を見失い、惑う魑魅魍魎たちを導く主。
 これがあると、心は雪解けを迎え、そして乾くことがない。

 黒田坊は、懐に大事に抱えていた足をお返しした。
 するりと、若君の足は元のようにおさまった。




 若君を思い出した妖怪たち、また、新しく若君のお優しさに触れて心を動かされた妖怪たちは、次第に一つの大きなうねりとなった。

 二つの力があったとして、そのどちらに味方するのかとなれば、不思議と、木石でない限り ――― いいや、木でも石でも、心ある者である限り、心を尽くして微笑んでくれる方へ味方したいと思うものらしい。

 これは人間もまた同じであった。
 人の姿でありながら、妖怪たちと対等に戦い、あるいは話し合い、そして自由気ままに旅を続ける若君を、村に閉じこもるしかなかった人間たちは、次第に歓迎するようになった。

 あちらの村ではこんなことがあったよ、こちらではこうだったよと語るのを、皆が愉しみにした。
 この乱世を自由に旅する者など、今まで無かったことなのだ。
 また、若君はこれをあまり見せびらかしはしないのだが、病や怪我をたちどころに治す神力を持ち、人も妖もわけ隔てなく癒すので、あるとき誰かが、貴方は人であるのかそれともあの、汚らわしい妖怪と同じものであるのかと、おそるおそる問うた。

 すると若君は、妖と言っても、気のいいやつもいるのだとお笑いになった。

「此の世を明るくするのか暗くするのか、それはつまり人の気の持ちよう。同じように妖怪も、陽気な奴もいれば陰気な奴もいるんだ。ボクはどちらかと言えば人間の血の方が濃いんだけど、必要なときは、妖の血にも頼るよ。
 うん、そうだ、ボクは両方の血を引いている。
 え?妖怪が人の女を浚って産ませたのかって?酷いなァ、うちのじーちゃんは、ずっとばーちゃん一筋だったよ。そりゃ、女遊びとかは甲斐性じゃーとかも言ってたけどさ、でも、五百年近くたっても、毎日仏壇に拝んでたもの」

 傷や病を癒してもらった謝礼を決して受け取ろうとせず、せいぜい一晩か二晩泊まると、また次の村へ旅立っていき、そしてこの若君が少しずつ体の色々なところを完成させていくごとに、若君について回る鬼たちが増えていく。この鬼たちは決して悪さをせず、村の外にとどまり、若君が村の中で人相手に物語などをしている間、焚き火を囲んでどんちゃん騒ぎ。
 この若君が人でもあり、妖でもあり、またその両方の架け橋であると知らされた人間どもは、いよいよ若君がすっかり体を取り戻され、残すは目玉二つと片腕のみとなったとき、貴方様はこのように妖怪どもを集めて、どうされるのかとお伺いした。

 若君が仰せになったのは、人間どもと、そして妖怪どもが一番聞きたかった答えであった。

「世の中こんなに暗くされたんじゃ、いくら気の持ちようって言ったって、明るくするにも限度がある。ボクの家系は、陰気なのは嫌いでね。百鬼夜行はお祭り騒ぎ、地獄一丁目は遊蕩先、くらいにしか思っちゃいないんだ。
 あいつには昔、腹を割って話そうじゃないかといわれて、そうかと飲む気で言ったら騙し討ちされた過去がある。その落とし前もつけてやらなくちゃならないことだし ――― 貴方たちも、一緒に来るかい?人の身でも、たまに夜を練り歩くのは、面白いものだよ。
 それでも不安なら、そうだ、獣の皮を被ったり、おどろおどろしい仮面や蓑笠を被って、妖怪になったつもりでおいで。
 皆おしなべて、ボクの後ろで百鬼夜行の、群れとなれ」




 かくして、人と妖怪が力を合わせた大群は、四方から龍の根城を取り囲むに至った。
 しかし、鳴かずの森に潜むのは、それまで仲間に加えてきたり調伏してきた妖怪たちとは違い、流石に皇龍の腹心ばかり。しかも森を取り囲むように大きな蛇や龍たちが、空を飛び地を這い、近づくものを飲み込もうと待ち構えているのだ。
 大群で動けば、たちまちこれ等に気づかれて、弱い者からぺろりとやられてしまうだろう。

 ここで、若君は、百より多くなった己の鬼たちの中から、腹心の九十九鬼を選びぬき、「ボク達だけで、あの蛇どもをすり抜けて行こう」と不適に微笑まれる。「森に入り込んでさえしまえば、あの図体だ、あんな大口だけが取り得の蛇ども、木に阻まれて追ってはこれないよ」と。
 不安になるよりも、余裕の若君に、皆が、応、とにんまり笑う。
 こうでなくては、面白くない。
 だいたい、百鬼選ぶのではなく、九十九鬼を選ぶというのが面白い。
 それに、ここまで持ってきた荷物の中に、わざわざ、京で若君が自ら、ああいうのがいい、こういうのがいい、ああもう、見えないんだからボクの前に持ってきてもらっても困るよちゃんと選んでおくれ、ああだけどこの肌触りはいいね、などと、あれこれ選んでいたものが混じっているのを知っている。
 酒もあり、紅い毛氈もあり、同じく紅に染めた大きな京和傘があり、盃の数も揃っている。
 何より、あれは、あれ以外のいつ着るというのか。

 心得た黒羽丸が、さっそく父親譲りの世話役気性を見せた。

「ならば、料理の方は、それほど手の込んだものをご用意できませんね。それに荷物は皆、分担して持たないと」
「あら、朧車に積めば、お料理も結構出せるんじゃない?やっぱり、酒宴にはお料理がないと。せっかく重箱まで用意したんだから、張り切らせて頂戴な」
「ふむ……すると、朧車を中心にした護衛を考えねばな。料理の方は頼む、毛倡妓」
「あいよ。人間たちにも手伝ってもらえそうだから、大丈夫、たっぷり用意できると思うわ」

 鬼気迫る様子で鳴かずの森を守りぬかんとする、皇龍千鬼夜行に対し、なんとも暢気な様子の九十九鬼夜行。
 しかしこれを見守る者どもは、不思議と、不安を覚えるどころか、ここで確信したのだ。

 勝てる。陽気な千年太平の世が、もう目前まで、迫っているのだと。