「二代目が御姿を消されたとは、まことか」
「それだけではない。いや、それだけのことならば、これまでも時折あったこと。ぬらりと姿を消されて、ひょんなところから姿を現されるが性質の方なれば、それだけであればいつものこと。まことゆゆしきは、二代目の《畏》までもが関東一帯から ――― この屋敷からも、消えてしまったことよ」
「そうじゃそうじゃ、この屋敷、先ほど門を潜ったときに、何か寒々しい気持ちがしたのは、二代目の《畏》を感じぬからじゃ。このようなことは、今だかつて無かった」
「おい、そう取り乱すんじゃねぇ。仮にもてめぇら、貸元の組長さんじゃねぇのかい。どしっと構えてろ、どしっと」
「だがよぅ……二代目の《畏》が消えたこと、今まで大人しくしてたチンピラどもが嗅ぎつけると、ちょいとまずいかもしれねぇなあ。阿呆どもはどこでも見境なく人間を喰いたがる。後始末に難儀するぜ」
「そこはもう早うというか、ほれ、二代目がこうして姿を消されるより少し前、かなりしょんぼりされておったろう。チンピラどもめ、《畏》の翳りを嗅ぎつけたか、その頃からコソコソとやっておったらしいわ。どこの骨とも知れぬカタギ崩れめが、妾たちの目を盗み、妾たちのシマで人どもの恐怖をすすっていると言う」
「聞いた、聞いたぞ、《切り裂きとおりゃんせの怪》」
「かなり前にも一度噂になったが、二代目が切り伏せたのではなかったか?!」
「二代目の《畏》が消えたので、再び現れたのではないかのう」
「おそろしや……奴めの喰った後は、見苦しうてならぬ。あちこちに人間どもの臓物が散らばっておってのう……」
「それから、《地下鉄の少女》」
「ほほう。それは何ぞ。新しい《怪》か」
「最近の人間どもの乗り物、地下鉄という乗り物でな、周囲の人間には見えぬ少女がいるそうな。そやつに魅入られた者は、そやつのテリトリーに引きずり込まれ、時間以内に奴を見つけ出せなければ、喰らわれて死ぬと ――― 」
「浮世絵中学校の旧校舎にも、チンピラどもが数多くたむろしているそうな」
「やれやれ、あそこを管理しているのはどこの組じゃ?!蛆虫どもなど、さっさと掃除せんか!」
「チンピラどもが騒ぎ始めただけではない、これまで奴良組傘下でありながら、密かに二代目のやり方に不満を持っている者どもが、このところ不穏な動きを見せていると聞く。旧鼠組、ガゴゼ会 ――― 」
「ふむ、言われてみれば奴等、まだ顔を見せてねェようだが……」

 幹部たちが集まり始めた大広間は、しかし仕切る者もおらず、上座を寒々しく空けたまま、隣同士でぼそぼそ、こそこそ。
 噂を聞いてからもすぐに召集がかからず、週末まで待たされた分、溜め込んだ情報と不安は相手を選ばず吐き出されるばかりだった。

 幹部たちの大広間へ膳を運び終えた首無が、幹部たちの不安にあてられたか、はあと溜息を零す。
 化猫屋へ行けば、猫又たちが放って置かぬ秀麗な顔が、いつもよりも青白い。

「首無、首無!」

 ついその場で足元を見ながら立ち尽くしていた首無、連れ合いの声で我に返った。
 廊下の端を見ると、曲がり角の向こうからちょいちょいと手招いているのは、彼が江戸の頃より相方とする、毛倡妓だ。

「リクオ様から、何か連絡があったか?!」
「こっちが聞きたいわよォ。予定より、もう二時間も遅れてるじゃないのさ。京都を発つ前にちゃんと電話で連絡があったんだろう?もう東京に着いている頃じゃないの?もう広間に出す膳がなくなっちまったよ。これ以上はさすがに幹部連中、遅いって癇癪起こすんじゃあ……」
「いや、そっちは大丈夫そうだよ。良いのか悪いのか、二代目の《畏》までが消えたとあって、流石に幹部たちも情報交換に熱心らしい。まだひそひそ話を続けてる。それより、リクオ様が心配だ。もしやとは思うが、騒ぎ出したチンピラ連中に絡まれていたりしないだろうな」
「まさか!あんなに強い《畏》を持つ御方よ?!それに、待ち合わせの場所まで、黒羽丸たちがちゃんと迎えに行ったし……」
「その黒羽丸たちにすら連絡がつかないんだ、そろそろ俺も捜しに出る」
「だったら私も」
「いや毛倡妓、お前はここに居てくれ。リクオさまと、行き違いになるといけない」
「嫌だ、嫌だよ首無!」

 ひっしと首無の袖を捕まえて、離さない。
 いつになく毛倡妓の声が逼迫しているのは、二代目の行方知れずだけが理由ではなかった。

「二代目が姿を消された後、遠野に不穏な動きありってんで、青と黒まで出払って、そっちも何日も経つのに、まだ連絡も無いじゃないか。この上、首無まで居なくなっちまったら、私、私、どうしたらいいのサ!」
「紀乃 ――― 」

 二代目が姿を消したのを見計らったかのように、今度は遠野に不穏な動きが出てきた。
 黒雲が集い、荒ぶる猛者たちが集い、あたかも戦支度のようだ。

 互いに連絡をつけあうために、あちらにも電話を置いてあるはずなのだが、何度連絡を取ろうとしても、繋がらない。
 遠野には、二代目の前妻・山吹乙女、もとい、今は羽衣狐と溶け合って転生した、衣吹が暮らしている縁もあり、遠野の一大事であれば放っておくわけにもいかない。そこで、特攻隊長たる青田坊と黒田坊が、御用伺いも兼ねて屋敷を発ったのだが、二人からの連絡は、「これから遠野屋敷を訪ねるところだ」と連絡を寄越して以降、ぱたりと絶えた。

 毛倡妓の不安も、無理からぬ話だった。
 この話は、広間に集っている貸元たちには伏せている。
 本家仕えのカラス天狗、相談役の木魚達磨は別として、他の貸元たちに知らせても、やれ遠野は裏切っただの、よからぬことを企んでいるだのといきり立って、騒ぎが大きくなるのが目に見えていたからだ。
 若頭・花霞リクオが到着次第、すぐに申し上げる予定だったが、その若頭までもしやという状況で、さらに首無まで行ってしまうとあらば、袖に縋らずにいられようか。

 心配ないよ、少し見てくるだけだから ――― 首無が彼女の肩に手を置いて、まずはそう宥めようとした矢先、門前が、にわかに騒がしくなった。



「若頭・花霞リクオさま、只今到着なされました!」



 二代目が姿を消してしまわれてから、不安に沈んでいた奴良屋敷の妖怪たちが、にわかに活気づいた。

「黒羽丸だ!黒羽丸の声だ!」
「リクオさま!リクオさまぁ〜!!」
「おい押すな、押すな」
「ええい遅い、とっとと走れ!」

 屋敷の屋根裏や床下から、息を潜めていた小物たちがわっと現れ、首無と毛倡妓の前後を波飛沫のように割れてまっしぐら、玄関口へと向かっていく。
 呆気に取られたのも束の間、二人もまた、足元に溢れる者どもをうっかり踏み潰さぬよう気をつけながら、外へ出た。

「り、リクオ様ぁ〜!!若頭ぁぁあぁッッ!!!」

 二人の横を、情け無い声を上げてすり抜け先へ飛んでいったのは、黒いヒヨコ、ならぬ、カラス天狗である。
 初代が伏目屋敷へ住まうようになってから、どことなく元気を失っていたカラス天狗は、二代目の姿が消えてしまうともうすっかり肩を落として、声をかけると、どこか涙が滲んだ目でこちらをジトリと睨んだ後、また視線を逸らして、くしゃみだか溜息だかすすり泣きだかわからないものをもらしていたのだが、それが嘘のようなかなきり声であった。

 その声が大広間まで届いたのだろう、「なに、若頭?」「なんと、もうこのような時間か、すっかり夜もふけておる」「若造めが、大遅刻じゃのう」などと、のんびり噂話に興じていた貸元どもも騒ぎ始めて、庭に面した障子が開けはなたれた。

 なので、玄関から出た者も、大広間から直接庭に出た者も、見たのは同時であった。

「う ――― !」
「り、リクオ様 ――― ?!」
「なんと ――― なんと ――― ?!」

 皆が唖然とし、目を見開いた。
 すると、そんな彼等を見回して、花霞リクオはかえって驚いた様子で、

「なんやみんな、鳩マメな顔して。今回は手下を数人連れて行くって言うたやろう?」

 暢気な事を言う。

「そ、それはそうでございますが、しかし、リクオ様、もしやその連中は ――― 」
「なんだなんだリクオの奴め、今頃到着とは、若頭ってのはいい身分だねぇ?」

 カラス天狗が汗を拭き拭き、これは一体どういうことかと計りかねているところへ、一ツ目入道が大広間の奥から、ふてぶてしくのろのろ歩んできた。嫌味も相変わらずだが、それもその光景を見るまでのこと。あんぐり口を開き、拍子にぽろりと咥えていた煙管がこぼれて、一ツ目入道の足袋を焦がした。
 あちあちと飛び上がった一ツ目入道をしかし、助ける者など誰も無い。
 大広間に居た貸元連中も、奴良屋敷で息を殺していた連中も、同じように目を見開いていたのである。

