「伏目稲荷が、落ちましてございます。また、伏目稲荷にて、奴良組と花開院が手を組みました」
「破竹の勢いで、奴良組・花開院連合軍、螺旋の封印を七、六と、清永寺まで遡ってきております。現在は清永寺にて、茨木童子様と交戦中。しかしこれも、我等に不利かと」
「茨木童子様、お討死!奴良組・花開院連合軍、西方願寺へ迫っております、いかがいたしますか、鏖地蔵様!」
「むゥ ――― もう少し、時間を稼げると思っていたが、花開院め、いつの間に妖怪をすんなり受け入れるようになっておったか。宗旨替えでもしおったか?」

 弐條城の天守閣にて、あれこれと報告を受けるたび、鏖地蔵の長い額に、ついと汗が伝う。
 ぎょろり、ぱちぱちと、長く上に伸びた頭から、巨大な目玉が覗いており、今はこれがせわしなく蠢いていた。あれこれと思索している時の、この男の癖のようなものである。

「花開院と言えば、やけにあっさり封印の場所を明け渡したのが気になってはいたが、まさか、自ら妖怪どもと手を組もうとするとはな。弱まっていた封印とは言え、もっと有り難がって執着するかと思っていたが、それが無かったのもおかしかった。宗旨替えというのも、在りうる話かもしれん。我等が向かってみれば、既に封印の場所はもぬけの殻であったから、どんな仕掛けを講じているやらと楽しみにしていれば、中々面白い趣向ではないか。こういう事ならば、なるほど、納得もできよう。
 しかしマリアが主をお産みになられる邪魔をする者としては、目障りなことこの上ないな。新たな封印を施されれば、マリアが動けぬ今、もう封印を解ける者は、こちらの陣営にないのだぞ。折角、地脈よりこの弐條城に怨念が集いマリアの力になろうとしているというのに、開いた端から蓋をされてはかなわぬ」
「次の西方願寺、ワシが行く。しょうけら、お主は次の鹿金寺に入れ。いくらか足止めにはなろう」

 がしゃどくろ、茨木童子が下された報せにも、眉一つ動かさなかった彼等に、仲間意識は希薄だ。
 彼等を結んでいるのはただ一つ、千年前からの京妖怪の悲願、鵺の復活である。
 力を合わせるよりも力を試し合い刀で鍔迫り合う方が多く、いかに長く羽衣狐の配下であろうとも、互いに情を交わすことはない。
 それが妖、それが妖怪であると言い切ってはばからない、生粋の冷えた血の者どもだ。
 逆に言えば、互いにそういう生き物であるのだろう、という、奇妙な連帯感のようなものは持ち合わせていたと言えよう。

 羽衣狐の出産のためだけに意を一つにして動く彼等であるから、自ら動いた鬼童丸を、「おい」としょうけらが呼び止め、己もまた彼を追ったのは、決して仲間を一人で行かせまいとする、崇高な想いからではない。

「西方願寺まで送ろう、鬼童丸。その後、私は人間を狩るために花開院本家へ赴く。鹿金寺はそれからだ」
「何のつもりだ?」

 鬼童丸が訝るのも無理は無い。
 青銀の髪に蒼い瞳、人形めいた秀麗なつくりのしょうけらが、今はどこか楽しげに、薄情そうな唇にやんわり上向きの弧を描いている。人間であれ妖怪であれ、相手の心の隅を暴いて、取るに足らない悪行を聞きかじっては裁きなどと言って打つのが好きな男であるから、今もきっと、何かしら好物を見つけたのだろうが、これが己の向かう方向にあると言うのは、やはり良い気はしない。

「なに、貴様が気に入って傍に置いていたあの坊や、西方願寺でどんな働きをしているかと思ってな。花霞一家に、一家総出の西方願寺死守の命令を与えておいた。早ければ今頃、銀閣寺に続いて二度目の、奴良組と花霞の正面対決となっているだろう。」
「 ――― 何?」
「おやおや、そう怖い顔をしてくれるな。別にアレは、貴様だけの玩具ではないのだから、私が直々に命令を下してやっても構わぬだろう、鬼童丸よ。それに当の本人は、ぬらりひょんの落し胤を名乗るなら、いずれ奴良鯉伴とは決着をつけねばならぬと、嬉々として向かって行ったよ。花開院の一匹や二匹、首級を取ってやるともね」
「貴様の事だ、それだけではあるまい。何を企んでいる」
「企んでいるのは花霞の方だ。伏目稲荷の千手百足を討ったのは、奴良組ではなく、あの花霞大将であったという。あの千手百足から剥がれ落ちた百足が一匹、息絶える間際、私に報せに来たからな、これは確かだ」
「何を言うかと思えば、そのような事か。力在る者へ挑み、下し、より高みへと上る、それを咎めてなんとする。……もっとも、この抗争の最中はまずかったがな、よく言ってきかせよう」
「すっかり父親役が板についたな、鬼童丸」
「ワシの口利きで戦列に加えたのだ、相応の責任はある」
「利用されているぞ、鬼童丸。あの花霞、誠に己で言う通り、奴良鯉伴と同じくぬらりひょんの血を引く落胤、ただそれだけであるのか怪しいものよ。西方願寺での戦いで、本気で相手を斬るところを見なければ、私は千手百足の一件、彼奴の謀反ととらえる」
「無駄足になろうがな、ついて来たいと言うのなら、止めはせんよ」
「たいした自信だ。いつの間にそれほど入れ込んだやら。だが奴は本当に、我等の宿願、理解しているのかな。謀られ、利用され、後々泣いても笑えぬぞ。力持つ新参であるからこそ、何を企んでいるかわからん」
「その宿願を、しょうけら、貴様自身はもちろん、理解しているのだろうな」
「無論だ。マリアが《主》をお産みになることこそが我等の悲願。《主》が此の世を秩序ある世界へ導かれることこそが、我等の悲願、我等の宿願」
「そう。秩序と調和が《在る世界》 ――― 」




