姦姦蛇羅を祓い、件の家から花開院家の窓口として謝礼を受けたのは、花開院ゆらだ。
 彼女が準備を行い、彼女がおびき寄せ、彼女が祓ったのであるから、花開院家の記録にもそう残るだろう。長年、日本の祓い師、呪い師たちを悩ませた妖が一体減ったのだ、花開院ゆらの名は、次期当主候補という肩書きと今回の手柄とともに、日本の裏世界を震撼させるに違いない。

 ゆらとリクオでの当主争いを画策した竜二としては、満足な結果だ。
 帰りの車の中、助手席で報告のメールを打ち終えた後、満足げに頷き、珍しく機嫌良さそうに薄い笑みを浮かべた。

「ひとまず、花開院ゆらが当主候補として大妖退治をした、という体裁は整ったわけだ」

 対して、後部座席でリクオと並んだゆらは、腕を組み不満げだ。それだけではない、釈然といかぬものがあるらしい。
 前の助手席の手をぼすぼすと、細い足で蹴りながら、考え込むように腕を組んでリクオに話を振った。

「……うちは納得がいかん。たしかに、うちは姦姦蛇羅らしきモンを滅ぼしたけど、アレは抜け殻やないか。それに、何やの、あの抜け殻は。中身が無くなっても動きだそうとしはってたやん。気色悪いわぁ。あんなん、うち、初めてや。リクオはどないやの、あんなん、たまにあることなん?」

 ゆらの隣で、リクオは行儀よく座っていた。
 こちらは姦姦蛇羅を祓った後から、元の華奢な人の姿に戻って、竜二をほっとさせている。
 ナオキの呪いを半分肩代わりし、穢れを身に取り込んだことで、昼の間でも半妖化し、人間の姿では妖に劣る体術面を補ったのだとリクオに説明を受けて納得もしたが、半分とは言え、またしても己を贄にするような真似をしたのは誉められたものではない。何より、リクオがあのようにすらりと背が伸びて、猛々しくなるのは、あと数年、いやあと十年先で良いと思ってしまう竜二だった。

「ボクも、あんなことは初めてだったよ。きっと、例の圓潮の声、あれが何か作用していたんだと思う。姿はなかったけど、いったい、どこに隠れていたんだろう。何をするつもりだったのかな。奴良組が、百物語組の場所を突き止めるよう、働いてくれてるって言うけど、その後、成果はあがってないって言うし、なんだか、嫌な気分だ。あの黒い虫たちは、まるで圓潮の言葉に合わせて、語っている妖を定義しようとしているみたいだった。定義した内容で妖を縛り付けて、それ以外の事をできないようにしてるみたい。あらかじめ決められた思考の輪の中に閉じこめて、手駒にしようとしている。そんな感じだった。いったいどこで、何をしようとしてるんだろう………」
「フン、何をしようとしているかはわからんが、どこに居るのかについては、奴良組が嗅ぎつけるより先に、俺の方が見つけちまったかもな」
「え?」
「竜二兄ちゃん、いったいどこで見つけたん?!そんな暇あったらうちの宿題手伝ってくれたってええやん」
「阿呆。見つけたのはたった今だ。姦姦蛇羅の話もその名も、知る者しか知らん。あの依頼人たちにも、かたく口止めをしてきた。だと言うのに……見ろ、二人とも」

