大安吉日のこの良き日、目の前で行われているのは出入りなどの乱闘ではなく、確かに披露宴の余興であった。次々、我も我もと目の前にいざり出てくる妖怪どもは、己の舞や歌を披露しついでに飛び掛ってくる者どもを投げ飛ばし、斬り伏せ、しかしながら余興の最後には上座に向かって必ず一言申し上げる。

 おめでとうございます、と。

 そうして、余興を終えた者どもは、舞台の外の喧嘩に混ざる。
 なに、妖怪任侠一家の祝言に、喧嘩は花だ、添え物だ。

 百年か千年か万年か、飽くほどに座した桜の下なのに、同じ桜の下であるのに、今ははらはらと祝福するように花びらが舞っている。
 鬼気迫る千鬼の気配が辺りを覆っているというのに、皆はその中心で、あっちでぽかり、こっちでもぞりとやっているにも関わらず、雪女は若君の腕の中におさまっているためか、全く怖い想いをしなかった。余興に目を輝かせ、ころころと笑い声をたてるほどだ。
 己でも、心がないでいるのを不思議に感じた。
 石のように座し続けた時間も、凪いでいたときが多かったが、今は違う。和いでいる。

 ふと隣を見れば、己をあの琥珀の瞳で見つめて、優しく微笑んでくださる若君がいらして、例えば今このまま、それと知らぬ間に滅されてしまおうが、己はしあわせであろうなどと、雪女は思っている。
 でも、そうはならないことも知っている。この腕の中にいれば安全。
 この手は涙を拭いてくださる手で、決して無下に打ったりはしない手だ。

「もう、怖くないね」

 若君が問う。

「ええ、もちろんです」

 にっこりと、桜の下で、六花が綻ぶ。

「もう、泣かないね」

 若君が問う。

「どうでしょう」

 と、六花は気を持たせる。

「嬉しくて、幸せすぎて、泣いてしまうかもしれません」

 これには若君は困ったように笑って、ついと雪女の顎を上げさせると、優しく触れるだけの口付けをした。

「それなら、泣くときはボクがいるときにしてね。見ているだけなのはやっぱり辛いから、涙を拭ってあげられるくらい、近くにいるときにしてよ」
「 ――― はい……だんな様、お側に、いさせてください。未来永劫、いつかこの雪が露と消えるまで、お側に、仕えさせてください」

 しあわせそうに笑う花嫁を、花婿が優しく抱き寄せると、宴席からまたもやんややんやと喝采が飛ぶ。
 余興を終えた者どもは疲れを知らぬのか、おれが千の鬼を全部たいらげてやるいやおれがやるのだと、我先に手当たり次第に妖どもを千切っては投げ千切っては投げ。数の少なさなどものともしない、百鬼どもにいわせれば、「千の客に百の料理しかないとあれば気落ちもするが、百の客に対し千の料理があるとは豪勢なことだ、満足もでき、腹もいっぱいになろう」ということだ。
 対して次々に現れては襲い掛かってきた千鬼、少し勢いを失ったようで、なんと、中にはこれはかなわぬと尻尾を巻いて逃げ出す者も現れた。

 そうなると、瓦解は早い。
 黒雲のように迫っていた千の鬼たちは、蜘蛛の子を散らすように鳴かずの森から四方八方へ逃れようとし、しかし森を囲んで待っていた、日ノ本の人間と妖怪の連合軍に取り囲まれて、行く場所を失い、次第に弱っていく。

 ――― 森の奥の屋敷から、苦々しくこの様を見ていた千鬼の大将が、ここで、ようやく姿を現した。

 さすがに、千鬼の残りと、百鬼、ともに黙り、森の奥から強大な妖気をまとわせた龍が下ってくるのを、見守った。ごくり、と、誰かが喉を鳴らす。




「 ――― ようやくのお出ましか。千の鬼の主と言っても、奥に引っ込んだままじゃ、巣穴のムジナと変わらないなあと思ってたところだよ、皇龍殿」




 ただ一人、百鬼の主、宴席の主役の一人が紋付姿のまま、余裕の笑みを浮かべている。
 妖気漂わせながらも、姿は依然、昼の若君のまま。
 その身に流れる祖母の血に目覚め、癒しの通力を操るにいたり、また自身が剣の腕を磨いてここまできたが、祖父から受け継いだ妖怪の血による妖力は、ここに来るまで、誰も見た者が無い。
 琥珀の瞳はいつも優しげだが、今はすうと細まり、栗色の髪には桜の花弁を纏わせて、ぴんと背筋を伸ばし、客を迎える。