 秩序とは、調和とは、何でしょうか。
 かつて在ったものを、無理矢理奪い返し、取り戻すことでしょうか。
 閉じた輪廻を、前世の苦しみを引きずりながら、永劫に巡ることでしょうか。
 管理された世界の中で、生きることでしょうか。
 妖の手で作り上げた箱庭の中で、無理矢理人を生かしたとしても、きっといつかはそれも、壊れる。

 寄せて返す波を操れはしないように、光と闇の調和は、何者かの手で紡げはしない。

 ボクは。

 今の世界が好きです。
 今の京都が好きです。
 綺麗なところだと思いませんか。
 ちょっと足を伸ばすと、まだこうして山の中、溢れる自然があって。
 人はその中で、文明を築き、時々古き良き物を壊しながら、闇を追いやってしまったりもして。
 きっといつかは、ボクがこうして愛した世界も、壊れる。
 きっと今までもそうだったように、築き上げた文明は、時の果てに埋もれて消えるのでしょう。
 ボクが伏目に作り上げた、ちょっとした妖怪たちの楽園も、いつかは、壊れてしまうのかも。

 でも、形あるものは壊れたとしても、同じ想いを、誰かが持ち続けてさえくれれば。
 きっと、同じ秩序は、調和は、また別の時代に、甦るんですよ。
 これこそが完全な反魂の術。
 紡がれる想いは、消えはしない。
 だから尊い。

 鬼童丸さん、貴方がかつて好きだったもの、壊れてしまったものは。
 今の世にはもう、全く見出せそうも、ありませんか?
 巡る季節や、吹き渡る風や、芽吹く木々や花や、森の奥のせせらぎは。
 かつて見ていたものと、全く違うものですか?

 守りたいものは、ありませんか?
 見つけられそうにも、ありませんか?

 ボクでは、そのお手伝いも、できそうにありませんか?




「 ――― しょうけらよ、その《世界》こそが、ワシの悲願なのよ」

 陰陽師でありながら妖の血を引く、かつての主に良く似た境遇の少年に出会い、心を交わし、己の哀しき執着や業をあの小さな手に委ねてしまったときから、鬼童丸の理想は既に、千年前でなく、現世にこそあった。
 目を、開かされた。
 これまでの千年、世界を導くはずの《誰か》が悲願の中心となっていたこと、本来の悲願は《世界》そのものであったこと。

 受け入れてさえしまえば、《世界》は、常に在ることを。



+++



 既に西方願寺では、戦いの幕が切って落されていた。

 百華園の池では、奴良組の河童と花霞一派の崖涯小僧が水を操りぶつけ合い、敵方の炎が味方を襲えばこれを消し去り、阿弥陀堂の前では副将の一人玉章が、手洗鬼と犬神を引き連れ、奴良組大将の多くの側近どもを引き付けて、互いに背を預けながら己等を囲んだ百鬼どもを木の葉の路に迷い込ませ、怪力でねじ伏せ、雄叫びを上げて相手を怯ませ鋭い牙が煌めき薙ぎ払う。
 かと思えば御影堂の天井で、不動能面に表情を隠した、こちらも副将・猩影が、勇ましい炎を操る閻羅童子や猿猴、おっかむろを従えて、獅子奮迅のごとき立ち回り。己の三倍はありそうな青竜刀を、猩影は軽々振り回し、奴良組で強力自慢の青田坊を吹き飛ばしたついでに、うっかり天井を打ち破ったのはご愛嬌。

 さらに場所を変え、鴻の間では、広々とした大広間を、縦横無尽に走り隠れ身構え鍔競り合いながら、漆黒としろがね、対のように色彩を違えた大将同士が互いの手勢から離れ、一騎打ちに臨んでいた。

 ガツリ、と、《祢々切丸》と《鶯丸》が火花を散らしたのは、これで何度目であろうか。

( ――― 一撃が、重い)