「わ、若頭、これは ――― これは、どういうことなのです」

 ごくりと喉を鳴らして口を開いたのは、玄関口から一歩出た、首無だった。
 片袖の中で、得物である紐を手繰り寄せてしまったのは、ほとんど癖だった。
 向かい合う相手は、奴良屋敷の若様であると、頭でわかってはいるのだが、率いている者と、率いるに値する大きな《畏》が、嫌でもあの戦いを思い出させた。
 宿敵・羽衣狐の配下であった敵、手強い花霞一派の御大将が、今目の前にいるように錯覚したのだ。

 両脇に二人の副将があるのも、あの時と同じ。
 そして、その後ろには。

「御身の後ろに率いておられるのは、《切り裂きとおりゃんせ》《地下鉄の少女》《海より来る者》《首狩男》《〜〜村の人喰い姥》《かしまさん》《雲外鏡》……それに、最近灰色と噂されていた、旧鼠組やガゴゼ会の奴等まで……他にも、どれもこれも、ここのところ奴良組のシマを荒らしまわる、不届き者ではございませんか!」
「へーぇ、こいつら結構有名だったのかい?いやぁ、東京に着いたはいいけど、あちこち物騒な妖気があったんで、ちょいと地回りしながらここまで来た。ついでに、瘴気を発し外道へ堕ちている奴は調伏した。調伏した中で、オレと来たいと言った奴には、名を与えて護法とした」
「そんな、若頭自ら地回りなどと!」
「こりゃ馬鹿息子ども!お前たちがついていながら、なんということをさせる!もしも何かあったなら、どうするつもりだ!」
「まあまあ、そう怒鳴りつけるな、カラス天狗。オレが無理を言って連れ回したんだ。かえってあちこち案内させてすまなかったな、黒羽丸、トサカ丸、ささ美、たすかったぜ」

 常は父の言うことに従う、折り目正しい三兄妹が、今日はリクオへと頭を垂れ、カラス天狗になど見向きもしない。
 三羽烏はもう、花霞リクオを主と定めている様子だ。
 二代目が誰を後継と定めようと、あるいはリクオが己は三代目にはならぬと意志を貫いていようと、この御方こそはと定めてしまったのだ。リクオが十年前に奴良屋敷に忘れていった日々を取り返しに来た、昨年の夏休みとは違い、漲るほどの《畏》を感じさせる御大将の姿で現れ、瞬く間に騒いでいたチンピラどもを黙らせた、その上配下にまで加えてしまったのを目の当たりにして、この御方こそはと、決めてしまったのだ。

 身に纏っていたのは黒絹の狩衣。
 その肩に、初代から譲られた銀狼の襟巻きをかけ、腰に鶯色の柄飾りをあしらえた宝剣を結わえた姿は堂々としていた。
 靡く毛並みは銀色にして、こちらにやわらかく向けられるは紅瑪瑙の瞳。

 柔らかく優しいだけなら、海千山千の貸元どものこと、「小童が、見目だけは初代の真似事をよくしておる」と、畏怖の気持ちを押し隠すにとどめたろうが、今日の御大将は違った。
 地回りの中にはやや荒々しいものもあったのだろう、頬には斜めのよぎり傷。
 纏う衣もあちこち切り裂かれ、大きく裂かれた利き腕には包帯が巻かれ、血が滲んでいた。
 足袋は血と泥で黒く汚れ、宝剣を握っている手にもまた、同じ色に滲んだ包帯が巻かれている。

 修羅を潜り抜けてきた様子なのは、後ろに従えた魑魅魍魎どもも同じだが、いまだに目を血走らせ、息遣いも荒く、妖の本性を抑えるのにやっとな下僕どもと違い、先頭に立つリクオはあくまで、遊歩の帰りのように落ち着き払っていることだ。
 既に瞳は落ち着き、足さばきも軽く、口元の笑みは甘い。
 率いた下僕は、御大将が見せる夢に今も魅入られ、ぞろぞろと言葉もなくついてくると言うのに、本人はすっかり醒めているのだ。

「首無」

 不意に呼ばれて、びくりと首無は、袖の中で握っていた紐をぎゅっと握り締め、次に、するりと指から紐は離れていった。
 ちろと舐めるように視線を向けられただけで、力が抜けてしまったのだ。

「悪いが皆に、風呂を貸してやってくれ。一汗かいているはずだから、身を清めさせたい。その後は、暖めた酒と簡単なものでいいから、何か膳を」
「は」
「それから毛倡妓」
「は、はいな ――― 」
「氷麗の世話を頼めるかな。待ってろって言ったのに、連れて行けってきかなくて」

 言われて気付いたのは、百鬼どもの後ろに掲げられた輿だった。
 輿を捧げ持っていた屈強な四天王は、リクオが指を一つ鳴らすと、そっと輿を下ろし、すうと消えた。
 リクオ自ら輿の前に膝をついて手を差し出すと、白い手がこれを掴み、御簾を押し上げて、こちらは血の穢れなど一欠けらも見当たらぬ、白いままの雪女が現れた。
 首無や毛倡妓を見てにこりと笑う表情は、以前のまま、あどけない少女のようだった。
 だが彼女も、無垢なだけの雪娘では、既にない。

「だってこの人、一人寝できないんだもの。すっかり甘え癖ついちゃって」
「んなっ……皆の前で誤解されるようなこと言うな。一人で寝起きくらい、ちゃんとできるって」
「嘘。私が居ないと、夢に忍び寄って来る迷える魂の一つも追い払えないくせに、口ごたえしないの。それに、お腹の子に無理が障るって言うんなら、アンタがちゃんと毎日食べてるか、着心地悪い着物で我慢してないか、眠いときにちゃんと午睡してるか、見えないところで心配してる方が、よほどストレスたまって良くないわ」
「はいはい。オレ愛されてるなー。わー嬉しい」
「棒読みしない!」
「これは失礼をば、姫御前。……ついてきてくれて、嬉しい。ここまで、体に変なことは無かったろうな?」
「平気よ、旦那さま。アンタの方こそ、ずいぶん大きな術を使っていたようだけど、平気なの?またこの前みたいに、体力だの精神力だの気力だの、根こそぎ取られて寝込むようなことにならないでしょうね?花開院分家の、なんとかいう女当主が言ってたらしいじゃない、アンタの術は反動があって当然のものだって」
「よう知ってるなあ?でも、もうこの前みたいにはならないよ、大丈夫だ。まだ全然疲れていないよ。なんならもっぺん地回りしてこようか?」

 心配性の妻を宥めるように、手に取った、細い氷の指先へ一度接吻を落とすと、妻はそれで騙されてくれる気になったらしい。

「お仕事は早々に終わらせて、早く休みましょう。待ってるから」
「ああ」

 迎えに参じた当初こそ、皆と同じように、一行のただならぬ様子に気圧されたものの、もう何年も前から夫婦であったような二人の様子に、我が事のように嬉しくなった毛倡妓、「まあまあ、お熱いこと、雪女としての格が上がったからって、あんまり温度上げると溶けるわよ」と、さっそく雪女をからかうのを忘れない。
 若頭の奥方ではあるが、そこは身分に拘る雪女でもないので、幸せそうに笑みながら、案内に先立つ毛倡妓や他の女衆たちとさっそく打ち解ける。
 彼女等の後ろには、輿から飛び出た行李や化粧箱などが、手足を生やしてえっちらおっちら着いて行く。

「リクオくん、君は良いかもしれないけど、僕は疲れた。とても。今日のうちにもう一回東京私鉄路線図妖怪周遊ツアーなんて、絶対御免被るからね。絶対嫌だからね。泣くよ。この僕が泣いて駄々捏ねて君を困らせるよ」

 不平は、リクオの脇から出た。
 象牙色の毛並みをいくらかくたびれさせた、仮面の白狸。玉章である。

「お前はいいよな。姐さんさえ居れば、そっからいくらでも精神力だ気力だ畏だって充填できて大業使い放題なんだろう?その上なんか強くなってるし。伏目を離れて人間どもの信仰心が届かなくなっても、まるで関係ねーんだもん」

 続いた不平は、もう一方の脇を固める緋色直衣の大狒々。猩影だ。
 二人とも、リクオに増して傷つきくたびれた様子で、冗談でも、もう一度これだけの妖怪どもを相手に立て続けの戦いをするなど言ってくれるなと、恨みがましい視線を彼等の大将へ向けるのだった。