「人と妖、この二つを率いる軍勢と言うから、どこの策士が画策したかと思えば、お前なのか。よく見れば、人間ではないか。生餌風情が汚らわしい。しかしその人間のお前に、何故、百鬼が従うのだ。
 お前、名を名乗れ。ここまでやった褒美に、墓標に名くらい刻んでやろう」




 対して、ゆったりと着流し羽織姿で歩んできたのは、しろがねの髪、瑪瑙の瞳。
 性は残虐、魂は不浄、千の鬼の頭目にして、海を渡ってやってきた龍の王。

 この男に媚びるように、薄物を纏った蛇女どもが、妖艶な体をくねくねとさせながら、腕や脚にまとわりついている。
 くすくすと笑いながら、この蛇女どもが、百鬼の主を指差して。

「見てよ、人間だって、みっともない」
「みっともなァい」
「主様の方がいいオトコ♪」
「主様の方がオトコマエ♪」




「 ――― そう言えば前に会ったとき、君にはこの姿は見せていなかったのだったね、皇龍殿」

 百鬼の一人、純白の花嫁を腕に抱いたまま、若君はここでようやくすっくと立ち上がり、男君の姿をした千鬼の主と対峙した。

 ざ、ざ、ざ。

 風が吹く。桜吹雪が舞い踊る。

「だから、ボクを滅しきれなかった。五体をばらばらにされたとき、形作る姿まで奪われていたなら体を集めたところでどうにもならず、朽ちて塵になっていくのを待つしかなかったろうし、お前も今までそうやって、別の妖怪の姿を借りながら、長いこと生きてきたのかもしれないが ――― お前の負けだよ、皇龍、いや、ヤドカリ蛇くん。ボクの夜姿を返してもらおう。そいつがないと、妖気が身のうちに篭るばかりで、アツくてアツくて仕方ない」
「な、に ――― ?」

 ざ、ざざざ、ざ、ざざざ。

 舞う、舞う、桜が、舞う。

 舞い踊り、荒れ狂い、百鬼の目も、千鬼の目も、すべての目を覆いつくして。




 桜色の闇に視界が覆われる中、なつかしい男君の声を、雪女はすぐ側に耳にした。

「 ――― 中身がアレとは言え、この姿は、おめえにずいぶん酷いことをしたな、氷麗。すまねえ。……怖いといけねえから、終わるまで、目をつむってな」
「何を仰るんですか、愛しい方。あのようなムジナが被った皮と、貴方様と、どうして同じに思えましょう。言ったでしょう、もう怖くはないと。私が泣くのはもう、しあわせすぎるとき、それだけなのですから」
「泣くなよ」
「はい」
「お前は、笑ってろ。春告げの、菫のように、笑っていてくれ」
「はい、だんな様。だんな様が、お側におわす限り」




 次に皆が目を開けたとき、百鬼を従えていたのは、人間ではなかった。
 百年か千年か万年か、とにかく長い間、小さな体に妖気を押さえ込まれてきた、しろがねの髪の美丈夫が ――― 不思議なことに、千の鬼を束ねていた者が同じ姿であったときよりも、背が高く立派な様子で、荒れ狂う妖気に己の髪を遊ばせながら、桜の下、紋付姿で花嫁を抱いていた。
 対して、形作っていた姿を奪われ、千の鬼を率いていた龍は、どろどろとこれを溶かし、慌てて正体を現した。

 山のように枝を伸ばしたしだれ桜の、頂まで届こうかと言う龍の巨体。
 鳴かずの森ではおさめるのが苦しく、あちこちを木の枝でちくりとやって、空に苛立たしい咆哮を上げた。
 これから慌てて飛びのいた蛇女たちは、女を己の方へしっかと抱いて守ってやる男の様子に、

「アラ……あっちの方が、いいオトコ?」
「同じ姿なのに、何が……違うのかしらぁ」

 首を傾げて逃げ惑う。

「しゃんと背筋を伸ばして立ったあの方は、いい男っぷりだろう。お嬢ちゃんたち、それが、《粋》ってやつなのさ」

 逃げ惑っていた蛇女たちは、上からするりと伸びてきた蜘蛛の綾糸に絡め取られ、手近な枝にぶらんと宙吊りにされてきゃあと悲鳴をあげたけれど、己の足元を子蛇たちが散り散りに逃げていく様や、千鬼と百鬼の主が互いに見合っている様子を、その場所からは都合よく眺めることができたので、どうやら安全地帯に逃されたらしいと悟り、騒ぐのをやめた。