 舌打ち一つ。
 先に相手の刃を弾いて三間ほどの間合いを取ったのは、花霞大将の方であった。

 手勢同士を戦わせ、己の《畏》のみをぶつけ合わせる一騎打ち。
 互いに拮抗する妖刀、同じ隠形の《畏》、ならば後は潜り抜けてきた修羅場の数と、腕と、経験の差が物を言う。
 ならば、最後の一つは花霞大将に、絶対的に不足しているものだった。
 間合いを取ったつもりが目の前に迫られ、腹を蹴られて息を止め、もんどりうって上段の床にまで転がり込み、胃の中のものをぶちまけた。
 ぶちまけようにも吐くものは無く、胃液だけが喉を焼く。
 それでも一呼吸おかずに立ち上がり、握ったままの刀を構えたが、そこまでだった。
 四百年の修羅場を生き抜いてきた大妖、奴良鯉伴の前では、充分すぎる隙だったのだ。

 つい、と、喉元に切っ先をつきつけられ、弾くにも引くにも、遅すぎた。
 二代目の金色に輝く双眸が、花霞大将を睨みつける。
 花霞大将もさるもの、尚も刀は手放さず、にいと笑って見せた。

 金色と紅瑪瑙、二つの視線が交差する。
 少し離れた場所では怒号が飛び交い、消し止めきれないままに炎が何かを燃やすにおいや、不穏に立ち込める妖気が見えるほどに足元に届き、その中で、二人の周囲はやけに静かだった。
 静謐な一時、二つの真っ直ぐな視線がぶつかり合い、やがて。

「もう、やめにしねぇか、花霞とやら」

 先に口を開いたのは、二代目の方であった。

「若い頃の親父に似たその容姿、魅せる《畏》、お前が言うように親父の落胤だっていうのも頷けるし、すっかりうちの連中は信じちまってるがよ」

 この西方願寺抗争前の、見事な口上。
 花霞大将は己を、奴良組初代の落胤と名乗り、鯉伴と己と、どちらが本来の二代目として相応しいか試してみようではないかと、奴良組を挑発したのである。
 だが、今ここで、二人きりだからこそ、二代目は溜息一つで殺気を緩ませ、静かに否定してみせた。

「あのな、アレで親父はお袋べったりで、不義の子っつー奴はなかったのよ。そんな事を冗談でも口にしようモンなら、おれなら部屋の端までぶっ飛ぶくらいぶん殴られた上に簀巻きにされて軒先に干されるぜ。……まぁ、じいちゃんはお前にゃ甘いから、『めっ』くらいで済むだろうけどよ、いい加減芝居はやめて、わけを話せ。何があった、今までどうやって暮らしてた、どうして羽衣狐に下っている、それとも何か、本気でお前、てめぇが奴良組総大将の息子だって信じさせられてるとか、そういう事か。そりゃ、お前は小さかったが、おれの事少しも、憶えてねぇか、リクオ」
「………はは、剣も軍配も腹積もりも、かなわねぇなァ。流石、二代目」
「やっぱり、お前」
「悪いな、出来の悪い三文芝居だが、もう少し付き合ってもらうぜ」
「な、に?」
「幕が下りるまでオレの役は、初代の落胤、花霞一家の大将だ」

 二代目が、僅かに下げていた切っ先を、横から掠め取るようにして踊りかかった一つの大きな影があった。
 相手が誰かもわからぬうちに、無粋にも障壁画をぶち破り現われ出でた剣客の一撃、重ねて二、三の太刀を、受け、かわし、残像だけを切らせて懐に入ってから。

「てめェ、鬼童丸か!」
「久しいな、奴良組二代目」

 流石に年嵩の迫力の老剣客、花霞大将を庇うように、二代目の前に立ち塞がった。

 今までも何度か、《畏》をぶつけ合った相手である。
 二代目も鬼童丸がどういう相手であるか、羽衣狐に鵺を産ませる、宿願のためならば夜叉にも羅刹にもなる一鬼であると知っている。
 再び金色の瞳に見事な殺気を漲らせるのだが ――― ところが、この時の相手に、ふと違和感を覚えた。

 彼奴は、このように誰かを守るために戦う者であったろうか。
 このように、奥まで静謐な瞳をした者であったろうか。
 相手を下すよりも、庇った相手を気にする様子を見せる者であったろうか。

「助かったぜ、オヤジさん。そいつ、二本しか腕がないくせに、手数が多くて辟易してたんだ」
「しょうけらが来ておる。滅多なことは口にするでないぞ」
「ああ。そろそろ審判だか査定だかが入る頃だと思ってた」
「お前の働きを見届けた後、花開院本家へ向かい、人間狩りだそうだ。どうする」
「決まってる、守るさ。騙されてくれるかどうか、秋房義兄とオレの腕の見せ所だな。ここは任せていいかい」
「無論、そのつもりだ」
「 ――― おいおい、何の相談だ、おれを差し置いてお前等、いつの間に仲良しさんなのよ!待て、こら、リクオ!」

 鬼童丸の後ろで、ようやく口の中の血を吐き捨て口元を拭った花霞大将は、己の手首のあたりをいとおしそうに少し迷うように一撫でした後、紅瑪瑙の数珠を抜き、二代目へ放って寄越した。