 首無を始め、集った奴良組の面子は、なるほど、それで身重の雪女を連れてきたのかと納得しかけたが、それは、誰より不機嫌そうになったリクオが否定した。

「だからって連れてきたわけやないぞ。お前等、氷麗はそれ気付いてないんだから、滅多なこと言うな。これから、臨月でも大妖退治についてくるとか、言い出しかねん。今回だってオレは、氷麗を置いて来たかったんだ。身重で争いの場になんて、子に障ったらどないすんのやろ」
「ああ、君、言ってたね。『花霞家の帰る場所を守れ』とか。キメのドヤ顔で」
「『イヤです』って、朗らかに即答されてたよな。姐さん、GJ。よくわかってるよ、伏目の連中の帰る場所はお前の居るところで、別に伏目の封印どうこうは関係ねえや。姐さんも同じってこったろ」
「てめー等は、てめー等の大将と、その奥と、どっちの味方なんだ?」
「イヤだなあリクオくん、男尊女卑を主張する君じゃないだろう?それに元々、僕はフェミニストだ」
「初恋の女と、初恋の女と結ばれやがった野郎と、どっちの味方するって。答えは決まってんだろ、リクオ。姐さんが初恋って野郎は多いぞ、てめーだけじゃねーんだぞこん畜生幸せになる呪いをかけてやる。祝ってやる!」
「お前等、本当、仲いいよな」
「誰が!」
「誰と!」

 ちなみに狸はイヌ科だそうだが、そうであるなら犬猿の仲を地で行くはずの二人、疲れ切っていても妙に息が合う。

 首無は、言いようのないやるせなさに、つい視線を落とした。
 昨年、京都で感じたのと、同じ心もちだった。

 我が身がこれほど立派な方の幼き頃に一度でも、御仕え申し上げたのは誇らしく、逆に、御大将と盃の縁を持たざる今の己を省みると、どうしてこの方がまだ花を咲かせぬ無力な頃にこの屋敷で御守りできなかったか、何故一瞬でも目を離したのかと口惜しい。

 御大将の望むと望まざるとに関わらず、庭の枝垂桜は若頭を歓迎するかのように、あるいは若い大将とそれを囲む若い副将たちの、放っておくといつまでも続きそうやり取りに合いの手を入れるようにざざと枝を揺らして葉を鳴らした。
 リクオの後ろについてきた、魑魅魍魎の群れがぞろぞろと本家の敷居を跨いで行くのを、目を白黒させながら貸元どもが見守る中、首無が今一度、ははと畏まる。

「リクオ様も副将の御二人ともども、いくらか傷を負われた御様子。京都から遠路遥々おいでのところにさっそくの地回り、大変お疲れ様でございました。どうかリクオ様も、まずは奥にて傷を癒し、ゆるりとお寛ぎ下さいませ」
「おおきに、ありがとう。けどその前に……貸元どもは全員、集っているようだな?それならそっちにまずは話しておくことがある。 ――― 狛鼠、口輪蛇、新しく護法になった奴等の面倒を見てやってくれ。狛は旧鼠組と面識もあるだろう、口輪蛇はガゴゼと知らぬ仲ではあるまい、二人とも、よろしゅうな」

 懐から小さなハツカネズミと、口輪をした小蛇が合点承知とばかり飛び出して、玄関を入ったは良いがどちらに進んだものか困っているらしい有象無象どもの先頭に立つと、案内の小鬼たちを目印に、「おい野郎ども、こっちだぜ。まずはてめぇらのきったねぇナリをどうにかしねえとな?」ちょこまかと進む。
 すると、一行も二匹が御大将の使いだとわかっているので、安心してそちらにぞろぞろと行進した。

 呆気に取られるばかりの幹部連中だったが、リクオが門前から、玄関を使わず庭を横切って直接広間の方へやってきたので、慌てて道を開けよ居住まいを正せと、部屋に戻り己の席を捜した。
 この騒ぎで、出されていた銚子や膳がいくつかひっくり返り、ひっくり返った膳を小物妖怪たちがこっそり突つきしていた有様だったが、貸元連中がこれっと叱って小物どもを追い払い、己の膳を直し座布団を正しして、いくらか体裁が整った頃、リクオはひょいと庭から縁側へ上がり、そこから直接上座の脇へ上がった。
 副将二人は、その後方に控えた。
 中心を空けたままなのは、そこは二代目が居るべき場所だからだ。
 しかし、それが不自然に思えてしまうほど、リクオの居住まいは堂々たるもの。
 貸元連中が自然と頭を垂れ、「若頭、おかえりなせぇやし」と、二代目への挨拶と同じものを申し上げたのは、世辞追従によるものではなかった。

 連中の挨拶に、うんと頷き、リクオは切り出す。

「二代目の《畏》が消えた。聞いたときはまさかと思ったが、確かなようだな。夕方、こちらの姿で京都を経って、奴良組のシマに入りあちこち検分してきた。面白いほど気配が皆無だ。勘違いした連中がさっそく騒いでいやがったんで、撫でながらここへ来たものでな、少し遅れたが、許せ。
 それで、木魚達磨、二代目の心当たりは何も無いのか?」
「はあ、それが ―――― 」

 上座に近い木魚達磨が、ここで貸元どもを見渡し、失礼をと断ってから上座に上がって若頭に耳打ちしたのは、二代目の不在に呼応するかのように遠野が戦支度を始めたこと、事情を確かめるために向かった青田坊黒田坊が、今も行方知れずであること。
 副将二人は、大将の判断が下る前に内証ごとが己の耳に触れぬよう、充分距離をとって座していた。
 ふむ、とリクオは脇息を手繰り寄せ、顎を撫でながら目を閉じて、たっぷり三呼吸分思案した後、おもむろに口を開いた。

「 ――― 二代目が消えた後、呼応するように遠野勢が戦仕度を始めているらしい。事情を確かめ、用向きを伺うためにと使者に送られた本家の青田坊黒田坊も、遠野屋敷を訪ねる直前に連絡を入れたきり、行方が知れぬそうだ」
「なんと ――― まさか二代目をかどわかしたのも、遠野勢か?!」
「ぼやぼやしていると、奴等め、ここに攻め入ってくるぞ!」
「出入りじゃ、出入りの仕度をせねば!」

 一ツ目入道や牛鬼、それに鴆など、初代の頃から幹部に名を連ねる者どもや自らリクオに命を預けている者は、あるいは苦虫を噛み潰したような顔で、あるいは瞑目して揺るがぬまま、若頭の次の言葉を待っていたが、それ以外の貸元衆は、たちまち色めき立つ。
 先ほどまでそうだったひそひそこそこそが、あちらでざわざわ、こちらでがやがやがと賑わしく、若頭の事をすっかり忘れて、自らのシマにすぐにでも戻って仕度をせねばと腰を浮かしかける者まであったが、



「 ――― 兢々とするんじゃねぇ!」



 びりり、と、体を貫く稲妻のような、一喝だった。
 思わぬところから轟いたそれに、広間で取り乱さんばかりだった貸元どもは揃えて体を震わせた。
 恐る恐る上座を見ると、若頭が文字通り総髪を妖気に逆立てんばかりの怒気でもってこちらを睨んでいるので、再び畏まって己の膝に視線を落とす。
 全く、上座の真ん中に座していないのが不思議なくらい、総大将の貫禄や充分。
 その御大将が、座敷が静まり返ると、再び静かに口を開いた。

「まだ遠野勢が攻めてくると、決まったわけじゃねぇだろう。いや、仮にそうだとしても、浮き足立ってびくびくすりゃあ、それこそ敵さんの思うつぼ。先手を打つにしろ、迎え撃つにしろ、それぞれやり方ってもんがある。何の情報も無いまま突っ込んで行ったところで、どんな大軍だろうと囲まれちまえば袋叩きにされて終わりだ。逆に何も考えずにシマに閉じこもってじっとしていたところで、待っているのは兵糧攻め。奴良組の日干しのできあがり、だろうよ。今、必要なのは情報だ。そうじゃねえのかい」

 言われてみれば、簡単ながらもっともなこと。
 そんな簡単なことでも、言聞かせられねばわからなくなるほど、貸元どもの不安と動揺はすさまじかった。
 それが、若頭が脇息に体を預けた悠然とした態度で思案を巡らせる姿を目にしていると、いつしかすうと不安が消えて行き、初代や二代目の姿がなくとも、この御方ならもしやと思わせ、隣同士、顔を見合わせ頷きあい、次の言葉を待つようになった。

「さてその、遠野に関する情報だが」

 一同の視線が集ったところで、若頭が口を開く。
 古参の幹部たちも感心するほど、場の空気は今、若頭が握っていた。
 お身内とは言え、陰陽師を本家に招くなど ――― と、陰口を叩いていた者も、すっかり己の言葉など忘れて聞き入るばかりだ。