 竜二が後ろに差し出したのは、自分のスマホだ。
 大型掲示板のオカルト板らしい。

 その中でも、「これは怖い」と指示されている話が ―――

「………姦姦蛇羅。その話が、ネットに出回ってるんか?いつからや?」
「つい最近の話だ。これは俺の推論だが、あの圓潮という奴、ここに潜んでいるんじゃないだろうか」
「ここ?竜二兄ちゃんのスマホ?」
「阿呆。お前の首から上は飾りか、ゆら。脊髄反射頼りでは当主の座は手に入らんぞ」
「………まだ地図も作られていない、広い場所。ネットの世界に圓潮は行ったって、そういうこと?」
「あくまで推論だがな。だが、考えてもみろ、このインターネットという奴は、環境さえあればどこからでも目にすることができ、真実だろうが嘘だろうが、地球の裏柄からでも知ることができる。妖怪という奴等は、恐怖だの好奇心だの、人間のそういった心の動きを動力源にしているんだろう?寺社、聖地、そういった場所で動けず待っているより、効率よく《畏れ》を集められるのではないだろうか。人間には、確かめる術はないが、リクオ、どうだ、奴良の二代目なら何か方法を知っているのではないか」
「うん、帰ったらすぐにでも、訊いてみる」
「では、この話はここまでだ。ときにリクオ、お前に一つ訊いておきたいのだが」
「うん?」
「お前、あのナオキという奴に、どういう術をかけた?」
「術?」
「あいつが目を覚ましたときに、ずいぶんとお前を恐怖していたようだが」
「そう?」

 甘露を含んだような笑みを浮かべて、平成の京の主は、素知らぬ顔だ。



 祓いが終わって、あの家を再び訪れると、ナオキは大きな鼾をかいて眠っていた。
 痛みが消えて、三日ぶりに眠りにつくことができたのだ、無理もない。そこを両親が何度も揺さぶってやっと目覚めたのだが、目をぱちりと開けるや、悲鳴をあげて周囲の者たちを驚かせた ――― いや、驚かない者が、一人だけ居た。皆の後ろからナオキを見守っていた、リクオだ。

 ナオキは血走った目を見開き、リクオを見つめてワナワナと震えだし、ゆらや竜二が、呪いの大元を祓うのに成功したことを報告しても、ひたすら、怯えるようにリクオを見つめるのみで、まるで耳に入っていないようだった。

 すみません、まだ混乱しているのだと思います。

 かわって母親が、何度も三人に頭を下げ、三人は家を後にしたのだが、去り際、リクオがこう言ったのが、竜二には引っかかった。

 それでは、ナオキさん、ボクはこれで失礼します。
 どうか《約束》のこと、お忘れにならないでくださいね。

 謝礼のことか、それとも何かしら、一人でここを訪れたときにした話があるのかとも思ったが、それにしては、あのナオキの怯えた様子はどうだ。
 淡く微笑むリクオに、母親はたいそう感じ入って深く礼をしていたが。

 ――― 《約束》

 そう言われたときに、ナオキは再び、悲鳴をあげた。



「お前がそういう顔をするとき、たいてい何かを隠している」
「そうだったっけ?」
「で、何をした」
「ちょっと、悪い夢を見てもらっただけ。ボクの依頼人は、ナオキさんのお母さんだもの。ナオキさんだけじゃない、ナオキさんのお母さんが救われないと、ボクの仕事は終わったことにならないから」

 竜二は時折、リクオをおそろしく思う。
 以前も何度かあったが、今もそうだ。弟の全てを知っているわけではないし、妖の主だの明王だのと名乗る以上、泥を被る真似もするのだろうと、想像もつく。
 だが手段は見えない。
 己が痛みを被るのも、贄のように扱われるのも厭わない弟だから、人として蔑まれるような手段すら、時には使うことだろう。そのたび、妖の道へ踏み込んでいくような気がして、ならない。

「それで、お前の仕事は、うまく終わりそうか」
「わからない。こればかりは、人の心のことだもの。こんなに怖い思いをしたって、それを忘れてしまって同じことを繰り返さないとは、限らないでしょう?」
「そのときは、どうする」
「どうする、って。さぁ………その時、考えるよ」
「そうか」

 どうするかなど、既に決めているだろうに、にこりと笑ったまま、弟は嘘をつく。
 そういうところは学ばなくて良いんだが、と、竜二は口の中で呟いた。

 優しいその手が九十九の悪人の命を抉ったことを、竜二は他の兄妹たちと同様、知らないことになっている。
 知らないはずのことを持ち出すわけにはいかないので、引き下がるのだが、人の身でどうにもならないことを、どうにかしてくれと願われているうち、弟がどんどん人でないものになっているようで、気が気でない。