「それ、母さんの形見」
「形、見………」
「幸せだったってさ」

 それだけ言って、駆け出した。振り返りはしない。

 一瞬、迷子の少年のように立ち尽くした二代目を、鬼童丸の一撃が現に引き戻した。
 振り抜かれた刀に、数珠を懐に仕舞う所作のまま風の湖面のごとく姿をゆらめかせ、書院を駆け出て行く息子を追おうとするのだが、これも鬼童丸が遮り、先へ行くのを許さない。

「邪魔すんじゃねぇ、鬼童丸!」
「それはこちらの科白よ。息子を想うなら、貴様は羽衣狐を倒すこと、己の女を取り戻すことを考えろ。それが息子の願いの成就に繋がる。これまで通り、花開院と手を携え、封印を施し続けよ。土蜘蛛に狂骨、そして鏖地蔵、全てを相手にして勝てる勢力など、この日ノ本には貴様等奴良組しかおらぬ。忌々しいがな、貴様がそれを投げ打てば、京都はいよいよ焦土となろう。それを息子は望んでおらん」
「わけわかんねェこと言ってねぇで、どけって言ってんだろうが!」

 ついに二代目が吠えた。
 纏わりつく、絡みつく糸のような水の中で溺れてしまいそうな、すぐそこに岸があるのに手を伸ばしても届かない、そんなもどかしさを引きちぎるように吠えた。
 何故、嘘をつく。誰を騙そうとしている。何を隠している。何を守ろうとしている。何を背負った。
 気持ちの悪い隠し事をされるぐらいなら、不吉の冷たい手で背筋を撫でられるくらいなら、どうして今まで捜し当ててくれなかったと、何故母を守ってくれなかったと、責められ恨まれ刃を向けられる方が余程ましであるのに、息子はそれさえしてくれない。
 息子の背が遠ざかる。焦り、鬼童丸を跳ね除けようとすればするほど遠ざかる。
 焦りは切っ先を鈍らせ、手の内を知り尽くしたはずの相手から、知っていたはずの業を思わぬところから放たれ吹き飛ぶはめにもなり、剣戟を重ね、ようやく二代目が鬼童丸の妨害をかわすことができたのは、不覚にも、己で先への道を拓いたためではなかった。

 空に響き渡った、しょうけらの哄笑。



  ――― 主よ、神よ、ご覧いただけましたか!
  ――― 《破軍》を使う陰陽師を、ここに、討ち取りましてございます!



 勝利を信じて疑わぬ、しょうけらと、彼奴が率いた虫どもの気味の悪い笑い声と。
 ああ、と、どこからか聞こえてくる悲憤、絶望の嘆きと。

 これが聞こえてきたその時に、鬼童丸は自ら刀を納め、二代目を忘れたように導くように背を向けて、先んじた花霞を追い駆け出したのである。
 ようやく拓けた道を、溺れるようにもがき進み、二代目が見たものは。



「よくやった、花霞。花開院どもの生き胆を持参したとなれば、マリアもお喜びになろう」
「お褒めに預かり光栄、とでも言えばいいか?まだまだ足りねェよ、こんなモンじゃ斬りたりねェ」
「クククククッ……ならば、私についてくるがいい。陰陽師狩りだ。花開院を根絶やしにする。花開院の血肉を、マリアに、主に捧げるのだ」



 片手に血塗れの《鶯丸》を握り、片手にだらりと力の抜けた陰陽師の娘を引きずって、闇の言祝ぎを受ける、花霞の姿であった。



 式神《破軍》と、妖刀《祢々切丸》。
 この二つが、羽衣狐を下し、山吹乙女を取り戻すに必要なもの。
 さらに今回の京都抗争の目的には、二代目がかつての妻を、愛した女を取り戻すのだという仁義があり、かつその構図は、四百年の昔に初代総大将が愛した女を守るために大阪城へ乗り込んだあの日と、そっくりそのままであった。

 違いがあったとすれば、二代目が率いる気のいい奴等は、奴良屋敷の庭で明るい声をたてて遊んでいた若君もその御母堂の人の娘も、決して忘れたことはなく、この荒れた京都のどこかにいらっしゃるらしいと噂を聞いて以来、口にはしなくとも皆が心の隅っこで、あの愛くるしい若君が成長された姿で目の前に現れてくださるのではないか、我等を頼って下さるのではないかと期待していることだ。だからこそ、雪女が若君を血眼になって捜しているのを、彼女一人に捜索をまかせきりでいるのを後ろめたく思いこそすれ、二代目の側に仕える近侍たちに、笑う者は決してなかったのである。

 彼女から、花霞大将の名と、彼が若君捜索に手を貸してくれるらしいと聞いていた側近たちは、花霞大将の微妙な立場も、考えれば理解できるような心もちをしていた。
 京都の封印が弱まり、古参の妖怪どもが溢れかえるまでは、花霞大将こそが京都の若い妖怪たちを率いて、睨みをきかせていたのだと言う。四百年前から羽衣狐に仕え、権勢を知っている者ならばいざ知らず、近代化する日ノ本の国で生まれ育った妖怪たちは、血筋家柄に拘る者も少なかろう。それが突然、羽衣狐様が復活なされたからさあ下れと言われても、納得できるはずもない。裏で奴良組に取り入ろうとするのも当然だと、ほんの少し同情と、仲間意識さえ持ち始めた輩もあった。