「誰か、ここ最近の遠野の様子を知っている奴はいるかい」
「ここに居る誰より、遠野のことは若頭、アンタが詳しいと思いますぜ。なにせあちらにおわす衣吹殿とは、二代目よりも懇意にされていらっしゃる。そうじゃねぇんですかい」
「いや、そんな事はねぇぜ、鴆。確かに昨年末には結納や婚礼の準備でおいでいただいたが、その後はたまに電話で連絡を頂いたり、あちらの山海の幸をいただいたり京の品々をお送りしたりする程度でな。特に、関東へは年賀の挨拶にも来たが、遠野には赴いてないんだ」
「……充分なマザコンっぷりだと思うがな」
「あのな、誤解の無いように言っておくが、オレが母上さまを気にするのは、何も二代目の正妻であらせられたからだけではないぞ。《鵺を産み出そうとする者》があるようだと言う話は、昨年、ここでしたばかりだ。確かに母上は、安倍晴明を再び産むという業は捨てられたが、しかし、《鵺を産み出そうとする者》が同じように考えるとは限らない。だからな、ちょいと不安だったのさ。大天狗あたりが、母上を浚って再び羽衣狐へと堕とすんじゃねぇか、とな。
 母上にはこうした事情を話して、婚儀の後も京都に留まっていただけぬかとお願いもしたんだ。その方が二代目と復縁見合いをさせるにしても都合いいし。けど ――― 」

 私は奴良組二代目とは、よりを戻さぬ、もう会わぬと互いに決めた身です。
 この場を訪れたは、可愛いお前の婚礼の手伝いと思ってのこと。
 本来なら、婚儀の前、二代目と同席を避けて遠野に去るつもりでしたが ――― すまぬのう、どうしてもお前の幸せそうな顔を、もう少し見ていたくてな。あの雪女と二人、三々九度の盃を交わす姿を、見ておきたくてな、我侭を言うてしもうた。あの可愛い花霞童子が、やれ、立派な男君になられたものよ。
 しかしそれが終わったなら、ここに留まる理由はありません。

 ここは二代目と縁の深い場所ゆえ、留まっていれば、必ず顔を合わせてしまう。未練が生まれてしまう。それでお前は良いというのでしょうが、私たちにとっては、それはならぬことなのです。
 まさか、ならば二代目の方を遠ざけるなどと、口にするのではありませんよ。
 たった一人の、それも恋女房との間になした子に、会いたい心情いかばかりか…………あの方はそうした心の持ちよう、妖より、人に近く情け深い御方ですから、お前に近寄りたいのを我慢しているに違いない。

 私は、遠野におりまする。あそこは、京とはまた違う霊場。
 体を癒すにも、身を守るにも良き地と聞いております。
 リクオ、お前の心配はしかとわかりました。
 私の身を利用する者があるかもしれぬこと、心得ておきましょう。

 にしても、ほほほ、ちょっと目を離すとしょうけらや茨木童子にいたぶられておったお主が、妾の心配をして守ってくれるとはなあ。ふふふ、いやからかっておるのではない、気を悪くするでないぞ。庇ってやったときに、妾の袖をきゅっと握ってきたのがかわゆうてかわゆうて。血でこさえた飴玉のように甘そうな目に、必死に涙を堪えた様子なのがまことにいとしくて。それで覚えておるだけじゃ、気にするでない。
 妾が庇うとあの二人がまたお主に辛く当たるとはわかっていたのだがのう、それでもつい、というのは馬鹿な母心と思うて、許せよ。
 しかし……ほほほほほ、あの童子がなあ、妾を、庇ってくれると!……ふふふふふ、嬉しいことを言うのう。長生きはするものじゃ。

「 ――― きっぱり、断られちまってな。知ってのとおり母上はお強い。誘拐しましょうそうしましょうと攫われてくれる御方だったら、京都抗争だってもうちっとは楽だったろうよ。オレがお守り申し上げると言うのもおこがましくてな。なまじガキの頃を知られている分、からかわれた後はもう何も言えなかった」



+++



 皆の意見を忌憚なく、とは、二代目がおわすときにも仰せいただいているものの、なにせ二代目ときたら、ここ四百年近くしっかりと関東に威光を轟かせてきた大親分。
 いかに軽々しく見えようとも、その御方の前でどこまで話していいものか、計りかねるところがあって、それよりもとにかく失礼のないように座してお言葉を待つのが、いつしかならいになっていた。

 それに、情報は他の者に漏らしては、価値が下がる。
 自分だけが知っていてこそ価値があり、総大将に取り立ててもらうための材料になるかもしれないのに、大勢の前で話してしまっては、他の誰かが知りもしないくせに「そういえばワシもその話は聞いたことがある」などと騒ぎたて、折角の特ダネをうやむやにしてしまうかもしれない。
 だものだから、今も幹部達は、互い探るような視線を交し合って牽制するばかり。
 二代目の姿が上座になくとも、立派な若頭が上座におわすので、今度はその前で、どうにかして良いところを見せようと必死なのだ。

 腹を探り合う貸元たちの姿は、何も昔からのものではない。
 初代の頃や、二代目に引き継がれたばかりの頃は、まだ違った。
 その頃からの古参が一人、一ツ目入道は、こうした腹の探り合いによる沈黙を、一番疎んでいる者だ。

 良かれ悪かれ、言いたいことがあれば、正々堂々、正面から言え、というのが持論である。

「チッ、どいつもこいつもだんまりかよ。この大事にまで腹の探り合いばかりたぁ、忙しい連中だぜ。二代目を捜す前に、二代目が見つからなかった場合のことを考えて、どうやって若頭に取り入ろうか、あるいは若頭を出し抜いて我こそが三代目にならんかと算段でもしてんのかい」
「何を!」
「一ツ目入道、貴様こそ常日頃から、昔は良かった、初代が組を作ったばかりの頃はああだったこうだったと、愚痴ばかりではないか!」
「おうとも、ワシの独眼鬼組は初代以来の古参だからなァ、思い出話がつい口から出ちまうのさ。お前等とは年季が違うんだ、今の奴良組総会に並ぶ情けねェ顔を見てるとよ、つい昔を振り返っちまうのも、仕方がねぇってもんだろうが」
「 ――― フン、大人ぶりおって。知っておるぞ、貴様、玉苔神社で土地神相手に、『ワシが奴良組総大将だったなら』とか夢物語をしているそうではないか」
「なんとまァ、身の程知らずな」
「クスクス、鏡を見て御覧なさいな、一ツ目入道殿。お主が総大将などという面構えかえ?」
「ホホホホホ、婆様ったら、歯に衣着せぬことを。お控えなさいませな。ホホホホホ……」
「な、何だと?!貴様等のような囀るばかりが取り得の烏合の衆、ワシの方から願い下げじゃ!あることないこと言いおってえぇ〜ッ!」
「おや、怒った、怒った」
「あることないことじゃと?酒に酔えば気分良くして、お主こそあれこれと囀っておるではないか。酌婦より酒に弱いのだもの、何事か聞き出そうとする前に情報はだだ漏れだわ」
「おのれ鬼婆め、貴様、ワシの周囲に内通者を入れたな?!」

 今回の場合は、悪い方向へ転んだ。
 蜂の巣を突いたように、やれ誰が誰の悪口を言っただの、誰が総大将に成り代わろうと企んでいただの、にわかに賑やかになって、遠野や二代目の話どころではない。
 上座に誰が座っているかも忘れ、煽られるままに、古参幹部どもが新参者へちくちくとやる嫌がらせを告げ口めいた様子で話し始めれば、逆に新参者どもが大きな顔をしてのさばり礼を欠いた様子であるのを、古参幹部どもが唾を飛ばして言い募る。
 そのうち、隣の席に座っている何某のあれが嫌だ、これが嫌だという話になり、座敷から遠く離れた賄いにまでも、強面の貸元どもが激昂する声が届くほどだった。

 それを抑えたのは、

「こら、やめねェか。いい年こいてみっともない。少し自重しはったらどうや」

 先と同じく、上座からの一声だった。
 但し、先ほどと違って、老人たちの心無いやりとりに、食傷気味なのか、リクオは脇息に身を預け、米神を揉むような所作をしたまま、やや投げやりな様子である。

 はたと者どもは我に返ったが、先ほどと違ったのは、今度は抱いていた不平不満の矛先を、まさしくその上座へと向けたことだ。
 新参も古参もなく、興奮のまま唾を飛ばしていたところへ、リクオの方から間に入ろうとしたのだから、当然の成り行きではあった。

 もっとも、初代や二代目と違い、まだ少年の幼さ細さを残すリクオ相手なのに、あれが悪いこれが悪い、あれが不安だこれが不安だと言い募るのは、敵意ではなく、親への甘えに似たものが、その場の貸元どもにあったためだ。