 あの少年、たしかに評判は良くなかった。
 家庭内暴力、学校での悪質な虐め、スーパーでの万引きや夜間の器物破損は日常茶飯事。人殺しをしていないだけマシだが、それも時間の問題だろうといわれている始末。今回のことがあったのも、悪行三昧の息子に愛想が尽きた真面目一本の父親が、本当に人ならざるものがあるのなら、恐れを知らぬ息子に何かしら罰を与えてくれることだろう、それで心を入れ替えてくれるのならよし、罰ゆえに命を落とすことがあっても、もとより息子は死んだものと思わんと、突き放した結果だった。
 父親の思惑通り、あの少年は人ならざるものを見、痛い目を見た。

 だが、それで心を入れ替えるかとなると、そうは限らないのが、人間という生き物。
 その場のみ心を入れ替えた様子を見せ、あるいはその時は本心より心を入れ替えようと思ったとしても、年月が経てば記憶は薄れる。
 繰り返される日々への安堵が、入れ替えたはずの心に、再び緩みをもたらすことがある。
 人ならば、そこまで長くは見守れぬ。
 だが、妖ならば、明王ならば。
 約定は、絶対だ。
 リクオはこの先、あの少年と母を、陰ながら見守っていくのだろう。
 縁とはそういうものだ、一度紡がれてしまうと、無かったことにはならない。

 既に竜二は、リクオにやり方を変えさせることは、諦めている。
 花開院にまつわる陰陽師の家柄で、唯一、市井に広く門を開いた陰陽師の一門として、花霞は広く知られ過ぎた。今更、門を狭くしたところで、リクオにすがろうとする者はあり、リクオはそれに応じるだろう。
 せめて、リクオの手が悪人のものとは言え、血に穢れていくのはやめさせたいのだが ――― 知らぬはずのことで、咎められるはずもない。

 そうか、と、竜二はもう一度頷き、リクオはそれに申し訳なさそうに、

「竜二お兄ちゃん、ごめんね、心配かけて」

 そう応じる。
 するともう、竜二には重ねられる言葉が無い。

 ところが、ゆらは、竜二とは違う。
 知らないふりなどできない彼女は、やはり何も知らぬままだし、だからこそリクオに妹として愛されもする。彼女はときにそれでいて、知らぬままであるのに、本質を見抜く。

「………やっぱり、なんや、納得がいかんわ」

 着いた本家で車から降りるや、開口一番。
 くるりと振り返って、リクオと向き合った。

「あんな、リクオ。うちはやっぱり、アンタとやり方が違うと思う」
「うん」
「うちが祓った姦姦蛇羅は、抜け殻や。アンタが今回懐に入れたモンの方が、本物の姦姦蛇羅で、あの家の兄ちゃんを呪ってたんとちゃうのか?」
「確かに、呪いをかけていたのは、彼女に違いないと思うよ」
「なら、うちはそいつを祓わなあかん」

 強い、妥協を許さぬ口調だった。
 新月の夜のような黒い瞳に、門前に焚かれた篝火の炎は反射して、綺羅と輝く。
 リクオもまた、門の前でゆらと向き合い、まっすぐに視線を受け止めた。

「呪いは解けた。彼女を祓う必要は、無い。今後、彼女が道を見出さず堕ちるようなことがあれば、その時こそボクが祓う」
「普段ならそれでええねんけど、今回はうちが任された祓いや。たしかに、呪いは解けたし、アンタんとこにおる限り、やたらめたらと人を呪い殺すこともなくなるんやろう。けどな、リクオ、それは別に、今まで呪い殺してきた分が、チャラになるとちゃうんやで」
「そうだね」
「その分、またアンタが背負うんか。本心から悔いて、今後は一切呪わずにいると心を入れ替えれば、これまで呪い殺してきた分は赦すって、そう言うんか?」
「赦すよ。罪の重さを決めるのは、ボクたちの仕事じゃない。そうでしょう?」
「お人好しやわ。うちはそういうの、好かん。だいたい、次から次とそうやって、人でないモンを次々招き入れて、あの屋敷がどう言われてるか、知らないはずないやろう?」
「妖怪屋敷、でしょ?いいじゃない、本当のことだもの。ねえゆら、間違えたときに、やり直す機会はあって、良いと思うんだ。もちろん、それがならず、また人を害するようなことがあれば、その時はボクが責任を持つ。二十七代目にそうお約束申し上げていることだよ」
「おじいちゃんとリクオがそんな約束したの、ずいぶん昔のことで、その時はうちはようわからへんかったけど、責任を持つって、何や。命と引き替えって、そういう意味にとれる。アンタが抱えてる無数の妖怪どものうち、一匹でもまた人に害を為し始めたら、アンタも他の妖怪どもも一蓮托生、此の世から消え去るって、そういう意味なんとちゃうの。うちはそんな危ない賭け、許さへんよ。そんな、危ない妖怪を新しく抱えるなんてことは、リスクを大きくするんと同じことやないか。
 うちはな、そんな妖怪どもより、アンタの方が大事や。危ない妖怪なんざ、祓ってもうた方が安心や」
「ゆららしいね。……ゆらは、それで良いんだと思うよ」
「なら、さっさとその姦姦蛇羅、うちに引き渡せ」
「断る」