「もう。ホント、女には甘いんだから」
「もがッ」

 蛇女たちを守ってやった首無に、毛倡妓は不満げで、意趣返しとばかりにまた首だけを鷲掴みにし、己の胸元へこれを押し付ける。酔ったふりをして、気に入った鞠に頬ずりする童女のように、微笑みながら。




「 ――― 誰だ、と訊かれたのだったな。忘れたかもしれねーが、オレは、この姿の持ち主よ。どこに落としたか探している間に、この姿でずいぶん好き勝手やってくれてたみてえだな、きっちり、落とし前つけてやらあ。かかってきな、蛇大将。お前を特大の蛇酒にして、祝い酒として皆にふるまってやろう」
「お、おのれ、ぬらりひょん ――― !!!」

 かろうじて、山のように大きな龍の足元で踏みとどまっていた千鬼の中の腹心たち、目の前の人間がしろがねの髪の妖怪に化生するや、押さえ込んでいた妖気が立ち上るのに気圧され、一歩、下がったのがいけなかった。
 一歩下がると、もう一歩下がりたくなる。すると、もう一歩下がっても良いのではと思う。
 今度は背中を見せて逃げたくなる。この臆病風が出てくると、もう耐えられない。

 ヒイ、と、瓦解した軍勢を追うように、大蛇や蛟、蛇が追う。
 慌てた龍の親玉が、今の己には小さすぎる刀を懐から出して、それでもしっかと握り締め、馬鹿野郎、うろたえるんじゃねえと、鞘におさまったままのこれを振りかざす。怯えた者は、背中から妖怪滅殺の呪いを施された刀の一撃を浴びせられるを恐れ、怯えながらも踏みとどまったが、しかし今ここで刀を見せたのは、逆効果だった。

「 ――― おお、そうだ、そいつも返してもらわなくっちゃな」

 男君は、ついでに思い出されたような顔をして、まだ肘から先を失ったままの片腕をおもむろに、ぬっと袖から突き出された。  無残に引きちぎられた腕は、白い骨をむき出しにしたままであった。
 これに、龍の指先からするりと抜け出た祢々切丸が飛んでいき、百年か千年か万年か、刀を掴んだまま、決して龍に抜かせなかったしぶとい腕は、男君の腕に、しゃんと収まった。
 美丈夫がこれを掴み、無造作に鞘を抜いたところで、千の鬼たちは気づいた。

 今まで、龍が一度も鞘を抜いたことがなかったこと。

 鞘に常にぶら下がっていた腕を、かつて滅した妖怪のなれの果てだ、などと笑っていたが。

 その実、誰も見ていないところで、これを《畏れ》るかのように、力を込めてはがそうとしたり、焼いてみたり、様々やってみたのだが、しかし決して腕は落ちなかったらしいという、噂。

 その鞘が、抜かれて、美丈夫の手に、おさまった。
 今まで決して皇龍のためには抜かれなかった刀は、今は鏡のように美しい刀身に月と桜を映し、煌めく。
 ――― 今宵の宴に酔ったように。




 何だ、あの百鬼の主は何なのだ、強そうだ、怖そうだ、だがあの後ろについた百鬼たちを見ろ、誇らしげにこちらへ向かってくる。主の背に全てを委ねている。あの主はあの百鬼たち相手に、どのように微笑むのか、ああ羨ましい、あの百鬼の下には、雑魚など一体もいないのだ、ああ妬ましい、それに引き換え ――― と己の身を省みればもう負けである。千の数を構成すると言えど、その内の五十の顔すら、おそらく主は憶えていないのだろうから。心をこめて名を呼ばれ、微笑まれたこどなど、一度もないのだから。
 龍の恐怖に怯えしばられた千鬼は、それよりもさらなる《畏れ》に、ついに壊れた。




「 ――― 百鬼ども、待たせたな!お前等の《畏れ》、オレの背がすべて《鬼纏[まと]》い、預かるぞ!」











 大安吉日のこの良き日以来、日ノ本全土を覆っていた黒雲は払われ、鳴かずの森には、獣や鳥の声が戻ったそうだ。
 季節を忘れて凍りついていたしだれ桜も、他の桜たちと同じように、今は春になるたびはらはらと、しかし他の桜たちよりも優しく見事に、咲き誇っているのだという。

 桜が春にしか咲かなくなったので、きっと、しだれ桜の精が嫁入りして、夏と秋と冬は亭主のところへ行ってしまうのだろう、狂うように咲き続けて泣いていた桜に、きっと好いひとが現れて、文字通り桜にも春が来たのだろうと、誰かが言い始め、だからこの日を、誰からともなくこう呼び始めた。

 桜の嫁入り、春告げのとき、と。