 今、この時までは。

「何だよ奴良組、この程度か。他愛ねぇ」

 式神《破軍》と、妖刀《祢々切丸》。
 ――― 羽衣狐を下し、山吹乙女を取り戻すに必要なもの。

 その片方、式神《破軍》を操る陰陽師の少女、花開院ゆらを斬り伏せ、その細い腕を握ってだらりと引きずる花霞大将を、見るまでは。

「切り札の小娘一人守れねぇで、羽衣狐を倒せるわけがねぇ。こんなんなら、裏で日和見する必要もなかったか」
「花霞、貴様!」
「裏切るか!」
「裏切るも何も、勝手に信じたのはそっちだろ。オレは勝った方と仲良くやるだけさ。今は羽衣狐と仲良くしたい気分だな」
「お、おのれェ……」

 ぎりぎりと歯噛みする奴良組を鼻で笑い、勢い余って飛び掛ってくる者どもを薙ぎ払い、鉄扇から広げた花弁の炎で威嚇すると、花霞大将は不動能面の副将を呼び寄せ、その腕に件の少女を託した。

「かろうじてまだ息はある。活きのいいうちに、羽衣狐に ――― 羽衣狐様にお届けしろ。《破軍》の使い手の少女の生き胆となれば、鵺を産むのにこの上ない精力になるだろうよ」
「大将は、陰陽師狩りの方かい」
「ああ。あっちを片付けて、まだ腹が減ってたら、そっちへ行く」
「そう、欲張るんじゃねぇよ。何ならあとは大将らしく、高みの見物でもしてやがれ」
「頼もしいねェ、うちの子分どもは」

 青白い炎が逆巻く壁となり、奴良勢と花霞勢を分けた向こうで、少女は胸元にじわりとどす黒い血を滲ませ、気を失ったままである。
 失われてしまう。
 失われてしまう。
 切り札の一つが失われてしまう。
 この焦りこそ、奴良組の者どもの心を真に一つにした。

 若君が見つかったなら、その御母堂が見つかったならどう勢力を割いてお守りしようかなどと、見つかればいい、けれど見つかったならそれ相応の負担になるであろう憂いを忘れ、ここで初めて、羽衣狐を倒すことのみに心を一つにした。

 しょうけらと共に花開院家へ向かう花霞大将とその手勢を、彼等は捨て置いた。
 後々、八つ裂きにする機会はいくらでもある。
 あの綺麗な顔が苦悶に歪むところを見るのは後の楽しみに取っておいて、まだ生きているのならば、副将が浚った《破軍》の少女を取り返す方が先だ。

 考えるよりも先に心が彼等にそう命じ、他ならぬ我等が百鬼の主の御為に、皮肉にもその主の命令が無いまま、花霞の副将の手勢を追うことにしたのだ。
 奴良組の妖怪どもは一つの大きなうねりとなり、竜巻のように空へ舞い上がり、その時ようやく書院からまろび出た二代目の静止など、最早彼等の耳に届かなかった。



 追え、追え、あの不動能面の猿を追え。
 指先が届いたなら爪を引っ掛けろ、そのまま毛皮を剥いでやれ。
 羽衣狐を倒せ、羽衣狐を倒せ、羽衣狐を倒せ。



 頭に血が上った彼等の中でも、ふと、おかしいと思う者はあったが、いつも真実の小さな声は、大きな雷にかき消されてしまうもの。
 まるであの深灰の大猿は、我等を先導しているようではないか、と。
 あの姿、どこか古参幹部の狒々に似ていないか、と。
 少し立ち止まって考えてみれば、たやすく解ける綾であっても、ここまで群れた一つの力となればそれも難しい。さらに言えば、一つの巨大な矛となった奴良組の勢いは留まるところを知らず、彼等こそが大妖怪を討つための鉄槌へと姿を変えていた。



 西方願寺のあちこちでは、取り残された手勢同士がまだ騒いでいる。
 巨大なうねりが次なる螺旋の封印の場所、鹿金寺に向かったのを肌で読み取ったものの、もう動いてよいものか、それともまだ倒れていなければならないものか判じかね、さっきから頬についた土埃を払いたくて仕方ないのを我慢しながら目を瞑っていた一人の若い陰陽師は、頭をむぎゅりと故意に草履で踏みつけられ、

「痛いよ竜二!」
「何だ、どうして俺だとわかった、マミル」
「こんな手加減の無い起こし方するの、竜二くらいだ」
「いつも鴨居にぶつけて可哀相だから、ちょっと縮ませてやろうと思っただけだ、礼はいらん」