 両者、一歩も譲らない。

 二人の対峙に気づいた竜二も、振り返りはしたものの、止めはしない。

「………アンタは、優しすぎる。姦姦蛇羅に憑かれたボンクラ兄ちゃんの事かて、最後まで面倒見んでもええんや。後のことはあの家の問題で、アンタが面倒見ることとちゃう」
「面倒なんて、そんな、僭越なことは」
「してへんとは、言わさへんよ。他の誰が気づかへんでも、うちはわかる。あのボンクラ兄ちゃんが起きる前、アンタのニオイがした。ふわっとあったかい、春の匂いやった。後ろ暗いモンにとっては、悪夢へ誘う香りになるって、そう言ってたのは、他ならぬアンタやで」
「よく、覚えてるね」
「小さい頃は、新しい妖術使えるようになるたびに、うちに色々見せてくれたやんか。あの兄ちゃんが、えらい怯えた顔して起きはったから、妙な夢見せたんやろうと、察しもつく。いったい、何をしたんや」
「少し、怖い夢を見てもらったって、さっき竜二お兄ちゃんにも言ったでしょ。なんだかあの人、同じことをしそうだったから」
「なんでわかる」
「………《味》?」

 妹をからかうように、くすりと笑ったリクオの言葉は、何かの例えだろうか、例えであってほしいと、聞きに徹する竜二が否定したがるのとは裏腹、ゆらは直感で、それが真実だと見抜く。
 弓なりの眉がつり上がり、いつも眠たげに細められている瞳が、猫のように見開かれて、リクオを見る視線が、厳しくなった。

「いつからやろうな、アンタがうちにも、妖術を見せたがらんようになったんは」
「使えるようになったばかりの頃は、本当に、ほんの子供だったもの。楽しくて、色々使ってみたかったけど、そんな風に見せびらかすのは恥ずかしいって、思うようになったんだ」
「若菜さんが死んでからやったと思う」
「…………せやった?」
「アンタが陰陽師になって、封印鎮護なんて引き受けたんは、若菜さんを助けるためやった。若菜さんが死んだときな、うち、不思議やってん。なんでまだ、リクオはいてくれんのやろうって。なんでまだ、リクオは陰陽師やってんのやろうって。アンタは昔からそうや。全部背負いたがる。
 アンタが羽衣狐に取り入るために、何をしてたのか。うちにはようわからへんかった。家の大人たちに訊いても、わからへん言うてはった。けど違うな、みんな、知らんふりをしてただけやな。知らんふりをせなあかんような事を、アンタはさせられてたんちゃうか」

 人間の世界でも、麻薬の密売組織を一網打尽にするために、捜査官が密売組織に入ることがある。中に入るだけではいけない、そこで信頼を得るためには、非合法な行いにすら、手を染めることがある。
 それがわからぬ、ゆらではない。
 わかる年になったからこそ、自分が何もわからぬ幼い頃、本家の娘よ破軍使いよとちやほやされていた脇で、弟が手を血に染める行いで足場を固めていた事が、許せない。外道の行い、悪鬼の行いを厭うていながら、いざ己等にうまみのある事ならばと、目を閉じて知らなかったことにしている、大人たちが許せない。