「若頭も若頭だ、御自分の父上が姿を消されて行方知らずだというのに、その落ち着きよう」
「怖ろしい御方じゃ。もしや内心、とっとと二代目が消えていなくなり、御自分が跡目を継ぐのを待っていたのではないかのう」
「これ、口が過ぎるわ」
「あちこちを騒がせていたチンピラどもを、我等に何の理もなく、懐に入れておしまいになるし。まるで奴良組を、自分のものとお考えのようじゃ」
「 ――― ハァ。さっきから聞いてりゃアンタ等、何者かが関東に攻めてくるとなりゃあ大慌て。そして今度は誰が二代目の後を継ぐかで一騒ぎ。夏でもねぇのにミンミンうるさいだけの蜩か?何百年生きてるどれだけご大層な妖怪か知らんが、立派な大将がいなけりゃ右も左も決められず、右往左往しているだけか?」

 いささか食傷気味の若頭がこぼした一言に、何を、と、いよいよ貸元どもは息巻いた。

「口が過ぎますぞ若頭!ワシ等は、若頭が子供の戯れに作り上げた京都は伏目にあるという穴倉と違い、初代から任された土地をきっちり治めてございやす。ワシ等への暴言は初代への暴言と心得られませ!」
「そうですとも、一家を率いておられるとは言うが、一つところに閉じこもっているだけとか。我等は構成団体七十二、この座敷に集う者それぞれが、それぞれの百鬼夜行を率いておるのです。一家を路頭に迷わせてはいかぬと慌てるのは必至」
「二代目はそこをわかってくださる方であった」
「そうさなァ、やはり若頭ではいささか、心許ない。こうしたとき、二代目がおわしてくださったならなァ」
「いや、そこは二代目でダメなら、初代に帰ってきていただいてだな」

 誰が居なくなってこうして慌てているのかも忘れてしまったのか、好き勝手に言い募る貸元どもに、上座の若頭も呆れ顔。
 貸元どもの見当はずれな熱気にあてられたか、懐から扇子を取り出し己を仰ぎ始めた。

「にしたってお前等、あれが困ったこれが困った、あちらがダメだこちらがたちゆかぬと、そればっかりじゃねぇか。話の本筋、まるで覚えちゃいねぇだろう?二代目が消えたせいだ?二代目が帰ってきたらなんとかなる?それがダメなら初代を引っ張りだせだとォ?
 安心しきってた間はあれこれ権力闘争しくさってたくせに、いざとなると結局おんぶにだっこの他人任せの上に、無いモノねだりだな。奴良組の貸元連中ってのは、おもりがいねェと何にもできねぇややこの集りやったか?」
「ぐ ――― 若頭!先ほどから申し上げておりますが、いくら若頭とは言え、関東奴良組の貸元総会の場で、不謹慎ですぞ!」
「そうじゃそうじゃ。ワシ等はこの奴良組の ――― 」
「構成団体七十二、率いる魑魅魍魎の数は一万匹。ご大層なお題目は、そらあすげぇさ。けどよ」

 若頭が優しげに笑っていたのは、そこまでだった。

 空気が途端に重々しく、確かな質量を持った暗さを帯びたのを、その場の誰もが気付いて、それまで騒がしくしていたのを、はっと口を噤んで今一度、上座を見てみると、その場の誰も、上座の御方ときっちり視線が合う。
 まろやかに笑っていた間はすっかり忘れさせられていたのだが、修羅を潜り抜けてきた襟元の返り血もそのままの、物騒な御姿の若頭が、昨年の夏に昼の御姿でお見せになった、その場の誰にも魅せる視線でもって、今はその場の誰もを睨んでいる。

「だったらどうして、てめェでてめぇのシマをきっちり守らねぇ。オレが今晩率いてきた野郎どもは、てめェ等が初代から預かった大事なシマで勝手放題、暴れていたチンピラどもだろうが!それを邪魔に思うなら、どうしてケジメつけねぇで見て見ぬ振りをしていやがる!一人じゃ不安かい、だったら隣のシマの連中に、力を貸してくれと頭を下げりゃあいいだろう!それをしちゃあ、弱味を見せて後で足を引っ張られるとでも言うのかい。いいじゃねェか、足を引っ張られたならそん時は足を引っ張った方が嫌な奴だっただけの話。力を貸してもらったってぇ話を、あの二代目が嫌がるはずもねぇ!
 妖怪任侠だの、護法だのと名を変えたところで、結局オレたち妖は、人どもから疎まれ、忌まれ、遠ざけられる側の存在だ。肩を寄せ合って何が悪い。一人でできねぇことの、何が悪い。互いに寄り集まって強くならんとするのは、オレたちを疎み忌み遠ざけんとする人間どもが次第に力をつけて、今や妖が住まう闇を駆逐せんとするからこそ、肩を寄せ合おうとするからじゃねぇのかい?そん時に、そうやっていがみ合っていてばかりでどうする。オレは誰が奴良組の三代目になろうが知ったこっちゃねぇが ――― 総大将ってのは、決して旨味ばかりの座ではねぇと思うぜ。少なくとも、てめぇのシマを荒らすチンピラどもを見て見ぬ振りをし、文句ばっかり垂れてやがる奴には、決してつとまんねぇ仕事だろう。
 奴良組総大将になってみてぇ、思うようにやってみてぇと考えるのは、お前たちには二代目が、旨味のある立場におわすように見えていたからなんだろうな。で、実際に居なくなってこうして慌ててるのは、その裏では本当は、考えてみたことがないんだろう。
 本当に、初代や二代目が、奴良組から消えてしまう日が来るってことをさ」

 今度こそ、一同、しんとした。

 それまで浮ついた心持であった者は、重く冷たい鉛を胃の腑に押し込められたかのように沈んで、黙るしかなかった。
 若頭の仰せはごもっともだった。
 彼等は、考えたことがなかった。
 強く偉大な、初代ぬらりひょん、二代目奴良鯉伴が、次代を担う跡目を定めもせずに、消えてしまう日が来るなどと。

 揺るがぬ山のごとき初代や二代目の御姿があってこそ、もしかすると次の総大将の座に、己が座る機会もあろうかなどと夢を見もするが、実際、総大将になってみて上座から貸元どもが並ぶ座を見下ろす覚悟など、定まっているはずがない。

 しんとしたまま、若頭の次の言葉を待つのだが、彼は貸元どもの度重なる無礼で気を悪くしたのか、彼等が視線を束ねて見やっても、フンと鼻で一つ、笑うだけだった。

「 ――― で。実際、その日が来たわけだが。若頭の役目を負う約定を交わしたからな、本家から連絡を受けてオレも馬鹿正直に、京都からやってきてはみたけどよ、余計な世話やったかな。アンタ等が、他にこれと思う奴を一人、当座の総大将に据えたいと思うのなら、そいつの名前を挙げてみたらええ。オレはこの場でそいつに従うことにする。奴良組の三代目がお生まれになったときには、オレは若頭として、三代目をお守りし、支えることを盃に誓ったんやからな。
 どうや。おらへんのか。さっきまであれほど、ぎゃあぎゃあ囀ってたのは、一体なんや」

 しっとりした声だが、怒気を孕んでいるのがわかる。
 怒りで妖気が増しているのか、しろがねの髪がふわりと落ち着かず揺れて、紫雲が若頭の周囲に生まれては、小蛇のように畳の上を這って四方八方へと散る。

 もはや誰も一言も発さず、算盤坊やもったいないお化け、青鷺火など、武闘派以外の者どもは、若頭の視線を避けて、膝元の畳の目を数えて正気を保っているので精一杯だ。

 おらへんのか。
 まただんまりか?
 こんな、伏目の穴倉に閉じこもってるちんけな妖一匹に、ビビってはるんか?