 ようやく頬を払って長身を起こした。
 竜二の漆黒の着流しに対するように、魔魅流は他の者と同じように、白地の狩衣を纏っている。

 彼等もまた、ゆらと同じように、しょうけらの前で花霞大将と戦い、《鶯丸》で斬って捨てられたはずであった。その証拠が、今も白い狩衣の胸元に、べったりと赤黒く残っている。
 一刀のもとに斬り伏せられ、派手に黒い血を噴いて倒れた後は、妖怪どもに忘れられるまで転がっていたのだが、花霞もしょうけらも、僅かな手勢だけを残して行ってしまうと、彼等を含めた陰陽師たちは、一人、また一人と起き上がり、土埃を払って集ったのである。
 ゆらを守るように集った、本家仕えの陰陽師を含め、その数三十余人。
 最後まで倒れたままでいた魔魅流が身を起こすと、既に皆立ち上がり、竜二を中心にして次なる指示を待っている。
 ほんの少し、妖気で火傷をした者や、本気の蹴りを脇腹に入れられ、隣の者の肩を借りる者もあったが、概ね、無事だ。

「動けない奴、戦えない奴はここに残れ。次はいよいよ狐退治だ、甘く見ると泣きを見る。足手まといになりそうな奴は離脱しろ」
「いや、行ける」
「私もだ。ここまで来て下がれるか」

 皆、衣を染める血に対して、不自然なほどに元気だ。
 整然とした動作で竜二の指示に従い、妖怪どもが妖術合戦に夢中になっている隙を見計らって、用意してあった楔を、要の場所へ見事、打ち込んでしまった。

 カツ ―――― ン!

 怨念逆巻く洞へ、注連縄を巻いた白木の楔を打ち込むと、京の天を覆うほどに荒れ狂っていた黒雲がすうと晴れ、西方願寺本来のしんとした静けさと、恨み辛み全てを受け入れ許し給う、阿弥陀如来の気配が立ちこめ、妖怪どもは急に訪れた明るさに、おおと目を覆ってたじろぐ。
 明るさに慣れていない京妖怪どもの反応はとりわけ顕著で、眩しさにまず目をやられ、続いて肌が爛れ、泡を食って退散した。

 弐條城へ逃げ帰る、羽衣狐の手勢どもを、奴良組の手勢は先んじた同胞も先にいることであるし、追って挟み撃ちにしてやろうと地を蹴り飛び立とうとしたが、

「待ちな、おめーら。大将置いて先走るんじゃねぇ」

 他ならぬ、彼等の大将がぶらりぶらりと遊歩のような足取りで、要の楔の元へ近づきながら参られたので、はっと我に返ってそこに控えた。

「陰陽師が騙しのプロってのは知ってはいたが、竜二クンとやら、あのしょうけらを騙すたぁ、見事な手口じゃねェか。斬られた振り死んだ振りなんざ、今時、御山の熊の仔だってそうそう引っかからないだろうによ、うちの組のモンもすっかり目ぇ血走らせて、大将の御為にって免罪符掲げて飛んで行っちまったよ」

 じゃり、じゃりと、土を鳴らして歩んでくるのは、肩に《祢々切丸》を担いだ奴良組二代目だ。
 伏目稲荷から、竜二とゆらを中心とした花開院陰陽師と手を組み、一つずつ螺旋の封印を施して、ここまでやってきた。往々にして気のいい男であるし、この男が憤怒の形相を見せることがあるのかと思うほど、羽衣狐の軍勢を前にしても、たいていにたりと猫のように笑っている。
 ところが、だ。
 今ここでは、形ばかり笑っていても怒気が見える。
 妖気が晴れたこの場所で、金色の瞳は元来の、新月のような黒真珠に戻ってはいたけれど、それでも、男の周囲にぱりぱりと緊張した空気が震える様が、見えるかのようだった。

 さらには男の脇を固めるように、鋼のような綾糸を構えた首無が。
 逆の脇に、しどけなく肩を出し扇で口元を隠しながら、髪をうねらせる毛倡妓が。
 二代目と同じく、怒気を隠さぬ瞳で陰陽師どもを睨んでいた。

「どういうつもりだ」

 我等百鬼の主の御為に。
 想いを逆手に取られて、いまや怒りの矛となった奴良組勢は、羽衣狐を倒すことしか考えていない。
 逆に言えば好機だ。この上ない士気の昂ぶりだ。
 同時に、それまで持っていたはずの、あの大切なものを捜さなければという、ほんの少しの箍が外れた。

 それが判らぬ二代目ではなかった。
 あれほどまでに百鬼が荒れ狂ってしまえば、己の手綱など引きちぎり、もう何を言っても立ち止まることはあるまい。

「 ――― 赤三に対し、緑一でこの色になる。言言に混ぜると迫力が増してな、ウチじゃ昔からの悪戯の手口だ」
「悪戯のタネを明かすなら、もうちっとわかるように言ってくんねぇかなあ、坊主。そろそろ種明かししてくれねーと、オジサン焦れて怒っちゃうよ」

 やはり、にたりと笑ったまま、竜二の喉を鷲掴み。

「こっちのオニイサンみたいになりたくねーだろ」
「二代目、子供相手です、少し手加減されては」
「首無ィ、陰陽師の手は商売道具だ。お前さんこそ、うっかりその糸で千切らんようにしてくれよ」