「うちは許さへんよ、そんなこと。うちが当主になったなら、隠し事なんて、全部、なしや」
「ゆら、全部が全部、明るみに出しておさまる事ばかりじゃ、ないんだよ。闇を引き受ける者は、必要なんだ。ゆらにはわからないかも、しれないけど………」
「わかる。アンタのやり方が、イライラするってことは、よっくわかってるわ。護法と言えば聞こえはいいかもしらんけど、その実、アンタは抱えた妖怪どもの恨み憎しみを、全部引き受けてるだけやんか。一番呪いやすいところに、一番傷つけやすいところに、自分の身をさらけ出す。護法になった奴等かて、全部が全部、そのまま平和主義者になったんとちゃうやろう。飼い犬に手を噛まれたことやってあるんやないのか」
「だからと言って、全部を全部滅してしまうのは、やり直しの機会を奪うことだよ。人にだって、妖にだって、やり直しの機会があって良いはずじゃないかな」
「うちが言うてんのは、そのやり直しの機会とやらを、何もアンタが全部引き受けてやる必要は、無いってことや。こんな事ばかり繰り返しはってたら、リクオ、そのうちアンタ、死ぬで」
「まさか。全部じゃないよ。言葉が通じない相手には、ボクだってどうしようもない。やむなく戦ってきたことだってある。ボクが倒してきた大妖の数は、ボクが救えなかった妖の数に等しい。
 それに、ボクがもし諦めてしまったら、やり直しの機会を求めている妖たちは、どこへ行けばいい?
 ボクはね、お兄ちゃんやゆらが、ボクに居場所をくれたみたいに、皆に居場所を教えて、一緒にいてもらっているだけ。ボクも賑やかな方がうれしいしね」
「アンタ自身が、道を誤らんとは限らん。いいや、知ってて優しさ先行で脇道往きそうやもん。そうなったらどうする。アンタが本気になったら、誰も止めへん、止められへん」
「ゆらが居るじゃないか。ゆらは正しい。信じた道を往くと、いいよ」
「うちにアンタを討て言うんか」
「それじゃあ、その時はお願いしようかな」
「冗談キツいわ。………けど、せやな、うちはアンタほど優しくない。アンタの護法やろうが何やろうが、正しくないと思ったら、遠慮なく討つんやろう。度が過ぎればそれもまた、間違いにもなるかもしれん。その時は」
「そうだね、その時は、ボクが君を討つ」
「お互い、やり方がちゃうんやからな、しゃあないな」
「そうだね。仕方ないね」

 闇が過ぎればすべてを迷わせる、濃い霧となるように、リクオの優しさには危うさがある。
 同時に、光が過ぎればすべてを焼き付くす、灼熱になるように、ゆらにも危うさがある。

 互いが互いの制止役である、すなわち最大の敵であることを、このとき、二人は互いに認めあった。

 やり方が違う。選ぶ道が違う。
 けれど、互いに互いが大事な家族だ。

 ふ、と、同時に二人は気配を緩めて微笑み合った。

「当主決定戦、楽しみやな。うちもこれから三年は、アンタの前で術は出さんようにしとく」
「うん、楽しみだね、ゆら」
「そん時は、妖術やろうが何やろうが、全部使ってくるんやで。手加減なんかしたら、承知せえへんから」
「わかってる。陰陽術に加えて夢幻の大妖の業、存分にふるわせてもらうよ。それじゃあ、ゆら、よいお年を」
「うん。そっちもな。奥さんによろしゅう」

 互い、にこやかに笑って、同時に互いに、背を向けた。
 余談だが、その後、姦姦蛇羅の呪いを受けた男子高校生は、惰性で通っていた学校を辞め、縁を頼って比叡山に入ったという。