 若頭がゆっくりと、一言ずつ撫でるように者どもに仰せになるのが、ひどく長く続いたように思えた。

「 ――― おらへんのなら。二代目の不在の間、オレが奴良組を仕切る。ええな!この後、この話題を混ぜっかえして話を先に進めん奴は、この場でたたっ斬るで!」

 誰もが、へい、と、今一度畏まり声を揃えて、頭を下げるに至った。

 さてそこで、話を戻し、遠野の情報をとなるも、四百年以上の平和の上に胡坐をかいた奴良組の面々、情報集めは敵地に対するものよりも、どうすればより効率の良い方法で人間どもから《畏》を得られるか ――― 現代社会においては、数字の書かれた紙切れの束をより多く稼ぐ方法に長けた者こそ、《畏》を多く得られるようになっているので ――― 金を稼げるかといった方にこそ向けられていたために、せっかく集まった者どもも、遠野についてはさしたる情報を持っていなかった。

 遠野に住まう衣吹を、気にしていなかったわけではない。
 しかし、二代目にも衣吹にも、既に互いに復縁の気持ちはないようだし、こればかりは男女の縁であるので、リクオの思うようにいかぬところがある。
 ならばと、他の女との縁談を二代目に持ちかけても、リクオの母である人間の妾を忘れ難いらしく睨まれて終わってしまうので、誰もが、そんな二代目の気持ちを無下にして、恩着せがましく遠野に御用聞きに赴くわけにもいかない。

 内心、先ほど鴆が若頭に申し上げたように誰もが、若頭以上に遠野とあれこれやり取りしている者は、この場に無いのではと考えた。
 しかし、そこは地の利というものがある。

 そう言えば、と話し始めたのは、奥州に一番近い、北関東の中でも最北端に住まう、もったいないお化けだった。

「お役に立つかどうかはわかりませんけど、そういえば遠野を含めた奥州一帯では、最近、山鳴り海鳴りが頻繁にあるそうですよ。近辺の人間どもはずいぶんと恐れて、山や海に慣れた者どもも、最近は山や海に入るのに遠慮がちだとか。稼ぎにならないのは痛いが、こういう時は山に入っちゃいけねぇ決まりだって、昔の人間たちが良く言ってたそうで」
「へえ。もったいないお化け、お前、それをどうやって聞いたんだい」
「そのう、若頭、どうかセコイ真似と思わないで下さい。私どもは人間どもが残した飯を、もったいねえもったいねえと夜中にすすり泣いてビビらせてやるのが本職なもんで、元々、人間に化けてどこのどいつがどんなもったいねぇことしてやがるのか、探ってるような次第で。ご近所づきあいも、妖怪相手より人間相手のが多いくらいなんでさぁ。人間の姿でお邪魔すりゃあ、シマ荒らしだのなんのと言う妖怪もおりませんので、ちょいちょい、関東を離れてあっちこっち旅をしているんです」
「ふぅん、うまくやってんなら、それでいいんじゃねぇのかい。人間に化けてコソコソするのを良く思わない連中もいるらしいが、オレは別になんとも思わねぇよ。見境なくカタギの連中に襲いかかるような真似さえしなけりゃ、あとは各々の裁量さ。
 にしても、山鳴り海鳴りか。誰か、同じような話を他の場所で聞いたことは?」 

 これには、青鷺火が、そして沫縁湖の若旦那が、そういえばと口を開いた。

「最近、あちらこちらの商売相手から ――― これも人間が多いのですが、住んでいる土地の山がおかしい海がおかしいという話を聞きますな。もっぱら温暖化の影響による異常気象とやらを、人間は信じておるようですが」
「うちの湖の周囲も、ここんとこ変なんだ。周囲に咲く珍しい花が狂ったように咲いて人間どもを喜ばせたかと思えば、そのどれもが実を落とさなかったりする。人間どもが言うのをこっそり聞いてみりゃ、湖の温度もいつもより高いとか。そういやあなんだか今年はあったけぇなと思っていたんだが、オンダンカのエイキョウによるイジョーキショーなんぞが、あの湖に関係あるはずもないしなあ」
「………実はな、西日本でも同じようなことが結構ある。つい最近、四国の陰神刑部狸さまがいらして言うことには、四国の霊山・石鎚山でも最近、山鳴りが絶えないそうだ。ああそれから、昨年は富士山麓でもちょっと騒ぎがあったな。詳しいことは雪羅御前に聞いてもらえればわかるが、大物亡者が出てくる騒ぎがあった。それだけじゃない、宮島の姫巫女さまも、最近の宮島は内海にも関わらず波が高くて困る、凶兆であると嘆いておわす。山口の酒呑愚連隊の若頭も、おとなしくなったはずの壇ノ浦がまた騒がしくなりはじめたとぼやいてたし。京都では、鵺ヶ池が綺麗に凪いで、上から覗き込むと湖面が鏡のように綺麗になっちまった」
「あのぅ、リクオさま、最後のソレは良いことなのでは?」
「いいや。螺旋の封印の最初の一たる弐条城はな、魔京抗争のときには外から渦を巻くように、呪いの念を含んだ忌み深き黒い水が流れ込んでいた。封印が施された後からは、それを跳ね返すように滾々と、美しい水がわき出て外へ流れ出始めた。
 それが凪いだということは」
「まさか、またも封印が?!」
「その可能性が高い。加えて、妙な事件も立て続けに起こっていてな。大事にしていたもんがいくらか盗まれた。どれもこれも、呪い付き曰く付き……お前等にしちゃあたいしたことの無いモンかもしれないが、人間どもの前に現れちゃちょいと困るってモンがな。その黒幕はどうやらあの≪百物語組≫らしい。その≪百物語組≫が遣わしているらしい黒虫どもも、あちこちで、特に、暴走している妖怪どもの傍で見かけるようになった。昨年の夏頃にこちらで見たように、ぶんぶん飛んでいたりするわけではないが、どこからかやってきて、妖怪に憑いて、意思を奪うようなことをしているようだ。
 そうして意思を奪われた妖怪どもは、どうやら今、ネットの中で暴れている様子。ご丁寧に盗まれた曰くつきの品々もレアアイテム扱いされて陳列されてるときた」
「はぁ?」
「ネットの、中?」
「インターネットだよ。奈良生まれ平安生まれの奴でも、聞いたことぐらいあるだろ?青鷺火なんかは、そこの通販サイトでずいぶん儲けてるらしいけど、ネットの利用方法ってのもいろいろあって、インターネット環境を利用したゲームなんかもあってだな。実際に広い土地がなくても、ゲームの中ではいくらでも土地を設定し放題。
 ゲームはいくつも出てるけど、その中でも一番人気の商品が、どうもクサい。黒虫が現れて姿形を奪い取ったと思われる妖怪どもが、別の名を与えられて、敵にまわってるようなんだ。インターネットは最近の技術だし、旧い妖怪の手が届かない、未開拓の場。≪百物語組≫の隠れ家としては上等だろう?
 山鳴り海鳴り異常気象だけでも、日本のあちこちで聞こえてくるよな。
 けどそれだけじゃない、≪百物語組≫が絡んだ事件もどうやらある。遠野でも似たようなことが起こっているんだとしたら。あそこにも霊峰があるだろう。亡者が溢れ、加えて≪百物語組≫がその亡者どもを取り込み、遠野を攻めさせ、下した遠野勢に新たな名をつけて使役していても、おかしくはないかもしれない。
 山鳴り海鳴り、≪百物語組≫と、ネットゲームの新キャラと、それぞれバラバラのように見えるかもしれないが、どれも奴良組の脅威には他ならない。
 何が遠野につながるのかも、何が二代目につながるのかもわからないんだ、今は、何でもいい、ここ最近あった事件なんかでもいい。お前たちの身の回りで、気になるようなことはなかったか?」
「盗まれたといえば……若頭、そういえば、あたしも」
「そういえば、おいらのところでも」
「インターネットと言えばですね、若頭!」

 情報を出し惜しみしていた先ほどまでとは打って変わり、今度はあれこれ自分勝手にしゃべくり始めた彼等の話を、若頭はじっくりと聞いてやった。
 あまりに多いので、途中から木魚達磨が筆で走り書きを始めたが、ふと気が付くと若頭の後ろでは、既に玉章がモバイルを取り出してカタカタやっている。様子から見て、話すよりも早くメモ書きができるものらしいので、途中でやめた。
 敬遠していたが、最近は人間の坊主もスマホとやらを使いこなし檀家を回っているというので、己もそろそろ触ってみようか、などと思いながら、遠いところを見やる木魚達磨だった。



+++



 総会に集まった貸元どもの話を聞き終え、語り終えた貸元どもがひとまず満足して帰った後、げっそりとした表情の大将と副将三名が、退室した先、副将たちに与えられた客間の畳の上に、足を投げ出したり脇息に体を半分預けたような姿で互いに向き合い、それぞれ首を回したり肩を叩いたり、思い思いにくつろいでいた。

「妖怪同士の争いは、おそれた方が負け。こればかりは妖怪なら老いも若きも同じだとばかり思っていたけど?やれやれ、ご老人たちときたら、こわやこわやで話にならない。こちらから出せと言うまで、これだけの情報を抱えているのに、情報共有というものをしないんだから。宝の持ち腐れはなはだしいうえに、携帯なんて持ってたところで猫に小判じゃないか。まったく」
「厳しいなァ、玉章。猩影とオレにとっては、他人でいようと思っても、どうしても身内の情が出て、なんやそう言われると申し訳ない気になるけど。お前の目から見てどうや、今の奴良組は」
「七日もあれば落とせるだろう。僕たちが関東に攻め込んで奴良組を配下に加えるのなら、七日あれば充分だよ。なんなら本当にやって見せようか?」
「冗談でも滅多なことを言うなよ、玉章」
「そうだぜ玉章。こんなデカいだけの老人だらけの組、手に入れたって俺たちの方にゃ介護要員足らねーよ。任侠ヘルパーにでもなんのかっての」
「でも、リクオ君が奴良組の若頭におさまっているより、伏目百鬼夜行の後ろに加えた方が、余程てっとり早いんじゃないのかな。恨みがましい気配をさせながら、その襖の向こうで聞き耳をたててる奴も、納得して君に従うだろう」