 竜二の間合いに二代目が入ると同時、陰陽師どもとて懐から呪符を出し印を切ろうとしたのだが、それより首無の糸が彼等全員の指を絡め取る方が早かった。

「 ――― 種明かしをさせるなら、首……ッ、締めるなッ」
「だって竜二クン、嘘つきのプロだろー。そういう相手にはさ、本当の事言う暇しか与えない方がいいかなって」
「こンの……ッ、この調合、考えたのは、……リクオの奴だよッ。この芝居、も」
「リクオ様?やっぱり若様が、いらっしゃるのね?」
「どこだ、どこに」
「花霞大将こそが、リクオ。別れたときから姿はずいぶん変わってるが、そうだな」
「……そう、だッ。はな、せ。息がッ……」

 竜二の足が、土を離れる。
 二代目の腕に爪を立てるが、大きな手はがっちりと竜二の喉に食い込み、離れない。

「お前等花開院は、そのリクオを知っていて、通じている。だが羽衣狐の手勢どもは、リクオが花開院と通じているのは知らない。おれたちがアレをリクオと知らないようにな。で、ええと、その血糊はお前さんたちの悪戯の道具だったってことは、それくらい昔っから、リクオは花開院で世話になってたってことか?」
「そうだよ、親分さん。竜二とゆらとリクオは、僕、花開院に養子に入る前から幼馴染なんだ。昔は、ええと、今もだけど、普通の人間の子供だったのに、八歳の頃だったかな、その頃から夜や祟り場では妖に化生できるようになったんだよ。それが、あの姿。僕達は明王姿って呼んでる。教義上、妖を認めるわけにはいかないから。羽衣狐の手下達には、リクオは自分の名を花霞としか名乗っていないし、あの姿しか見せていないから、何か企んでいると疑ってはいても、僕達の繋がりは知らないんだ。ねえお願い、親分さんに隠してたのも、リクオがその方がいいって言うからなんだ、竜二を放してあげて」

 肺の空気を使い果たした竜二が、話すどころではないのに代わり、気の弱そうな魔魅流がまくしたててようやく、二代目の怒気が少し収まった。
 ぱっと竜二の首を離し、げほりげほりと噎せこむところを尚見下ろして、首を傾げた。

「その方がいい?何だ、どうしてそうなった。何を隠してる」
「何って……その……」
「マミル君だっけ。君と竜二クンとどっちが肺活量あるかな」
「こんな事してる場合か、奴良二代目……ッ。アンタの今の目的だけでも、相当な、無理難題なんだろ。羽衣狐の依り代となった娘を取り戻して、羽衣狐を倒す、なんざ。まずは、それだけに集中しろよ」

 どうにか息を整えた竜二が、二代目が魔魅流に手を伸ばす前に、奴良組百鬼の目的を目の前に引きずり出した。

「羽衣狐を倒し、鵺復活を妨げ、かつ、貴様の女を取り返す。そのためには螺旋の封印を施す必要がある。そうしないと弐條城は、怨霊の守護に閉ざされたままだ。そうだろう、違うか!」
「だから、その為にこうして竜二クンたちと一つずつ面倒くさくても寺社巡りをしているわけで」
「だが、その面倒な寺社巡りツアーのありがたみがわかってないようだな、二代目。花開院の早世の呪いは、羽衣狐復活と呼応するように強まり、この二、三年で、花開院の血を少しでも引いていれば次々倒れ伏した。封印が破られた後、新たに封印を施す血がなければ、封印の術を伝える血脈が絶えていれば、新たな封印も叶わない。まさにそうなる寸前にまでなった。
 二代目、アンタは俺達がこうして立って歩いて動いてるのを普通だと思ってるらしいが、俺は二年前、一度は床から離れられなくなった身だ。呪いってのはそういうモンだ。死に絶やす事が本意なんだ。苦しめる事じゃないんだ。それがどうしてこうやって、たって歩いて動いて、アンタと一緒に寺社巡りやってられると思ってる。本当なら、アンタは螺旋の封印に手出しもできず、弐條城の前で鵺が生まれるのを手をこまねいて見ていたかもしれんのだぞ」
「竜二、それ以上は、もう。らしくないよ。やめよう」

 嘘を重ねるのは、嘘の方がまだ優しいからだ。
 目を覆っていれば、見ずにすむからだ。
 陰陽師が真実を口にすれば、言葉を受けた心は血を流す。
 だから封じている、だから言わない。

 それにも限界がある。何より、竜二は耐えるには若すぎた。
 いつになく竜二の言葉が鋭いと気付いた魔魅流がおさえるが、一度組み立てられた言葉は、もう取り返しなどつかない。

 羽衣狐の呪いが増した京都で、花開院が動き回っている事実。
 背筋を撫で回していた不吉が、今こそ二代目の首をくくり、そのまま締めてしまいそうだった。
 長きに渡って妖怪どもと抗争を続けてきた二代目には、これまでの材料で、あらかた察してしまったのだ。