+++



「なあなあ、新クエストやった?」
「新キャラのカーン・ダーラが出る奴だろ?あれめちゃくちゃ強ぇじゃん。俺のキャラ、もうカンストしてメリポSTRにかなり割り振ってるのに、ダメージぜんぜん与えられねぇの。逆にカーストフィールド張ってて、呪い食らってどんどんHP削られてさ、様子見で途中で逃げるつもりで、ソロでやってた上にシーフジョブだったから回復方法なくて、んで逃げようとしても回り込まれるの。タゲはずせねぇし呪いでHP削られるし、俺のキャラ、ここ数日聖堂行けてないせいであと一回死んだら冥界入り決定でさ、様子見のつもりだったのにやっべーと思ってたら」
「おぉ、ピンチ」
「そうよそうなのよ。そしたらさ、俺、初めて遭遇しちゃった!ショーン・ケラー!」
「マジで?!実在すんの?!ネタだろ?!それ絶対釣りだろ?!」
「見たって!ほら、写メしたから見てみろって!」
「………ホントだ!ロス・マリヌス陣営の聖騎士、実在したんだ………。NPCじゃねーんだろ?話しかけた?」
「ああ、ありゃNPCじゃねーわ。だって普通に話してたもん。音声チャットじゃなくて、文字だったけど、こっちの質問に全部普通に答えてたよ。ありゃAIには無理でしょ」
「話したの?!」
「まず御礼言って、本当に居たんですね?!って。その後、ランドマークまで送ってくれるって言ってたから、パーティ組んで、その間、話した」
「なに話したの?!」
「カーン・ダーラ、強ぇっすね!って。そしたら、《本当はもっと強くなるはずだったけど、具現化するには力が足りなくて、あの程度で済んだ。ロス・マリヌスの力が弱まりつつあるこの世界で、冥界落ちすればすぐにもピエロにされてしまうから、一人で挑むのはやめたほうがいい》みたいなことを」
「運営側の煽り半端ねぇな。冥界ってどんなフィールドなんだろ」
「知らね。情報ねーし。キャラ消えるんじゃねーかって話だけど、どうかなあ。運営が冥界情報、かなり規制してるらしい。ギルドの奴等で数人冥界入りした奴いるみたいだけど、あっちに逝くと、ギルドから名前が自動的に消えちゃって、連絡取れなくなるんだって、ギルマスが言ってた」
「他にはなんか言ってくれなかったの」
「いやまあ、しっかりロールプレイングしてくれててさ、ロス・マリヌスの戦士としての自覚を持てとか、早く《世界の中心》にたどり着いてロス・マリヌスを救ってくれとか。わかってるっすよーって言って、俺が腹減ったからマック食いたいっすねって言ったら、モスの方がいいって」
「ショーン・ケラーが?!モスのが好きって?!」
「うん」
「文字色、NPCだよな?!なのに答えるの、そんなことまで?!」
「NPCの動きとかじゃなかったぜ。アクティブの敵にはつっこまないよう、迂回してくれるし。避けきれない相手には戦ってくれるし、タゲ取ってくれるし。GMみたいに、人雇ってんじゃないの」
「いいなあぁ〜、都市伝説かと思ってたよ、ショーン・ケラー。こうなると冥界って興味湧いてくるよな。お前、一回落ちてみたら?」
「いや、なんていうか……それこそ都市伝説ばりに、シャレんならなくね?」
「ビビってんのかよ」
「違ぇし。そんなに行きたいならお前逝けよ。二組のシマジロー、知ってるだろ?」
「ネトゲ廃人中なんだろ?いいなあ、俺もやりてぇなあ、ネトゲ篭り」
「高校浪人決定だって」
「うっそ。なんで?花霞の奴があんだけ休んでても卒業できるって言うなら、平気なんじゃないの」
「いやだから、花霞は体治って学校に来てるし、家でもちゃんと勉強してたから学力も問題ないんだと」
「さっすが。優等生は違うねー」
「シマの方は、ダメなんだって」
「ダメって、何が」
「本気で廃人らしいぜ。病院逝き。植物状態って噂」
「………ウソ?なんで?つい此の前まで、高校はサッカー特待で入るとか言ってたじゃん」
「原因不明だってさ。けど、あいつもやってたんだよ、FQオンライン」
「まさか、冥界入りしたとか?」
「………どう思う?」
「……………」
「……………」
「……………まっさかー!」
「……………だ、だよなー!いやぁ、シマの奴、きっとアレだろ、春の災害で、PTSDとか言う奴になっちゃったんだ、うん」
「 ――― シマ君、そんなに悪いの?」