 二人の副将が目配せして、同時に襖を両脇へすぱんと開け放つ。
 と、そこには幹部が一人、仏頂面で立っていた。

 一ツ目入道だった。

「……ワシは逃げも隠れもせんわい。ただ少し、入る隙を伺っていただけで……」
「フゥン。にしては僕等の話、ずいぶん長いこと、聞き耳をたてていたみたいだけど」
「そうイジメんなって。小父貴、どうした、なんか俺たちに用かい」
「ワシが用があるのは、そこの若様よ」

 一ツ目入道が顎で指したのは、上座に腕を組んで座す若頭だ。二人がそちらへ視線で問うと、リクオが頷く。それでやっと、一ツ目入道は若頭と差向いに座すのを許された。

「リクオ様よう、ワシはてっきり、初代もお帰りになるものとばかり思っていましたがねぇ。そうすりゃ、あの連中だって納得も安心もしたろうに」
「もちろん、初代にはお報せ申し上げたよ。だが、ご自分は隠居の身であるから、組のごたごたにはもう首を突っ込まないと仰せでな。二代目のこともご心配に違いないが、もし二代目が何者かに不覚を取ったならば、きっと討った者自ら、我こそがあの関東奴良組二代目を討ちとったものぞと名乗りをあげようから、ただ行方知れずになっているうちは無事であろうからと。
 オレもそう思うね。きっと今頃、どこかの縁側で、自分を甘やかしてくれる女の膝にのんびり甘えてるんじゃないだろうかという気がする」
「口さがない連中は、こうも言っておりやすぜ。初代を連れ去ったまま連れ帰らないとは、まるで初代は花霞一家に人質に取られたようだとな」
「ああ、一ツ目入道、まさに初代はそう仰せであった。オレが無事に京都へ帰るまで、初代はオレの人質なのだそうだ。もし関東奴良組の何者かがオレの意に沿わぬことをすれば、初代の命はないものと思えと言うんじゃぞと、念を押されていたのをすっかり忘れてたな。爺様は過保護なんだ」

 初代が作り上げた頃と比べて、やや大きくなりすぎた奴良組は、今や初代や二代目の思惑とは関わりなく、思わぬことをしでかす。
 二代目が改めて平定した関東に、今更リクオに危害を加えようとする者はよもやいなかろうが、初代が念を押してそう仰せになったのは、リクオの命を取ろうとするのではなく、三代目の座についてほしいからこそ無理を通そうとする者もあると見抜いておいでであるためだ。

 そこは長年の付き合いで慮った一ツ目入道、ぬうと唸った。
 まさに、彼が一人で若頭を訪ねたのは、その話題がためであったから。

 対して、彼が相対する若頭は、初代の心配を知ってか知らずか、ぺろりと悪戯小僧のように紅い舌を見せる。

「では ――― もしも、我等奴良組が、この日を限りに若頭、貴方様を京都へお返し申さんとすれば ――― 」
「ああ、うん。京都には留守番の奴等が残っている。……他の奴等はまだしも、鬼童丸は馬鹿正直に、爺様の首に刀をつきつけそうで、シャレにならん。いらぬ心配だと思うんだがなぁ」

 のんびり仰せになった若頭から、我こそが三代目という気概は見えなかった。
 二代目が居ない間、この組を仕切ると言いはしても、実際のところ、三代目におさまるに相応しい者が現れたなら、喜んでその座を譲るのだろう。
 牛鬼から聞いてはいたが、実際目にすると、一ツ目入道の胸の内に、苦々しいものがわいてくる。

「若頭ァ、そんじゃあアンタは、あくまでご自分が三代目におさまるつもりはねェんで?」
「信じられねぇかい?」
「そりゃあ、奴良組三代目ともなりゃあ、関東一円を治めたも同然だ。西の主とまで言われるようになったんだ、ここらでもう一つ手を伸ばそうとは、思わねぇんですかい?」
「一ツ目の小父貴、そいつをウチの大将に理解させるのは難しいぞ。……ほら、首かしげちまった。あのなぁ小父貴、富だ名声だって奴が、わざわざ京都の敗残処理を自分から請け負うと思うか?こいつはそういう奴なの。今の今まで、そういう考えすらなかったんじゃねえのかな。京の主におさまるだけでもすったもんだだったんだし」
「そうだね。その程度のことを考えてくれるなら、僕たちも安心できるんだけど ――― どうなのリクオくん、二代目が三代目を決めずに姿を消しちゃったわけだけど、君は三代目になるのかな?」
「何やの、二人していちびって。去年、奴良組に来たときにその点はきっちり、貸元たちに伝えてあるはずだ。この先、二代目がどこの女を連れてくるかもわからんし、その女との間に子が恵まれんとも限らんのに、戻ってこない前提で話をするのは、ちと気が早いだろう?
 なあ一ツ目、あんたはどう思う。まずは遠野の騒ぎをどうにかする方が先じゃないのかな?」
「どうって ――― どうしたらいいか、わからねェんでさ」

 苦虫をかみつぶしたような顔で俯いていた一ツ目入道は、わずか狼狽し、三人の顔をそれぞれ見回し ――― ついに溜息をついた。
 目の前の若頭が、二代目不在のこの折に、我こそ三代目になってくれるとのたまうものなら、相応しくないの分をわきまえろだの、一ツ目入道お得意のいちゃもんをつけてやれたろうが、彼にはまったく、そんな隙がない。
 ついには、本音をさらすしかない。
 そうかこれが花霞リクオのやり口かと思い知らされれば、表情が苦くもなろうものだ。

「 ――― 若頭、奴良組と言ってもワシ等は、奴良組の代紋の元に集まっただけの、しょーもねぇ連中です。さっきの広間の騒ぎでおわかりでしょう?
 昔はそりゃあ、色々やった。チンピラどもと大した違いのねぇ、ちんけなこともね。
 だが、奴良組に入ってからは違う。何より、人を食わなくなった。血をすすらなくなった。必要なくなったからですよ。そりゃ、初代の奥方が人の姫だったからって遠慮もあしましたがね。
 それにしたって、一時は人の血肉をすすってなけりゃ、どうにも乾いて仕方ねぇって時もあったのに、今は全くそれがねぇ。
 いつからか。決まってらぁ。初代にお会いして、ついていくと決めてからで。中には、二代目にお会いしたときからって奴もおりましょう。これまで、御二人について来たワシ等は、いつしか人の血肉の味を忘れた。それより、楽しみができた。
 人間どもを見ると、初代の奥方や二代目を思い出す。皆で騒いだ夜を思い出す。楽しかった日を。すると、喰うどころじゃねェんです。戦国の世の終わりからこれまで、ワシ等はそんな風になりやした。
 けど ――― わからねェんでさ。今、ここに来て、初代が居ない、二代目も居ない。
 ふと皆、思い出しちまうんですよ。乾きを。
 人の血をすすっていたころの。肉を貪り食ってた頃の。
 チンピラどもを抑えろとアンタは言うがよ、奴等はいわば、生まれたてのワシ等じゃ。数百年前のワシ等じゃ。血肉に飢えている妖怪どもは危険だ。ナメてると痛い目に合う。しかし怖いのは、奴等じゃねえ。怪我をするのにビビってるんじゃねぇ。怖ぇのは。ワシ等が、初代の不在を二代目の行方知れずに、怖ぇと思ってしまうのは ――― 」
「人間の血をすすり、肉を貪っていた頃の己に、戻ってしまうことか?
 生憎だが、オレは初代や二代目のように甘くねぇ。てめェ等の我儘に付き合って、あてのねぇ夜行をする趣味は持ってねぇんだ。てめぇ等が初代、二代目が紡いだ人との縁をそのまま繋いで行くも、忘れて元通りの血濡れた妖へ堕ちて行くも、それはてめェ等が選ぶ道。
 この際だ、一つ言っておく。この先、誰が三代目になろうとも、オレは奴良組の若頭として、奴良組に力添えをするつもりだ。だがな、初代が築き、二代目が繋いだ人と妖の絆、無碍にすることは例え誰であっても許さへんで。何の罪もないカタギを巻き込み、仇を為すなど言語道断。オレたち妖怪は、嫌われ疎まれ遠ざけられる者どもだが、だからと言って、憎しみに応じてやる必要はない。同じく遠ざけられ封じられる身でも、信じられ仰がれ奉られるような《畏》であれということだ。
 オレは約定通り、若頭の役目としてここへ来た。目下、遠野とのいざこざには口も出すし知恵もしぼるが、それが済んで収まれば、その時二代目が戻ってきていなかったとしても、今後の奴良組をどうしていくかは、一ツ目入道、てめぇ等が考えることだろうが」
「若 ――― リクオ様、そいつはあまりに、手厳しい。二代目がこのまま居なくなられたら、約定通り、三代目にはおさまっていただけるんでしょう?」
「それは、今考えることかい?二代目は仮にもオレの父だ、死んでしまったとは考えたくないし ――― 殺しても死ぬようなタマかよ、あの二代目が。心配するだけ無駄さ」
「しかし、いつかは二代目も総大将の座を退かれるでしょうが。そん時は遠くねぇでしょう。そん時は」
「忘れたのか?二代目にこの先、和子様が恵まれなかったときは、京を継ぐしかるべき二代目が花霞家を率いるようになったそのときに、オレと妻が本家に入る。その先の四代目は、貸元どもから考えるなり外から呼ぶなり、奴良組をしまいにするなり、好きに考えればいい」
「好きに ――― って。それじゃあ四代目以降は」
「そこまで約定にはしていなかっただろう?三代目にオレがおさまることがあるとすれば、あくまで《繋ぎ》だ。貸元連中で話し合って、これはと思う奴がいるのなら、そいつを三代目に据えたって良いと思っている。もし二代目がこの先、妻を娶り和子さまを設けないのなら、奴良組に初代の血は絶えることになるか」