「身代わりの形代 ――― そんなモンじゃ、奴さんの呪いは解けやしねぇ。何だ、花開院ども、貴様等、何を、身代わりにした」
「身代わりにしたも何も、気付いたらあいつが勝手に自分に術をかけてやがった。自分で自分の身に、狐を封じ込めてたのよ。それは人間用の呪いだから祟り場で明王姿でありさえすれば、早世の呪いは無効化できるって言ってな、一族全員の分を、ご丁寧に」
「夜か祟り場っておめぇ……このまま螺旋の封印なんぞ施してたら、京都一帯聖域じゃねーか。化生もへったくれもなくなるんじゃねえのか!人間に戻れば ――― 呪いが解けても、受けた傷が癒える前に死んじまうだろう!何で、どうしてそんな事させやがった畜生!」
「阿呆かアンタ!他の奴等が身代わりにしようなんぞと企んだら、そいつの方こそしばいた上に俺の呪いを腹いっぱい喰らわせたるわ!貴様に俺の絶望がわかるか、こいつだけは早世の呪いなど関係はないと高をくくっていたら、目の前で血ィ吐きやがったアレを見たときの絶望がわかるか。日に日に持ち直していく自分の体が、嫌で嫌でたまらない。アレは悪戯したときと同じ顔で笑っていやがる。たかだか四年ぽっち、子育ての真似事しただけて父親ぶるな!てめーなんざ肥溜めに落ちたガキども洗ったこともねーくせに!何でどうしてと訊くなら俺が訊いてやる、何であいつが一人で泣いてるときに来てやらなかった!
 遅いんだよ、これから手を打つには、何もかも。
 道は二つに一つ、選ぶだけだ。
 螺旋の封印を施すための駒、それが花開院。駒を守ったのはリクオだ。アンタが駒を従えて、弐條城に入り羽衣狐を討ちやすくするため。すなわち、京都や花開院を ――― 京都という、花開院という箱じゃねえ、人が住む町、アレの家族、そういう《世界》を守るためだ。アイツはそれを望んでいる。自分の力では足りないから、アンタを利用する道を選んだ。利用されてやればいい。今まで通り進めばそれでいい、これが一つの道だ。
 道はもう一つある。引き返せばいい。行かなければいい。螺旋の封印を投げ打てば、京都はまだ祟り場のままだ。しかし弐條城には入れない、アンタは当初の目的と、ああやって勢いよく攻め込んで行った手勢をいくらか失うだろう。アイツが望んだ《世界》も、好きだった街も人も、壊れる」

 さぁ選べ、と、漆黒の陰陽師は残酷な真実を突きつけ迫る。
 彼の嘘は卑怯で優しく、彼の真実は妥協を許さず厳しく残酷である。

 息子を贄として、息子の願い通り先へ進むか。
 息子の命を惜しみ、息子の嘆きを承知で後ろへ下がるか。

 選べるはずも無い。たった今、ようやく、そうと知ったばかりだ。

 先ほどまでの怒気はどこへやら、側近に支えられなければ、二代目はその場に崩れてしまいそうだった。
 ぐらりと眩暈がした。
 何か言わなければと思うのに、足をどちらかへ踏み出さなければと思うのに、前にも後ろにも足場が無くて、どうにも覚束ない。

「 ――― なるほど、隠さなくちゃならねえはずだ」

 ようやく呟く。嫌な汗が頬を伝った。

「首無、毛倡妓、今の話は他言無用だ。リクオが騙したかったのは、羽衣狐どもだけじゃねえ、奴良組もそのうちだ。確かに、この話を聞いちまったら、士気なんぞ昂ぶるものも昂ぶらねぇ、戦う前から負けたようなもんだ。それよか、騙してくれてた方が、よほどありがてぇや。
 ゆらちゃんを餌にして奴良組を引きつれ、ゆらちゃんは生贄の振りして羽衣狐の懐に潜り込む。あの副将はリクオの腹心だろう、だったらあれは連れ去ったんじゃねえ、ゆらちゃんを、守ってるんだ。中に忍び込んで騒ぎを起こせば、外から切り崩すも容易い。 ――― ははあ、よく出来た算段だよ、まったく、ひでぇ冗談だ、奴良組が京都に入る前に、お膳立ては全部済んでたってわけかい」
「二代目 ――― 」
「どう、されるおつもりです?」
「……首無、毛倡妓、お前等、リクオを追って花開院本家を頼む。トチ狂って花霞一家に喧嘩をしかけるような奴良の手勢が顔を出さないとは限らねぇ、もしそんなのがいたら、わけは後で話せばいい、とりあえず、ふん縛っとけ。おれは先へ進む。最初からそれが目的だった、ぶれるわけにはいかん。
 それによ、折角、おれの力をあてにしてくれたんだ、応えてやらねぇと、ならんだろ。踊ってやるさ、あいつがそう仕組んだ碁なら、あいつの勝ちで投了してやるとも。
 けどな、陰陽師。妖怪ってのは、欲深くてねぇ。二兎を追って二兎を得るのが大好きなのよ。
 踊り終わったら、近場の祟り場を探してあいつを放り込む。掻っ攫うから、そのつもりでな」