 二人の会話に割って入った声があり、二人はからからと笑うのをやめて、そちらを見た。
 教室の窓下の棚の上に腰掛けて喋っている二人の脇に、彼等の弟と言ってもよいような華奢な体格の少年が、箒を両手に首を傾げて立っている。
 クラスの中で真面目に放課後の掃除をするのは、彼、花霞リクオくらいのものだ。

 体格が小さく、優しい顔立ちと色素の薄い髪や瞳の色をしている上、病弱で休みがちなものだから、小学校から中学校に入ったばかりの頃までは、虐めの対象になることもあったが、いつの頃からか、ぱたりとなくなった。
 元々いじめようとしても、あの大きな瞳でじいと見つめられると、子供等は不思議に手を止めて、胸を鷲掴みにされたような息苦しさを感じたものだ。逆に、何か親切にしてやって微笑まれると、それは天にも昇るような嬉しさを感じるのである。

 病弱で色白の優等生というところから、女子は絶対に親切にするし、男子から見ても、女子と一緒に居るのが普通なように見えてしまう。嫌ってはいないはずなのに、どこか自分からは近寄り難く、なのにあちらから寄ってこられると、仔犬が近づいてきたような微笑ましさを覚える、花霞リクオとは、同年代の少年たちにとって、一種憧憬にも似た気持ちを抱かせる存在だった。

 今も二人、話しかけられた嬉しさで内心どぎまぎしながら、「ああ、お前、小学校の頃から一緒のクラスだっけ」と応じた。

「いや、噂だけどさ。あいつん家にプリントとか届けに行っても、絶対会えないし、お袋さんも『まだ入院してる』ばっかりでさ。なんか、俺たちのことを見ると、辛いって泣いちゃうし、最近はあんまり行ってねぇんだ」
「それって、いつから?ボク、あんまり学校来れてへんから、知らなかった」
「つい最近だぜ。……そう、ちょうど、お前が学校に来るようになった頃と、入れ違いで。知らなくても仕方ねぇよ。リクオ、お前、復学してからも休みがちだったし」
「うん……。ボク、今度、お見舞い行ってみる。あと、なんだっけ、えふくえオンライン?って、どんなゲーム?」
「ああ、オンラインRPGだよ。最近までずっとβ版だったんだけど、夏過ぎから課金開始して、正式サービス始まったんだよな。興味あんの?もうすぐ受験なのに?余裕だねぇ」
「自分かてやってはるやん。うん。お義兄ちゃんもそんなゲームしてはったから、そんなに有名なんかなあ、思って。あと、なんやっけ、ええと、カーン・ダーラ?なんか、どっかで聞いたことのある名前やなあと」
「あちこちでテレビCMしてるからなあ。コンビニの、ゲーム攻略本の表紙でも最近、特集組まれてる新敵だし。興味あるなら、紹介コードやるからメアド教えて。それで入ってもらえたら、俺も限定アイテム貰えるから」
「うん、ありがとう」

 さっそく教えたばかりのメアドに、紹介コードの英数字を貰い、リクオが再び掃除に戻ったのを機に、二人もぼちぼち仕事を再開することにしたらしい。
 携帯を鞄にしまいながら、「カーン・ダーラ」の名前を、リクオは何度か、口の中で呟いた。

 掃除が終わると、いつもならすぐに家へ戻るところ、途中で寄り道をして、コンビニに入る。
 同級生のことも心配だったが、PTSDを心配しての事ではない。もっとたちの悪いものに捕まったのではないかという懸念が、リクオの足を急がせた。まずは裏づけを取って、そこから同級生の家へ探りに行く算段だった。

 話題のゲーム攻略本とやらは、すぐに眼に入った。なにせ、表紙から、リクオの目を引き、口をあんぐりと開けさせたのだ。

 新敵登場!その眼で見よ!と報じられ描かれた姿は、上半身は美しい巫女、下半身は蛇という ――― 姦姦蛇羅の姿、そのままだった。



<姦姦蛇羅の怪・了>