 何ということか ――― 一ツ目入道は、その名の通り大きな一つ目を、ぐるりと回してその場に倒れそうだった。

「何と言う!何と言うことを!アンタぁ、まるで他人事じゃねぇですかい、若頭ッ!」
「何を馬鹿なことを言ってるんだい。この家からリクオくんを追い出したのは、君たちの方だろう?他人事って、所詮、他人事なんだから仕方ないじゃないか。花霞家は京を治め、西に目を向けるので精一杯だよ」

 困ったように黙ったリクオの代わりに答え、一笑したのは玉章だった。

「それなのにわざわざここまで来たんだ、歓迎されこそすれ、そんな風に責められる覚えはないんだけどな。一ツ目入道と言ったかい。君、結局何を言いたいのさ。喧嘩を売りたいだけなら、御大将は長旅でお疲れだ。そろそろ休ませていただきたいんだがね ――― じき、夜が明けてしまう。御大将が、人の身で今宵の疲れを背負うはめになる」
「だ、黙れ、お前には訊いていない ――― 」
「僕も、アンタのお喋りはこれ以上聞きたくないよ。決まりきったことをぐだぐだと、みっともない。念仏の方がまだ面白く聞こえるね」
「な、何様のつもりで、貴様 ――― 」
「僕は花霞家の副将だ。ただの付き人のつもりじゃないし ――― もっと言うなら、リクオくんの友達で、家族のつもりでいるよ。体調の心配をするのは当然だし、それに、リクオくんが言い難そうなことを代わりに言うのは、僕が自分に課した役目だ」
「なんの権利があって ――― 」
「したいからしてるだけだよ。心配したいし、大事にしたい。単純明快だろう?甘いことを言っている自覚はあるよ。けどね、これくらい甘やかしておかないと、うちの大将には伝わらないんだ。僕たちが彼を大事に想っている、だからこちらの岸にとどまってほしいという願いが」

 一ツ目入道は、今にも湯気を出してしまいそうなほど、顔を真っ赤にして玉章を睨んでいる。
 常に若衆のすることなすことに文句をつけ、自分が総大将ならばこうしてくれる、ああしてくれると酒宴の席で大口を叩いている男だが、表と裏で言うことが食い違うことはない。裏表がまるで無い男だった。
 そこは一つしか目がない姿が示す通り、見るものは一つ、二つ心は抱かない。

 彼は玉章から、千切るように視線を逸らし、今一度、リクオに向かい合った。

 今度は、座していた座布団から飛びのいて、平身低頭のありさまで。

「若 ――― リクオ様 ――― どうか、どうか ――― ワシ等を、どうか、見捨てないで下せぇ!」

 そのまま、額を畳にこすりつけた。
 二代目相手でさえ、赤子の頃から知ったるよしみで、まだまだやんちゃ坊主よのうと苦い顔をしていた男が。

 まさか、と、三人ともが言葉を失った。

「奴良組を率いるは、初代の血を引いていない者でも、と。そう考えている輩は確かにおりやす。力のある古参幹部から誰かを選ぶ ――― ワシも、一度はそう考えやした。だがよ、そりゃあ、奴良組を背負う力も覚悟もねぇボンクラが跡目になった場合のこと。若は、リクオ様は、そのどちらも充分なほど持っていやしょう。だのにアンタは ――― 若頭は、ご自分の郷里は京で、奴良の血を引いてはいても嫡男ではなく、奴良組を継ぐつもりはない、己が守るべきは西であると仰せだ。
 リクオ様よ、アンタが慈悲深い御方だというんなら、どうかワシ等を、奴良組の妖怪たちを、見捨ててどこかへ行ってしまおうとしねぇでくだせぇ!ワシ等は闇夜を好む妖怪だが、初代や二代目の光に惹かれて集まった連中です。今、その光を消されたら ――― ワシ等は ――― ワシ等は ――― 。
 血筋がすべてではない。それはわかりやす。しかし、そうじゃねぇ。例えばこの先、二代目がひょっこり帰ってきなすって、その時に新しい奥方を連れておられても、それがさっそく二代目の御子を身ごもっていたとしても、ワシは ――― ワシ等は、アンタにこそ、三代目になっていただきたい!この通りだ、どうか ――― 」

 障子の向こう、空が白んできていた。
 小鳥の囀りが耳に届いても、誰も、この場で声を発する者はなかった。

 一ツ目入道は長い間、畳に伏したまま、リクオの答えを待ち続け ――― 不意に、畳に置いた拳に、小さな手がそっと、置かれた。

「ねえ、どうか頭を上げて、一ツ目入道。見捨てるだなんて、ボクは、決してそんなことはしないよ。約束する」

 頭を上げると、夜明けとともに人に変じた花霞リクオが、淡く微笑んでいる。
 昨年、広間で向かい合ったときにも感じた《畏》は、今も一ツ目入道を包んだが、あの時と違い彼に刃向おうとする意思がないためか、リクオの視線は柔らかく身を包みこみ、すると、これまで意地を張ってあれこれ文句ばかりつけてきたのが、途端に恥ずかしいことのように思われて、微笑まれた瞬間に、心の氷がほどけて、なんとも有難く感じた。
 しかし何故だろう、その微笑みはそれだけではない、深い寂しさ、悲しさをも、内に含んでいるようだった。
 理由は、すぐに明らかになる。

「ただね、ボクには、おじいちゃんみたいに、二代目みたいに、奴良組の皆を率いることはできないんだ。ボクは奴良の姓を捨てた。三代目にはならない。どうしたって、ボクは京を中心に物事を考えてしまう。この身も魂も、もう、京の封印の杭の一つなんだ。そんなボクが、関東奴良組の三代目になんて、なって良いはずがないでしょ?
 それに京の主、西の主と呼ばれたって、ボクは派手なことは何もしていないんだよ。
 ただ、皆が暗闇で迷っていたなら、その旅の途中で、目印の灯になるだけだ。道は先へ続いていて、その先の道は、皆が自分で見つけなくちゃならない。ボクは一つ所に身も魂も囚われているから、皆のように、先へ先へとは、行けないんだ。そんなボクが、皆を見捨てて、置いて行けるわけがないよ。
 三代目にはなれない。けど、奴良組の皆を、見捨てるようなことは決してしない。できない。だから、安心して」

 唐突に、一ツ目入道は理解した。

 捨てられたのではない、己等が、この類なき御方を捨てたのだ。
 花開く季節がくるより前に、小さな若木が葉も花も見せぬので、これはならんと侮って捨てたのだと、理解した。

 今、己がしていることは、捨て置いた場所に戻って、己等を捨てないでくれと、すがっていることなのだと。

「二代目のことなら、きっと大丈夫だよ。行く先は知れないから、すぐにどうこうするってわけにはいかないけど、あのひとなら、きっと大丈夫。 ――― そんな気がするんだ。
 だからまずは、遠野の戦支度についてどういうことなのか、すぐにでも確かめに行くつもり。
 東京のあちこちで暴れていた妖怪たちは、今日の地回りであらかた大人しくなったはずだし ――― こうやって不安なことは、一つずつ取り除いていこうよ。ね?」

 正直に訴えてみると、一ツ目入道はこれまで苛々とした気持ちに満ちていたのが、訴えが受け入れられなかったものの、いくらかすっきりしているのに気付いた。
 しかし、せっかくリクオが笑んでいるというのに、気落ちは隠せず、何を答えることもできず、逃げるように席を辞す。

 屋敷を出て、白み始めた空から逃げるように朧車を己の屋敷へ走らせながら、一ツ目入道は遅まきながら、初代が何故、奴良屋敷を出て行ったか、二代目が何故、姿を消してしまったか、わかるような気がした。
 彼は生粋の妖怪であったが、かつて江戸の頃、人間であった娘を養女として育てた過去がある。
 他の貸元どもにはわかるまいが、彼にはわかってしまった。
 父親であったことが、あるために。